第2話 レクトの頼み
「それで、これは一体どういう状況なのですか?」
平静で冷淡な声が玄関ホールに響く。執事のライアンである。そして、彼の前に正座をする男女が三人。ルシアナ、シュウ、ヒューバートだ。メロディ、マイカ、そしてレクトの三人は彼らから少し離れたところでこの光景を眺めていた。
「ヒューバート様、少しばかり執務を休憩すると仰って部屋を出て随分と経ちましたが、一体何をしておいでだったのですか」
「えっと、その……」
「シュウ、お前にはブーツ磨きを頼んだはずですが、こんなところで一体何をしているのかな。仕事は終わったのかい」
「……お、終わってないっす」
「ほぉ、まだ仕事中だというのに、気持ちよさそうに玄関で眠っていたと」
「眠ってたんじゃなくて気絶してたんすよ! お嬢様にやられたっす!」
「あっ、ちょ、シュウ! あんた人のせいにするんじゃないわよ!」
「……お嬢様」
「ひゃっ、はいっ!」
ライアンに鋭い視線を向けられてルシアナはビクリと震えた。いや、彼女だけでなくこの場にいた全員の肩がビクッと跳ねた。
大きな声を上げたわけでもないのに、その平静な声から明確な怒りが伝わってきた。
「嘆かわしいことですね。王立学園では立派な淑女になるべく勉強に励んでいらっしゃるものと思っていましたが、まさか入学前よりもお転婆になってお帰りになるとは」
「お、お転婆……」
「メロディ、リュリアと相談して王都に戻る前にお嬢様の淑女教育をやり直すように。一から鍛え直していただきましょう」
「ライアン!?」
「畏まりました」
「メロディ!?」
一礼して応えるメロディにショックを受けた様子のルシアナ。しかし、メロディはあえてそれを無視してライアンの命令を受けることにした。
(最近のお嬢様、どう考えても以前より暴力的になった気がする。……これって多分、私がプレゼントしたハリセンのせいよね)
メロディの脳裏に浮かぶここ最近のルシアナによる暴力行為の数々。『聖なるハリセン』が対象に怪我をさせない仕様であるのをいいことに、主にメロディに近づくシュウへ向けてバカスカと遠慮なく振るわれるハリセンツッコミの嵐。
使用しても被害が出ないようにと考えて設定した機能だったが、それがむしろルシアナの暴力に対するハードルを下げてしまったような気がする。
(さすがに誕生日プレゼントを取り上げるのは可哀想だから、ここは私が改めてお嬢様に淑女とは何かを教えてさしあげなくては!)
「お嬢様、お任せください。夏季休暇の間に忘れてしまった淑女教育をちょっとやり直すだけですから。頑張りましょうね」
「ぴゃあああああっ! ごめんなさい、許してえええええええ!」
思い出される王都での淑女教育の日々。努力のできる天才、メロディの教育方針はスパルタであった。
やる気に満ち溢れるその笑顔が怖い。ルシアナはこの後の自分の処遇に慄き悲鳴を上げたが、この場でメロディの教育スタイルを知る者は残念ながらルシアナだけであった。
戦慄するルシアナを横目に、一通り説教を終えたライアンはレクトへ向き直った。
「この度は当家の者が大変失礼いたしました。謝罪いたします」
「あ、いや、私も先触れもなく突然押し掛けてしまった。こちらこそ非礼をお詫びする」
「そ、そうだぞ、ライアン。先にマナー違反をしたのは彼の方なんだ」
「そうっす、そうっす! 悪いのはそのイケメ――」
「……ヒューバート様もシュウも、まだ反省が足りていないようですね」
「「ごめんなさい!」」
ビクリと震えて姿勢を正す二人。ライアンは彼らの様子に思わずため息が零れた。
「ヒューバート様、一体どうしたというのです。客人に対してあんな態度を取るなどとあなたらしくもない」
「いや、それは、だって彼が、その……」
俯きがちにメロディとレクトへチラチラと視線を送るヒューバート。その様子である程度察したライアンは再びため息を零した。
「……メロディ、フロード騎士爵様を応接室にご案内してください」
「よろしいのですか?」
「構いません。メロディに会いに来られたとはいえ、当家をお訪ねいただいたにもかかわらず屋敷にお招きしないなど、あってはならないことです。よろしいですね、ヒューバート様」
「えっと、それは……」
「よろしい、ですね?」
「は、はい」
ヒューバートへ鋭い眼光を向けたライアンは、レクトへ翻ると柔和な笑みを浮かべて一礼した。
「ルトルバーグ伯爵家へようこそおいでくださいました、レクティアス・フロード騎士爵様。大したおもてなしはできませんが、どうぞごゆるりとお過ごしください」
