第4章

プロローグ 前編

 命芽吹く新緑の季節、春。四月一日。王立学園の入学式、そして社交界デビューを控えた貴族の令息、令嬢が初めて参加する春の舞踏会が開催されたその日の深夜。

 貴族区画に立つルトルバーグ伯爵家の邸宅から微かな歌声が響き始める。月明かりが差す調理場の椅子に腰掛けるメイドの少女が、その膝に抱く子犬のためだけに紡ぐ子守唄。


 ――歌声に安らぎを添えて。『よき夢をファインベルソーゴ


 メイドの少女、メロディはなかなか寝付けぬ様子の子犬のために魔法を使った。その子犬が魔王と呼ばれる強大な力を秘めた存在であることも知らずに。

 自身が『銀の聖女と五つの誓い』という乙女ゲームのヒロイン――聖女であることさえも知らず……。


 魔王を眠らせ、夢の世界へいざなうために聖女の魔力が開放されていく。子守唄に集中するメロディは気付かない。自身から放たれる膨大にして強大な銀の魔力に。

 その力はまるで大樹のように迸り、枝葉を伸ばすように王都の全域を包み込んでいく。それは魔王を眠らせるに留まらず、王都に住まう全ての者に眠りを与えていくのだった。


 ……そして、それほどの力ある魔法の影響が、王都だけで済むはずがなかったのである。


 やがてメロディの魔法は解かれ、大樹のような銀の迸りは大気へ溶けるように散っていった。しかし、それほど強大な魔力が完全に消えてなくなることは難しく、一部が残滓となって世界に留まることとなる。

 本来物理的な影響を受けないはずの魔力は、まるで風に流されるかのように北へ西へと運ばれていった。ゆらゆらと漂うようでいて、しかし急速に……導かれるように。




◆◆◆



「よろしい。では、シュレーディンの意見を採用することとする」


「ありがとうございます、陛下」


 同日、時間は少し遡る。テオラス王国の北にあるロードピア帝国の帝都。その中心に聳え立つ帝城内の会議室。皇族と有力貴族が集まるなか、夜遅くまで彼らはずっと会議をしていたようだ。そしてようやく結論が出た。


「父上! そのような軟弱な策を弄さずとも、我が国が鍛えた軍で正々堂々と」


「兄上、御前会議の場では陛下とお呼びください。また、陛下が最終的にお決めになったことに異議を唱えるのはどうかと思います」


「ぬぐっ、シュレーディン、貴様!」


「やめよ、シャルマイン。散々議論した結果である。余の決定に異を唱えるは罷りならん」


「……はい、陛下。失礼致しました」


 皇帝に窘められ、渋々ではあるが第一皇子シャルマインは頷いた。対面に座る第二皇子シュレーディンはそれに関心を抱く様子もなく皇帝へ視線を向けている。シャルマインはまるで自分など相手ではないかのようなその態度に、内心では怒り狂っていた。


「では、シュレーディンには九月よりテオラス王国へ留学生として向かってもらう。その目的に関しては機密扱いとするゆえ、努々忘れるでないぞ、皆の者」


「「「御意にございます」」」


 第一皇子シャルマイン、第二皇子シュレーディン以下有力貴族達が頭を下げて、了承の意を示す。その様子を目にして満足そうに頷くと、皇帝は会議の場を後にした。

 テオラス王国の北に位置し、王国の実に三倍以上の国土を有する国家、ロードピア帝国。国内では十六歳の第一皇子シャルマインと、今年十五歳となったばかりの第二皇子シュレーディンによる次代の帝位に向けた政争が始まろうとしていた。


 長子継承を原則とするものの、帝国における帝位継承の最終決定権は皇帝にある。法令上は男女問わず皇帝の子全員に継承権はあるが、女性が帝位についた前例はない。しかし、第二皇子であれば十分に皇帝の座を目指すことが可能であった。


