レギンバース伯爵の憂鬱 前編

 八月十日の午前。王都パルテシアにあるレギンバース伯爵邸にて、二人の人物が向かい合っていた。執務室の机に腰掛けているのは銀髪の偉丈夫、クラウド・レギンバース伯爵。言わずと知れた(?)メロディ・ウェーブことセレスティ・マクマーデンの実父である。


 クラウドの前に立ち、微笑を浮かべているのはライザック・フロード子爵。つまりはレクティアス・フロードの兄であった。レクトと同じ赤い髪と金の瞳を持ち、髪はレクトより少し長い。騎士としてキリリとした顔つきのレクトとは対照的に、ライザックは柔和な印象の男性であった。


「お久しぶりでございます、伯爵様」


「うむ。よく来てくれた。そちらに掛けなさい」


「ありがとうございます」


 仕事を中断し、二人は執務室に設置されたソファーに向かい合う。執事が淹れた紅茶で一息入れると会話が始まった。


「本当に久しぶりだな。もう半年ぶりだったか」


「そうですね、春の舞踏会を欠席しておりますのでそれくらいかと」


「ふむ、なかなか領地に帰って来れずすまないな。お前には頼りっぱなしだ」


「私など一文官に過ぎません。代官殿に比べればまだまだ楽な方ですよ」


「はは、確かにそうだな」


 気の置けない会話をする二人。執務室に和やかな空気が漂う。フロード子爵家は代々レギンバース伯爵家で文官を務める法服貴族の家系である。筆頭文官などではないが、子爵を初めそこそこの役職を与えられており、現在も宰相補佐を務めているクラウドを一族で支え続けている。元来文官気質な家系で、騎士としてレギンバース伯爵家に仕えることになったレクトはかなりレアケースのようだ。


 また、クラウドは三十三歳、ライザックが三十一歳と年も近く、王立学園在学時も先輩と後輩の間柄でもあったため、この二人は割と気心の知れた関係であった。


「伯爵様、領地より各種資料および直近で必要な決裁書類をお持ちしました」


「ああ、もらおう」


 ライザックの後ろに控えていた侍従が持っていた書類がクラウドの執事を経由して渡される。クラウドはその紙束をパラパラとめくって中身を確認した。


「ふむ、とりあえず緊急のものはないようだな」


「後ほどご確認いただければ十分かと。本日は到着のご挨拶に伺っただけですので、詳細な報告は後日させていただきます」


「ああ、よろしく頼む」


 少し見ただけで書類の概要を把握できるあたり、レギンバース伯爵の有能さが窺える。ライザックがそれに驚いた様子もなく、これが普段通りの光景であることが理解できる。

 一通り仕事の話を終えると、ライザックは話題を変えた。


「そういえば、最近のレクティアスは如何でしょう。伯爵様のお役に立てているでしょうか」


「ああ、とても役に立ってくれているよ」


 そう言いながら、クラウドは苦笑いを浮かべていた。ライザックは首を傾げる。


「何かございますか?」


「いや、まあ、最近は文官の仕事を手伝ってもらうことも多くてな。騎士と文官の仕事を半々でやってもらっているのだ。正直凄く助かっている」


「そういうことですか。確かに、あの子は文武両道でしたからね。騎士の才能がなかったとしても領地で十分文官を務められたことでしょう」


「そうなのだ。今、宰相府は突然重要案件が舞い降りてきたせいで忙しくてな。私の手が回らない分、屋敷の執務の一部をレクトにも担ってもらっているのだ。この後も午後からは王城へ出仕せねばならん」


「おや、今日は一日屋敷の執務をなさる日のはずですが……何かございましたか」


「来月から王立学園にロードピア帝国の第二皇女が留学することが急遽きまったのだ」


「なんと。帝国から皇女が留学ですか……それはまたどうして」


「両国は百年前の戦争以来微妙な関係が続いていたが、そろそろ関係改善を目指すべきだろうという書簡が帝国から届いたのだ。その足掛かりとして急ではあるが、シエスティーナ・ヴァン・ロードピア第二皇女を王立学園に留学させたいという要望が来たんだ」


