第27話 おお聖女よ、死んでしまうとは情けない
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」
巨大な狼は耳をつんざくような雄たけびを上げた。思わず耳を塞ぐ面々。
メロディは狼を見上げた。形こそ狼のようだが、生物としての狼とは思えない。それはまるで、メロディがビー玉サイズに固めた黒い魔力が狼の形に固められたようなもので、その形状もかなり不安定だ。
体全体から煙が立つように黒い靄がところどころから溢れ出している。まるでこのまま放っておけば消えてなくなりそうにも見えるが、メロディの強化した瞳はあふれた魔力がゆるやかに狼の元へ戻っていく光景を捉えていた。
(でも、循環効率は悪そう。あれなら、少しずつ弱っていくかも……?)
狼から溢れ出る魔力はあたりに散らばるものの方が多く、およそ半分程度しか戻っていない。これなら逃げ回っているうちに形を維持できず瓦解するかも。
メロディがそう考えた時だった。狼は大きく息を吸い始めたのだ。
(何をするつもり?)
「ダークネスシャウト! ブレスが来ます!」
メロディの後ろからマイカが叫んだ。メロディは刹那に考える。
ブレス? 息? つまり――。
(何かを吐き出す! そしてこいつが吐き出すものは黒い魔力!)
「魔力の息吹よ吹き荒れろ『
メロディの前方に巨大な風が一瞬にして生み出された。上昇気流のようなそれは、全てを上空に巻き上げる立ち上る突風。グルジュ村で使用した時とは異なる激しい大気の奔流を生み出した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「「「「――――っ!?」」」」
鼓膜を直接打ちつけられたような激しい咆哮とともに黒い魔力の塊が狼の口から吐き出された。最早吐き出すというよりは発射されたといっても過言でないだろう。それをメロディの突風が受け止める。吐息と風。正直、その言葉で表現するにはスケールの大きな力だが、魔力を含んだ大気のぶつかり合いが狼とメロディ達の間で炸裂した。
腕の動きで『銀の風』の流れを精密に制御しながら狼の咆哮を受け止めるメロディ。その余波を受け止めきれず吹き飛ばされそうになったマイカとルシアナをリュークが両腕を広げて支える。
「ゴオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「お嬢様も、皆も、誰も傷つけさせない!」
なおも続く咆哮。だが、メロディも負けてはいない。魔力の風は全く衰えず、メロディの精密操作によって確実に攻撃をいなしていく。
やがて咆哮も終わりを迎え、攻撃が止む――その時だった。
「受けきった! ここから反撃に――」
――お願い。どうか、嫌いにならないで。
「えっ? あ――」
狼を睨みつけるメロディだったが突然脳裏に響いた声に気を取られ、黒い咆哮が完全に消えきる前にメロディの『銀の風』は霧散してしまった。
ほとんどの力は受け流せたが、最後の最後に残った人間一人を押し流せるほどの黒い奔流をメロディは防ぐことができなかった。悲鳴すら上げることができず、メロディは狼のブレスに飲み込まれてしまう。
「ちいっ!」
「「きゃああああっ!」」
ルシアナとマイカを抱えたリュークが咄嗟に横へ飛んで迫りくる黒い咆哮をギリギリで避ける。一瞬呼吸が止まるルシアナ。反射的に大きく息を吐いた彼女はハッと我に返って叫んだ。
「メロディ!」
視線の先、自分達を守ってくれていた少女は――ピクリとも動かず倒れ伏していた。
「う、うそ、メロディ先輩……」
「メロディイイイイイイイイイッ!」
我も忘れて駆け寄るルシアナ。膝をつき、メロディを抱き起す。ぐったりとして肌も青白い。
「メロディ! 起きて、メロディ!」
……返事がない。まるで――。
「メロディ! メロディってば!」
メロディを呼び続けるルシアナ。リュークも膝をつき、メロディの口もとに指を近づけた。
「ルシアナお嬢様……メロディはもう、息をしていない」
「――っ! う、うそ! うそよそんなの! だってメロディは最強の守りの魔法をドレスに掛けてるのよ。舞踏会会場が木っ端みじんになっても無傷でいられる魔法なのよ! そんなはず……」
ルシアナの全身が震え、ポロポロと涙が零れだす。
もっと何か言いたいのに言葉にならない。
「お嬢様……メロディ先輩……」
グレイルを強く抱きしめたまま、マイカはメロディを見た。青白い肌。リュークが言う通り呼吸が止まっているせいか確かに胸が動いていない。
(ステータスカンストのヒロインちゃんが、魔王の一発でやられる? こんなことゲームだったらありえない。ゲームだったら……分かってる、これは、現実なんだって……でも、だからって!)
