第7話 不吉な夢
パチクリと目が開き、ルシアナは目を覚ました。
(……あれ? ここ、どこ?)
出だしこそ慌ただしかった帰郷の旅は、それ以降は順調に進んでいた。あっという間に四日が経ち、明日には領地に辿り着くことになっていたのだ。
確か、そのせいもあって気分が高揚したのかなかなか寝付けなくて……。
(そうだわ。メロディが『でしたらお嬢様、私が子守唄を歌って差し上げましょうか』なんて言ってくれたからお願いしたはず……なんだけど、いやホントに何ここ?)
全く見覚えのない廊下。自分から見て右側が壁で、左側には大きな窓が並んでいる。外は夜なのか窓の向こうは真っ暗で何も見えない。窓を開けてみようとしたがビクともしなかった。天井には明かりのようなものがあるが光は灯っておらず、なぜか代わりに床の方、壁の端に申し訳程度の光が等間隔に並んでいる。
(一応歩くのには支障ないけど、本当にここはどこなのかしら?)
とりあえず一歩踏み出すと床からコツンと音がした。ルシアナは自分がブーツを履いていることに気が付く。そして、服装も寝間着ではなくなっていた。
(あれ、このドレスって……)
それはメロディと出会う前にルシアナが普段着として使っていたドレスであった。
(どうしてこれが。もうメロディが作り直してくれたから残っているはずないのに)
意味が分からない状況に不安が募る。覚えのない場所、もう存在しないはずのドレス。一体何が起こっているのだろうか。
改めて周囲を見回した。覚えのない廊下どころか、テオラス王国の建築様式とは明らかに異なっていることにルシアナは気が付いた。
(床も壁もツルツルしてるけど、大理石ってわけでもなさそう。建材が想像できない。大きな窓がたくさん並んでいるのに意匠だって何もないし、デザインがシンプル過ぎる。高価過ぎて平民には難しいけど、こんなに装飾のないデザインを貴族が求めるとも思えない。本当にどこなの、ここ)
ルシアナは意を決して前に進んだ。立ち尽くしても何も分からないし始まらない。静かで暗い廊下にルシアナの足音が響く。誰かが気付いて姿を現すこともなく、ルシアナは廊下の突き当りに辿り着いた。そこには扉があり、立て札のような物が張り付けられていたが生憎ルシアナにはその文字を読むことはできなかった。
(丸いドアノブなんて初めて見たわ。回せばいいのかしら。あ、開けられそう)
ドアノブを右に回すと扉を開けることができた。この先に何が待っているのか、ルシアナは心臓の鼓動が緊張で高鳴るのを感じながら、意を決して扉の向こうへと歩を進めた。
(……誰も、いない)
部屋は無人であった。明かりはついておらず、それなりに広い部屋で壁には大きな窓ガラスがズラリと並んでいる。だがやはり夜なのか窓の向こうを窺い知ることはできない。
部屋の中は煩雑としていた。向かい合う机が何台も並んでおり、軽く叩いてみると全て金属製のようだ。机の上には本が並んでいたり積まれていたり、壁際の腰丈の棚の上にもたくさんの書類と思わしき物が積まれていて、落ち着きのない印象を受ける。
他にも色々な物があった。いくつかの机の上には金属製かと思うような光沢のある二つ折りの板が置いてあった。それを開くと無数の突起が並んでいてカチカチと音を立てて押すことができるが、これといって変化はない。何をするための物なのだろうか。
また、二つ折りの板と何となく雰囲気の似ている大きな板も目に入った。台座があり、鏡台のような見た目をしている。そばには例の突起がついた板も転がっていた。板を覗き込む。ほんのりとルシアナの顔が映り込んでいるように見えるが、真っ黒な板ではよく見えない。
そこでルシアナはあることに気が付いた。
「今や私に使える魔法は『水気生成(ファーレディアッカ)』だけじゃないんだから。むむむ……優しく照らせ『灯火(ルーチェ)』」
魔法使いにとって初歩中の初歩の魔法。小さな光源を生み出す魔法『灯火』。メロディに習って最近ようやく使えるようになった魔法が指先に発動した。ろうそく程度の小さな明かりだが、これでもう少し詳しく見ることができるだろうと、真っ黒な板に視線を向けたルシアナは――。
「え?」
呆然と、板に映り込んだ自分の顔を見つめることとなった。
そこに映っていたのは確かにルシアナだった。しかし、だが、これは……。
(な、なんで? 髪はボサボサ、肌つやだってカサカサだし、ドレスはやっぱり以前のもの……これじゃまるで、この私って……)
――メロディに出会う前の、王都の屋敷で一人になった時の私みたい。
ガチャリ、と扉を開く音がした。
「きゃっ!?」
思わず小さく叫んだルシアナは『灯火』を消してしまった。声の方へ振り返ると、扉から二人の男性が入ってくるのが見えた。
「企画会議が通ってよかったですね、葛城さん」
「まあな。だがまだ仮の状態だ。次までにもう少し詳細なシナリオを用意しろって話だから急いで書かないとな」
一人は半袖の襟シャツにネクタイをピシッと着こなしている若い男性。もう一人、葛城と呼ばれた中年の男性はヨレヨレの襟シャツにゆるくネクタイを締めただらしない恰好をしていた。
「あ、あの、私……」
見知らぬ二人の登場に、見つかったと思って声をかけたルシアナだったが二人は彼女を無視して話を進めた。
「でも反応は上々だったじゃないですか。イラストレーターの水野さんの協力を取り付けておいたのが効いたんですかね」
「あの人、人気あるからなぁ。気が変わらないうちに企画通しちまおうぜ」
「そうしましょう!」
(私のこと、気付いてないの? それにあれってどうなってるのかしら?)
