第3話 行ってきます!

 セレーナが来訪を告げ、ルシアナが応接室へと入る。

室内にはマクスウェルの他に既に両親がソファーに腰を下ろし、マクスウェルを案内したのかメロディもそばに控えていた。

ルシアナは美しい所作でカーテシーをする。


「お待たせいたしました、マクスウェル様。本日のご来訪、歓迎いたし――」


「……可憐だ」


「――ますわ。え?」


 今、彼は何と言ったのだろうか? 挨拶の途中でポツリと呟くようなマクスウェルの声が聞こえた気がして、カーテシーを解くとルシアナはマクスウェルの方を見た。


「あの、今、何か仰いましたか?」


「あ、いや、何でもない。気にしないでくれ」


 何かを誤魔化すように、マクスウェルはわざとらしく咳ばらいをした。心なしか頬が赤いような気もするが、気のせいだろうか。ルシアナは首を傾げるが、メロディを含めた周りの者達もマクスウェルの声は聞こえていなかったようで、訝しげな表情をしていた。


「えっと、それで、今日はどういったご用件なのでしょうか」


 マクスウェルの対面、両親に挟まれるかたちで腰を下ろしたルシアナが尋ねると、マクスウェルはようやく普段の雰囲気に戻り本題に入る。胸元から封蝋を押した封筒を取り出すと、それをルシアナの前に差し出した。


「お手紙……?」


 封筒を受け取り、不思議そうにそれを見つめるルシアナと伯爵夫妻。リクレントス家の封蝋が押されているということは、正式な書状ということだ。内容は一体……?


「それは私からの打診になります」


「打診?」


 キョトンとした表情のルシアナに、マクスウェルはニコリと微笑んで告げた。


「月末に行われる夏の舞踏会に、パートナーとして一緒に出席してもらえませんか。ルシアナ嬢」


「夏の舞踏会に……?」


 ルシアナと同じような表情でマリアンナが呟く。


「パートナーとして出席……?」


 釣られてヒューズも言葉が漏れる。


「……私が、マクスウェル様の? ……夏の舞踏会のパートナー?」


 キョトンとした表情のままルシアナはそう口にして、やがて内容を理解したのか目をパチクリさせると――。


「ええええええええええええええええええええええええええっ!?」


 ルシアナは今日二回目の絶叫を上げるのであった。


(ええええええええええええええええええええええええええっ!?)


 メロディも内心で驚きの絶叫を上げるのであった。ただしメイドスマイルは完璧である!


(はわわわわわ、どういうこと? どういうこと?)


 ルシアナは混乱した、逃げられな――ではなく、封筒とマクスウェルを何度も見比べながらどうしていいか分からなくなっていた。それは伯爵夫妻も同じで、ルシアナ同様の動きを見せる。


(ここまで似た者親子も珍しい)


 感情表現豊かなルトルバーグ親子の姿にマクスウェルは図らずも和んでしまう。王都の貴族社会ではまずもって見られない光景だ。何とも純粋な一家である。


「あ、あの、これはその、どういう……」


 何とか少し気持ちが落ち着いてきたのか、ルシアナはマクスウェルの意図を尋ねた。

 現宰相であるジオラック・リクレントス侯爵の嫡男であり、王太子クリストファーの親友にして、未来の宰相と目されているエリート中のエリートな貴族子息。それがマクスウェルである。


 そして、彼がこれまで舞踏会にパートナーを連れて参加したことがなかったことは、王都ではよく知られたことであり、社交界デビューの付き添いとはいえ、マクスウェルのパートナーを務めたのはルシアナが初めてのことだった。

 だからこそ、春の舞踏会ではメロディの友人だったからこそ実現した奇跡的な出来事であり、再びルシアナが舞踏会のパートナーになるなど考えてもいなかったのだが……。


(なんでっ!?)


