第8話 伯爵領の人々

 八月五日。旅の五日目。ルシアナ一行は一路ルトルバーグ領へ向けて馬車を走らせた。

現在はファランカルト男爵領を北へ進んでいる。現在のルトルバーグ伯爵領は元々の領地のおよそ四分の一にあたる北側を所有しており、残りの南側を東西に分けて、西をリリルトクルス子爵家が、東をファランカルト男爵家が所有している。

そのため、王都からルトルバーグ伯爵領へ向かう場合、東側のファランカルト男爵領の街道を通ることになるのだ。


「この調子なら午後にはルトルバーグ領へ入れそうですね」


「ふふふ、帰ったら可愛くて若いメイドとカッコイイ執事見習いができたって皆に自慢するの」


「え~、若くて可愛いだなんて恥ずかしいですよ~」


「マイカの場合は若いというか幼いだけどね」


「お嬢様! 小さくたって私も乙女だってこと忘れないでくださいね!」


「はいはい、分かってます」


 帰郷が近いせいか軽口が増えるルシアナ。マイカも別に本気で怒っているわけでもなく車内は和やかな雰囲気に包まれる。

 幸いなことにこれまで野盗に襲われることも魔物に遭遇することもなく、至って平和な旅が続いていた。護衛にリューク、隠し玉としてメロディがいるとはいえ、何事もないのが一番だ。


「ところで、ルトルバーグ領ってどんなところなんですか?」


 マイカが今更な質問をした。


「あら、言ってなかった?」


「ええ、聞いていませんよ」


「マイカには言ってないものね」


「私にだけ教えてくれなかったんですか!?」


「お嬢様、私も聞いていませんよ?」


「うん。まだ誰にも言ってないもの」


「もう、お嬢様! 悪ふざけもいい加減にしてください!」


「ふふふ、ごめんなさい。じゃあ、リュークにも聞かせたいし昼食の時にでも説明しようかな」


「「畏まりました」」


 それから程なくして、メロディ達を乗せた馬車はルトルバーグ伯爵領へ入った。昼食の頃合いになると、街道のそばに生えていた木の下に馬車を止めて、メロディ達はそこで昼食を取ることにした。敷布を広げ、今朝コテージで作っておいたお弁当を並べる。色んな種類のサンドイッチに加えて、フォークで刺して食べられそうなおかずも作っておいた。


「ピクニックみたいで楽しいわね!」


「青い空、木漏れ日の下で食べるサンドイッチ。確かにピクニックって感じですね~」


「「う~ん、美味しい!」」


 ルシアナとマイカが美味しそうにサンドイッチを頬張る。リュークは片手でサンドイッチを食べながら、もう片方の手でグレイルに野菜の肉巻きを食べさせていた。

 メロディはルシアナのためにおかずを取り分けながら午前中の話を切り出す。


「それでお嬢様、ルトルバーグ伯爵領について教えていただきたいのですが」


「もぐもぐ。ええ、いいわよ」


 そうしてルシアナはルトルバーグ伯爵領について語りだした。

 テオラス王国の中央北部に位置する、伯爵領というにはあまりに小さい領地。それがルトルバーグ伯爵領だ。先々代の失態により領地の四分の三を失った今、元々あった屋敷はリリルトクルス子爵家の所有となっている。


 それに伴い、伯爵家は残された領地に新たに木造の小さな屋敷を建てた。それがルシアナの実家である。伯爵家が管理するのは領内にある三つの村のみ。屋敷は三つの村に囲まれたおよそ中心点に立っているそうだ。


