第21話 無双するメイド

(これは……斑点が広がっている?)


 グルジュ村に到着したメロディが強化された目で見ると、畑に占める斑点の数が増えているようだった。昼間の時点では畑全体の二割だったものが既に三割近く浸食されている。あまり猶予はなさそうだ。


(……どうか成功しますように)


 メロディは斑点が浮かんでいるトマトにそっと指を重ねた。そして指先に魔力を流す。


(お願い、消えてなくなって!)


 ピシ、パキパキパキパキ、パリンッ!


(やった! 成功した。これなら……あれ?)


 魔力によって強化されたメロディの瞳は、斑点が砕け散り粒子状になった『何か』をしっかりと目で追うことができた。粒子は風に乗り、ふわりと流されていく。やがて粒子は他のトマトの茎や葉、実に触れると斑点の元となってトマトの中へ浸透してしまうのだった。


(どうすればいい。どうすれば畑を救える?)


 目を閉じてしばし思考する。メロディの魔力でできるのはあくまで斑点を砕け散らせることだけ。砕けた粒子は放っておけばまた畑の作物のもとへ戻ってしまう。


 だったら――。


「……ごみはちり取りに集めればいいんだ。『天翼』!」


 飛翔の翼が再びメロディを空へ導く。村の中心あたりにやってくると強化された瞳で村全体を見回した。闇に潜む漆黒の斑点が浮き彫りになっていく。


(斑点が村全体に広がりつつある)


 思っていた以上に浸食は進んでいるらしい。ただその分布図に多少の偏りが見られる。村の西側に一番斑点が広がっており、東へ進むほど浸食は弱まっているようだ。とはいえ、その理由まではさすがのメロディにも判断がつかないし、今は考える必要はない。

 空中にて両腕を広げ、メロディは魔法を発動させた。


「魔力の息吹よ舞い踊れ『銀の風アルジェントブレッザ』」


 その時、村の中で風が吹いた。強くもなく弱くもなく、樹木に触れればサワサワと枝葉が揺れる程度の気持ちの良い風が、村全体を包み込んだ。


(夜中に誰かが目を覚ましても、夜風が吹いているだけだと感じる程度の自然な風を)


 村の中心の上空で、まるで楽団を指揮するかのようにメロディは両腕を振るい大気の流れを支配する。メロディの魔力が込められた緩やかな風が村中の畑を通り抜け、畑に広がった全ての斑点に破壊をもたらす。


 ピシ、パキパキパキパキ、パリンッ!

 ピシ、パキパキパキパキ、パリンッ!

 ピシ、パキパキパキパキ、パリンッ!


 そこかしこで斑点が砕け散る音が鳴る。だが、それを耳にする者はいない。なぜならこれは物理的な音ではないから。魔力の風を操り、斑点を破壊し続けメロディは気が付いた。

 あの斑点は魔力なのだと。黒色に可視化された魔力が作物にこびりついていたのだ。メロディの魔力を前に黒い魔力は形を保つことができない。耳のいい魔法使いにしか聞こえない、魔力が砕ける音が村に響く。だがその音さえもメロディの魔法『銀の風』が閉じ込める。余程近づかない限り耳に届くことはないだろう。


 魔力の風が作物を撫でると黒い斑点は砕け散って宙を舞う。何もしなければ、それは再び作物に侵入し新たな斑点を生み出すだろう。しかし、メロディの魔法『銀の風』は砕けた粒子状の黒い魔力を決して逃がさない。砕けた魔力の粒子は風に乗って上空へ巻き上げられ一ヶ所に集められていく。黒い魔力は粒子状になっても作物に侵入し斑点の形に凝集した。つまり、この魔力には一つにまとまる性質があると考えられる。

 メロディは砕いた黒い魔力を風のレールに乗せて一ヶ所に凝集させていった。村中の作物に宿った黒い魔力をたった一つに凝縮する。


 『銀の風』が吹き続けること一時間。メロディの強化された瞳は、畑から全ての魔力が抜けきったことを確認した。メロディの上空、『銀の風』によって全ての黒い魔力がひとまとめにされている。

 人間一人が入れそうな球体状の黒い魔力。メロディは両腕を掲げ、村中に拡散させていた『銀の風』を上空へ集わせる。黒い魔力とメロディの魔力による戦いの火ぶたが切られた。


 『銀の風』による全方位へ向けた圧縮が始まる。黒い魔力はそれに抗おうとしていた。どうやらこの黒い魔力、一つにまとまる性質と同時にある程度集まると拡散しようとする性質もあるらしい。その結果が広範囲に広がった斑点という現象のようだ。