 ルシアナの思考はそれに集約されてしまうのだった。


「……またあなたと一緒に踊ってみたくなった。という理由ではいけませんか?」


「はわ、はわわわわわっ」


 困ったように微笑むマクスウェルを前に、ルシアナは顔を真っ赤にして上手く言葉が出せない。マクスウェルは混乱する伯爵一家を前にゆっくり立ち上がる。


「返事は今日でなくとも構いません。帰省を終えて王都へ戻ってきた際にまた伺わせていただきますので、答えはその時に教えてください。それでは、今日は失礼いたします」


「え? あ、はい。お見送りをきゃあっ!」


 今すぐ返事をしなくてもよいと聞かされたおかげか、ルシアナの混乱は少し落ち着いたようだ。しかし、立ち上がろうとした瞬間、勢いをつけすぎたのかバランスを崩して倒れそうになる。それでやっと正気を取り戻した夫妻が慌ててルシアナを支えたおかげで事なきを得たが、ルシアナの気持ちは自分で思っているほどには全く落ち着いていないようだ。


「大丈夫ですか、ルシアナ嬢」


「は、はい。申し訳ありません」


 両親に支えられながら、ルシアナは再びソファーに腰を下ろした。


「私のせいで困らせてしまったようです。見送りはお気持ちだけで結構ですよ」


「で、でも……」


「お嬢様、リクレントス様は私がお見送りして参りますので今は気持ちが落ち着くまでそちらでお休みください」


「あ、あうう、ごめんね。お願い、メロディ……」


「畏まりました、お嬢様。では参りましょう、リクレントス様」


「ああ。皆さん、今日は急な来訪にもかかわらず時間をとっていただきありがとうございました」

 マクスウェルは一礼し、応接室を後にした。


「……」


「……」


 正面玄関へ向かう道すがら。メロディとマクスウェルは無言で歩く。前を歩きながら、メロディの視線はチラチラと後方のマクスウェルへ向けられていた。


(マックスさん、どうして急にあんなことを……)


 舞踏会のパートナーの打診。一般的には好意を前提としたものであり、人によっては結婚のためのアプローチと捉える場合もある。もちろん、舞踏会のパートナー=人生のパートナーという公式が必ずしも成り立つわけではないが、ルシアナの両親がそうであったように舞踏会のパートナー同士で結婚した例も少なくない。


(でも、マックスさんは婚約については話してない。というか、そんな話なら家同士で協議するはずだから今日みたいな訪問になるはずないし……本当、どういうつもりなのかな?)


 短い付き合いとはいえ、マックスの人柄からいって軽い気持ちでこんな打診をするとも思えないのだが、メロディにはその理由が全く思い至らなかった。


「……気になるかい?」


「はい。え? あ、ち、違いますよ!?」


 少し考え込みすぎていたらしい。マクスウェルの問いに思わず答えてしまったメロディ。振り返り慌てて否定したが、マクスウェルは苦笑していた――友人の顔で。


「……マックスさん、どうしてお嬢様をパートナーに誘ったんですか?」


「……彼女と一緒にまた踊ってみたかった、というのは本当だよ」


(つまり、他にも理由があるということ……?)


 しかし、困り顔の友人はその理由を告げるつもりはないようだ。玄関扉の前でしばし見つめ合う二人。やがてメロディは友人としての表情で大きなため息をつく。


「分かりました。深くは尋ねません。私、友人としてマックスさんのことを信じていますから」


「……ありがとう、メロディ」


「でも――」


 メロディの表情がメイドモードに切り替わり、何だかそれはちょっと怖い笑顔に見えた。


「メ、メロディ?」


「もし、お嬢様の笑顔が曇るようなことをなさったら、お嬢様のメイドとして色々対応させていただきますのでどうぞ心に留め置いてくださいませ、リクレントス様」


「ははは、分かったよ」


「ふふふふ」


(……目が笑ってないね、メロディ)


「またのお越しをお待ちしております」


 笑顔のメロディに見送られて、マクスウェルはルトルバーグ邸を後にした。


 ◆◆◆


「ルシアナ、帰ってきたらきっちり説明してちょうだいよ?」


「ベアトリスさんの言う通りですよ、ルシアナさん。隠し事は許しませんからね!」


「ちょ、ちょっと落ち着いてよ、二人とも。私だって何が何だかよく分からないんだから!」


 マクスウェルが帰ってしばらくした後、ようやく落ち着きを取り戻したルシアナ達は予定より三時間ほど遅れて出立する運びとなった。

 気持ちを落ち着かせるだけならもう少し早かったのだが、ベアトリス達からの詰問が激しく、旅立ちは遅れに遅れてしまったのである。


「ふふふ、ルシアナ。帰ってきたらマクスウェル様を悩殺する方法を一緒に考えましょうね」


「ま、まだパートナーになるって決めたわけじゃないんだからね、ルーナ! ……というか、ルーナはいいの?」


「いいって、何が?」


「私が、その、舞踏会でマクスウェル様のパートナーになっても、いいの?」


 遠慮がちに窺うルシアナの様子にルーナは首を傾げた。


「ルシアナがいいなら構わないんじゃない?」


「……だってルーナ、マクスウェル様のこと素敵だって前に言ってたじゃない」


「私が? ……いつ言ったかしら?」


(やっぱり、これも覚えてないんだ……なんでだろう?)


