第5話 シュウとダンス
「はーい、それじゃあ始めるよ。準備はいいかな?」
やや渋々といった表情のヒューバートが手拍子を鳴らし始めた。ワルツでは一般的な三拍子だ。それに合わせてダンスを始めたのはメロディとレクトのペア、ルシアナとシュウのペア、マイカとリュークのペアの三組である。
結局、ライアンの一喝によって最初はこの組み合わせでダンスをすることになった。
「いい年した大人がダンスの順番で喧嘩など、恥を知りなさい!」
という、ライアンからの有り難い叱責を受け、ヒューバートが手拍子役である。しばらく練習が進んだら男性陣で順番に交代していく予定だ。
手拍子が鳴る中、メロディとレクトがワルツを踊る。二人が最後にダンスをしてから四ヶ月以上経過しているが、お互いに練度が高いおかげか春の舞踏会の時と変わらぬ息の合いようである。
(とりあえず私は問題なさそう。他の皆の様子はどうかな?)
メロディは周囲を観察した。
まず目に入ったのはマイカとリュークのペアである。身のこなしはまさにダンス初心者。その動きはやはりぎこちなく微笑ましいとさえ感じてしまう初々しさがあった。
とはいえ、リュークは体幹がしっかりしているので姿勢もよく、マイカもそれにつられたのか思ったよりは悪くない。あとは慣れの問題だろう。
そもそもマイカとリュークは練習の数合わせのために踊っているだけなので、とりあえずのところは及第点と言ってよい出来であった。
踊りながら、メロディは思わず微笑んでしまう。
(マイカちゃんとリュークは大丈夫そうね。あとはお嬢様とシュウさんだけど――え?)
メロディは目の前の光景に目を疑った。
正直にいって、ルシアナとシュウは決定的に相性が悪い。
だから、二人のダンスがどんなものになるのか少々不安に思っていたが、ルシアナとシュウはメロディの想像を斜め上に行く見事なクオリティであった。
(え、凄い、お嬢様。これ、私が今まで見た中で一番上手に踊ってるんじゃ……)
だが、踊っている本人のルシアナは大変不機嫌そうな表情だ。
「ぐぬー! シュウのくせに生意気な!」
「あはははっ。もっとお転婆になっても大丈夫っすよ、お嬢様」
対するシュウは余裕の笑みを浮かべている。しばらく二人のダンスを見つめて、メロディはようやく気が付いた。
(リードしてるのはお嬢様。そして、シュウさんはそれに完全に応えている)
本来、ダンスのリードは男性の役割だが、シュウが気に入らないルシアナは無理矢理にリードの役割を奪ってしまったらしい。だが、それでダンスが破綻していないのはシュウがルシアナの動きに完璧に対応できているからだ。
ルシアナの行動は正直褒められたものではないが、傍から見ると二人のダンスは大胆にして繊細、暴力的でいて流麗という、美しいダンスに昇華されていた。
これにはメロディもびっくりである。シュウがダンスを踊れると自己申告を受けてはいたが、ここまでのものとは思ってもみなかった。
玄関ホールにはヒューバートの手拍子が響いているだけだというのに、彼らのダンスを見つめていると本当にワルツの音楽が流れているような錯覚さえしてしまいそうだ。
「……あいつ、上手いな」
「はい。ちょっとびっくりしました」
気が付けばレクトもシュウのダンスを見つめていた。二人ともよそ見をしながらもステップ一つ間違えずに踊れている時点で十分に優秀なのだが、その彼らからしてもシュウのダンスの技量には驚かされるものがあった。
「どこの家の者だ? あれだけ踊れるとなると相当高等な指導を受けているはずだが」
「家を出て行き倒れていたところをヒューバート様に拾われたとは聞いていますけど、どこの出身かまではちょっと。普段はとても明るくて楽しい人なのであまり貴族の出を思わせるような雰囲気はないんですが」
「……そうか」
(王都に帰ったら一度調べてみた方がいいだろうか……?)