 黒い魔力は『銀の風』に押され徐々に圧縮されていく。気が付けば人間の顔ほどまで縮んだ黒い魔力はまだまだ小さくなっていき、やがて圧縮限界に達した。

 風がやみ、限界まで圧縮された黒い魔力は物理法則の影響下に入りメロディの元へ落下する。手の平で受け止めたメロディは、それをしげしげと見つめた。


 黒い魔力の塊は最終的にビー玉サイズにまで圧縮された。つやのないマットな質感。試しにメロディの魔力を流してみる。すると魔力の玉に小さな亀裂が走った。どれだけ圧縮してもこの黒い魔力はメロディの魔力と相性が悪いらしい。だが、しばらくすると玉の亀裂は自然と修復された。

 とりあえずこの玉は魔法の収納庫に一旦片付け、メロディは例の畑の前に降り立った。畑の作物に斑点は見当たらず、瑞々しいトマトが生っている。メロディは周囲を見渡すと小さな声で「ごめんなさい」と呟き、トマトを一つ収穫すると思い切って一口パクリと食らいついた。


「……美味しい。よかった」


 斑点の影響は完全に消え去り、作物の味も回復したようだ。上手くいってよかったと、メロディの瞳に涙が溜まる。全て美味しくいただいて、涙が零れる前に瞳を拭った。


(でもこれで、私の魔力を使えば畑を救えることが分かった。魔法を隠すことを考えれば今夜のうちに全てを終わらせてしまうのがいいはず。……よし、やりますか!)


 次は南西のダナン村へ行こうかと一歩踏み出した時だった。


「――え?」


 メロディは後ろへ振り返った。そこには静寂に包まれた闇夜の村が広がっているだけ。そのはずなのに、なぜだろうか? メロディは何かに呼ばれた気がした。

 まだ終わっていない。そう告げられた気がして足を止める。理屈ではない。何か直感のようなものが働いたのだ。

 メロディは村の中を歩いた。彼女の直感が何に反応したのかも分からず。

 そして彼女は辿り着く。


「まさか、ここもなの……?」


 不作に悩む生育途上な小麦畑。メロディの直感がここだと告げていた。

 強化された瞳で小麦畑を凝視する。しかし、麦穂や茎、葉のどこにも例の斑点は見られない。


(でも、きっとここにもあの魔力があるんだ)


 不思議とそれだけは間違いないと思った。そっと麦を搔き分け黒い斑点を探すがやはりどこにも見当たらない。


(もしかして、斑点の状態じゃないのかも……そうだとすると、魔力の居場所は……)


 目の前の小麦畑。不作と言われているがその主な原因は生育不良だ。十分に育たず、必要な収穫量を得ることができない。土壌の栄養は十分で水も足りている。だというのに小麦が育たないというならば、考えられる原因は――。


(小麦の根が正常に栄養を吸収できていない)


  つまり、黒い魔力は土の中にある。それがメロディの出した結論であった。


(きっと畑の斑点も地面から作物に浸透していったんだ。でも、トマトは斑点が浮かんで小麦にはない。違いは何? ……水分?)


 小麦の栽培は稲と違ってそれほど多くの水を必要としない。瑞々しいトマトやキュウリに斑点ができ、小麦は生育不良だけで斑点がないことを考えると、土からやってきた黒い魔力は基本的に水の通り道に便乗して作物に宿ったのかもしれない。

 トマトやキュウリと比べれば小麦の管はあまりに細い。斑点を作るほども集まれず、土に留まって栄養摂取の障害になっているのではないか、というのがメロディの仮説である。


 とはいえ、別にメロディもそれを証明するつもりもない。彼女は小麦畑の土に両手を置いた。それは以前、ルシアナの魔力を確認するために使った方法。対象に魔力を流し循環させ、それに対する反応を見て相手の魔力の有無を確かめるというものだ。

 そして土の中で魔力を循環させると早速反応があった。メロディの魔力に触れた瞬間、土の中にあった黒い魔力が弾け飛んだのだ。そこかしこで炸裂する黒い魔力。これを取り除くことができれば小麦の不作も解消できる可能性が高い。


(でもどうやって回収しよう。土の中じゃ風は通らないし……あ)


 魔法の収納庫から先程の黒い魔力の玉を取り出すメロディ。メロディの考えでは、この魔力には引き寄せる性質と拡散する性質の二つが同居していると思われる。そして圧縮を終えた今、玉が拡散する様子はない。つまり、ここまで圧縮されると引き寄せる力の方が強いのではないだろうか。

 メロディの考えは当たっていた。玉を畑の土の上に乗せると地面から魔力の粒子が飛び出して黒い玉へ吸収されていくのだ。ただし、メロディの魔力によって砕け散った細かい粒子だけで、まだメロディの魔力に触れていない土中に眠っている魔力は対象外のようだ。