ルシアナなど最初からいないかのように振る舞う二人を訝しむルシアナ。だが、それ以上に不思議な光景が目の前に広がっていた。
真っ暗な廊下、真っ暗な部屋。そのはずだったのに、なぜかあの二人の周りだけが劇場のスポットライトを浴びせられたかのように明るくなっていた。
彼らがなぜルシアナに気付かないのか分からないが、この意味不明な状況を打開するためには彼らを知る必要がある。そう感じたルシアナは意を決して二人の方へ歩を進めた。
葛城と呼ばれた男性が机に腰掛け、例の二つ折りの板を開いた。どれかの突起を押すと、突起のある板とは反対側の板が光を放ち、板に文字が浮かび上がる。
(あれは魔法道具だったの? 何をするための物なのかしら?)
若い男性の方は葛城の後ろに立って、一緒に板を覗き込んで二人で話し合っているようだ。ルシアナはそんな彼らの背後に回り、二人の様子を観察していた。
「こことここのルートが――」
「ここのフラグ、回収はどこで――」
(全然何を言っているのか分からない)
言葉は通じているのだが理解が全く追いつかない。『ルート』『フラグ』『バッドエンド』などといった単語が頻出するがルシアナにはさっぱりであった。
(どうしよう。この人達くらいしか手がかりはないけど、他のところを探った方がいいのかな)
そうルシアナが考えた時だった。ようやく彼女は知っている単語を耳にする。
「そういえば葛城さん、この子……えっと、そうだ。ルシアナ・ルトルバーグはどうするんですか?」
(え? ……私?)
緩んでいた緊張が再び戻ってきた。この人達は自分を知っているのだろうか。改めて彼らの会話に耳を傾けようと思ったルシアナに、次に告げられた葛城の言葉は大きな衝撃を与えた。
「ああ、ルシアナ・ルトルバーグね……殺すよ」
(……え?)
思わず一歩後ずさるルシアナ。葛城と呼ばれた男の言葉が脳内で反芻される。
(殺す……殺す? ルシアナ・ルトルバーグを、私を……殺す? ……なんで?)
何の気概もなく自分を殺すと口にした葛城に、ルシアナは言い知れない恐怖を感じた。
「でもちょっと可哀想じゃないですか。ルシアナだけ殺すなんて」
「必要だから仕方ない。ルシアナが死ぬことによって主人公は奮起し、物語が進むんだ。ルシアナ・ルトルバーグの死は不可避だ。主人公のためにこの子は死ななきゃならない。俺はこの子を殺すよ」
「水野さんは反対してましたけどね。何か趣味でルシアナちゃんハッピールートとかいうイラスト描いていましたよ。なぜかメイド姿の主人公に紅茶を淹れてもらってるイラストです」
「まだ公式すら始まってない段階でもうご本人ファンアート描いてるのかよ。どんだけ気に入ったんだよあの人は」
苦笑し合う二人の男性とは対照的に、ルシアナはカタカタと震えて立ちすくんでいた。
(何なのこの人達。何が楽しくて笑ってるの。どうして私を……)
「それで、ルシアナはどうやって殺すんですか?」
「んー、今のところ考えているのは――」
(いや! もう聞きたくない!)
