第4話 悩ましい三人
メロディ達が王都を出発した頃、王城のクリストファーの私室では侯爵令嬢アンネマリーと王太子クリストファーが今後のシナリオ対策について協議を重ねていた。朝からご苦労様である。
テーブルに向かい合う二人。卓上に用意された資料を読みながらクリストファーは考える。
「うーん、やっぱ目下の問題はこいつだよな。アンネマリーはどう思う? ……アンナ?」
直近で一番問題になりそうな案件について尋ねるが、アンネマリーの返事がない。彼女へ視線を向けると、アンネマリーは資料を手にしたままバルコニーの方をぼーっと見ていた。
「……はぁ。マクスウェル様は上手くやったかしら?」
「どしたー? 何か今日は心ここにあらずって感じだな」
普段とは違うアンネマリーの様子にクリストファーは訝しげな視線を送る。
「え? あ、ごめんなさい。今日から八月だと思ったらつい……」
「ん? 八月だとなんで気が抜けるんだ……?」
クリストファーは不思議そうに首を傾げるが、アンネマリーは「え?」と驚き目を瞬いた。
「だって、八月よ八月」
「いや、だからなんで八月だとそうなるんだよ?」
「……あんた、全然覚えてないの?」
「はぁ? 何が?」
ダンッ! と、アンネマリーはテーブルを叩いて立ち上がった。突然のことにクリストファーは思わず仰け反り、ビクリと肩を震わせてアンネマリーを見上げる。
「信じらんない、なんで覚えてないわけ! 八月といったら、メインシナリオが一切動かない『真夏のアバンチュール月間』でしょうが!」
「は? 真夏のアバンチュール?」
乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』において、ユーザーの間では八月のことを『真夏のアバンチュール月間』と呼んでいた。三年間で三回ある八月の夏休みの期間中は、聖女と魔王を巡るメインシナリオが一切動かず、攻略対象者との親密度を向上させるボーナス的な恋愛イベント目白押しの季節なのである。
「え? 何それ、八月ってそんなだったの?」
「ゲーム攻略に行き詰ったユーザーに対する救済月間みたいなもので、夏休み中に気になるあの子と急接近しちゃいなよって感じのシーズンなの。八月は恋愛イベントが主役で、メインシナリオは一時停止状態になっちゃうってわけ」
「ほう、それでお前、今日から夏休みだからって油断しまくってたわけだな」
「べ、別に油断してたわけじゃ……」
「嘘つけ。俺が真剣に資料読み込んでる時にぼーっとしやがって。バタフライ効果の件、もう忘れちまったのかよ。ここはゲームによく似ていても現実世界なんだぜ。アバンチュールはともかく、メインシナリオが動かない保証なんてどこにもないんだからな」
「ぐぅ、正論過ぎて反論できない」
テーブルに手をついて項垂れるアンネマリー。乙女ゲージャンキーだったがゆえに、ゲームの設定に流されやすいのかもしれない。
「クリストファーに諭されるなんて、一生の不覚!」
「お前、俺のことどんだけ下に見てるわけ?」
両手で顔を覆いながら天を仰ぐアンネマリーに、さすがのクリストファーも額に青筋が立ってしまうのであった。……それ以上は危険なので何もしないんだけどね! 反撃怖いっス!
数分後……。
「ごめんなさい。やっと落ち着いたわ」
「ようござんした。とりあえず話し合いを再開しようぜ。確認なんだが、ゲームだと八月はメインシナリオが動かないんだよな?」
「その通りよ。ヒロインちゃんは毎日のように恋愛フラグが立ってイベント盛りだくさん。本編に構っている暇なんて一切ないの」
「何それ、毎日恋愛フラグ立つとか現実世界で考えたらメッチャこえーな。まあ、ヒロインちゃん不在な今、あんまり意味はないんだが」
「そうなのよぉ、ヒロインちゃんがいないんじゃ八月の恋愛イベント総スルーじゃないのよぉ」
アンネマリーはテーブルに突っ伏した。ショックを受けているようだがクリストファーは呆れている。メッチャ呆れている。こいつ本当に世界を救う気があるのだろうかと本気で疑っていた。
「代理ヒロイン候補のルシアナちゃんも帰省するから、攻略対象者との交流もない以上恋愛イベントなんて発生しないでしょうし……はぁ、もう、やってらんない! 話し合いを再開するわよ!」
「……今日のお前のテンション全然ついていけねーわぁ」
そうして二人はこれまでに集めたゲームに関連すると思われる資料を読み漁った。それからしばらくして、二人のもとへマクスウェルがやってきた。
「やあ、朝から勤勉なことだね二人とも」
「おう、待ってたぞマックス」
「首尾はいかがでしたか、マクスウェル様」
「とりあえず打診だけはしてきたよ。あまりに急な話だったからかなり困らせてしまったみたいだ。返事はルシアナ嬢が王都へ帰ってきた時にもらう予定だね」
苦笑しながら答えるとマクスウェルは空いている椅子に腰かけ、大きくため息を零した。
「まあ。お疲れなのですか?」
「ほれ、紅茶でも飲め飲め」
「ありがとう。まあ、精神的に少し疲れてしまったかな。あんな打算的な打診をした後だと、意外と罪悪感を覚えるみたいでちょっとね……」
「それは……申し訳ありません。私達のせいですわね」
「いや、君達の提案を受け入れたのは俺だからね。君達だけの責任ではないよ」
