第19話 伯爵領の憂鬱

 連作障害とは、同一の畑に同一の作物を繰り返し栽培することで次第に生育不良になっていく現象のことである。基本的な対策は同一の畑内で複数の異なる作物を作りまわす輪作が有効といわれている。


(異世界転生あるあるだよね、連作障害。異世界転生者の農業チートのファーストステップ!)


 しかし――。


「連作障害は随分昔に情報が出回って、ルトルバーグ領でも輪作が行われています。原因はそちらではないと思いますよ」


「そうですかぁ」


「真剣に考えてくれたのね。ありがとう、マイカさん」


「お役に立てなくてすみません」


 結局、ちょっと見た程度ではルシアナやマイカ、リュークはもちろんのことメロディにさえ原因は分からなかった。いくら完璧を目指すメイドジャンキーといえども不作の原因を見ただけで判別することはできないのである。もしそれが可能になったらメイドという分類が意味不明なことになってしまうことだろう。


「私の方でも叔父様に改めて相談してみるわ」


「ええ、よろしくお願いいたします……あら?」


 小麦畑を一通り見て回ったルシアナ達は一旦村長の家の方へ向かっていた。だが、彼らの向かう先で三人の村人が集まって何やら話し合っている姿が目に入った。


「皆さん集まってどうなさったんですか?」


 代表してキーラが尋ねた。彼らは小麦とは違う野菜を栽培している村人達であった。


「それが、今朝うちの畑の野菜を見たら変なことになっていたんだ」


「うちの畑の野菜もだ」


「うちもです」


「変なこと? 何があったんですか」


 彼らの説明によると、今朝畑を見回ったら作物の一部に黒い斑点が広がっているのが見つかったのだそうだ。間違いなく昨日までそんなものはなかったはずで、今日突然できたのだとか。

 ルシアナとキーラは顔を見合わせると同時に頷いた。


「その畑を見せてちょうだい」


 ルシアナの一声で彼らは畑に行くこととなった。


「……確かに、黒い斑点があるわね」


 その畑ではトマトやキュウリ、ナスといった夏野菜を育てていたのだが、それらの一部に黒い斑点が広がっていた。葉っぱだけのものもあれば既に実にまで広がっているものもある。

 畑の主に許可を取って、メロディは斑点の入ったトマトを一口食べてみた。


「――っ」


「どう、メロディ?」


「何というか、トマトのはずなのに酸味以上に苦味や渋みのような味が主張してきます」


「そんな、うちの畑が……」


「他の畑もこちらと同じような感じなんですか?」


「ああ。でも多分この畑が一番被害が大きいかな。うちはまだここまでじゃない」


 村の出入口はルトルバーグ伯爵邸に面しており、つまりは西側にある。そこからほど近い場所にあるのがこの畑だ。畑の二割近くに斑点が広がっていた。他二つの畑はもう少し村の中心近くで、被害としては一割くらいだろうか。正直、それでもかなりの被害といえるだろう。


「原因は何なんでしょう?」


「ワンワンワンッ!」


「え? グレイル?」


「あらグレイル、いたの?」


 ルシアナの非情な言葉である。自分で連れてきておいてすっかり忘れてしまっていたらしい。

 いつの間にかついてきていたグレイルは、涎を垂らしながらメロディを凝視していた。いや、見ているのはメロディではなくて……。


「……これが欲しいの?」


「ワンッ!」


 舌をハァハァ言わせながらグレイルはメロディが手にしているトマトを欲しがった。メロディはしゃがみ込み、グレイルの前に食べかけのトマトを差し出すが。


「でもこれ渋くて苦いのよ? あまり美味しくなく、あ」


 パクリ。


 グレイルはメロディの説明など知らんとばかりに、差し出されたトマトにかぶりついた。呆気にとられるメロディを放置してグレイルはトマトを食べ続ける。そしてついに全てを食べ尽くしてしまった。


「全部食べちゃった」


「ワンワンッ!」


「え? まだ欲しいの?」


 まだまだ足りないとばかりに吠えるグレイル。メロディは畑の主に視線をやった。


「まあ、どうせ食べられないからあげてもいいんだが、腹を壊さないかな」


「そうね、それは気になるわね。やめておいたら、グレイル?」


「ワンワン、ワンワン!」


 ルシアナの説得など理解しているはずもなく、グレイルはトマトを所望する。だが、食べさせてもらえる気配がないと知るや、グレイルは畑の方へ駆けだした。

 だが、小さな体では作物に届かない。その結果グレイルは代わりとでも言うように葉っぱを口にくわえた。


「え、グレイル? それも食べるの?」


「あみあみあむあむうまうま」


 グレイルは葉っぱをかじるのではなく口に含むようにもぐもぐしだした。


「グレイル、やめなさい」


「キャワンッ!」


 ルシアナは奇行に走り出したグレイルを抱き上げた。イヤイヤと暴れるグレイルだが、大した力もないのでルシアナに動きを封じられてしまう。


「変な子ね。そんなにあの斑点が美味しかったのかしら」


「不思議ですね。とても渋くて苦かったんですけど……あれ?」


 メロディはグレイルが甘噛みしていた葉っぱに目をやったのだが、不思議そうに首を傾げる。


(……さっきの葉っぱ、黒い斑点があったと思ったけど……ない?)


