第28話 白銀の風
――お願い。どうか、嫌いにならないで。
声が聞こえる。縋るようなその声は、懇願していると同時に叶わぬ夢のように諦めてもいた。
(ああ、またあの夢……)
暗闇の中で聞こえるその声は、誰何しても答えは返ってこない。
――お願い。どうか、嫌いにならないで。
(あなたは誰。どこにいるの……?)
――お願い。どうか、嫌いにならないで。
(大丈夫よ。だから出てきて。顔を見せてお話しましょう)
――お願い。どうか、嫌いにならないで。
ああ、そうか。メロディは思った。自分は声を出せていない。相手に伝わっていないのだと。暗闇の中でずっと囁く誰かは、ここにメロディがいることにすら気付いていないのかもしれない。
メロディでさえ自分自身の存在すらどこにあるのか分からないのだ。他人のことが分かるはずもない。
――お願い。どうか、嫌いにならないで。
(ああ、一体どうすれば……)
――闇の盃は哀れな魂の受け皿である。
ドロリと、何かが体から抜け落ちた気がした。体の周りを覆っていたものが消え去り、とても軽くなったような気がする。
「今のは一体……あれ? 私の声、それに体も見える」
暗闇の中でメロディは自分を見ることができた。明るくなったわけでもないのに、なぜか自分を見ることができる不思議。これは一体どういうことだろう……?
自分の両手を見つめながら何気なく一歩下がった瞬間だった。
ポフンと、フサフサで柔らかいものがメロディの全身を包み込んだ。
「え? 何……ええっ!?」
メロディの後ろに巨大な白銀の狼が立って、いや、座っていた。どうやらメロディは狼の胸にポンと触れてしまったらしい。よく見るとこの狼、前足と片耳がない……と思ったら先っぽが黒いせいで闇に紛れてしまっているらしい。よく見ると尻尾は全部黒いので全く見えない。
「なんか、うちのグレイルみたいな模様ね。尻尾は違うけど」
彼女がそう言った途端、銀色の狼は突然喉を鳴らし始めた。まるで嘔吐するように。
「え、ちょ、こんなところでやだ! やめてー!」
「おえええええっ!」
だが、狼が吐き出したのはよく見えなかったが黒色の何かだった。子犬くらいの大きさはあっただろうか。何を吐き出したのだろう?
「ひっく、ひっく。お願い。どうか、嫌いにならないで」
「えっ?」
「うえん、うえん、お願い。どうか、嫌いにならないで」
「まさかこの子が……?」
メロディは狼が吐いたものの元へ歩み寄った。よーく見るとそれが分かる。全身真っ黒な子犬が泣いているのだ。
「どうして泣いているの?」
メロディは子犬に問い掛けた。子犬は振り返り涙ながらに訴える。
「ひっく、ひっく、お願い。どうか、嫌いにならないで……還りたい、還りたいんだ」
「帰る? おうちに帰るの? おうちはどこ? 連れて行ってあげるわ」
「うええぇ、還りたい、還りたいよぉ」
黒い子犬を抱き上げてあやしてやる。メロディに抱き着いた子犬はずっと『還りたい』と言って泣き続ける。
「……帰るところがあるのに帰れないのは、つらいわね。……帰してあげたいな」
「本当に? 還してくれるの?」
子犬が泣き止んでメロディを見つめた。メロディは優しく微笑み、そっと頭を撫でてやる。
「ええ、帰りましょう。あなたが帰るべき場所へ。一緒に行きましょうか」
「……そっかぁ。ぼく、還れるんだぁ」
安心したのか子犬はメロディの腕の中でスヤスヤと眠りだす。メロディが子犬の背中をポンポンと優しく叩いてやると、突然子犬の体が光を灯し始める。
白い光に包まれて、子犬の毛色が黒から白へと変貌していく。
そしてメロディは唐突に悟った。
――この子は『還る』のだと。
(どうか忘れないで。あなたのその心を……悲しみに寄り添う慈しみの心を)
「え……?」
メロディは声のした方へ振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。銀の狼さえも。
だがメロディは、その声をどこかで聞いたことがあるような気がした。
白くなった子犬は形を失い天へと昇っていく。その先に道があるのだと示すように。
――還ろう!
