第6話 行きは五日、帰りは一時間

 八月二十日。

 とうとうルシアナ一行が王都へ戻る日がやってきた。

 ヒューバートはもちろんのこと、ライアンをはじめとする全ての使用人が見送りのために玄関前に集まっている。


「ううう、メロディちゃんにもう会えないなんて」


 感情的にポロポロと涙を流して別れを惜しむシュウ。帝国第二皇子シュレーディンだった頃の冷徹な雰囲気はどこにもない。人格が周一化したことで感情表現が豊かだ。

 ハンカチで鼻を押さえてプピー! と、鼻をかむ。漫画か!


「えっと、またお嬢様が帰省される際にはこちらに来ますから」


「ぐううう、最低でも来年まで会えないんすね」


「なんだい、シュウ。メロディに会えないのがそんなに寂しいのかい? だったらお前もルシアナについていって王都へ行くかい」


「あ、それはいいっす。俺、王都に行くつもりはないんで」


「……いきなり真顔にならないでくれよ」


 冗談のつもりだったが、ヒューバートが王都行きを勧めた途端、シュウは泣き止んでそれを拒絶した。断片的に取り戻した、シュウにとっては予言のような知識の片鱗が、彼の不幸の舞台の大半がテオラス王国の王都パルテシアにあることを予見していたからだ。


 自身の不幸を回避するために帝国を出たというのに、その舞台となる王都へ行くのでは本末転倒である。メロディに会えないのは寂しいが、優先事項をシュウは間違えたりはしなかった。

 だが、シュウの決意はあっさりと否定される。


「シュウが行きたくないと言っても、近いうちに一度は王都へ向かうことになりますよ」


「へ? どういうことっすか、ライアンさん」


「いつになるとは言えませんが、屋敷の件もありますから一度はヒューバート様も王都へ行くことになるでしょうし、シュウにはヒューバート様のお世話をしてもらいますから」


「「えーっ!?」」


「……なぜそこでヒューバート様まで驚いているのですか」


「……まさかまた、護衛を置いて行こうとか考えていませんよね、ヒューバート様?」


 驚きの声を上げるシュウとヒューバート。額に青筋を浮かべるライアンとダイラル。


 地震によって完全に倒壊したルトルバーグ伯爵邸。その状況を伯爵であるヒューズは実際に目にしてある程度把握しているものの、メロディの魔法のことを与り知らないライアンやダイラルはいずれヒューバートが詳しい報告をするために王都へ向かわなければならないと考えていた。もちろん、その際には貴族として最低限の体裁を保つために護衛と使用人を連れていくのは、二人の中では当然の決定事項である。


「でもダイラル、魔物が出た場合を考えるとあなたには領地に残ってもらいたいんだけど」


「お嬢様、ルトルバーグ領は魔障の地が存在しない土地ですから、正直なところ魔物被害が出る可能性はとても低いので心配には及びません。むしろ、血族の少ないルトルバーグ伯爵家の、領地で代官をなさるヒューバート様に何かあればそれこそ我が領にとっては大被害なのです」


「「う、うーん」」


 ダイラルの言葉を否定できないヒューバートとルシアナだった。


「俺がヒューバート様についていくよりライアンさんの方が能力もあるし適任っすよ」


「馬鹿なことを言うんじゃない。私まで同行したらその間の領地の管理はどうするのですか。それほど遠くないうちにヒューバート様は王都へ行くことになるのですから、それまでにお前の使用人教育を強化しますからね」