 メロディは小麦畑の地下へ魔力を広げ循環させていった。東のグルジュ村、南西のダナン村、そして北のテノン村と、メロディが全ての村に蔓延っていた黒い魔力の回収に成功したのは、東の山の稜線にほんのり橙色の光が見え始めた頃のことだった。

 自室に戻ったメロディはクタクタになりながらもサッと寝間着に着替え、ベッドの上へ力なく倒れ伏す。柔らかいマットの感触に思わず息が零れる。


 メロディは魔法の収納庫から黒い魔力を集めた玉を取り出した。ベッドに寝転がりながら手の平に乗せたそれをボーっと見つめる。結局、全ての魔力を一つにまとめたが二つの村の分を合わせてもビー玉サイズより大きくなることはなかった。

 正直、どういう理屈なのかよく分からないが、疲労と達成感から自然と笑みが零れる。ほとんど徹夜になってしまったせいもあるが、やはり今回はかなりの魔力を消費したという自覚がメロディにもあった。気が抜けてしまったのか意識が遠ざかっていく。


(これで、今日のお嬢様の誕生日はきっと……少しだけ寝て、すぐに起き……)


 黒い玉を握ったままメロディは眠りについた。日の出は近い。きっとすぐに目を覚まさなければならないだろう。メロディはほんの少しの短い休息を取るのだった。




 ◆◆◆


 ――がい。


(……なんだろう、声が聞こえる)


 暗い世界、何も見えない不思議な場所でメロディはそう思った。


 ――がい。――か、き――。


 暗闇の中から誰かの声が聞こえる。子供のようにも大人のようにも聞こえる不思議な声。


 ――がい。ど――、――――なら――――。


 声は少しずつメロディのもとに近づいていた。しかし、暗い闇の中にいるせいか人の気配は全く感じない。誰かと尋ねようと思っても声を出すことはできず、少しずつ少しずつ声は近づく。

 不思議と恐怖は感じなかった。そしてその声はメロディの耳元まで近づき――。






 ――お願い。どうか、嫌いにならないで。



 メロディはハッと目が覚めた。視界に映るのは彼女自身が作り出した見慣れた天井。全壊したルトルバーグ伯爵邸の代わりに建てた仮宿の小屋敷。その使用人部屋の天井であった。

 つまりは自分の部屋。よく分からないが、メロディは思わず安堵の息を漏らした。


(まだちょっと……ううん、正直とても眠い……)


 窓を見れば、東の稜線に太陽が半分ほど出たところだった。あれからまだ一時間も経っていないようだが、そろそろ起床しないと申し送りに遅れてしまう。

 のそりと立ち上がろうとして、メロディは右手に握る物に気が付く。


「あ、これ、出しっぱなしで眠っちゃったんだ」


 三つの村から回収した黒い魔力の塊。ビー玉サイズのそれをじっと見つめるメロディ。処分したいところだがメロディの魔法では砕いて拡散することしかできず、そんなことをすればまた村に被害が出るかもしれない。思わず鋭い目つきで睨んでしまう。


(……対処法が見つかるまでは私が保管するしかないか)


 メロディは魔法の収納庫に黒い玉を片付けると急いでメイド服に着替えて部屋を出るのだった。


「おはようございます、ライアンさん、リュリアさん」


「おはようございます、メロディ」


「おはよう、メロディ」


 今日も先を越されたらしい。玄関ホールにはライアンとリュリアが既に来ていた。挨拶を交わし二人に近づこうとした時だった。

 メロディの足から突然力が抜けてしまう。


「え?」


「「メロディ!?」」


 突然カクンと崩れ落ちたメロディにライアン達は慌てて駆け寄った。


「大丈夫かい、メロディ」


「あ、すみません、急にどうしちゃったのかしら。躓いちゃったのかな」


「メロディ、何だか少し顔色が悪くないかしら。ちょっと失礼」


 リュリアはメロディの額に手を当てた。メロディはそれを冷たくて気持ちいいと感じる。


「少し熱もあるみたいね。メロディ、今日は休んだ方がいいわ」


「え、でも、そんな」


 メロディはギョッと目を見開き反論しようとするが、リュリアは首を横に振って受け入れない。


「きっと旅の疲れが今になって出てきたのよ。屋敷についてからも大変なことばかりだったし、体調を崩す者が出てもおかしくないわ。メイド長として命じます。メロディ、今日は一日休みなさい。体調管理も立派なメイドの仕事ですよ」


「……はい」


 八月七日、ルシアナの誕生日。この日、メロディはメイドライフ初の病欠が決定した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る