メロディはそう言われた気がした。
綺麗な光だと思った。まるでそう、何もかもを洗い流すような純白の光が――。
◆◆◆
暗闇の結界の中、狼とルシアナ達の戦闘は激化の一途を辿っていた。
ダンスのステップを応用した軽やかな動きで狼を翻弄するルシアナ。魔法の記憶を取り戻し、多彩な攻撃で狼に迫るリューク。
二人はこれまで見事なまでに狼の攻撃を躱し、無傷のまま敵をなぶり続けたわけだが、戦局が優位とはとても言えなかった。
「もう! こいつ、いつになったら倒れるのよ!」
「いくら攻撃してもすぐに治る。いずれ限界が来ると思ったがしぶといな」
そう、二人の攻撃を食らっても狼はすぐに体を修復し襲ってくる。この繰り返しなのだ。対してルシアナ達はまだ戦えるものの、そろそろ体力的、魔力的限界が近い。
何か突破口がなければこのままではジリ貧になって負けてしまう。
そんなことになったら……。
「絶対にそんなの認められない! だってこいつはメロディを、メロディの……!」
それ以上は言葉にできない。受け入れられない。
それを口にしたらルシアナはもう戦えない。
「……だが、何か戦術を見直さなければこのままではまずい。少し奴とは距離を取っ――!」
二人が少し躊躇したタイミングを狙って狼が大きく後方に跳んだ。宙に浮いた狼は大きく息を吸い、口内から黒い光が漏れ出す。
(あれは、あいつまた……!)
狼は出会いがしらに放ったあの咆哮をまた打ち込むつもりなのだ。メロディが全力で防いでそれでも抑えきれなかったあの咆哮を。あんなものに屈したくないが回避の一手しかない。
そう思いルシアナとリュークが左右に分かれて跳んだ時だった。
狼の口があらぬ方を向いた。
「何? ――まさか!」
「マイカ!」
「……え?」
狼は攻撃対象をルシアナでもリュークでもなく……マイカへと定めた。
(もしかしたらハリセンなら弾き返せるかも! でも、宙に浮いてたら動けない!)
(『女神の息吹』で! だがこれは、距離があり過ぎる! 届かない!?)
それはあまりにも絶妙な位置関係であった。ルシアナとリュークのカバー範囲外。狼は狙ってこの状況を作ったのだ。戦っている二人ではなく、マイカを狙ってしまおうと。
「「マイカアアアアアアアアアアアアアアアアア!」」
「あ――」
狼の大きな口がマイカへ向けられる。マイカは咄嗟にメロディとグレイルの上に被さった。守れるなんて思っていない。でも、咄嗟にそう動いたのだ。
(私、何もできなかったな。でも私、私は……)
「ゴオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
マイカ曰く『ダークネスシャウト』。魔王ヴァナルガンドの必殺技。それとよく似た咆哮がマイカに向かって放たれた。
――清らかなる息吹の調べ『
闇の咆哮があたりを黒く染めた。ルシアナは膝をつき呆然としている。リュークは歯を食いしばり、剣を握っていない方の拳から血が流れ落ちた。
やがて咆哮が終わった頃、マイカ達のいた場所は、いた場所は……。
「「え?」」
「ガウッ?」
「……あれ?」
……何ともなっていなかった。
「え? あれ? 私、死んでない?」
マイカは起き上がり、周囲を見回した。怪我一つしていない。どこも壊れていない。
「うえっふ」
「あ、グレイル。起きたの、ってあ! あんた何食べて……て、何で白いの?」
起き上がったグレイルが口から玉を吐き出した。てっきりメロディが作ったという黒い玉かと思ったらなぜか真っ白な玉である。大きさは同じくらいだが別物だろうか?
グレイルはメロディから降りると不機嫌そうに彼女から顔をそむけた。
「……急にどうしちゃったの、グレイル。メロディ先輩は……あれ?」
マイカは首を傾げた。メロディの様子がどこかおかしい。何が違う……あっ!
「先輩、肌に赤みが差してるような……」
メロディに触れようとしたその時、狼の咆哮が鳴り響いた。慌てて振り返るマイカ。狼が全速力でこちらへ駆け寄ってくる姿が!
「きゃああああああああああ! 助かったと思ったのにまた来るの!?」
「「マイカ!」」
出遅れたルシアナとリュークでは間に合わない。今度こそ万事休すかと思われた時だった。
「大丈夫よ、マイカちゃん。――捕らえて『白銀の風』」
「……え?」
マイカの視界をキラキラと光る銀の煌めきが通り過ぎた。それはまるで可視化された銀色の風。白銀の魔力で瞬く風が真っ黒な狼の全身に巻き付いて動きを封じていく。
「グゴアアアアアアアアアアアアア!?」
「……大丈夫、安心して。この風はあなたを傷つけるものじゃない」
「あ、ああ……メロディせんぱああああああああい!」
ゆっくりと起き上がるメロディにマイカは思わず抱き着いた。
「えっと、心配かけてごめんね」
「うわーん! せんぱーい!」
「「メロディ! マイカ!」」
白銀の風に捕らわれ動きを封じられた狼を背に、全員が集まるのだった。
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