第29話 メイド魔法奥義『銀清結界』

「それで、こいつはどうするの?」


 ルシアナが鋭い目つきで狼を睨みながら問う。メロディの魔法の威力は絶大で『白銀の風』に捕らえられた狼は動くことも口を開くこともできなくなっていた。


「お嬢様、そんな怖い顔になって。淑女のしていい顔じゃありませんよ」


「だって! だってこいつが! こいつはメロディを!」


「お嬢様、よく見てください。私、全然元気ですよ? ね?」


「うう、メロディ!」


 ルシアナはメロディの胸に抱き着いた。メロディはそれを微笑ましそうに見つめて抱きしめた。


「……実際、こいつは本当にどうするんだ?」


 リュークが問うとメロディはニコリと微笑む。


「大丈夫。ちゃんと考えてあるから」


 どこから来たのか分からないメロディの自信にリュークは首を傾げた。

 ルシアナ達を後ろに下げ、メロディは狼と対峙する。


「私、あなたは敵だと思ったの。お嬢様の領地の皆を困らせて、それを改善させてもまた同じことの繰り返しで。あなたは皆を困らせたいと思っているんじゃないかって、そう思っていたの」


「…………」


 狼はじっとメロディを見つめる。メロディもまた狼を見つめ返す。


「でも、声が聞こえた。『お願い。どうか、嫌いにならないで』……あれはあなたの言葉だったのね。だってこの子はあなたの一部だもの」


 メロディは手の平に置いた白い玉を狼に向けて見せた。狼の瞳はギョッと見開かれ、白い玉を凝視している。


「この子は言ったわ。『還りたい』と。だから私に伝えていたのよね。嫌いにならないで……優しい心で見送ってほしいって」


 狼の瞳から涙が零れる。それは肯定の意味なのだろうか。きっとそう。メロディはそう信じる。

 メロディは白い玉を握りしめ、そっと胸元へ寄せた。指の隙間から白い光が溢れ出す。


「大丈夫。もう私、分かったから。あなた達に必要なことが何か分かったから」


 メロディの言葉を後ろから聞いていたマイカは胸の鼓動を抑えきれない。


(この神聖な雰囲気。まさかメロディ先輩、いえ、ヒロインちゃん、いいえ! 聖女様! とうとう覚醒しちゃうんですね。魔王を前に真の聖女に目覚めちゃうんですね! ああ、私。ゲームにはなかったヒロインちゃん超覚醒イベントに立ち会っているんだわ。異世界転生ありがとう!)


 危険がなくなったと思ったらこれである。マイカの乙女ゲージャンキーっぷりの度し難いこと。


「私は今、すごく感じている。私の中に新しい魔法の力が生まれたことを」


(いやー! すごーい! いつも新しい魔法をポイポイ出してるけどそれとはまた違う雰囲気!)


「きっとこれは私にとっての最終奥義。この魔法ならきっとあなたを救えるはず」


(最終奥義? もしかしてそれって『銀聖結界』のこと? でもあれって確か――)


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』のヒロイン最終奥義『銀聖結界』。ゲーム内ではステータスの爆上げ、攻撃無効化&倍返しなどというクソゲー仕様の無敵モード。

 どちらかというと戦闘特化な必殺技であったが、それともこちらの世界ではもっと違う力として存在しているのだろうか。今身に着けているメイド服が廉価版『銀聖結界』とは思い浮かばないマイカである。

 メロディはそっと目を閉じ俯く。やがて拳から漏れる白い光は収まり、あたりを静寂が包み込む。そしてメロディは神聖なる言の葉を紡いだ。


「私は母に誓った。『世界一素敵なメイド』になると。そして私は目覚めた、魔法の力に。その時声が聞こえたの。『聖なる乙女に白銀の祝福を』。それが誰だったのか今でも分からない。でも、私にははっきりと聞こえた。私には白銀の祝福があるのだと」


 マイカはドキリとした。やっぱりメロディはヒロインちゃんで間違いないのだと。あのセリフはゲームにおけるヒロインちゃんの覚醒イベントなのだから。


(……その覚醒イベントがなんでメイドになるって誓いでゲームより前に起こってるのかっていう疑問は大いにあるけど)


「だから私に任せてちょうだい。きっとあなたを救ってみせる。あなたが『還る』ためにはその黒い力が邪魔になる。私がそれを取り除いてみせるわ。そう、だって私には――」


(ああ、ヒロインちゃん、聖女様! これが本物のヒロイン、セシリア・レギンバー)


「――銀(イオン)の洗浄力がついているのだから!」


「「「……は?」」」


 この時、狼は声が出せない代わりに必死で首を傾げたのであった。

 メロディの拳の中で再び白い玉が光を放った。指の隙間から漏れ出た光が糸のようにメロディへ絡みつく。メロディは白い玉を握る腕を勢いよく天へ掲げた。


「白銀の祝福を受けし、清らかなる世界よ今ここに! メイド魔法奥義『銀結界』!」


(なんかアクセントがちょっと違った気がするー!)