 皇帝の子は第一皇子、第二皇子、第一皇女、第二皇女の四名のみ。事実上、第一皇子シャルマインと第二皇子シュレーディンによる一騎打ちの様相を呈していた。


 そして、そのために目下の標的となったのがテオラス王国である。


 シュレーディンは自室に戻った。テーブルに置かれた一台の燭台に火が灯されただけの暗い部屋の中、彼はソファーに深く腰を下ろす。


「少々時間はかかったが予定通りこちらの案が通ったな。まったく、何が『我が国が鍛えた軍で正々堂々と』だ。前回の反省が全く生かされていないではないか」


 小馬鹿にしたようにシュレーディンは鼻を鳴らした。


「ただテオラス王国を手に入れるだけではダメなんだ。軍事力で押し入ってせっかくの土地を傷つけてしまっては意味がない。俺達はあの肥沃な大地が欲しいのだから」


 北方の雪国であるロードピア帝国はテオラス王国の三倍以上の国土を有していながら、その人口は王国の二倍に届かない。寒さの厳しい季節が長いため、その国土面積の割に多くの国民を養えるだけの収穫を得ることができないからだ。


 だから帝国は常に、テオラス王国の実り豊かな土地を欲していた。それは現皇帝も同じであり、どうにかならないものかと画策していたところ、次期皇帝の座を望む二人がお互いにテオラス王国を手に入れるための計画を立案したのである。


 西に聳える巨大な険しい山脈と、そこから流れる大河によって二つの国は分かたれているのだが、北の帝国と南の王国の間に生まれた大地の格差はあまりにも明確であった。

 そのために百年ほどまえに戦が起こったのだが、山脈と大河という自然の障害が妨げとなり、侵攻は想像以上に難航した。それは王国にとっても同様で、互いに決め手に欠けた結果、一応の停戦条約を交わすことはできたものの、得るもののない戦という評価に至る。


 現在、二つの国の国境は大河を渡る大きな橋を介してのみとなっている。第一皇子シャルマインはその橋を占拠し、そこを拠点に王国へ攻め入る計画を立案した。

 だが、これに第二皇子シュレーディンが待ったをかける。


「その計画はあまりにも国内にかかる負担が大き過ぎる。私の案をお聞きください」


 そう言って彼が提案したのが、帝国と王国の関係改善を目的としてシュレーディンを王国へ留学させることであった。それはいわゆる調略と呼ばれるもので、二国間の関係改善を図る親善目的を偽装しつつ情報収集をし、王国内に味方を作り、不和を呼び込み、王国の国力を削ぎ落すことで戦をするにしても帝国側の負担を減らそうという試みであった。王国側に戦をする余裕をなくさせることができれば、結果的に戦によって土地がダメになる可能性を減らせるという考えだ。


 調略など戦をするなら思い付いて当然の作戦だが、これを王国へ仕掛けることは少々ハードルが高かった。百年前の戦以来、関係が微妙になっているせいでそう簡単に人員を派遣できなかったのである。


 そういう意味では、シュレーディンの留学は大変都合のよい口実といえた。

 もちろん、そんなことをシュレーディン一人で実現できるはずもない。彼の随行員にそういった裏工作に優れた者を紛れ込ませ、シュレーディン自身はいかにも怪しいある種の囮として王国内で目立つ予定とのことだ。


 そこから会議は荒れた。調略を卑怯者の使う卑劣で卑屈な手段と断じて否定する第一皇子勢力と、全面戦争によって生じる利益とコストの問題を提示する第二皇子勢力。

 当初、シュレーディンとしては王立学園入学式に間に合わせたかったものの、声を荒げる第一皇子と結論に悩む皇帝に待たされた結果、王立学園入学式の四月一日になってようやくシュレーディンの案が通ったのである。


 彼が王立学園に留学するのは夏季休暇明けの九月一日からの予定だ。そのためにも早急に王国へ打診する必要があり、彼自身も留学へ向けた準備を急がなければならない。


「まあ、いい。囮という意味では九月からの留学の方がインパクトがあるだろう。なぜ今この時期に? そう思わせ、俺を怪しんでいるうちに裏から手を回せばいいさ」


 暗い部屋の中で、着実に皇帝への道を歩んでいるという確信を得て、シュレーディンは口の端を上げた。椅子から立ち上がり、バルコニーへ歩み出る。

 四月だというのに、さすがに雪こそ降らないが肌寒く、城下へ目を向ければいまだに積雪が残る景色が広がっていた。そんな光景に思わず舌打ちをしてしまう。


「絶対にこの手でテオラス王国を落としてやる。そして……ん?」


 シュレーディンは決意とともに暗い空を見上げた。真っ暗な夜空を一点の白い光の粒のようなものが漂っている。シュレーディンは思わず顰めっ面を浮かべてしまう。


「……また、雪が降るのか」


 雪国のロードピア帝国の空から舞い降りる白い粒。常識的に考えて、シュレーディンはそれを雪だと判断した。帝国では四月でも雪が降ることは珍しくもないので、そう考えても当然のことだった。


