第1話 突然の訪問者

 八月十五日の深夜。テオラス王国の王都パルテシアに隣接する世界最大の魔障の地『ヴァナルガンド大森林』に一人の少女が立っていた。もちろんメロディである。

 彼女自身が間伐して開けた森の中、空から優しい月の光が降り注ぐ。


「メイド魔法奥義『銀清結界』」


 しばしの瞑想の後、魔法を詠唱したメロディだったが、何も起こらなかった。

 そして小さなため息が零れ落ちる。


「……やっぱりダメかぁ」


 メイド魔法奥義『銀清結界』。昨日、突如現れた謎の狼の魔物(?)との戦闘でメロディが新たに目覚めた魔法。

 髪と瞳は本来の銀髪と瑠璃色の瞳を取り戻し、白銀を基調としたメイド服に変身して黒い魔力を世界へ『還す』ことができる不思議な魔法なのだが……。


(いやそれ、どこがメイドの奥義なの?)


 そんな疑問がメロディの脳裏を過った。


 なんだか深夜のハイテンションで書いた最高傑作ポエムを翌朝見直して赤面してしまった気分である。もちろんメロディはポエムを創作したことなどないのだが。

 そのため『銀清結界』について改めて詳細を把握しようと、メロディは誰もが寝静まった深夜に転移魔法『通用口オヴンクエポータ』でヴァナルガンド大森林へ赴いたのであった。


「どうして使えないんだろう?」


 あの時はどうやって魔法を発動させたのだったか……?


「そういえば、あの時は白い玉を持っていたんだ」


 ルトルバーグ伯爵領の畑を穢し、作物に被害を与えていた黒い魔力の結晶。本来は黒い玉であったが狼の咆哮に倒れ、その後目覚めた時、黒い玉は白い玉へと変貌していた。

 夢の世界で『還りたい』と泣いていた黒い子犬。最期には白い光となってメロディに見送られ天へ『還って』いった彼があの白い玉なのだと、メロディは不思議と理解していた。


『銀清結界』が発動する際、その手に握りしめていた白い玉から糸状の光が溢れ出し、魔法の発動を手助けしてくれたのだ。

 だが、魔法を発動し終えた後、握りしめていたはずの白い玉は姿を消していた。


(きっと願い通り『還って』しまったのね。……本体はマイカちゃんの『魔法使いの卵ウォーヴァデルマーゴ』に美味しくいただかれてしまったみたいだけど。あれ、本当に大丈夫なのかしら?)


 これもまた謎である。まさか卵が孵る前に口(?)を開いて『還る』寸前の狼をまるっと吸収してしまうとは。確かにあの狼は魔物というよりは意思を持った魔力の塊のようなものなので、外部から魔力を補充する『魔法使いの卵』の仕様上、可能性という意味では不可能ではないかもしれないような、あるような気もしないでもないような何というか……。


(少なくとも私はあんなことができるような設計はしていないのだけど……)


 所有者のマイカはおろか、作成者のメロディでさえ理解不能な光景であった。

 理解不能といえば、そもそもあの黒い魔力の塊ともいえる狼は一体何者だったのか。


 最終的に狼がマイカの卵に吸収されるという意味不明な結末となったが、とりあえずの危機は去った……のだが「あの黒い狼はあれ一体で終わりなのだろうか?」という警鐘がメロディの頭の中では鳴り続けていた。狼に関する情報が全くないがゆえに、あの存在が単独なのか複数なのかという予想すら立てることができない。


(そういう意味でも『銀清結界』を使いこなしたかったんだけど、今の私では再現することはできないみたい。……もしかしてあの白い玉の補助がないと発動できないのかな?)


 メロディの脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。



『魔力の気配は感じます。ですが、魔法を発動させるには『何か』が足りないようです』



 それは五歳の頃、町の教会で魔法の才能の有無を確認された時にメロディが告げられた言葉。今でこそ絶大な魔法の力を有するメイドとなったメロディだが、彼女が魔法の才能に目覚めたのはまだたった数ヶ月前のこと。母を失い、十五歳の成人を間近に控えた頃、『何か』が満たされようやく魔法の力を手に入れたのだ。