もし本当に高位貴族の子息が出奔したのだとしたら、後でメロディやルトルバーグ伯爵家の迷惑になる可能性もある。王都に戻ったら該当人物がいないか確認しておこうとレクトは思った。
一旦この組み合わせでのダンスが終わると、ヒューバートから総評が述べられる。
「メロディとフロード殿は残念ながら息ぴったりで全く危うげがなかったね。これなら舞踏会でも特に問題はないだろう」
「ありがとうございます……残念?」
メロディは首を傾げた。隣のレクトはちょっぴり眉根を寄せた。訪問時のヒューバートの態度を思い出しているのかもしれない。
「マイカとリュークはまだ基礎の基礎の段階だから今は出来不出来を気にする必要はないかな。数を熟して基本ステップを習得していこう」
「はーい。でも私達、踊る機会なんてないんですけどね」
「……使用人の嗜みだと思ってやるしかないだろう」
「そんなことないわ、マイカちゃん、リューク。いつ何がまかり間違って突然舞踏会に参加することになるか分からないもの。習得しておいて損はないわ」
「そんなこと早々起こらないと思いますよ、メロディ先輩?」
「私もそう思っていたんだけど実際、なぜか春の舞踏会に参加することになったのよね」
(それはメロディ先輩がヒロインちゃんだからですよー)
メロディとマイカは二人そろって苦笑を浮かべるのであった。
「よし、それじゃあ組み合わせを変更しようか」
ヒューバートの言葉により、それぞれのペアが変わった。レクトが手拍子役となり、メロディとシュウ、ルシアナとリューク、マイカとヒューバートの三組で踊ることに。
ここで強引にメロディとペアを組もうとしないあたり、手拍子をしている間にヒューバートは冷静さを取り戻したのかもしれない……『残念ながら』とか言ってはいるが。
「えへへっ、よろしくね、メロディちゃん!」
「はい、よろしくお願いします」
ニヘラッと笑うシュウに、メロディはニコリと微笑む。それを見たレクトは苦虫を嚙み潰したような顔になるが、ダンス開始の手拍子を打ち始めた。
その瞬間、メロディはハッとした。気が付けばダンスが始まっていたのだ。
あまりにも自然なリード。知らないうちにメロディの足は動いていた。タイミングを計る必要さえない。リードに任せていれば勝手に素敵なダンスが出来上がってしまうのだから。
それは、シュウがレクトよりも遥かにダンスに熟練している証拠であり、気が合わないルシアナとも息の合ったダンスをできたことも納得の実力といえた。
手拍子を打ちながら、レクトは眉間にしわを寄せる。
(……本当に、どこの家の者なんだ)
訝しむレクトを他所に、メロディはシュウのダンスを褒めていた。
「シュウさん、お上手ですね」
「ええ? メロディちゃんに褒められちゃった!」
ニヘラッとした笑みに連動するように、喜びを表すような軽やかなステップのリードがなされ、メロディもそれにつられてしまう。だが、それが強引ということもなく、自然な流れで促されるためやはり素敵なダンスを披露することになる。
実力以上のダンスになるため、これを実際に舞踏会の場で行われればおそらく多くの令嬢がシュウにドキリと胸を弾ませてしまうのではないだろうか。
ダンス一つで人心掌握さえできてしまいそうな技量である。驚きと同時に、少しばかり畏れすら抱きそうになる。
(シュウさんって何者なのかしら?)