――メロディ先輩はヒロインちゃんだけど……ただのメイドだったのに!
マイカの胸元の魔法道具『魔法使いの卵』が激しく振動した。マイカの心に同調し、成長をしているのだ。メロディがこうなっても、卵は今も働き続ける。
だが、いつまでも感傷に浸ってはいられない。巨大な狼はメロディが戦闘不能に陥ったことを理解したのか悠然と歩きだした。涙を流すルシアナを目標として、前足を振り上げる。
それに最初に気付いたのはマイカだった。咄嗟に声を上げようとしたが間に合わない!
(ルシアナお嬢様!)
「ざけんじゃ――」
ルシアナは扇子を取り出した。手首のスナップを利かせながらバックスイングで勢いよく扇を開いた。
「――ないわよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
振り下ろされた狼の前足に非殺傷型拷問具『聖なるハリセン』の一撃が炸裂した。
「ガワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「うっそおおおっ!?」
マイカは思わず叫んだ。巨大狼の振り下ろされた前足に対抗するのは、ツッコミ用としか思えない、実際対象を傷つけることのできないメロディ作の魔法のハリセン。彼我の戦力差は一目瞭然で確実にハリセンが撃ち負けるはずだったのに、結果は狼の前足が消し飛ぶという意味不明な事態。
思わず後ろに飛び跳ねる狼。消えた前足は魔力で修復できるのか既に治っているが、明らかにルシアナのハリセンを警戒する動きを見せた。
ルシアナは立ち上がり、涙を拭う。一度だけメロディを見ると、彼女はキリッと瞳を細めてハリセンを大きく鳴らした。
「……メロディが作ってくれた誕生日プレゼント。そう、あなた、これが怖いの」
ルシアナはトントンと軽くステップを踏んだ。まるで運動前の準備運動のように。
「だったら、いくらでも私がツッコんであげるわよ。お前なんて死ねばいいのにってね!」
ルシアナは駆け出した。メロディの指導によって培ったダンスのステップを活用して軽やかに狼のもとへと走り寄る。狼は巨体ゆえかルシアナの動きに翻弄されて手をこまねいた。
そして――。
「お前なんて死ねばいいのよ!」
スパアアアアアアアン!