「お屋敷を村の中に建てなかったんですか?」


「当時は領地が減ったばかりで領民の間でもかなり混乱が広がっていたらしいの。そんな中で三つしかない村のひとつに領主が居を構えるのはまずいと思ったらしいわ」


「え? 何か問題があるんですか?」


 マイカはよく分からなくて首を傾げた。


「領主様が暮らす村は贔屓される。そう思われるのを避けたかったんじゃないかしら」


「メロディの言う通りよ。三つの村は税収も立地も大した差のない村で、ある意味平等に仲良くやっていたの。そこに領主が暮らす村ができるとどうなると思う?」


「……まさか、その村が領都扱いになる? え? でも、村ですよね?」


「小さいコミュニティーだからこそ、ちょっとした差が大きな溝になりかねないんでしょうね」


「多分お爺様も似たような考えに至ったんだと思うわ。それで屋敷の立地条件に選んだのが、三つの村の中心点というわけ。三つの村との距離はほぼ同じだから、領主は領民を平等に扱いますよってことを屋敷の場所で意思表示したってわけ」


「村の中に建てた方が便利だったでしょうに、大変だったんですね」


「私は生まれた時からああだったから特に気にならなかったけどね。歩いて二、三時間はかかるから村に遊びに行くのにはちょっと苦労したけど。ダイラルが一緒じゃないとダメって怒られるし」


「ダイラルさんですか?」


「うん。我が家で雇っている唯一の護衛よ。他には――」


 ルシアナによると、現在屋敷は六名で運営されているらしい。まず、ルトルバーグ伯爵ヒューズの弟、つまりルシアナの叔父であり伯爵領の代官を務めるヒューバート・ルトルバーグ。男盛りの三十二歳、独身。続いて屋敷の最年長。執事のライアン、五十九歳。そして三人のメイド。メイド長のリュリア、四十九歳。ミラ、四十四歳。アーシャ、二十八歳。


「そして最後が、ルトルバーグ領で唯一の魔力持ちで護衛のダイラルよ。年齢は二十九歳。ちなみに三つの村は屋敷から見て北にあるのがテノン村、東にあるのがグルジュ村、南西にあるのがダナン村ね。ライアンとリュリアは夫婦で北のテノン村出身、ミラが東のグルジュ村の出身で、アーシャとダイラルは南西のダナン村の出身よ」


「その個人情報、覚えられる気がしません。というか六人で領地運営なんてできるんですか?」


「まあ、小さい領地だし何とかなってるみたいよ」


 頭を抱えるマイカにルシアナとメロディは苦笑した。


「細かいことは本人に直接会った時でいいと思うわよ、マイカちゃん。代官のヒューバート様、執事のライアンさん、メイド長のリュリアさんに、その部下のミラさんとアーシャさん。そして最後が護衛のダイラルさん。とりあえず名前だけでも覚えておけば……あれ?」


「どうかした、メロディ?」


 屋敷の者達の名前を言いながらメロディは首を傾げた。ルシアナが問いかけると、さらに不思議そうな顔つきでルシアナに問い返す。


「お嬢様、護衛のダイラルさんはなぜ王都にいらっしゃらないのですか? お嬢様も伯爵様も王都にいらっしゃるのに」


 ルシアナの表情がピシリと固まった。そしてそっとメロディから目を逸らす。


「……お嬢様?」


 隠し事の匂いがする。何となくメロディは目を細めてルシアナを見つめた。


「いや、あの、それがね……」


 ルシアナは説明を始めた。彼女の言によれば、ダイラルはルシアナの王都へ向かう旅に護衛として同行していたそうだ。馬車を借り、今のリュークのような立ち位置で護衛兼御者を務めてくれていたのだという。


「大変だったわ。メロディみたいなコテージがあるわけじゃないから、日暮れまでに宿場町に着けるように馬車を急がせて。王都に着く頃にはもうヘロヘロになって……」


「そのあたりは以前聞いた覚えがありますね。でも、それならどうして私がお屋敷を訪ねた時、ダイラルさんはいらっしゃらなかったんですか? あの荒れ果てたお屋敷を見て、お嬢様をお一人にするなんて考えられないんですが」