ルシアナは部屋から飛び出し全力で廊下を駆け出した。
(出口はどこ!?)
ルシアナは走った。走って、走って、走って――廊下はずっと続いている。終わらない。息が上がり、立ち止まる。振り返ると先程の部屋の扉がすぐ後ろにあった。
(なん、で……走ったのに。全速力で走ったのに)
――ああ、ルシアナ・ルトルバーグね……殺すよ。
「ひっ!」
先程の言葉がまた聞こえた気がした。殺される、このままでは殺されてしまう。恐怖心が先走り、打開策など見つけられないまま走り出す。結果は何も変わらないというのに。
ルシアナ・ルトルバーグが辿るルートはたったひとつしかないのだから。
(もう、無理)
ルシアナは膝をついた。走り続けてもう体力が限界に近い。肩で息をしながら後ろを振り返る。
彼女のすぐ後ろに、例の扉があった。逃れられない。
ルシアナの視界が歪む。壁や天井がドロリと溶けるように波打ち、例の扉が流されるようにルシアナに近づいてくる。
(ああ、逃げられないんだ……)
狭まる廊下。迫る扉。全てがルシアナを追い立てる。廊下は長く続いているのに、ルシアナが進める先は扉からたったほんの少しだけ。ルシアナの歩みはそこで終わり。
諦めにも似た心境で迫りくる扉を見つめていたその時だった。
ルシアナの背後から、眩いばかりの白銀の光が迸った。暗い廊下を白く塗り替えるほどの圧倒的な光の奔流が、物理的な力を有しているかのように扉を押し流していく。
気付けば廊下の歪みはなくなり、扉の姿も見えなくなっていた。白銀の光が差した先はその眩さのせいで何も見えない。まるで無限の大地が広がっているかのように。まるで未来は何も決まっていないと告げているかのように。
「きれい……」
カツン、カツンと。後ろから足音が響いた。ルシアナは自然と後ろを振り返る。光は今も放たれ続け、眩しさのあまりルシアナは目を眇めた。
足音とともに人影が目に映る。しかし、逆光となっているせいで判別がつかない。その人物はルシアナのすぐ近くまでやって来た。それでもまだ誰なのか分からなかった。
その人物はルシアナへ手を差し伸べた。誰なのか分からない。声も聞かせてくれない。手を取っていい人物なのか判断が付かない。なのに、それでもルシアナは――。
(私、この人のことが怖くない)
ルシアナはその手を取った。そして、ルシアナは笑った。
その人物はルシアナの手を握った。そして、少女(・・)もまた笑った。
(ああ、何だ。私はもう何があっても大丈夫。だってあなたは私の――)
「おはようございます、お嬢様」
「……メロディ?」
(……あれ? なんだっけ? 今、何か、とても大事なことが……)
「あの、お嬢様。そろそろ手を放していただけると助かるんですが」
「……手?」
ルシアナはメロディの手を握っていた。いつの間にそんなことをしたのだろうか。ルシアナは寝転がったまま首を傾げる。
「お嬢様を起こそうと思って近づいたら突然手を握られたんです」
「そうなんだ。全然覚えてないや」
「きっと何か夢でも見ていたんでしょうね」
「夢……そうか、夢……」
ルシアナはメロディから手を放し、ゆっくりと起き上がった。
「いい夢は見れましたか?」
「いい夢。いい夢ねぇ……あんまり覚えてないけど、すごく怖かったような気がする」
「え、怖い夢だったんですか?」
「ううん、確か最終的には怖くなくなったと思うんだけど、もう思い出せないや」
夢とは儚いもの。あの時はあんなにもはっきりと、何もかも覚えていたはずなのにいざ現実に目覚めてみれば、何一つ覚えていやしない。
(大切なことに気が付いたような気がするんだけど、何だったのかな……?)
「……いい夢が見れるようにする魔法のはずなのに、なんで怖い夢? うーん」
メロディは何かぶつぶつと呟いていたが、すぐに気持ちを切り替えてルシアナの前に立った。
「とりあえずお嬢様、朝の身支度を始めましょう。今日はご実家に帰る日ですよ」
メロディが手を差し出すと、ルシアナはその手を取った。
「うん。おはようメロディ!」
メロディに手を引かれ、ルシアナはベッドから立ち上がる。
怖い夢のことなんてもう思い出すことはなかった。
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