「……ありがとう」
こうして、レクトはルトルバーグ伯爵邸に迎え入れられたのであった。
◆◆◆
「紅茶です、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
応接室にやってきたメロディとレクトはソファーに向かい合ったのだが、実のところ応接室にいるのは二人だけではなかった。
「それで、メロディに一体何の用なの?」
ルシアナである。彼女はしっかりメロディの隣を陣取っていた。
「……ルシアナ嬢も同席するのか?」
「当たり前でしょう。未婚の男女が同じ部屋で二人きりだなんて、貴族令嬢じゃなくても避けるべきだわ」
「まぁ、確かにそうなんだが……」
「お気遣いありがとうございます、お嬢様」
「任せて、メロディの安全は私が守るわ。だからね、メロディ。私、ちゃんと淑女の嗜みを理解しているでしょう? 淑女教育を改めてする必要はないんじゃないかなって」
「それとこれとは話は別です」
「……そ、そう」
「ふふふ、頑張りましょうね」
「す、すぐにクリアしてみせるからね」
「ええ、お嬢様ならきっとすぐですよ」
微笑み合うメロディとルシアナ。
素晴らしきかな主従愛。
ちょっと二人の世界である。
「……そろそろ俺の用件を言ってもいいだろうか」
レクトの言葉で二人は我に返った。
「すみません。それで、レクトさんは私に何の用だったんですか?」
「ああ、それは……」
「「それは……?」」
……。
…………。
………………五分経過。
「早く言いなさいよ!」
ルシアナがキレた。
むしろよく五分もじっと待っていたものである。
「――っ! す、すまない。そのだな、えーと……」
「何か言いにくいことなんでしょうか?」
「いや、違うんだが……」
ようやく決心がついたのか、レクトは大きく息を吐くと決意の瞳を宿して告げた。
「メロディ……その、俺と……夏の舞踏会に一緒に出てもらえないだろうか」
「「えっ!?」」
意を決したレクトの言葉に、メロディとルシアナは目をパチクリさせて驚いた。
さもありなん、とレクトは動揺する二人の気持ちに理解を示す。
半ば騙し討ちのかたちで春の舞踏会にパートナーとして参加してもらった際、メロディには今回限りと伝えていたはずだというのに、こんなギリギリの時期にわざわざルトルバーグ伯爵領に押し掛けてまで、再びパートナーの打診である。
驚かない方がおかしい。そう考えていたレクトだったが……。
「「忘れてたあああああああ!」」
何やら驚き方がレクトの想像と違っていた。
(『忘れてた』って何のことだ。ルシアナ嬢のことだからてっきり俺を睨みつけたり罵声を浴びせたりするかと思ったんだが……この反応は想定外だ)
「ああ、もう! 私ったらこんな大切なことをどうして今の今まで忘れてたの!?」
「私も完全に失念していました。危うくすっかり忘れたまま王都へ戻るところでしたね」
「で、でもメロディ、私、どうしたらいいの!?」
「落ち着いてください、お嬢様。幸いまだ時間はありますから!」
「そ、そうね……う、うん。まだ時間はある」
取り乱したルシアナは何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。どうにか落ち着きを取り戻すと、ルシアナはキッとレクトを睨みつける。
「それで、メロディに夏の舞踏会に出席してほしいって話だったわね」
「あ、ああ」
「レクトさん、どうしてそんなお話になったんですか? 確か、前回の春の舞踏会一回きりのお話でしたよね?」
「……レギンバース伯爵閣下に、夏の舞踏会へ出席するよう命じられたんだが、やはり今回もパートナーを同伴するように言われたんだ」
「それでまたメロディをパートナーにって?」
レクトは渋い顔をしてコクリと頷く。
「実際問題、俺にはパートナーの心当たりがメロディくらいしかいないのも事実だ」
「あの、そもそも夏の舞踏会にパートナーって必須なんでしょうか」
「パートナー必須なのは春の舞踏会の社交界デビューの時くらいで、他は特に必要なかったはずよ」
「そうなんですね。ちなみに、その打診ってお断りすることは可能でしょうか」
少し困った表情で首を傾げるメロディに、レクトは眉尻を下げて苦笑を浮かべた。
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