 グレイルが甘噛みしていた葉っぱには黒い斑点は見当たらなかった。見間違いだろうか。


(気のせいかな? それにしても、小麦が不作な上に他の野菜にまで病気みたいなものが広がるなんて、どうなっているのかしら)


 思わず眉をひそめたメロディはおもむろに斑点のついた葉っぱを親指と人差し指で摘まんだ。


(病気だったらもしかすると畑を全て処分しなければならないかもしれない。……こんなもの、消えてなくなってくれればいいのに)


 葉っぱを睨みつけながら摘まんでいた親指で斑点をなぞった時だった。


 ピシ、パキパキパキパキ、パリンッ!


「え?」


 指でなぞった斑点が葉っぱから浮き上がり、ガラスが砕け散るように粉々になって飛び散ってしまった。思わず葉っぱから手を放すメロディ。砕け散った斑点は風に乗ってどこかへ飛んで行ってしまい、すぐに見えなくなった。

 葉っぱへ視線を戻すと、まるで最初からなかったかのように葉っぱから斑点はなくなっていた。


(……えっと、どういうこと?)


「ん? どうかした、メロディ?」


「あ、いえ、何でもありません」


「そう? とりあえず、この畑の件も村長と叔父様に報告しておきましょう。詳しく調査する必要があるかもしれないし。とりあえず今日一日はこのままにしておいてちょうだい。これ以上広がるようなら叔父様にお願いして皆で協力して取り除きましょう」


「ありがとうございます」


「もう少しゆっくり村を見たかったけど、早めに帰って叔父様に報告した方がいいわね。メロディ、帰りましょう……メロディ?」


「あ、はい。すぐに準備します。リューク、行きましょう」


 馬車に戻る直前、メロディはもう一度葉っぱを見た。斑点は見当たらない。


(考えられる原因は……私の魔力? お嬢様が言うには王国一らしいし、もしかして私の魔力ならあの斑点を消し去ることができるのかな?)


 メロディはこれからどうするべきかを考えながらリュークとともに馬車へ向かった。


(ああ、うまい。なんて純度の高いなんだ。もっと我に食べさせてくれー!)


 ルシアナの腕の中でグレイルがそんなことを考えているとは、誰一人として知りはしなかった。


◆◆◆


「え? ダナン村とテノン村でもあの斑点が?」


「ああ、ルシアナがグルジュ村に向かってしばらくしてそれぞれの村から報告が上がったんだ」


 視察から帰ったルシアナは夕食後、東のグルジュ村の小麦畑や野菜畑の件をヒューバートに報告した。すると、グルジュ村で発見されたものと同じ症状が他二つの村の畑でも発見されたそうだ。


「グルジュ村と同じで、昨日まではやはり何事もなかったらしい。だが、今朝になって畑を見たら野菜の実や茎葉に例の斑点が浮かんでいたそうだよ。村人が一応味見してみたがやはり渋みと苦味が酷くて食べられたものではなかったらしい」


「……なぜかグレイルは美味しそうに食べちゃってたけどね」


 ルシアナとヒューバートは食堂の端に置かれたバスケットで熟睡するグレイルを見た。お腹を晒して惰眠を貪る姿はアホっぽい子犬にしか見えない。


「植物特有の流行り病かもしれないし、二、三日様子を見た方がいいだろう」


「ええ、気を付けるわ。あ、そうだ。グレイルほどじゃないけどメロディも一口食べたんでしょう。体調が悪くなったりしたらすぐに報告してちょうだい」


「はい、お嬢様」


 ちょうど食後のお茶を持ってきたメロディに注意を促すルシアナ。メロディはニコリと微笑んで了承した。紅茶を受け取るとヒューバートはティーカップを口につけて軽く目を瞠った。


「これは、美味しいね」


「ええ、メロディが淹れてくれるお茶はいつも美味しいの」


「ということは、これはルシアナが持ち込んだ茶葉かな。どこの銘柄だい?」


「ベルシュイートだけど?」


「え? 本当に?」


「メロディはお茶を淹れるのが凄く上手なのよ」


 ルシアナはちょっぴり自慢げな様子で紅茶を口にした。ヒューバートはティーカップの中で揺れる紅茶の水面をじっと見つめると、メロディの方を向いた。


「メロディ、よかったら我が家にベルシュイートの美味しい淹れ方を教えてもらえないかな。皆とても頑張ってくれているんだけど、ここまで美味しくはならなくてね。リュリア、メロディから教わってもらえるかな」


「畏まりました。メロディ、今からよろしいかしら」


「承知しました。お嬢様、少し失礼いたします」


 メロディは優雅に一礼するとリュリアと一緒に調理場へと姿を消した。それを見届けるとヒューバートは小さく息を吐いて椅子の背もたれに体を預ける。


「メロディの紅茶は今日唯一のいいことだったかな」


「……叔父様、これからどうなさるおつもりですか?」


 心配そうにこちらを見つめる可愛い姪に、ヒューバートは苦笑しながら肩を竦める。


「やれることをやるしかないさ。まずは現状の把握だね。明日以降も斑点が野菜に広がっていくなら病気の可能性が高い。汚染されたものを取り除くだけで済めばいいけど、そうでないなら……」


「畑を全て取り潰さなければならないかもしれない……?」


 ルシアナが恐る恐る尋ねると、ヒューバートは眉間にしわを寄せて辛そうに首肯した。

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