第1話 今日から夏休み!

 新しい朝、希望の朝が来た……などと言いたくなるほどに早朝から太陽の光が眩しい季節、夏。

 八月一日。今日から王立学園は夏季休暇――いわゆる夏休みである。

 今日はルシアナが夏季休暇を利用してルトルバーグ領へ帰省する日。手早く屋敷の清掃を終え、自室にて清掃服からいつものメイド服に着替えたメロディは、ふとあることを思いついた。


「……今日から夏服にしようかな」


 メイドジャンキーとしてスカートの丈にはこだわりのあるメロディだが、袖の長さまでどうこう言うつもりはない。むしろメイド服にも季節感は必要であろうとさえ思える。


「本当は衣替えの季節、六月にするべきだったんだろうけど、あの時はお嬢様の学園入学とかでバタバタしていて全然気が付かなかったものね。うん、いい機会だしやっちゃおう」


 思い立ったが吉日。メロディは両腕を前に突き出しながら呪文を唱えた。


「我が身に相応しき衣を『再縫製リクチトゥーラ』」


 メイド服の長袖の糸が軽やかに解(ほど)け、宙を舞い始める。糸を操作するために両腕をクロスさせながら上に掲げ、半円を描くようにふわりと両手を広げていく。やがて糸は両肩の袖に集約し編み込まれ、袖口に白いカフスをあしらった可愛い半袖メイド服が誕生した。


「うん、なかなかいい感じ。替えは今度自分で仕立てよっと」


 笑顔で通路を出ると、ほぼ同じタイミングでセレーナが姿を現す。先程一緒に屋敷の掃除をしていたので、彼女もまたメイド服に着替えて出てきたようだ。


「セレーナ、見てこれ……あら?」


 なんということだろうか。セレーナのメイド服も半袖になっているではないか。


「まあ、お姉さまも服の袖を直したのですか? ふふふ、私達本当に姉妹のようですね」


 魔法の人形メイド、セレーナはメロディの魔法『分身アルテレーゴ』をもとに生み出された存在だ。自由度を持たせるために人格形成要素を乱数化させ、メロディ自身の思い出記憶は消去されているはずだが、どこかしら似た感性を残しているのかもしれない。


「お姉さま、よくお似合いですわ」


「ありがとう。セレーナもよく似合ってるわ」


 二人がニコリと笑い合っていると、別の使用人部屋の扉がガチャリと音を立てて開く。


「ふぁ、おはようございます。メロディ先輩、セレーナ先輩」


 あくびをしながら現れたのはメイド見習いのマイカだ。彼女は今朝の清掃はお休みで、今しがた目を覚ましたところだった。まだ眠いのかあくびをしながらの挨拶である。


「マイカさん、あなたまた先輩って……その言葉遣いだけはなかなか直りませんね」


 頬に手を添えながらため息をつくセレーナ。メロディは先輩呼びを好んでいるので気にした様子はない。やがて目が冴えてきたマイカは二人の姿を見て、目をパチクリさせた。


「ああっ! 二人だけ夏服になってるじゃないですか!」


「そうなの。さっき思い立って袖を直してみたの」


「二人だけずるいですよ。私もお願いします!」


「あら、暑かった? 着心地は悪くないように作ったはずだけど」


 メロディ謹製のメイド服には耐熱・耐冷の魔法が付与されており、夏でも冬でも常に快適仕様のまさにエアコンスーツ。通販番組に登場したらジャンジャンバリバリ売れそうな逸品なのである。


「確かに、真夏なのに全然暑くなくてむしろ快適でしたけど、そういう問題じゃないんですっ!」


 ぷくりと頬を膨らませてピョンピョン飛び跳ねて抗議するマイカ。十歳児なので大変可愛らしいが、メイドの所作としては完全にアウトである……だが可愛い。メロディも思わず苦笑いだ。


「じゃあマイカちゃん、両手を前に突き出してちょうだい。彼の者に相応しき衣を『再縫製』」


「わぁ、きれい……!」


 両腕から解き放たれた無数の糸が宙を舞う光景に思わず感嘆の声を漏らすマイカ。何気に『再縫製』を見るのは初めてだったりする。


「マイカちゃん、仕上げをするからちょっとその場でクルッと一回転してくれる?」


「はーい」


 言われるがまま、マイカはクルリとワンターン。黒いスカートがふわりと広がり、小さな桃色のツインテールが軽やかに跳ねた。回転するマイカを追うように糸が踊り、彼女が正面へ向き直った瞬間に『再縫製』は終わりを告げた。マイカのメイド服も夏仕様に大変身である。