「……だって、ダイラルは見てないんだもん」


「見てない? どういう意味です」


「……」


「お嬢様?」


「……き、貴族区画に入る前に、追い返しちゃったから」


「「はぁ?」」


 メロディとマイカの声が揃った。追い返したとはどういうことなんだろうか。

 王都に到着したルシアナは、ダイラルに引率されながら貴族区画へ向かった。そしてなんと、あろうことか貴族区画に到着する直前で猛ダッシュ! ダイラルを振り切って一人で貴族区画へ入ってしまったのだそうだ。


 護衛であるダイラルは後を追いかけたかったが、ルシアナに先に貴族区画へ入られてしまったせいで、彼は貴族区画へ入る許可を得ることができなかった。そのため、泣く泣く伯爵領へ帰るしかできなかったのだとか。


「……お嬢様?」


 メロディが額に青筋を立てて微笑んでいる。貴族令嬢が護衛を振り切って一人で貴族区画へ入るとか、本気で何を考えているのだろうか。


「だ、だって、うちの領には魔力持ちはダイラルしかいないのよ。もし私に付き合っているうちに領内で魔物被害が出たらと思うと、一秒でも早く領地に帰ってほしかったの。王都に着いた時にそう伝えたんだけど取り合ってもらえなくて……」


「それで強硬手段に出たと?」


 ルシアナは無言で頷いた。メロディはこめかみを押さえて唸るのであった。

 そうそうあるわけではないが、魔障の地から出てきた魔物が人里を襲う事例は毎年ある程度発生している。魔物を倒すには魔力が必要で、魔法か魔力を纏わせた武器による攻撃以外に対処方法はなく、魔力持ちがいない集落が魔物に襲われた場合、致命的な被害になる可能性が高い。


 ルシアナの危惧が理解できないわけではないため、微妙に怒りづらいメロディ。実際、ルシアナと一緒に貴族区画に入っていたらあの屋敷の惨状を目にするわけで、間違いなくダイラルの領地帰還は遠のいていたことだろう。あの状態でルシアナを放置する護衛など完全に失格なのだから。


「……そういえば、伯爵様と奥様が王都へいらした時も見かけていませんね、ダイラルさん」


 よくよく考えてみれば、伯爵夫妻は同行者なしで二人きりで屋敷に来ていた。護衛はどうしたのだろうか?


「ああ、それ。なんか二人でこっそりダイラルに黙ってこっちに来たらしいわよ」


「「はぁ?」」


 またしてもメロディとマイカの声が揃う。護衛に黙って領地を離れる伯爵とは一体……?


「やっぱり私と同じ懸念はお父様も持っていたみたい。ダイラルは王都へついて行くつもりでいたみたいだから、叔父様に置手紙だけ残してこっそり出てきたんだって」


「ダイラルさん、可哀想に……」


 護衛に対する気遣いが決定的に間違っている。メロディは片頭痛でもするかのように頭を押さえるのだった。

 結局、無事王都に辿り着いた旨を手紙に認めたので、護衛の仕事は代官であるヒューバートの警護と各村の巡回をしてもらっているのだとか。


「皆の話をしたら早く会いたくなってきちゃった。皆元気にしてるかな?」


 あれだけやっちゃった話をしておいて、なぜか楽しそうに語るルシアナ。


(……お屋敷に着いたらまずお説教が始まるんじゃないかしら?)


 もしかして今回伯爵夫妻が一緒に帰らないのは実は、これが原因だったりするのではという予感がメロディの頭をよぎったが、多分気のせいであろう。たぶん、きっと。

 昼食を終え荷物を片付ける。ルシアナは到着が待ち遠しいのか屋敷の方をずっと見つめていた。


「ここからならあと一時間ってところかな」


 そうルシアナが呟いた時だった。


「ワンワンワンワン! ワンワンワンワンッ!」


 グレイルが屋敷の方に向かって吠え始めた。


「グレイル? 急にどうし、きゃあっ!?」


 突然、ドンッ! と音を鳴らして地面が激しく揺れ動くのだった。

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