 それは、ルーナが魔王の残滓に魅入られ、教室でルシアナと対峙した時のこと。ルシアナへの羨望が嫉妬に変質し、彼女は妬ましそうにこう言ったのだ。


『マクスウェル様って本当に素敵な方ね。でも、生徒会役員に誘われたのはルシアナ、あなた』


 なぜかルーナはあの時のことをすっかり忘れてしまったが、ルシアナはきちんと覚えていた。だから、ルーナの前でマクスウェルから舞踏会のパートナーに誘われたことを話題に上げるのは気まずいものがあったのだが――。


「確かにマクスウェル様のことは素敵な方だと思うけど別に恋愛感情ってわけでもないし、ルシアナにその気があるなら私は応援するわよ」


「わ、私だって別に恋愛感情とかはないよ! たぶん」


「たぶんなんだ」


「だって、恋愛感情って言われてもよく分かんないし……」


「ふふふ、そうね。まあ、旅の間にゆっくり考えてから結論を出せばいいと思うわよ? 王都に帰ってきたらどうするか教えてね」


「う、うん。分かった」


「あ、私にもちゃんと教えてね、ルシアナ!」


「私もですよ。お願いしますね、ルシアナさん!」


「はいはい、分かったわよもう!」


 四人の姦しいやり取りを生暖かい瞳で見つめながら、メロディは馬車の最終確認を行う。


(馬の体調は問題なし。馬車の車輪、車軸、座席、扉の蝶番、馬との連結、手綱も大丈夫。あとは……あ、あの魔法を掛けておかないと)


「揺れることなかれ『大地水平オリゾンターレ』」


 馬車の内部に伝わる全ての衝撃を吸収することによって荷台を水平に保つ魔法『大地水平』。

 サスペンションがないこの世界の馬車は揺れが酷い。王都へ向かう定期馬車便の道すがら、メロディはこの魔法なしでは乙女の尊厳を保てないと理解していた。


「お嬢様、馬車の準備が完了しました」


「分かった、今行くわ!」


 メロディにエスコートされて、ルシアナは馬車に乗り込んだ。続いてマイカとメロディも席に着き、腰に剣を佩いたリュークが御者台に座ると手綱を持った。

 箱馬車の小窓を開けて、ルシアナが顔を出す。


「お父様、お母様、行ってきます!」


「気を付けて行ってくるんだぞ、ルシアナ」


「領地の皆をよろしくね、ルシアナ」


「任せてちょうだい! ベアトリスとミリアリア、それにルーナも今日は来てくれてありがとう。帰ったらまた会いましょう。セレーナ、お父様とお母様をよろしくね!」


「畏まりました、お嬢様。行ってらっしゃいませ」


 セレーナが美しい所作で一礼すると、リュークは手綱を鳴らした。馬車が動き出す。


「行ってきまーす!」


「「「「「行ってらっしゃーい!」」」」」


 家族と友人に見送られて、ルシアナ達はルトルバーグ領へ向けて旅立つ。

 馬車が屋敷を離れると、ルシアナはホッと息をついた。そんな彼女をメロディは気遣う。


「大丈夫ですか、お嬢様」


「うん。朝から色々ありすぎてちょっと疲れただけだから」


「まだ出発したばかりなのに一日が濃すぎましたねー。お嬢様、実際のところ舞踏会はどうするんですか?」


 好奇心からマイカはつい尋ねてしまう。ゲーム知識を持つ身としては、本来ならばありえないカップリングの行く末が気になって仕方ないのだ。そんなマイカの出歯亀精神など知らないルシアナは質問されてまた顔が赤くなってしまった。


「うーん、どうしよう。どうしたらいいと思う、メロディ?」


 自分の隣に腰掛けるメロディに救いを求めるような視線を送るが、そんな瞳を向けられても困ってしまう。前世も今世もメイドジャンキーなメロディは恋愛成分ゼロ人生だったのだから。

 だから、こう答えるしかないのである。


「ご友人方も仰られていたように、旅の道中でゆっくり考えてみましょう、お嬢様」

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