「ひええええええっ!」


「クスクス。シュウさん、王都にいらっしゃる日を待っていますね」


「メロディちゃん! うん、待っててね! ――はっ!?」


「言質は取りましたからね、シュウ」


「OH……」


 ニヤリと笑うライアンに、シュウは引き攣った笑みを浮かべるのであった。

 やがて全ての準備が整い、ルシアナ達は馬車へ乗り込む。レクトは自分の馬でここまで来たので、馬車に並走する形だ。


「それじゃあ、また来年帰ってくるからそれまでうちをよろしくね、叔父様」


「任せておきなさい。まあ、ライアンによると俺は近いうちに王都に行かなくてはならないらしいから、その時は頼むよ」


「ええ、任せてちょうだい! メロディに」


「はい、お任せください、お嬢様」


 自信満々にメロディへ丸投げしたルシアナに、ヒューバートとメロディは可笑しそうに笑った。

「それじゃあまたねー!」


「「「「「行ってらっしゃいませ」」」」」


 手を振って見送るヒューバートの隣で、使用人達は深々と一礼した。

 そして馬車が走り出す。






ちょっとだけ寂しい気持ちで見送っていると――。


「キャワワワワアアアアアアン!(我を忘れるなあああああああああ!)」


 ヒューバート達の足元を、見覚えのある子犬が叫び声を上げながら通り抜けた。子犬はキャンキャン鳴きながら(泣きながら?)馬車に向かって全力疾走するのであった。


「キャワン、ワンワンワンワワワンワンワワンワワアアアアアアアア!(貴様ら、自分達の都合で連れてきておきながら我を置いていくとは何事だああああ!)」


「「「「あ、グレイル」」」」


 がむしゃらに馬車に飛び乗ったグレイルを見て、レクトを除く四人の声が揃う。

 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』におけるラスボス、メロディに浄化されて現在子犬生活を満喫中の魔王ことグレイルは、レクトの訪問以来、メロディ達の記憶から完全にすっぽり抜け落ちていたのであった。


 魔王なのにこの存在感の薄さよ……。


 涙目になってこちらを睨みつけるその姿に、メロディ達が思わずそっと目を逸らしてしまったことは言うまでもあるまい。




◆◆◆




 馬車が走り出して一時間が経とうとしていた。置き去りにされて超不機嫌だったグレイルは、今は新たに用意されたバスケットの中で腹見せぐーぐー夢の中である。

 そして以前地震が起きた時にメロディ達が昼食を取っていた場所に辿り着くと、メロディの指示でリュークは馬車を停車した。メロディが馬車から降り立つ。


 隣で馬を走らせていたレクトが訝しんだ。


「何か問題でも?」


「いいえ。そろそろ王都へ帰ろうかと思いまして」


「帰る? ……今、その途上だが?」


「ええ、本来ならこのまま馬車に揺られてゆっくり帰るつもりだったんですが……」


「舞踏会まで時間がないもの。ゆっくりなんてしていられないわ」


 説明に言い淀むメロディに、続いて馬車から降りたルシアナが口を開いた。


「私だけじゃなくてメロディの舞踏会の準備もしなくちゃいけないんだから時間はいくらあっても足りないわ。だったらちゃっちゃと王都に帰らないと」


「それは理解できるが、だったらなぜこんなところで止まるんだ?」


「もちろんここから帰るためよ。屋敷からも大分離れたからもういいでしょう。お願い、メロディ」

「畏まりました、お嬢様。開け、おもてなしの扉『迎賓門ベンヴェヌーティポータ


 街道の真ん中に銀の装飾が施された両開きの巨大な扉が出現した。


「これは……以前見た物に似ているような」


 突然のことに思わずポカンとしてしまうレクト。しかし、彼は思い出した。学園が夏季休暇に入る前、屋敷で寛いでいたところに突如現れた簡素な扉の存在を。

 扉から現れたのはメロディで、自分はその手に引かれて扉を潜るとそこは王立学園の敷地内。さらに意識を失ったリュークを連れて再び扉を潜ると、そこは見知らぬ森の中。

 その時、メロディが扉を介して空間を移動する驚愕の魔法を使えると、初めて知ったのである。


(あの時は色々あって動転していたから驚く暇もなかったが、改めて考えてみればとんでもない魔法だった。なぜかポーラは全然動揺していなかったが。あいつはどれだけ肝が据わっているんだ……ではなくて)


「メロディ、もしかしてこの扉は王都に繋がっているのか?」


「はい。王都のルトルバーグ邸に繋がっています。すみません、何の相談もなく。私、向こうでは魔法を使えることを秘密にしていたので、なかなか相談する機会が持てなくて」


「そ、そうか」


「実際、お嬢様が仰った通り、私も舞踏会に参加することになったのでこのままだと準備時間が足りないかもしれないんです。お嬢様と相談した結果、屋敷を離れてから魔法で帰還したらどうかという話になりまして」


