第3話 メロディの決意

「……ああ、断ってくれても構わない。閣下からお叱りを受けるかもしれないが、困ることといえばその程度の話だからな」


(一人で舞踏会に参加したらどうなるか想像すると少々怖いが、メロディに無理をさせるのもそれはそれで違うしな……)


「ちなみに、理由を聞いてもいいだろうか。やはり平民が舞踏会に参加することには抵抗があるからか?」


「いえ、それもあるんですが、お嬢様の舞踏会の準備に専念したいのであまり時間を割きたくなくて」


「……そういえば、さっきも時間がどうとか言っていたな。ルシアナ嬢は今回の舞踏会で何かあるのか?」


「うみゃああああっ!」


「お嬢様!?」


  ――ポンッ! と頭から蒸気でも飛び出したかのように、ルシアナの顔面が真っ赤に染まった。


「ど、どうしたんだ?」


「ええ、実は――」


 メロディは、ルシアナがマクスウェルから舞踏会のパートナーの打診を受けたことを説明した。


「ふむ。リクレントス殿からパートナーの打診か」


「ええ。帰郷の出立直前のことだったので、お嬢様も混乱してしまって」


「だが、それは二週間も前のことだろう? まだ受けるかどうか決めていないのか?」


「そうなんです。旅の間いろいろありまして」


「……まあ、そうだろうな」


 レクトの脳裏に、小屋敷の手前に大きく積み上げられていた瓦礫の山が思い浮かんだ。何があったのかは知らないが、あれを見ただけでも何事か変事があったことは容易に想像できる。ルシアナが舞踏会の件をうっかり失念してしまっても仕方のないことだろう。


「それで、ルシアナ嬢はリクレントス殿の打診をどうするんだ?」


「だから、どうすればいいか悩んでるんだってば!」


「お嬢様、何かお受けできない理由でもあるんですか?」


「え? ……受けられない理由?」


 メロディの問いにルシアナは思わずポカンとなった。

 断る理由……?


「……特に、ない……?」


「だったら何を悩んでいるんだ? 春の舞踏会の社交界デビューの時とは違って、特段パートナーがいなくとも問題はないだろうが、パートナーがいて困ることもないと思うが」


「いや、それは……」


 疑問顔の二人を前に、ルシアナは改めてなぜ悩んでいるのかよく分からなくなった。


(あれ? 言われてみると、断る理由って特にないよね? いや、まあ、受ける理由も特にないといえばないけど、パートナーがいた方が舞踏会でダンスの相手に困らないだろうし、打算的なことをいえば宰相閣下の嫡男であるマクスウェル様にエスコートされて舞踏会に出るのってすごく名誉なことよね……? じゃあ、私、どうして――)




『……またあなたと一緒に踊ってみたくなった。という理由ではいけませんか?』




「きゃああああああああああ!」


「お嬢様!?」


 出立前のマクスウェルの笑顔と言葉が思い出されたルシアナは、顔を真っ赤にすると突然奇声を上げてソファーに顔を突っ込んだ。突然の奇行にレクトは目を点にして言葉も出ない。


「どうしたんですか、お嬢様!? 大丈夫ですか?」


「無理無理! お断りする理由はないけど、やっぱり無理いいいいいい!」


「お断りする理由がないのに無理って……マックスさ――マクスウェル様と舞踏会に出るのが嫌ということですか?」


 ルシアナは首を振った。耳まで真っ赤にして顔をソファーに埋めてしまっている。


(嫌じゃないのに無理なの? ……どういうこと?)


 メイドを愛する少女、メロディ。残念ながら彼女には実父の直感力は受け継がれていなかったようだ。

 だが、メロディに恋する初心な青年、メロディが初恋の二十一歳のレクトは、ルシアナの態度にピンときてしまった。


「……ああ、ルシアナ嬢。君は、リクレントス殿から打診を受けて照れているんだな」


「え? 照れてる?」


「いやあああああああああああああああ!」


「うおおっ!?」


 応接室に響く悲鳴と同時にルシアナのハリセンツッコミがレクトを襲う。しかし、鍛え上げられた騎士であるレクトは反射的にそれを避けてソファーから飛びのいた。

 ソファにスパーン! という小気味よい音が鳴る。


「お嬢様!? 落ち着いてください!」


「て、照れ隠しにしては過激、だなっ!?」


 魔王ガルム戦によってある種の覚醒に至ったルシアナのダンスのステップを活用した身体技能には目を瞠るものがあった。レクトはしっかりルシアナの攻撃を避けているが、結構ギリギリである。


「お嬢様、おやめください!」


「もうもうもうもうもう!」


 ルシアナは一心不乱にハリセンを振るった。自分でも気が付かなかった気持ちに、まさかレクトの言葉で気付かされることになるとは。ルシアナ的には一生の不覚であった。


 学園に入学するまで田舎のルトルバーグ伯爵領で育ったルシアナは恋愛とは無縁の生活をしていた。別にマクスウェルのことだって明確な恋愛感情を抱いているわけではない。ただ、初めての舞踏会、初めてのパートナー、初めてのダンス……ルシアナにとってマクスウェルはある意味では特別な男性だったのだ。