 それが何だったのか、今でもメロディにはよく分かっていないが……。


「……『銀清結界』を発動させる『何か』が、今の私には足りていないってこと?」


 きっとそうなのだろう。テンションが落ち着いた今は少々疑問に思っているものの、あの時は間違いなく自身の最終奥義と確信していたくらいの魔法だ。

 発動には厳しい条件があるのかもしれない。


「一度は発動できたんだし、とりあえずしばらく練習してみるしかないかな」


 何事も反復練習が物を言うのだ。直感型にして努力型の天才であるメロディは、ちょっと上手くいかなかったくらいで諦めるような柔な精神はしていないのである。


「開け奉仕の扉『通用口』」


 メロディの前に簡素な扉が現れる。繋げる先はルトルバーグ伯爵領にある小屋敷の自室だ。少し夜更かしが過ぎたと小さなあくびをしながら、メロディは扉を潜るのであった。




◆◆◆




 八月十七日の午後。メロディは小屋敷の裏手にいた。設置されたティーセットに腰掛けるルシアナに紅茶を淹れているところだ。

 この真夏に外でティータイム? 優雅どころか地獄の所業、何かの我慢大会? ……なんてことはもちろんなく、リュークとシュウの男性陣によって設置されたタープの下でのティータイムなので、思ったほど暑くもない。


 ちなみに、タープの材料は倒壊した元伯爵邸の残骸を再利用したものである。普段のメロディならパパッと魔法で四阿でも建てたいところだが、領地では魔法自粛中のため四阿の建造は我慢していたりする。……我慢の定義とは一体。


「うーん」


「どうされました、お嬢様?」


 お茶を淹れ終え、ルシアナの後ろに立っていたメロディは、腕を組んで難しそうな声を上げるルシアナに首を傾げた。

 何か悩み事だろうかと考える。確かに、領地に辿り着いてからルシアナの前には多種多様な難題が怒涛の勢いで押し寄せていた。


 地震による屋敷の倒壊。小麦の不作に畑の病気。直近では謎の黒い狼との戦闘。どれもこれも一人の少女が直面するには重すぎる問題だ。

 しかし、それらの問題は一応どれも解決の目途が立っている。一体何を思い悩んでいるのだろうか……?

 ルシアナは腕を組んだまま眉間にしわを寄せてメロディの方へ振り返った。


「ねえ、メロディ。私、何か大切なことを忘れているような気がするんだけど、何だったかしら?」


「大切なことですか? そういえば一昨日もそんなことを仰っていましたね」


 少しだけ視線を上げてメロディは考える。忘れていること、忘れていること……?


「ちょっと心当たりがないですね。家のことでないなら学園関連でしょうか?」


「……そんな気もするようなしないような。うーん、何だったかなぁ?」


 二人して腕を組みながら考えるが、やっぱり答えは浮かんでこなかった。


「おかしいなぁ。こう、喉まで出かかっている感じがするんだけど、どうしても思い出せないのよね。凄く大事なことだったような気がするんだけど」


「大事なことですか。何でしょうね。領地に着いてから衝撃的な事件続きでしたから、もしかするとそのせいですっぽり頭から抜け落ちてしまっているのかもしれません。後でマイカちゃんやリュークにも確認してみますね」


「うん、お願い……あら、噂をすればってやつかしら」


「メロディせんぱーい!」


 ルシアナの視線を追うとこちらへ向かって駆けるマイカの姿があった。


「マイカちゃん、屋敷の外とはいえメイドたる者そんなに慌てて走るものじゃ」


「そんなことよりメロディ先輩にお客様ですよ!」


「私にお客様? ルトルバーグ伯爵領に? ……誰がいらしたの?」


「あの人ですよ、あの人! 会えば分かりますよ! さあ、早く早く! ハリーアップですよ、メロディ先輩! 玄関ホールで待ってもらっているので急ぎましょう」


「えっ、ちょっと、マイカちゃん!?」


 急かすようにメロディの手を引いて走り出すマイカ。無理に止めたらマイカが転びそうで、メロディはマイカのなすまま走らざるを得なかった。


「ふふふふ、まさかこんなところまで訪ねてくるなんて! 楽しくなってきちゃった!」


「楽しくなってきたって、誰が来たっていうのマイカちゃん? お嬢様、申し訳ありませんがちょっと行ってまいります」


「……わ、私も一緒に行くからね!」


 メロディとマイカが走り去りポツンと一人ぼっちになってしまったルシアナ。しばしポカンとしていたが、やはり寂しかったのか慌てて二人の後を追いかけ始めた。

 メロディの手を引きながらマイカは思う。乙女ゲームはこうでなくちゃ、と。


(ふふふーん♪ やっぱりヒロインちゃんには正統な恋愛イベントが起こらなくちゃダメなのよ。間近で堪能させてもらうんだからね!)


(もう、一体何が起きてるの!?)