 その瞬間、目の前で信じられない光景が広がった。


「きゃああああ! リューク見ちゃだめええええええええええ!」


「うおっ!? な、なんだ!?」


 ……魔法少女の変身シーンは、男の子は見てはいけないのである。


 魔法を発動させた瞬間、メロディの来ていたメイド服が一気に糸に戻ったのだ。そして今まさにメロディに相応しい衣へと変貌を遂げている最中である。

 そんな中をクルクルと踊るように回り続けるメロディ。大事なところから隠せばいいのに手先やら足元から変身していくところなど如何にも魔法少女っぽい。

 ルシアナはそんなメロディの姿を見つめながらポツリと呟いた。


「相変わらず肝心なところはバッチリ見えないわね……」


「何気持ち悪いこと言ってるんですかルシアナお嬢様! 変態はいってますよ!」


「そ、そんなことないもん!」


「……何が起こっているんだ」


「「絶対にリュークは見ちゃダメ!」」


「うーむ……」


 やがて全ての変身が終わると、メロディはゆっくりと降り立った。


 銀を基調としたドレスに純白のエプロン。ブーツも白く、ふわりと下ろされた白銀の髪の頭には小さなキャップがのっている。その手に持つのは銀の装飾をあしらった箱型の鞄。中には銀の装飾をあしらった清掃用品の数々。使うことが躊躇われそうな高級品に見える。

 狼の前で閉じていた瞳をゆっくりと開く。その瞳の色は黒ではなく瑠璃色。本来の髪と瞳の色を取り戻したメロディの真なる姿がここにあった。


 神々しい。大変神聖な雰囲気なのだが……そのシルエットは、メイドである。


 メロディは狼を前にゆっくり膝を折り、優雅に微笑んだ。


「メイド魔法奥義『銀清結界』タイプ・ハウスメイドです。白銀の祝福の名のもとにあなたの汚れを徹底洗浄して差し上げます」


 メロディは箱型の鞄から石鹸を取り出した。わざわざ彫刻のような造形が施されたお高そうな石鹸である。それを掲げると石鹸はなぜか白銀の輝きを放った。


「さあ、白銀の石鹸よ。メイドの愛と慈しみの心を以ってこの狼さんを徹底洗浄して差し上げて!」


 石鹸を狼の真上に投げるメロディ。すると石鹸は光を放ちながら大量の泡を生み出した。狼は泡に包まれ、『白銀の風』の流れに沿って泡が動き出す。


 さながらそれは――。


「うわぁ、あれって……洗濯機?」


 泡とともに『白銀の風』に振り回されていく狼。まるで洗濯機で適当に洗われる狼の毛皮のようだ。


「ゴボグボゴボボボボボボッ!」


「なんか溺れてるような声が聞こえるような……」


「き、気のせいじゃないかしら? たぶん」


 ルシアナは目を逸らした。そしてリュークが言ってはいけないことを言う。


「……あれは洗濯しているように見えるんだが、その場合ハウスメイドじゃなくてランドリ」


「「お前は黙ってろ!」」


「むぐっ!」


 リュークは口を押さえられた。無敵モードに入っているメイドジャンキー相手にメイドの解釈違いとか指摘したらどうなるか。恐ろしくて考えたくもないマイカとルシアナである。


「さあ、次はブラシさんの出番ですよ。狼さんの体をしっかり洗ってあげてください!」


 箱型の鞄から数個のブラシが飛び出した。泡まみれの狼さんをゴシゴシと洗い始める。


「ほ、ほら、あれなら確かにハウスメイドよ。ブラシで洗っているもの」


「そ、そうですね! ブラシを使っているならハウスメイドですよ!」


「……いや、汚れの酷いところは衣類でもブラシを使うこともあ」


「「マジ黙れや」」


「……」


 静かになった観客を無視して狼の洗浄は続いた。やがて泡が薄れ、ブラシも鞄へ帰っていく。そして目の前に現れたのは――ぐったりと力尽きる白銀の狼であった。


「「「うわぁ」」」


「綺麗になってよかったですね!」


 メロディは満足そうに笑うのであった。


『……あ、ありがとう……君のおかげで……僕は『還る』ことができそう、だよ……ぐふっ』


「いいえ、お役に立ててよかったです。だって私、メイドですから」


『そうか。メイドは……すごいんだな、ぐふっ』


「……あいつ『ぐふっ』って言っているが大丈夫なのか?」


「虫の息って感じです」


「い、いいのよ。メロディが満足してるんだから」


 ちょっとだけ何か納得のいかない三人である。


「そろそろ『還る』ことはできそうですか?」


『……うん。大丈夫そう。だから、その前に彼らにも謝らせてもらえないかな?』


 狼に呼ばれルシアナ達もそばに近寄った。


『迷惑をかけたね。本当に申し訳なかったよ……』


「えっと、あの、もう過ぎたことですし」


「私は許さないからね! ……メロディが気にしてなさそうだから何もしないであげるけど」


「……もう好きにするといい」


『ありがとう。最期に君達のような優しい人間に見送ってもらえるなんて嬉しいよ』


 ぐったり寝そべっている白銀の狼は、ルシアナ達から離れたところにいるグレイルを見た。優しげに目を細め、その瞳は喜びに満ち溢れている。


『ああ、嬉しいな。とうとう聖杯は完成したんだね。世界は救われる……聖杯と聖女がいればきっとこの世界は……』


 その時だった。マイカの胸元のペンダントが光りだした。


「えっ!? 何? 『魔法使いの卵』?」


 ペンダントの卵が光りだし、独りでに服の下から姿を現す。混乱する一同。ただ、白銀の狼だけは「おや?」と軽く目を見開き、そしてクスリと笑った。


『……どうやら僕が『還る』のはもう少し先らしい』


「え? それはどういう」


 メロディが聞き返そうとした時、マイカの卵は口を開くように上下に分かれだした。すると、掃除機というかブラックホールでもあるように卵に向かって空気の流れが生まれた。


「何これええええええええええ!?」


 その流れに反応したのはぐったりと横たわっていた白銀の狼。その体が白銀の粒子になって溶けだし、どんどんと卵に吸い寄せられていく。

 そして最後には狼の全てが卵の中に消えてしまった。


「「「「……」」」」


 しばし無言が続く世界。しかし、それはほんの数秒。


「なんじゃこりゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 既に暗闇の空間は消え去り、マイカの絶叫がルトルバーグ伯爵邸跡地に木霊した。




★★★次回、エピローグ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る