 春の舞踏会でマクスウェルがルシアナのパートナーになったのはメロディからの紹介であって、成り行きに過ぎない。しかし、今回の夏の舞踏会は違う。

 恋愛的な意味ではないが特別な存在となったマクスウェル本人が直接、舞踏会のパートナーになってほしいとルシアナに告げたのである。


 嬉しくないはずがなかった。前回の舞踏会の結果、自分が認めてもらえたような不思議な高揚感があった。だが同時に、その感情は高慢な気もして、そんな感情を持ったまま打診を受け入れるのは恥ずかしいことなのではとも思った。


 それを端的に表す言葉がレクトの言った『照れている』であった。


「いやあああああああああああああああああ!」


 スパパパパンッ!


「ぐっ、さすがにそろそろ冷静になってくれないだろうか!」


「お嬢様!」


(お嬢様、マックスさんからの打診に照れてたの? え? 照れた結果が今のこれってどういうこと? 照れてるってことは、本当は受けたいけどはずかしいから無理ってこと、よね? つまりお嬢様は、本当は……)


「ぐおっ」


 反撃できずに避けるに留めていたレクトはとうとう足を引っかけ動きが止まった。もはや混乱状態にあるルシアナだが、そのできた隙を逃したりはしない。


 渾身の力でハリセンをレクトの頭へ振り下ろそうとして――。


「お嬢様! 私もレクトさんのパートナーとして参加するので、マックスさんの打診を受けて一緒に舞踏会に行きませんか?」


 ――レクトの頭に触れる直前で、ハリセンはピタリと止まった。

 さっきまで顔を真っ赤にしていたルシアナは、目を点にした表情になり寸止めの状態で首だけをメロディへ向けた。


「……メロディが一緒に、舞踏会に?」


「ええ。お一人でマックスさ――マクスウェル様のパートナーをするのがお恥ずかしいのでしたら、ちょうどレクトさんから私も打診を受けたことですし、私と一緒に舞踏会へ参りましょう。ご安心ください、メイドたる者、舞踏会のお嬢様のサポートもきっちりこなしてみせますから!」


 メロディは両手を広げて笑顔でそう告げた。ルシアナはハリセンを扇子に戻すと、涙目になりながらメロディのもとへ駆け出す。


「メロディ~!」


「きゃあっ!」


 勢いよくメロディの胸に飛び込むルシアナ。メロディは支えようとするが力が足りず、勢いのままソファーに座り込んでしまう。


「もう、危ないですよお嬢様!」


「うう、ごめんなさい。でも、メロディ、ありがとー!」


「いいんですよ、だって私はお嬢様のメイドなんですから」


 メロディの胸に顔を埋めるルシアナの頭を優しく撫でてあげるメロディ。


「というわけでレクトさん、パートナーの件はお受けしようと思います」


「……そうか、分かった」


 嬉しいような困ったような。レクトは微妙な表情でメロディの意思を受け入れた。

 ……判断基準がルシアナだったことには大いに不満ではあるが、仕方がないことである。

 二人のやり取りを聞いたルシアナがハッと顔を上げた。


「やっぱりダメよ、メロディ! こんな狼野郎と舞踏会だなんて、危険だわ!」


「狼野郎って……そんな言葉遣い、どこで覚えてきたんですか、お嬢様? 大体、レクトさんが私に変なことをするわけないじゃないですか。レクトさんは私のですよ?」


「ぐっ!」


 かいしんの一撃。レクトは胸を押さえた。


「……そうよね。そういえばそうだったわ。フロード騎士爵はメロディの単なるに過ぎないんだったわね」


「ぐうっ」


 つうこんの一撃。レクトは胸を強く押さえた。


(よくよく考えたらこいつヘタレ騎士だったわ。最近、メロディを狙う身内と使用人が現れて敏感になり過ぎていたみたい)


 シュウはともかくいまだにヒューバートも警戒対象になっているあたり、ルシアナのメロディに対する独占欲が垣間見える。

 さすがは『嫉妬の魔女』。正直ちょっと怖いのである。


「王都に戻ったら私のドレスも考えないといけませんね」


「そうね! メロディのドレスも考えなくちゃ。楽しみだわ!」


「お嬢様はご自分の用意がありますからそんな暇はありませんよ?」


「メロディのドレスならまたポーラが考えると楽しそうにしていたから大丈夫だろう」


「ポーラが? それは楽しみですね」


「えー! 私も考えたいのにー!」


 こうしてメロディは再びセシリアとして夏の舞踏会へ参加することが決まった。


 夏の舞踏会では波乱が待っているのかいないのか、それはまだ誰にも分からない……。

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