第9話 ぺっしゃんこ!

「きゃあああああああああああっ!」


 その甲高い悲鳴は誰のものだったか。突然の地震にメロディ達は座り込んでしまった。だが、それでもメロディは冷静さを失わない。


(立っているのもおぼつかない揺れ。推定される震度は……)


 メロディは前世瑞浪律子だった頃、いざという時でも動けるメイドになれるようにと防災センターで人工的な地震を体験したことがあった。その感覚で言えば今回の地震はおそらく震度五強。

 ここが屋内であれば家具の倒壊などを心配しなければならないが、幸いなことにここは建物ひとつない街道の外れ。気を付けるとしたらそばにある一本の木だが、こちらも揺れはしているものの根本はしっかりしているのか倒れる気配はない。

 そうして全員がしゃがみこんでいると、やがて地面の揺れは落ち着きを取り戻していった。


「……何だったの?」


「お嬢様、お怪我はありませんか?」


「だ、大丈夫……」


 放心状態のルシアナを気遣うメロディ。どうやら地震を経験するのは初めてだったらしい。


「ふわぁ、びっくりした。すごい揺れでしたね」


 マイカは驚きつつも冷静さを失っていないようだ。胸元を押さえつつも周囲を見回す余裕を持っていた。リュークの方は既に立ち上がり、突然の地震に驚いた馬を宥めていた。

 とりあえずパニックを起こした者がいないことに安心するメロディ。先程の地震で倒れたコップに水を入れなおし、ルシアナに差し出した。


「お嬢様、一旦水を飲んで落ち着きましょう」


「……う、うん」


 言われるがまま、ルシアナは水を飲んだ。あの短い時間で一気に喉が渇いてしまったのか、思いのほか勢いよく水が喉の奥へと流れていく。水を飲み干すと大きく息をつき、ルシアナも気持ちを落ち着けることができた。


「ありがとう、メロディ。もう大丈夫よ」


 メロディはニコリと微笑んだ。


「でも、今のは何だったのかしら……急に地面が揺れだして」


「大きな地震でしたよね。私もあんなの初めてで驚いちゃいました!」


 マイカは興奮気味にそう言った。元日本人のマイカにとって地震など日常茶飯事、とまでは言わないまでも定期的に起きる自然現象のようなものだが、実際に震度五強の揺れを体験したことがあるかと言われれば今回が初めてであった。

 幸い大した被害が出なかったこともあり、貴重な体験をしたという感覚の方が大きいらしい。


「これが、地震……本当に地面が揺れるのね。文献で知ってたけど、初めての体験だったわ」


 ルシアナは両手で自らの体を抱きしめた。青ざめた表情をしている。

 聞くところによるとテオラス王国はあまり地震が起きる土地ではないらしい。伯爵家に残されている資料では、最新のもので百年近く前の話なのだとか。また、当時の被害状況から察するにその時起きた地震の揺れは震度二から三程度であったと推測される。

 地震について記されていたのは当時の伯爵の手記で、被害報告というよりは『いやはや、珍しいことも起こるものだ』という何とも危機感の感じられない内容だったようだ。


「こんなに揺れるならもっと真剣に書いてほしかったわ」


「きっと当時はその程度の揺れだったんですよ。今回ほどの揺れだと木造家屋なら場合によっては倒壊する可能、性……だって……」


 ご先祖様に文句を言うルシアナに苦笑を浮かべていたメロディだったが、その表情は途中から青褪めたものへと変わっていった。

そしてその視線はとある方へ向けられる。そう、ルトルバーグ伯爵邸のある方へ。


「どうしたの、メロディ?」


「……お嬢様、お屋敷は大丈夫でしょうか?」

「え? お屋敷? ……あああっ!?」


 ここから屋敷まで馬車でおよそ一時間の距離しかない。つまり、震源がどこであれ必ず屋敷の方でも地震が発生したはずだ。震源が向こう側であればここよりさらに揺れた可能性すらある。

 地震初体験だったルシアナはあまりに衝撃的な出来事だったゆえにそこまで頭が回らなかった。


「そ、そうだわ! 我が家は! 村は大丈夫!?」


 勢いよく立ち上がったが、どうしていいのか分からずルシアナはその場であたふたすることしかできない。


「リューク、馬車は動かせる?」


「まだ馬が落ち着かない。もう少し掛かりそうだ」


 馬にとっても地震は初体験だったようで、リュークが宥めているので暴れたりはしていないが馬車を走らせるにはまだ難しいようだ。マイカの問いにリュークは首を横に振る。


「そんな、どうしよう……」


 顔を真っ青にして屋敷の方を見つめるルシアナ。走って行ったところで時間が掛かり過ぎるし、それくらいなら馬を待った方がまだ早いくらいだ。しかし、このまま何もせず立ち尽くしている場合でもない。何かしなければならないのに何もできない状況にルシアナは恐怖心を募らせる。

 だから、メロディは決意した。


「お嬢様、私が一足先にお屋敷に行って状況を確認してきます」


「メロディ?」


「我に飛翔の翼を『天翼(アーリタンジェロ)』」


 メロディの背中に輝く光の翼が顕現した。メイド魔法『天翼』。その名の通り、天使の翼を得たかのように空を飛行する魔法である。馬車で一時間かかる距離であっても空から飛んでいけばかなりの時間と距離を短縮できるだろう。