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
打ち据えられたハリセンによって後ろ足が爆散した。すぐに回復を始めるが、かなりの痛みが走ったようだ。咄嗟に振り返って咆哮を放つがルシアナはそれを軽やかに躱す。まるで一人で踊っているかのようだ。
「……そうよ、私にはメロディからもらったものがたくさんあるんだ。ダンスもお勉強も美味しい食事も家だって! なのに、こんな、何にもお返ししてないのに……お前が!」
狼への怒り、自分への怒りがルシアナの限界をたやすく貫いていく。狼の攻撃を鮮やかなステップで躱しながらハリセンで狼を打ち据えていく。
「絶対にあんたを許さないんだから!」
覚醒したルシアナに翻弄される狼をマイカは驚愕の瞳で見つめていた。
「お嬢様、凄い……」
「マイカ、俺も行ってくる」
ハッと我に返るマイカ。リュークは既に立ち上がっており、腰に佩いていた剣を抜いていた。
「リューク……」
「……なぜだろう。あの狼を見ていると怒りがこみ上がってくるんだ」
剣を握るリュークの手からギリリと音がした。拳を握っていたら流血していたかもしれない。
「リューク、もしかして記憶が……」
リュークは首を振って否定した。別に記憶を思い出したわけではない。だが……。
「……理不尽が嫌だ。不条理が嫌だ。誰かに貶められるのが嫌だ。自由を奪われるのが嫌だ。命は本人のものであって、誰かに好き勝手されていいものじゃ、ないんだ……!」
記憶を失っても、忘れられないものがあった。何を失くしても忘れたくないものが。
「……マイカ、メロディを頼む」
マイカの返事を聞かず、リュークは狼へ向けて走り出した。魔力を体内に流す。肉体は強化され徐々に歩幅が広がり、リュークは高く高く跳んだ。
「ガワアアウッ!」
それに気付いた狼がこちらを向くが、リュークはそれを待っていた。
「我が背を押すは疾風の御手『
瞬間、滞空していたリュークの背中を風が押し出した。空中で急激に角度が変わり、狼は対処に遅れる。魔力を込められたリュークの剣が、狼の右目を貫いた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
絶叫する狼。前足で応戦しようとするが、リュークは先程と同じ魔法で一気に後方へ下がる。危なげなく着地したリュークは剣の切っ先を狼に向けた。
「……記憶はまだ戻らない。だが、思い出したよ。魔法の使い方を」
狼の右目の眼球から魔力が溢れ出す。しかし、それもやがて止まり、狼の右目は修復された。
「いいぞ、何度でも潰してやるよ。お前が死ぬまで付き合ってやる」
戦い方など知らないルシアナ、戦い方を忘れてしまったリューク。しかし二人はアイコンタクトを取り、連携をし始める。
唐突に覚醒した二人が狼――魔王ガルムに抗い始めた。
そんな二人の様子をマイカは呆然と見つめることしかできない。
「二人とも凄い……私なんて、何もできないのに」
メロディの隣でグレイルを抱いたままへたり込むマイカ。リュークに頼むと言われたけれど、ただそこに寄り添うことくらいしかできない自分が嫌になる。
(ゲーム知識、全然役に立たないじゃない……何のための転生者なの? メロディ先輩はヒロインちゃんなのに、どうして、なんでこんなことになってるの?)
怖くて言葉にできない。『こんな』とか『あんな』とかしか表現できない。今なおも『魔法使いの卵』が細かく振動を続けているが、そんなことに気が回らない。
「う、うう、メロディ先輩……」
一人になり耐え切れなくなったマイカの瞳から大粒の涙が零れる。グレイルからも手が離れスカートを握りしめて、マイカはせめて嗚咽を漏らすことだけは我慢した。
自由になったグレイルはクンクンと鼻を鳴らしてメロディに近づく。そして、彼女の閉じられた右手へ顔を寄せた。うりうりと鼻を寄せれば思いのほか感嘆に手の平は開き、コロンと黒い玉が零れ落ちた。マイカに黒い玉を見せて以来、タイミングを逃してずっと持っていたのだ。
グレイルはそれをじっと見つめ、そして大きな狼――ガルムを見やる。
(なんだあいつ、ずっとずっと、うるさいくらい言いおって……何が『還りたい』だ)
グレイルは地面に転がる黒い玉をパクリと飲み込んだ。喉からゴクリと音が鳴る。
(ふん、還りたいなら勝手に還ればよかろう。我はいずれ力を溜め、魔王に返り咲くのだ。そして聖女も倒し、世界を闇で埋め尽くすのだ! ……だから、倒すべき聖女がいなくては困るのだ)
グレイルの尻尾。先っぽだけ黒かった尻尾の色が全身黒色に染まっていく。グレイルはトコトコとメロディの上にのぼり、彼女の胸の上で丸くなると目を閉じた。
「……グレイル?」
マイカはグレイルの突然の行動を訝しがるが、メロディの変化に気付かずに甘えていると思ったのか、それを見て涙ぐむのだった。
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