レギンバース伯爵の憂鬱 後編
「……は? な、夏の舞踏会ですか?」
クラウドはコクリと頷いた。この状況でなぜ夏の舞踏会の話になるのだろうか。目をパチクリさせて驚いてしまったレクトだが、戸惑いつつも彼は回答した。
「えっと、特に参加する予定はありませんが」
「ならん! 参加しなさい」
「えええ? ……閣下、私はもう春の舞踏会に参加しましたので、今回は欠席しようと考えているのですが」
「ならんったらならん! 大体お前、前回の舞踏会ではセ、セシリア嬢としか踊っていないではないか。春の舞踏会の時もご婦人方からお前の参加を頼まれて命じたというのに、他の女性とダンスもしないでさっさと帰りおって。あれでは意味がないだろう」
「う、それは……」
確かに春の舞踏会の参加を命じられた時、そのような話があった気がする。そしてセシリア嬢ことメロディがさっさと帰ろうとするのに便乗して彼もパパッと舞踏会会場を後にしてしまったのである。
「というわけで、夏の舞踏会にも出席するように。ご婦人方ともダンスをしなさい」
「……」
「分かったな」
「……承知、しました」
騎士が不名誉な命令でも受けたかのように、ぐっと何かを堪えるように受諾したレクト。また面倒なことになったと嘆く彼に、追い打ちのような言葉が告げられる。
「それでだな、レクト……その、セシリア嬢にまたパートナーをしてもらいなさい」
「え? セシリア嬢をですか? しかし、彼女は平民で、前回限りの協力という話になっておりまして」
「……レクト、パートナーなしで参加したらどうなるか分かっているのだろうな」
「それは……」
宰相補佐レギンバース伯爵の覚えめでたい将来有望なイケメン貴族、二十一歳、独身。現在は一代限りの騎士爵だが、将来的には男爵か子爵あたりの爵位をいただく可能性あり。
……絵に描いたような優良物件である。
「春の舞踏会の時も言ったが、パートナーなしで出席すれば年若いご婦人方が雪崩れ込むようにお前とのダンスの順番待ちになりかねないぞ」
「うっ」
「セシリア嬢以外にパートナーをしてもらえそうな女性に心当たりはあるのか」
「……いえ。しかし、彼女は現在王都にはおらず、今から打診の手紙を送ったところでとても間に合うとは」
「居場所を知っているのなら誠意をもって、パートナーをお願いしてきなさい」
「え? 今からですか?」
「当たり前だ。もう八月も後半に入るのだぞ。ゆっくりしていては間に合うまい。どれほどの道のりなのだ」
レクトは考えた。現在、セシリアことメロディはルシアナに連れ立ってルトルバーグ伯爵領へ赴いている。脳内で広げた地図で距離と時間を確認してみると……。
「馬を使って片道で五日ほどかかるかもしれません」
「では本当に急がねばならないな。私の話は終わりだ。すぐにでも出発しなさい」
「しかし、今作業中の業務が」
「構わん。そちらは私が手配するゆえ、さっさと帰って準備をして出立するように」
あまりに唐突なクラウドの命令に、レクトは驚きを隠すことができない。しかし、クラウドの瞳が、それが嘘偽りでないことを告げていた。こうなってはもう、レクトにはどうすることもできない。
「……ご命令、承知しました。失礼いたします」
レクトはキリッと一礼すると、執務室を後にするのだった。
執務室がクラウド一人となってしばらく……彼は大きく息を吐いた。
「ああ、やってしまった……」
だらしなく机に突っ伏してしまうクラウド。後悔とも自己嫌悪ともいえる微妙な表情を浮かべながら、先程の件を思い出す。
「いくらセレナが恋しくて恋しくて、少しでも面影に触れたかったからといって、本当にレクトにあんなことを命じてしまうなんて……穴があったら入りたい……」
(でも、セレナに会いたい)
今のクラウドにとって、セシリアという少女はセレナを感じさせてくれる唯一の女性であった。セシリア自身に恋愛感情等は抱いていない。これは間違いない。
では、どんな感情なのだろうか。
それはまるで、そう――。
(まるで、セシリア嬢と向かい合ったらその隣でセレナが微笑んで立っているような……)
――セシリアこそが、セレナの娘であるかのよ――。
