第20話 マイカの考察と空舞うメイド
二人の話し合いが終わり、ルシアナは就寝時間となった。二階の自室でメロディに髪を梳いてもらいながら、領地の問題に思いを馳せる。だが、画期的な対応策など思い浮かぶはずもない。
「お嬢様、終わりましたよ」
「え? あ、うん。ありがとう、メロディ」
「昼間のことを考えていたんですか?」
「うん、何とかしたいんだけど、何も思い浮かばなくって……とんだ里帰りになっちゃったわね」
自嘲するようにクスリと笑うルシアナ。領地の屋敷に着くまではとても楽しい旅だったのに、気が付けば地震で実家は失われ、小麦は今年も不作、大切な村の野菜に病気が蔓延り――と、帰郷してたった二日でどれだけ災難に見舞われれば気が済むのだろうか。
「明日は朝から叔父様と一緒に三つの村を回って状況を確認する予定よ。あーあ、折角の誕生日だけどこうなったらどうしようもないわね」
「……そうですね。明日はお嬢様の誕生日でしたね」
「まあ、明日お祝いしなくても既に王都で両親や親友達に祝ってもらったから、明日何もしなくたって大丈夫なんだけどね」
ルシアナの後ろに立つメロディにはお嬢様の表情を窺い知ることはできない。だが、努めて明るく振る舞おうとしていることに気付かないはずがなかった。
「それじゃあ、お休みなさい、メロディ」
「お休みなさいませ、お嬢様」
ベッドに入り、部屋の明かりが消える。暗闇の中、天井を見上げるルシアナはふと数日前に見た怖い夢のことを思い出した。
内容はもう思い出せないが、とても怖かったことだけははっきりと覚えている。
(……あれは今回のことを暗示する夢だったのかしら?)
領地に帰る直前に見た夢。迷信だと思っても、弱い心が夢と現実を結び付けて考えてしまう。
(でも、もしあの夢が本当に今回の件を暗示している、夢だって……いうなら……)
精神的にも肉体的にも疲労が溜まっていたのだろう。ベッドに入ったルシアナの思考が、微睡の世界へと誘われていく。思考が溶けていき、意識が遠のく。
(……確かに怖い夢……だったけど、でも……それだけじゃ……なかった……うん、そう)
眠りにつくほんの一瞬。ルシアナはあの日の夢を思い出す。恐怖に囚われ膝をついたルシアナの前に、白銀の光とともに差し出されたか細い少女の手の温もりを。
暗闇に包まれたルシアナの部屋に小さな寝息が聞こえ始めた……。
◆◆◆
ルシアナが眠りについた頃、マイカは一人ベッドの上で考えを巡らせていた。
「ルトルバーグ伯爵邸が地震で倒壊。小麦の不作、野菜に斑点……ゲームでは聞いたこともない」
マイカが考えるのは今回の件と乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』との関連性であった。
「一年生の八月にこんな事件が起きたなんて話はなかったはず。そもそも八月は恋愛イベントメインでシリアスなシナリオ展開はなかったんだよね」
メロディが作った寝心地のいいベッドの上でゴロゴロと転がるマイカ。ゲームから何か解決の糸口はないかと考えるが、早々都合よく答えなど見つからない。
そう思った時だった。マイカはあることに気が付きバッと起き上がる。
「ちょっと待って。ルトルバーグ伯爵家って、この時点で既に取り潰しになってなかったっけ?」
ルシアナ・ルトルバーグ伯爵令嬢。乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』における中ボス。
通称『嫉妬の魔女』。
貧乏ゆえに伯爵令嬢としての体裁を保てなかった彼女は、王立学園で侮蔑の視線に晒される。劣等感に苛まれ心を閉ざしていった彼女は、同じ家格でありながら恵まれた環境にある主人公(ヒロイン)に嫉妬し、その心を利用されて魔王の操り人形となってしまうのだ。
ゲーム内で最初に登場するボスキャラ。それがルシアナ・ルトルバーグであった。
別名『悲劇の少女』。
主人公がルシアナとのバトルに勝利すると、役に立たなかったルシアナは魔王に殺されてしまう。貧乏貴族という背景、魔王に魅入られてしまう展開、そして死という結末。何よりゲーム内唯一の死亡キャラという境遇。そんな彼女をゲームのプレイヤー達は『悲劇の少女』と呼称した。
「確か、心を閉ざしたルシアナちゃんに心を痛めた伯爵は、失態続きで宰相府も免職されてついには悪事に手を染めてしまうんじゃなかったっけ」
だが、元々誠実が売りだった伯爵にまともな悪事を貫けるはずもなく、あっさりと露見して捕縛されてしまう。この事件をきっかけに、ルシアナとのバトル『嫉妬の魔女事件』をクリアするとシナリオの結末として、ルトルバーグ伯爵家が取り潰されたことを知らされるのだ。
「ゲームは基本的に王都を中心にシナリオが展開されるから、取り潰しにあった元ルトルバーグ伯爵領で事件が起きてもゲーム内で取り沙汰されることはなかったってだけなのかな?」
そういう解釈もできるだろうが、どうにも釈然としないマイカである。枕を抱きしめ、マイカはベッドに寝転がった。天井を見上げながらブツブツと文句を零す。
「それにしたって今回の事件は酷い。地震で屋敷がぺしゃんこになるだけでも大損害なのに、昨年から続いて今年も小麦は不作で、他の野菜にまで病気が広がる始末。こんなんじゃ取り潰しがなくたってルトルバーグ伯爵家は立ち行かなくなって……あれ?」
マイカは目を見開いて再び起き上がった。
「……立ち行かなくなって……『貧乏貴族』に逆戻りする?」
何か嫌な予感がマイカの中を駆け巡った。