 ゆらゆらと漂いながら白い粒はゆっくりと、シュレーディンの立つバルコニーへと降りてくる。眉間にしわを寄せながら自然と手を伸ばしたシュレーディンは、手の平にそれを載せた――瞬間だった。



 ――よき夢を。



「――っ!?」


 シュレーディンは意識を失い、夢の世界へ誘われていった。




◆◆◆




 弘前ひろさき周一しゅういち。二十三歳。彼は英国行きの飛行機に乗っていた。造園家ガーデナーになるという夢を持っていた彼は、英国の庭園を勉強するために渡英することを決めたのだ。

 幼い頃から土弄りが好きで、学生時代は園芸部に所属したりもしていた。最初は庭師を目指そうかと考えていた彼だが、海外の整然とした庭園の美しさに心を奪われた結果、造園家になりたいと強く考えるようになったのだ。


 ちなみに、どうやったら造園家になれるのかはよく分かっていなかったりするが、とりあえずやりたいようにやってみようの精神による、突発的な英国旅行だったりする。

 そんな彼は現在、飛行機の中で隣の席の女性と楽しくおしゃべりをしていた。

 彼女の名前は白瀬しらせ怜愛れいあ。二十歳。大学生。話をしてみたところ、とあるテレビゲームのプレゼント企画による英国名所巡りツアーに参加しているらしい。


「何それ。それで十人も参加してるの? めっちゃ奮発してるじゃん、ゲーム会社」


「そうですよね。ペアチケットなので最大二十人なんですけど、私は一人なので実際何人なのか私もちょっとよく分からないです」


「そっか。でも怜愛ちゃんが一人でよかった。ペアで来てたらきっとこうやっておしゃべりできないもんね」


「そ、そうですか?」


 嬉しそうにニヘラッと笑う周一に、怜愛は少し顔を赤くするのだった。

 たまたま隣同士の席になった二人。最初に声を掛けたのはもちろん周一であった。彼はとにかく女性が好きだった。深い関係になることも、ほんの少しだけ言葉を交わすことも、一日限りの軽いデートをすることも、彼は女性と関わることがとても好きだった。


 悪く言えばチャラ男。よく言えばフェミニスト。どう捉えるかは本人次第である。

 周一はこのフライト中、怜愛と楽しくおしゃべりがしたくて彼女の好きなことを尋ねた。その答えは、当然ながら現在進行形で参加している旅行企画のゲームのことだった。


 そして出るわ出るわゲーム知識……。

 怜愛はゲームのパッケージを取り出すと、とあるキャラクターを指差した。


「私、このキャラクターが一番好きなんです」


「へぇ、色白でスマートなイケメン。日焼けして真っ黒な俺とは大違いだなぁ」


「ふふふ、そうですね。でも私、弘前さんは日焼け姿がよく似合ってると思います」


「うへへ、褒められちゃった。で、そのキャラはどんな人なの?」


「明るくて楽しい弘前さんとは正反対で、見た目通り冷たくて俺様なうえに腹黒くて自分勝手な人です。でも、とっても魅力的なんです」


「……怜愛ちゃん、大丈夫? 暴力野郎と付き合ったりしないように気を付けてね。顔以外いいとこなしじゃん、このイケメン」


「ゲームだからいいんです」


「はぁ、やっぱり世の中顔なのね」


 ガクリと項垂れる周一の姿に、怜愛は思わずクスクスと笑ってしまった。

 それから周一はこの色白イケメンを中心としたゲームのシナリオについて説明を聞かされた。声を掛けた当初は物静かで恥ずかしがり屋な印象を受けた怜愛だが、どうやら大好きなゲームに関しては口が止まらないらしい。