「旦那様、失礼いたします」
クラウドは慌てて起き上がった。キリリと伯爵らしい表情を取り戻し、何事もなかったように入室した執事に視線を向ける。
「どうした、何かあったか?」
「はい。パプフィントス様より書状が届いております」
「パプフィントス……ああ、セブレか」
セブレ・パプフィントス。レクトと一緒にセレナ捜索を行い、傷心旅行と銘打って故郷を旅立った(という設定の)セレナの娘、セレスティことメロディを追って単身隣国へ向かった騎士である。
隣国へ向かって以来、セブレはクラウド宛てに定期連絡を欠かさなかった。大体二週間に一回のペースで届く手紙だが、その内容は大抵『お嬢様はまだ発見できておりません』という内容だ。時折、それらしい情報があればその旨も記載されるが、いまだ娘セレスティ発見には至っていない。
先程のレクトの件もあってか、今日のクラウドはどうしても成果のない手紙を読む気分になれなかった。小さく嘆息すると執事に手紙を手渡す。
「すまんが、私は執務で忙しい。内容を確認しておいてくれ」
「……畏まりました」
執事が手紙の封を切る音を耳で捉えながら、白紙の書類に視線を落とす。さて、何と書こうかと考えていたら執事から言葉にならない掠れた声が漏れ出した。
「あ、ああ、だ、旦那様!」
「ん、どうした?」
普段とは違う執事の声にクラウドは思わず顔を上げた。戸惑ったような、驚愕したような不思議な表情の執事を訝しんでいると、彼はよく分からないことをクラウドへ告げる。
「お、お嬢様が……見つかったそう、です」
「そうか。……ん? 何だって?」
「で、ですから、お探しのお嬢様が見つかったと、セブレ様の手紙に!」
「ほう。『お嬢様が見つかった』か。それはよかったな。お嬢様が見つか……え?」
ポカンとするクラウド。カラン、と執務机に転がったペンの音がやけに室内で響いた。
◆◆◆
時間は遡って八月十日の夕方。セレーナは貴族区画を一人歩いていた。うっかり買い忘れてしまったものがあったため、買い出しに行った帰りである。
メロディにより生み出された魔法の人形メイドとはいえ、人間のような人格を持つ以上『ついうっかり』なんてこともたまには起きる。今日はそんな日であった。
「旦那様もそろそろお帰りになるでしょうし、早く帰らないと」
ここのところ宰相府は忙しいようで、ルトルバーグ伯爵ヒューズは普段より疲れた様子で帰宅している。ヒューズが帰ったらすぐに食事ができるようにしておきたい。
走りたい気持ちを堪えて、貴族区画の歩道を優雅に歩くセレーナ。貴族に仕えるメイドである以上、みっともなく走る姿を見られてしまうことは主の品位に関わる重大事。急いでいてもセレーナは優雅さと気品を忘れたりはしなかった。
実際、夕方になって貴族区画の人通りはほとんどなくなってきているが、帰宅途中に一台の馬車とすれ違っている。
ちょうど交差点になっていて、馬車とすれ違った直後に左折した後は特に誰の目に触れることもなかったが、いつ何時誰が見ているか分からない以上振る舞いには十分気を付けなければならない。
(急ぐなら一応私にも『通用口』が使えるんですけど、お姉様が魔法自重中だっていうのに私が魔法を使っては意味がないですものね。やはりここは優雅な超速早歩きで、あら?)
背後から馬の嘶きと馬車が急停車する音が聞こえた気がしてセレーナは後ろを振り返った。しかし、背後に馬車の姿はない。何か事故でも起きたのかと思ったが気のせいだったようだ。
しばし首を傾げるセレーナだったが、ハッと本来の用事を思い出し、慌てて優雅な超速早歩きで屋敷へと帰路に就くのであった。
そしてあっという間にその姿は見えなくなってしまったのである。
☆☆☆あとがき☆☆ほし
レギンバース伯爵の憂鬱、おわり。
続きは第4章をお待ちください。
本日7月10日よりTOブックスオンラインストアにて小説第3巻が予約開始です。
発売日は9月20日の予定です。
よろしくお願いいたします!
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