「……俺のせいだな。すまない」


「いいえ、参加すると決めたのは私ですから。幸いレクトさんは私が魔法を使えることを既にご存じなので、隠す必要なくこうして早く王都へ帰還ができます」


「そうか……」


 メロディの秘密を共有する数少ない人間の一人であると言われ、レクトはちょっとだけ嬉しいような気恥ずかしいような気持ちになった。



 レクトへの説明が済むと『迎賓門』が開かれた。レクトの馬と馬車の面倒を見るためリュークを一旦残し、ルシアナを先頭に一行は王都邸の玄関ホールへと足を踏み入れる。玄関ホールは無人だったがすぐにセレーナが姿を現した。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「ただいま、セレーナ」


「お姉様もお帰りなさいませ」


「ただいま、セレーナ。旦那様と奥様に帰還の旨をお伝えして。あと、お客様としてレクティアス・フロード騎士爵様がいらしているから、そちらもお願い」


「畏まりました、お姉様。いらっしゃいませ、フロード騎士爵様。ルトルバーグ伯爵家のメイドをしております。セレーナと申します」


 優雅な仕草で一礼するセレーナ。対するレクトは彼女を凝視したまま固まっている。


「セレ……ナ?」


「――? はい、セレーナでございますが……どうかされましたか?」


 不思議そうに首を傾げるセレーナの姿に、レクトの心臓はドクドクと脈打っていた。


「そういえば、あの時はお互い慌ただしくて自己紹介をする暇もありませんでしたもんね。彼女は私が作った魔法の人形メイドのセレーナです」


 ちなみに、『あの時』とはリュークを急成長させてすっぽんぽんにひん剥いてしまった時のことである。自身の美しい裸体を少女達に見られてしまったことをリュークは知らない。


「魔法の、人形メイ……ド……」


「まあ、そんな説明されたら困惑するしかないわよね」


「魔法の人形メイドってパワーワード過ぎますもんね」


 困惑した様子のレクトの姿に納得するルシアナとマイカ。だが、レクトが困惑する理由はそんなところではなかった。


(……セレーナって……伯爵閣下のセレナ様の肖像画そのままなんだが)


 レギンバース伯爵クラウドから密命を受けて探していた女性、セレナ。つまりはメロディの母親なのだが、レクトはその資料として伯爵から十代の頃のセレナの肖像画を一時預かっていた。そして、セレーナはまさにその肖像画のセレナにそっくりなのである。


(あの時は意味不明なことが起こり過ぎて彼女の顔をよく見ていなかったが……これは、伯爵閣下がご覧になったら相当取り乱してしまうのではないだろうか)


 そしてレクトは一つの可能性に思い至る。


(ああ、そうじゃない。もしかしたら、閣下は既に彼女を見てしまったのではないだろうか。だから突然、俺にセシリア嬢をダンスに誘えなどと……セレナ様が恋しくて)


 春の舞踏会でセシリアを目にして多少心が揺らいだ様子はあったが、それでも平静を保っていたレギンバース伯爵がつい数日前になって急にセシリアを舞踏会に連れてこいなどとらしくない命令を下したのは、当時のセレナの生き写しのようなセレーナの姿をどこかで目にしてしまったからなのかもしれない。


 ルトルバーグ家もレギンバース家も家格としては同じ伯爵家。屋敷の位置も全くかけ離れているわけでもない。セレーナがレギンバース伯爵の馬車とすれ違う可能性がないわけではないのだ。

 ルトルバーグ家へ問い合わせた様子もないことから、きっとクラウドはセレーナを一目見たものの見失ってしまったのだろう。それはセレナに恋焦がれるがゆえの幻影だったのか、それとも他人の空似だったのか。


 どちらにせよ、クラウドの恋心が大いに刺激されてしまったことは間違いあるまい。だから、少しでもその片鱗を感じたセシリアをまた舞踏会に呼ぶように命じてしまったのではないだろうか。


(これは……また、閣下へ報告できない秘密ができてしまったかもしれない)


 あえて隠す必要はないのかもしれないが、セレーナはあくまでメロディによって生み出された魔法の人形メイドであり、セレナ自身ではない。どんなに姿が似ていても。

 それに、メロディが自分の魔法を秘密にしているのなら、あまりセレーナについて詮索されるのも望ましくはないだろう。


(ああ、俺はどうすれば……)



 またしても降って湧いた新たな葛藤に悩まされるレクトであった。

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