 楽しげな様子のマイカとは対照的に、状況が理解できないメロディは困惑を極めつつも玄関ホールに到着したのだが……。


「うちの美少女メイドメロディちゃんに一体何の用すか、ああん?」


「いや、俺は……」


「イケメンだからって何でも受け入れられると思ってんじゃねえぞ、ああん!」


「わざわざ王都からこんな田舎の領地まで押し掛けて来て、うちのメイドに一体何の用かな? 俺の目が黒いうちはどんな色男であろうと不純異性交遊は絶対に認めないよ。絶対に許さないからね!」


「何の話だ!?」


 玄関ホールはとてもカオスな状況に陥っていた。


「えっと、どういう状況なんでしょうか?」


「あれってシュウさんとヒューバート様ですよね」


「……何してるの、あの二人」


 到着と同時に玄関ホールに響いた声に驚いた三人は、反射的に通路の影に隠れて様子を窺った。背の高い二人に隠れて客の姿は確認できないが、どう見てもシュウとヒューバートがメロディの客にいちゃもんを付けているようにしか見えなかった。


「なんであの二人がここに? 私が応対した時はいなかったのに」


「シュウはともかく叔父様まで何をしているのかしら」


「お嬢様、呆れている場合じゃないですよ。とにかく止めないと」


「待って、メロディ。ここは私がやるわ、任せて」


 状況を収拾しようとしたメロディをルシアナが手で制する。


「お嬢様?」


 戸惑うメロディにニコリと微笑んで玄関へ向かうルシアナ。騒がしいシュウ達の背後に辿り着くと彼女は扇子を取り出した。手首にスナップを利かせて魔力を込めると、扇子はハリセンへと姿を変える。メロディ作、非殺傷型拷問具『聖なるハリセン』である。


「いい加減に、しなさーい!」


 二人の後頭部にスパパーン! っと、小気味よい破裂音が鳴り響く。


「ぶきゃああああっ!」


「あだあああっ!?」


 無防備にハリセンツッコミを受けた二人は漫画みたいに左右に吹き飛ばされていった。その光景を影から窺っていたメロディとマイカはポカンとしてしまう。


「うわぁ、すっごい威力。あれでも怪我とかしないんですよね」


「た、確かにあのハリセンはそういう仕様だけど……お嬢様、やり過ぎですよ!」


 自分で作っておいて何だが、やはりハリセンで人が吹き飛ぶ光景のインパクトは凄まじかった。メロディは慌ててルシアナの方へと駆け寄る。


「いいのよ。お客様相手に破落戸みたいな真似をしていたんだもの、自業自得よ。当家の者が失礼しました。この家の娘として謝罪いたし……」


 ここでようやくルシアナは屋敷を訪ねてきた客の姿を視認し――言葉が止まった。

 見覚えのある鮮やかな赤い髪と、鋭くも美しい金の瞳を持つイケメンフェイス……。


「あー、えっと……お久しぶりです、ルシアナ嬢」


「あれ? レクトさん?」


 ルシアナの元に辿り着いたメロディもまた、ようやく来客の姿を捉えた。

 レクティアス・フロード騎士爵。乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』における第三攻略対象者であり、現在進行形でメロディに絶賛片思い中のヘタレ騎士様だ。


「メロディも久しぶり……というほどでもないのだが」


「そ、そうですね。まだ王都でお別れして一ヶ月も経っていませんし。というか、私の来客ってレクトさんのことだったんですか? わざわざこんなところまで、一体どういったご用件で――お嬢様?」


 メロディとレクトの間に、ルシアナがハリセンを差し入れて二人の会話を制止した。どうしたんだろうとメロディは首を傾げるが、ルシアナはレクトへ向けてニコリと微笑む。


「――っ!?」


 レクトの背筋に悪寒が走る。


「……どうやら私、選択を誤ったみたい」


「お嬢様、どうされたんですか?」


「……シュウと叔父様が正しかったんだわ。こんなところまでノコノコとやってきてメロディを付け回すなんて……この、ヘタレならぬ変態騎士め!」


「へ、変態騎士!? だから何でそうなるんだ!」


「黙りなさい! メロディにたかる野獣め、この私が成敗してくれる! そこに直れー!」


「お嬢様、ダメです!」


 まるで先日の魔王ガルム戦を彷彿とさせるようなキレのある動きに、メロディは思わず後ろからルシアナを羽交い絞めにして動きを封じた。


「離してメロディ! 後生だから、後生だからああああああ!」


「落ち着いてください、お嬢様! というかその言葉遣い、どこで覚えてきたんですか!?」


「……こ、これは、俺は一体どうすれば」


「もう! せっかくイベントが始まると思ったのに何でこうなっちゃうの!?」


 玄関ホールの喧騒はこの後、執事のライアンが一喝するまで収まらなかったそうな。


「お客様を前に何をなさっているのですか、あなた方は!」




☆☆☆あとがき☆☆☆

最新小説第3巻は9月20日(水)発売予定。予約受付中です。

コミック版オールワークスメイドも好評配信中です。

『ピッコマ』最新話は有料ですが『待てば¥0』で1話から読めます。

『コロナEX』TOブックス公式。読み終わったらポチッと応援できます!

『comicコロナ』読みながら皆でコメントできるのが楽しいです。

コミックで大暴れするメロディ達をぜひお楽しみください!

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