メロディが見上げると、目が合ったシュウは嬉しそうにニヘラッと笑いながら、そして楽しそうにダンスをするだけだった。
チラリと視線を移せば、リュークとルシアナの様子が視界に入った。リードの技術を持たないリュークとのダンスにルシアナは悪戦苦闘していた。
「あはは、お嬢様は大変そうっすね」
「ふふふ、そうですね。でも、必要な経験ですから」
「確かにねぇ」
基本のステップしかできないダンス初心者のリュークは、当然ながらリードの技術など習得しているはずもなく、初めての経験に四苦八苦しているようだ。
王都で練習していた時はメロディのリードがあったし、舞踏会で踊ったマクスウェルやクリストファーは十分な技術を持つ者達だった。
ルシアナは実力者としか踊ったことがなかったのである。先程のシュウの場合もリードしたのはルシアナだったが、それはシュウに対応する技術があったからこそ成立したのであって、初心者のリュークに真似できるようなものではない。
そのため、リュークとのダンスはルシアナ史上過去最低のクオリティとなっていた。
「ああ、リューク、そうじゃなくてこう」
「ん? こうか?」
「いや、だからそっちじゃなくて、危なっ」
「うおっ」
「ご、ごめん!」
息を合わせることすら難しいのか、個人の実力としては優秀の部類に入るはずのルシアナが、うっかりリュークの足を踏みそうになった。
そんな様子を見てメロディは苦笑するしかない。
(今のうちに練習できてよかったですね、お嬢様)
マクスウェルのパートナーとして夏の舞踏会に参加すれば、ルシアナは注目を浴びることになるだろう。そうなれば色々な男性からダンスを申し込まれるかもしれない。そして中には実力の低い者もいることだろう。
その際に、貴族の衆目を集める中でみっともないダンスを披露すればどうなるか。あえて口にする必要もないだろう。
ダンスの練習をするうえで、実力のある者と踊ることも大切だが、そうでない者と踊る経験もまた大切な練習であった。実際、ルシアナの様子を見れば練習が必要であることは明白だ。
しばらくリュークとのダンスを続けた方がいいだろうと、メロディは考えていた。
そして、そんな二組のダンスを第三者の目で見つめながら踊っているのがマイカである。
「ああやって見てる分には面白い光景ですよね~」
「マイカは肝が据わっているなぁ」
手拍子を鳴らしながら、ぶすっと不機嫌そうにメロディとシュウのダンスを睨……見つめるレクト。それに気付かずに楽しそうに踊るシュウと、ルシアナのダンスをチェックしているメロディ。そして思わず笑ってしまいそうになるルシアナとリュークのダンス。
「美少女メイドを巡る恋のトライアングル。見ていてドキドキしますね!」
数合わせ要員であるのをいいことに、ヒューバートのリードに任せて適当に踊りながらメロディ達の様子を楽しむマイカ。ヒューバートは眉尻を下げて笑うしかない。
マイカと踊りながら、ヒューバートもまたメロディに視線を向けた。シュウとともに美しいダンスをしながらルシアナを気遣う姿が目に入る。
ルシアナへ向けるメロディの優しい瞳が、かつて恋をした女性のものと重なって見えた。
(……本当にふとした瞬間、セレナによく似た雰囲気になるんだよな、あの子)
大きくなったお腹を撫でながら微笑んでいたセレナが思い出される。あの時も彼女はあんな風に我が子を思いやる優しい瞳をしていた。
お腹の子が自分との間の子供だったらどれほどよかったことかと、何度考えただろうか。
(セレナは元気にしてるかな。子供も大きくなっただろうし、一回くらい遊びに来てくれたっていいのに……)
メロディと見つめながらつい切ない気持ちになったヒューバートは、こちらを見上げる視線でふと我に返った。
「……どうかしたのかい、マイカ?」
こちらをじっと見つめていたマイカは、ヒューバートに向かってニコリと微笑んだ。
「恋のスクウェアを期待してもいいですか?」
「……本当に違うからね? ルシアナに変なことを話さないでくれよ、マイカ?」
冷や汗を流すヒューバートとは対照的に、マイカはさらに深くニコリと微笑んだ。
彼女の胸元では『魔法使いの卵』が静かに震えていた。
そんな感じで、メロディ達は伯爵家を出立する前日までダンスの練習に明け暮れた。おかげでルシアナの実力は上達し、リードが苦手なリュークともそれなりのダンスができるようになっていた。
満足そうに頷くメロディだったが、ここでとうとうルシアナが不満を爆発させる。
「もう! シュウや叔父様ばっかりメロディと踊って! 私の番がないじゃない!」
「お嬢様、ダンスは異性のペアで踊るものですから」
「もうもう! 夏の舞踏会にも『同性カップルダンス』を用意してくれればいいのに!」
「ないもんはしょうがないっすよ、お嬢様。じゃあ、早速俺と踊りましょうっす!」
「あんたのダンスはなんかヌルッとしてて気持ち悪いから嫌よ!」
「ヌルッて、酷いっすー!」
あまりにも自然なリードを取るシュウのダンスはルシアナのお気に召さなかったようだ。
どこまでも相性が悪い二人なのであった。
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