 周一は終始楽しそうに何度も頷きながら怜愛の説明を聞き続ける。無類の女好きである周一には、好きなことに熱中できる怜愛の純真さがとても魅力的に映っていた。

 一通り説明を終えると、怜愛はハッと我に返ったように驚いて周一に謝罪した。


「あ、あの、ごめんなさい、弘前さん」


「ん? 何が?」


「私ばっかり、一方的にしゃべってしまって……」


 若干顔を赤くして謝る怜愛に、周一はニヘラッと笑う。


「あはは。可愛い女の子と一緒におしゃべりできて俺は超楽しかったから全く問題ないよ」


 嘘など感じられない周一の無垢な笑顔に怜愛の頬はさらに赤くなってしまう。


「……私、あんまり友達いなくて……ゲームのお話できる人もいなくて」


「そうなの?」


「……正直、いきなり弘前さんに声を掛けられた時はびっくりしましたけど、ゲームのお話を聞いてもらえて……すごく嬉しかったです」


 恥ずかしそうにお礼を告げる姿にキュンときた周一は小声ながらも叫ぶように言った。


「怜愛ちゃん……俺と付き合ってください!」


「えっ!? あ、あの、急に言われても困り、ます……」


「ああ、やっぱりダメか~」


「弘前さんは、その、彼女……いないんですか?」


「うん。なぜか毎回告白しても振られちゃうんだ。……俺、何がダメなんだろう?」


「……タイミングがアレ過ぎると思います」


 もじもじしながら小声で呟く怜愛の声は周一の耳には届かなかった。


「あ、見て、怜愛ちゃん」


「え?」


 俯いていた怜愛は周一の視線の先を見た。ちょうど機内トイレから席へ戻る途中の女性を見ているようだ。


 その女性は――。


「わぁ、あの人凄く」


「凄く可愛いなぁ」


 周一はニヘラッと笑いながらサラサラの黒髪を靡かせて歩く女性を見つめていた。

 二十歳くらいだろうか。清楚で可憐な雰囲気の彼女は周一達より後ろの席のようで、彼は女性が通り過ぎるのをニヘラッとした表情をしたまま横目で見送った。


 女性の名前は瑞浪みずなみ律子りつこというのだが、周一も怜愛も知る由もない。


「いやぁ、さっきの子、可愛かったね。あんな子を彼女にできた男はきっと幸せ者だよ」


 ニヘラッと笑う周一に、怜愛はジト目を向けていた。


「……私、弘前さんがモテない理由、分かった気がします」


「え? ど、どこ!?」


「あれで気が付かないんだから多分直らないので一生モテないんじゃないでしょうか」


「うそおっ!? 教えて怜愛ちゃん! 俺のどこが悪いの、どこを直せばモテるの!?」


「知りません!」


「れ、怜愛ちゃーん!」


 という遣り取りが小声で行われていた。









◆◆◆



 シュレーディンがハッと目を覚ます。彼はベランダに寝転がっていた。

 多少頭がクラクラするが、シュレーディンはゆっくり起き上がりこめかみを押さえる。


「はぁ、何があったんだっけ。えーと……」


 シュレーディンは気付いていない。自分の言葉遣いが先程までと変わっていることに。


「んー、なんかちょっと頭が痛いっす。どこかぶつけたかな。えっと、鏡、鏡」


 ベランダから戻ったシュレーディンはテーブルの上にあった燭台を持って姿見の前に向かった。なぜかさっきからこめかみがズキズキと痛い。


 姿見の前を燭台の火で照らし、鏡に映る自分の顔を見たシュレーディンは――。


「……は? 俺の顔、こんなだったっ――いでっ!」


 シュレーディンは激しい頭痛に襲われた。そして脳内を、自分の与り知らない記憶が駆け巡る。それは女性の口から語られる、とある人物の数奇な運命。


 そう、シュレーディンは自身の前世、弘前周一だった頃の記憶を――。


「あー、いでぇ。今のってまさか……俺の、未来……?」


 ――思い出さなかった。




☆☆☆あとがき☆☆☆

最新小説第3巻は9月20日(水)発売予定で予約受付中です。

プロローグ後編は明日更新し、以降は1日おき更新となります。

毎日更新ハイパー執筆者になれず申し訳ありません。

第4章をよろしくお願いいたします。

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