「私が先行して状況を確認しますので、お嬢様達は後から馬車で来てください」


「お願いメロディ! 私も連れてって!」


「お、お嬢様!?」


 ルシアナは飛び立とうとするメロディに勢いよくしがみ付いた。


「お嬢様、危ないですから離れてください」


「屋敷のことも領地のことも詳しいのは私だけよ。道案内するから私も連れて行って!」


「で、でも……」


「メロディ先輩、連れていけるならそうした方がいいと思いますよ?」


「マイカちゃん?」


「このままじゃお嬢様も落ち着かないでしょうし、実際、メロディ先輩だけじゃお屋敷の人と面識がないから話を通すのも大変かもしれないですし?」


 マイカが首を傾げながら言ったことは確かにその通りだった。屋敷に被害があろうがなかろうが面識のないメロディ一人より、ルシアナがいた方が間違いなくスムーズに対応できるだろう。


 メロディは少しうーんと悩みながら、最終的に小さく息を吐くと了承するのだった。


「分かりました。では一緒に行きましょう、お嬢様」


「ありがとう、メロディ!」


「マイカちゃん、リューク。悪いけどここの片づけが終わり次第追ってきてもらえる?」


「はい。気を付けてくださいね、メロディ先輩」


「……ああ。馬が落ち着き次第すぐに出発する」


 二人が了承してくれたのでメロディも首肯した。


「我が身に纏え、仮初めの手『延長御手(アルンガレラマーレ)』。お嬢様、行きますよ」


「きゃっ!」

 自身の両腕に見えざる念動力の手を纏わせると、メロディはルシアナを抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこである。魔法の補助によってメロディの細腕でも軽々と持ち上げることができた。


「しっかり捕まっていてくださいね!」


「う、うん!」


 メロディが軽く地面を蹴ると二人はふわりと浮き上がる。そして、一瞬の溜めが起こったと思うと次の瞬間には一直線に上空へと飛翔するのだった。


「ひゃあああああっ!?」


 初めての飛行体験に悲鳴を上げてしまうルシアナ。メロディはそんなルシアナを今はあえて無視し、高さ五十メートルくらいの位置で滞空する。大体ビル十五階くらいの高さだ。もっと高く飛べるが、必要以上に高く飛ぶ意味もない。周囲を見回し方角を確かめると次の行動に移る。


「お嬢様、ここから一気に行くので口を閉じていてくださいね」


「ふへえぇぇ。う、う――んっ!」


 メロディは上空五十メートルを時速約百キロで飛行した。馬車で一時間の距離を一直線に進む。おそらく数分で目的地に着くだろう。

 ルシアナは急発進に思わず目を閉じてしまったが、慣れてくるとゆっくり目を開けて感嘆の息を漏らした。


「……すごい」


 屋敷の心配を忘れたわけではないが、目の前に広がる空の光景に圧倒されてしまう。しばらくその景色に見入っているとメロディから声を掛けられた。


「お嬢様、もうすぐお屋敷です」


「え、もう? ――あ、あれだわ! あれがうちのやし……き……」


 空の上から見おぼえのある景色が広がり、ルシアナはすぐに屋敷を見つけることができた。

 ……いや、違う。屋敷だったものを見つけることができた――だ。


「これは……」


「う、うそ……」


 上空から見えるその光景は、それはもう無残としかいえないものであった。

 ルトルバーグ伯爵邸は、全壊していた。


(まさかここまで大きな被害になっているなんて……)


 あまりの光景にメロディも二の句が継げない。

 領地の割譲に伴い新しく建てられた屋敷は予算の関係上、木造建築の小さな邸宅にせざるを得なかった。そのうえ地震がほぼ発生しない地域の木造建築に耐震設計などという概念があるはずもなく、伯爵邸は震度五強の地震を前に完全敗北したのである。


「叔父様! ダイラル! みんな!」


 地上に降りるとルシアナは屋敷に向かって駆け出した。正面玄関があったであろう場所に辿り着いたが、玄関は潰れて瓦礫しか見当たらない。

 メロディもすぐにルシアナのそばに近寄ったが、さすがの彼女もこの光景には戸惑いを隠しきれない。メロディもまたマイカ同様、知識としては知っていても地震被害を経験したことのない身だ。

 こうやって現実を目の当たりにした今、何から手を付けてよいのか判断に迷っていた。人類史に名前を残すほどの天才とはいえ、やはり彼女もまた一人の少女に過ぎないのである。

 とはいえ、いつまでも手をこまねいているわけにはいかない。屋敷の住人が瓦礫の下敷きになっているのであれば早急に救助しなければ。メロディがそう思った時だった。


「お嬢様!」


 少し離れたところから叫びにも似た男の声がした。三十歳くらいの屈強な男性だ。短くツンツンした茶色の髪と、同じく茶色の鋭い瞳がルシアナへ向けられている。頬から顎にかけて切り傷の痕があり、必死な形相でこちらへ駆け寄る姿は一見するとかなり怖い。

 だが、ルシアナはその男を目にすると喜色を浮かべて彼の名を叫んだ。


「ダイラル!」


 それはルトルバーグ伯爵家に仕える唯一の護衛の名前であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る