「まさか夏季休暇明けからですか。それはまた随分と急なことですね」


「それについては陛下も同意見だ。あまりにも急な打診を訝しんでらっしゃるが、ロードピア帝国が本当に関係改善を望んでいるのなら、我が国としてもこの機会は利用したい」


「ですが、そのような言葉、本当なのでしょうか」


「……見極めるしかあるまい。既に許諾の返事を送り、現在は全力で受け入れ準備を進めている段階だ。夏の舞踏会にも参加される予定だから本当に急がねばならん」


「確かに、夏の舞踏会はお披露目に丁度良さそうですが、皇女様を受け入れるにはあまりにも日がありませんね」


「ああ。レクトには悪いが、しばらく騎士ではなく文官のつもりで働いてもらわねばならんやもしれんな」


「ええ、こき使ってやってください」


 クラウドとライザックはハハハと可笑しそうに笑い合うのであった。


「時に伯爵様。レクティアスですが、何でも春の舞踏会にパートナーを伴っていたとか」


 ライザックの言葉に紅茶に口を付けていたクラウドの動きがピタリと止まった。


「……伯爵様?」


 突然フリーズしたクラウドを訝しみライザックは首を傾げる。


「あ、いや、何でもない。確かに、レクトはとある女性を連れて春の舞踏会に参加したな」


「ほうほう、それはそれは。学生時代から浮いた話の一つもなかったあの子が、ようやくパートナーを連れてきましたか。よきことです」


「そ、そうか?」


「ええ、こちらから縁談を紹介しても『仕事が忙しいので』とか言って断られ続けていましたからね。自分でパートナーを見繕えるようになったことは兄として喜ばしいことです」


(……私が相手を連れてくるよう命じたからなんだがな)


 ライザックはレクトに男の甲斐性がようやく芽生えたかと喜んでいるが、実際にはクラウドがパートナー同伴を命じた結果であり、レクトに甲斐性など多分育っていない事実を伝えるべきかどうか、ちょっとだけ遠い目になるクラウドである。


「それで旦那様、相手の女性はどんな方でしたか? 一応クリスティーナ様よりいただいた手紙である程度は把握しているのですが、できれば直接お会いした旦那様のご意見も伺ってみたいものでして。結婚の意志などはありましたでしょうか」


「結婚しないっ」


「え、あ、結婚はしなさそうでしたか」


 少し怒気を含んでいるような張りのあるクラウドの声音に、ライザックは思わず身を引いた。クラウド本人も目をパチクリさせて、今自分が発した言葉に驚いてしまう。


(私は、なぜ……)


「あ、いや、すまない。多分、結婚の雰囲気はなかったと思うぞ」


 コホンと気を取りなすように咳払いをして、クラウドはそう告げた。


「は、はぁ、左様ですか。クリスティーナ様の手紙では『結婚は秒読みよ』と随分楽しそうな筆跡で書かれていたのですが」


(姉上は何をしているのだ……)


「……それは近々本人にでも聞いてみるといい」


「ええ、そういたします。まあ、本人から連絡が来ていない時点である程度予想はついてしまうんですけどね」


 ライザックは眉尻を下げて苦笑するのであった。どうやらレクトの甲斐性について説明する必要はなさそうである。







◆◆◆



 ライザックが執務室を後にすると、クラウドは仕事を再開した。真剣な表情で書類と格闘しペンを走らせる音が室内に響く。だが、しばらくすると執務室に沈黙が訪れる。

 ペンを止めたクラウドの口からため息が零れた。そして彼は窓の向こうの空を見上げる。


(……さっき私は、なぜあんなことを口走ってしまったのだろう。『結婚しないっ』などと)


 クラウドの脳裏に、春の舞踏会で一度だけ顔を合わせた少女――セシリアの姿が浮かぶ。春の舞踏会でレクトがパートナーとして連れてきた平民の少女。セレナが死に、娘がいると知った後で、いつか送ろうと考えていたものと偶然にも同じ名前だったあの娘。


 金の髪と赤い瞳の少女は、茶色の髪と瑠璃色の瞳を持つ愛するセレナとは似ても似つかない。だというのにクラウドは、初めてセシリアの姿を目にした時、彼女にセレナの面影を見てしまった。


 だからだろうか。彼女がレクトと結婚する可能性を示唆された際、思わず否定の言葉を口にしてしまった。


(私は彼女の父親でも何でもないのに……)


 実父である。

 純然たるパパである。

 が、そんな事実を知らないクラウドは戸惑うばかりだ。

 見ず知らずの少女の婚姻が気になるなんて、それはつまり……。


(まさか私は……彼女に、セシリア嬢に恋でもしてしまったというのか……!)


 実父、ヤバいのである。

 実の娘に恋の予感。

 かなり危険な状況にあるといえるだろう。


(……いや、違う。断言できる。これは、恋ではない)


 実父、ギリギリセーフであった。

 危ないところであった。

 危機は回避されたのである。




☆☆☆あとがき☆☆☆

TOブックス様より

小説第3巻が7月10日(月)より予約開始です。

どうぞ奮ってご予約くださいませ。

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