マクスウェルによるルシアナへの夏の舞踏会のパートナーの打診。それは、彼自身の私的なものではなかった。代理ヒロインの可能性が高いルシアナに対する監視兼護衛という目的で、アンネマリー達から提案を受けたものだったのだ。
八月は基本、恋愛イベント月間であるが最終日の夏の舞踏会ではまたメインシナリオに関係するイベントが発生する。その時のヒロインのパートナーはマクスウェルであったこともあり、アンネマリー達は彼に今回の件を提案したのである。
「ルシアナ嬢が引き受けてくれればいいんだけど。君達が見た夢では結果は分からないんだよね」
「……ええ。残念ながら。そもそも私達が見た夢ではルシアナさんではなく聖女がマクスウェル様のパートナーとして舞踏会に参加するはずだったので、今後どうなるのかは何とも言い難く」
「まあ、最初からそう聞いていたからいいんだけどね」
アンネマリー達は魔王や聖女について『夢で見た』という予知夢的なものとしてマクスウェルに伝えていた。地球やゲームのことを教えたところで理解してもらえるとは思えなかったからだ。
しかし、夢と現実には様々なところで乖離が見られ、どこまで信じてよいのか分からないというのが現状だ。そんな中で聖女の代理のような立ち位置にいるルシアナをイベント当日に監視兼護衛することで状況を見守ってほしい、とマクスウェルは頼まれたのである。
少しの間悩んだものの、マクスウェルは結局それを了承した。「監視のためなら仕方がない」と。
もう少し悩むかと思ったが、思いのほかあっさり了承したことにその時のアンネマリーも目をパチクリさせて驚いたものだ。
「内容に多少の齟齬はあるものの、肝心の魔王という存在が当たっていた以上放置するわけにもいかないからね。ルシアナ嬢への舞踏会のパートナー打診の件、引き受けようじゃないか」
そう言って、マクスウェルはルシアナのもとへ向かったのである。
本人はどこまで自覚していただろうか……アンネマリーからの要請を了承した際、彼の口元が自然と綻んでいたという事実に。
(あとはルシアナさんが了承してくれれば問題ないのだけど……)
マクスウェルから話を聞く限り、ルシアナの反応は上々といったところだろうか。突然のことに驚いてはいるものの、特に拒絶の言葉などはなかったようなので恥ずかしかっただけなのだろう。
ルシアナが代理ヒロイン候補である以上、彼女から目を離すわけにはいかない。一学期に起きた事件を思い返し、アンネマリーはそう結論付けていた。
今のところ大した被害も出ておらずどうにかなってはいるものの、今後もそうなるとは限らない。ましてや代理ヒロイン候補とはいえルシアナは聖女の力を持たない一般人だ。ゲームでは中ボスだったが、それもあくまで魔王に魅入られた結果得た力による強さに過ぎず、今のルシアナには何の力もない。
そんな彼女がもし聖女としての役割を求められたら、一体どうすればいいのだろうか。
(少しでも何かの助けになればと考えてマクスウェル様にお願いしてみたけど……)
果たしてこれは良い方向へ進むための行動であったのかは、今のところ誰にも分からない。そうであってほしいと願うアンネマリーだった。
「とにかく、夏の舞踏会ではよろしくお願いしますね、マクスウェル様」
「ああ、ルシアナ嬢から色よい返事をもらえたら全力を尽くすよ」
「そのままカップルになっちゃってもいいぞ」
「ははは、俺と彼女はそんな関係じゃないよ、クリストファー」
クリストファーの茶化すような言葉にサラリと返答するマクスウェル。スマートな対応に感心しつつも、アンネマリーはつい現実的な話をしてしまう。
「確かに、お二人がそういう関係になれば素敵な美男美女カップルの誕生ですわね」
「アンネマリー嬢まで、恥ずかしいからやめてほしいんだけど」
「ふふふ、申し訳ありません。でも、私としても本心で祝福したいところですけれど、実際のところちょっと難しいですものね」
「……何がだい?」
マクスウェルの微笑みが一瞬、石のように固まった。それに気付かず、マクスウェルに促されるままアンネマリーは答える。
「ルシアナさんはルトルバーグ伯爵家の一人娘でしょう。つまり、婿取りをしなければなりません。対するマクスウェル様はリクレントス侯爵家の嫡男、つまりは跡取りですから嫁を取らなければなりません。つまり、お二人は結婚条件が合わないので少々ハードルが高いということですわね」
「うわぁ、夢がないなぁ」
思わず零れるクリストファーの言葉に、アンネマリーは同意せざるを得ない。
(最高のカップリングだと思ったけど、やっぱり乙女ゲームと違って現実は世知辛いわ)
マクスウェルは笑顔のまま「ははは、そうだね」と返していた。春の舞踏会でパートナーを務めたとはいえ、現時点ではお付き合いすら始まっていない二人だ。マクスウェルにとってはダメージと言えるほどの話題でもなかったのかもしれない。
そう、マクスウェルにとってはチクリと胸が痛んだだけで、いつまでも覚えていられない程度のまだほんの小さな痛みでしかなかったのである。
だから、クリストファーが新しい話題について語りだす頃には、胸の痛みのことなどマクスウェルは忘れてしまうのであった。
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