ルシアナが帰郷すると同時にルトルバーグ領へ降りかかった不幸の数々。小麦の不作だけなら乗り越えられたかもしれない。しかし、それを補う野菜に病気が蔓延し、何より伯爵家の本拠地が完全崩壊するという大災害。たまたまシュウの機転で全員がテーブル下に避難したおかげで倒壊から身を守ることができたが、そうでなければヒューバート達をあの時点で失っていたかもしれない。
そうなった時のルシアナの心の傷は如何ほどか。ルトルバーグ家が被る経済的損失はいくらか。
おそらく莫大な借金を背負うことになり生活は厳しいものとなるだろう。大切な人達を失ったルシアナは心を閉ざすかもしれない。そうなればヒューズも心安らかではいられず、宰相府の仕事で失態を重ねる可能性も否定できない。そしていずれは失望され宰相府から追い出されるようになる。
領地の収入は見込めず、宰相府からも見放されたヒューズに後はなく、唆されるままに悪事に手を染めスケープゴートにされてしまう。そして行き着く先はルトルバーグ伯爵家の取り潰しだ。
大きな借金を背負い、伯爵令嬢としての体裁も保てなくなったルシアナは、周囲から侮蔑の視線を向けられるようになる。ただでさえ傷ついた心がさらに抉られ続ける学園生活。なまじ『妖精姫』などという通り名を得てしまったがゆえに、堕ちた少女を嘲る声は留まることを知らない。
そして彼女はいつしか思うのだ。自分以外の皆は幸せそうだ。ずるい――と。
『ああ、なんと美しい「嫉妬」の涙。それでこそ、私の手駒に相応しい!』
「……そうしてルシアナは新たな魔王の手下『嫉妬の魔女』として……て、ないない! いくらなんでもそこまではないって!」
枕に顔を埋めながら、マイカは足をジタバタさせた。
(まさかルシアナちゃんを『嫉妬の魔女』にするために世界が事件を起こした。ゲーム的な強制力が働いた結果が今回の事件なんていうのは、さすがにないと……思うんだけど)
「ああ、アンナお姉ちゃんがいてくれたら一緒に考察できるのにー!」
何の答えにもならない思い付きに心悩ませながら眠りにつくマイカなのであった。
◆◆◆
ルシアナの部屋を出たメロディは自室に戻っていた。しかし、メイド服から着替えることはせず、部屋を暗くしたままベッドに腰を下ろしている。窓から差す月明かりだけが彼女の姿を映し出していた。
自分の手を見つめ、メロディは昼間の出来事を思い出す。
(あの時私は、あの斑点が消えてなくなってしまえばいいと考えていた)
そして斑点を指でなぞると、それはまるで硝子細工のように粉々に砕け散ったのだ。
「あれは、何だったんだろう?」
考えられる理由で今のところ思いつくのは、メロディの魔力だろう。自分ではあまり自覚がないが、メロディの魔力、魔法は普通とは異なるのだという。
自身と他の者の違いなどそれ以外考えられなかった。
(ということは、私の魔力を使えばあの斑点を取り除くことができる……?)
可能性はある。試してみるべきだ。今日はもう遅いから明日にでもルシアナとヒューバートに相談するべきだろうか。そう考えてメロディは首を振った。
(これで上手くいかなかったらぬか喜びさせてしまう。そんなことできない)
ついさっき目にしたルシアナの後姿が脳裏に浮かぶ。明るく振る舞っていたがとても辛そうにも見えた。希望を与えるだけ与えて、やっぱり無理でしたなどと口が裂けても言えない。
(だったら今すぐ確かめてみるしかないじゃない! 本当に私の魔力であの斑点を取り除くことができるかどうか、今から村に行って検証してみよう)
決断したメロディの行動は早かった。窓を開け、魔法の呪文を唱える。
「我が身を隠せ『
誰にも見えなくなったメロディは、窓から空高く舞い上がった。星の光に満たされた空の下、メイド服姿の少女が飛翔する。だが、周囲を見渡すメロディはとても困っていた。
(真っ暗で何も見えない)
多くの者が眠りにつく時間。それは同時に全ての明かりが消え去る時間でもある。メロディは空から東のグルジュ村へ向かうつもりでいたが、これでは方向さえも分からない。
『通用口』で転移する手もあるが、メロディはルシアナと約束したのだ。自身の魔法を隠し通すと。夜道を歩く村人はおそらくいないと思われるが、危険を冒すくらいなら透明になって空から向かう方が安全だとメロディは考えた。しかし、視界が真っ暗で進むべき道がさっぱりである。
(『灯火』を使ったところで自分の周囲しか照らせないから意味がない。かといってスポットライトのような強い光を作ったら透明化した意味がないし、どうしたらいいかな?)
光源を作るのではダメ。では他にどうやって闇夜で視界を確保できるだろうか。そうして思い至ったのは、リュークのことだった。
(確か、リュークは瞳に魔力を集めて動体視力を高めることができたはず。だったら、同様のやり方で夜目が利くようにできるかもしれない)
記憶を失ったリュークはビュークだった頃に習得した魔法の技術も当然ながら忘れていた。しかし、ある程度の感覚は覚えていたようで魔力を武器に纏わせたり肉体を強化することはすぐにできるようになっていた。旅の道中も視力を強化して周囲を警戒しながら御者をしていたりする。
メロディは両目を閉じて魔力を流し込む。
(暗視ゴーグルのように緑に見える感じじゃなく、闇を闇と捉えたまま正しく世界を見通す瞳を)
そしてメロディは目を開いた。
(やった、見える!)
魔法は成功し、メロディは暗闇を見分ける瞳を手に入れた。
(グルジュ村へ!)
満天の空の下、メロディは東の空へ飛び立った。
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