「ありがとうございます、メロディ先輩」


「よく似合ってるわよ、マイカちゃん。それじゃあ皆、そろそろお仕事に行きましょうか」


「はいっ!」


「承知しました、お姉様」




◇◇◇




「あっ、おはよう、リューク」


「……おはよう」


 三人が調理場へ向かうと、執事見習いのリュークがいた。マイカが挨拶の声をかける。

 その正体は、乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』に登場する第四攻略対象者ビューク・キッシェルであるが、記憶を失い、現在はルトルバーグ伯爵家の執事見習いとして働いている。どこかのメイドの魔法の影響か、小柄で子供のようだった体は急成長し、長身で引き締まった体躯を持つイケメンに変貌していた。


 ちなみに、成長時に彼の紫の髪はとても長く伸びていたが、使用人として働くには不向きということで、今は短くカットされている。既にゲームの面影は皆無と言ってよい。


 最早、ゲームを知る者が彼を見てもまさかビューク・キッシェルだとは思いもしないだろう。

 そんなビューク改めリュークは、早朝から調理場で食器の手入れをしていた。


「おはよう、リューク。食器を磨いてくれてありがとう。といっても、ほとんど木製食器ばかりだから磨き甲斐はないかもしれないけど……銀食器があればよかったんだけどね」


「……気にしない」


 一応、執事見習いという立場のリュークだが、使用人としての知識も技術も持たない彼に執事としての仕事などまだまだできるはずもなく、現在は男性使用人全般の見習いのような扱いだった。

 ちなみに、銀食器の管理は男性使用人『従僕フットマン』の仕事だ。執事直属の使用人で、フットマンとしての経験を重ねてようやく執事に至るというのが一般的なキャリアコースとされている。

 現在のリュークは、木製食器でフットマンの真似事、雰囲気を味わっているというわけだ。


「それじゃあ、セレーナとマイカちゃんは朝食の準備を。リュークは旦那様と奥様の朝のお茶の準備をお願いね。私はお嬢様のお茶の準備をします。リューク、いつも通り準備するまででお願い。あなたはまだ上手にお茶を淹れられないから、旦那様方を起こしに行くのは私が同行するわ」


 メロディが指示を出すと三人が了承の返事をする。正直、すべての仕事を自分でやりたい欲求は今でも変わらずたっぷり満杯にあるのだが、こうやって同僚と仕事を分担して業務に勤しむ状況もメイド仕事の醍醐味のように感じられ、何か言い知れない喜びを感じるメロディなのであった。


「それでは本日もよろしくお願いします!」


「「「畏まりました」」」


 調理場に食器がカチャカチャと揺れる音や、お湯を沸かす熱気が広がる。メロディがその雰囲気を楽しんでいると、セレーナがポツリと呟いた。


「……明日からは私一人になってしまうんですね。寂しくなりますわ」


 そう、明日からしばらく屋敷の使用人はセレーナただ一人となってしまう。彼女以外の三人はルシアナの帰省に同行するからだ。メロディはルシアナ付きのメイドとして、マイカはその補佐として、リュークは領地に仕える執事に男性使用人としての心得を教示してもらうために。


 伯爵夫妻は仕事や社交が忙しくて、今王都を離れるのはとても厳しい。そのため、王都の屋敷に使用人はどうしても必要だ。セレーナはこの屋敷の使用人不足を解消するために生み出された存在なので、王都に残るならば彼女が役割的にも能力的にも優先される。


 おかげでメロディとは離れ離れに……魔法の人形メイドというパワーワードな存在であるにもかかわらず、意外と出番が少ない少女。それがセレーナであった。


「寂しくなるといっても三週間くらいのことよ? 月末までには戻らなくちゃいけないし」


「夏季休暇って八月いっぱいでしたっけ? メロディ先輩」


「そうよ、マイカちゃん。夏季休暇の最終日に王城で夏の舞踏会が開催されるから、お嬢様はその準備のためにも一週間前には王都に戻らなければならないの」


「となると、確か王都から領地まで馬車で五日。往復十日。八月は三十一日間で、一週間前には王都に戻るとなると実質滞在期間は……」


「……十四日。約二週間だな」


「あぅ、リュークに先に答えられちゃった。でも、二週間かぁ。長いような短いような」


「二週間なんて気が付けばあっという間ですものね」


「そうよ、セレーナ。長いようであっという間に帰ってきたら、また賑やかになるわ。お土産も買ってくるから楽しみにしていてちょうだい」


「ふふふ、そうですね、お姉様。期待していますわ」




◇◇◇




「おはようございます、お嬢様」


「うーん、おはよぅ……あっ、メロディの服装が変わってる!」


 朝のお茶を用意してルシアナの部屋を訪れると、彼女はまだ寝ぼけまなこだった。しかし、夏服姿のメロディを目にした瞬間、一気に覚醒する。


「半袖のメイド服も可愛いわね、メロディ!」


「ありがとうございます、お嬢様。さあ、今朝も美味しいロイヤルミルクティーをどうぞ」


 差し出された紅茶をベッドの上で優雅にいただく姿はとても『貧乏貴族』などと揶揄される家の娘とは思えない。メロディはお嬢様に紅茶をお出しできるという喜びを噛みしめる。


「美味しかったわ。ありがとう、メロディ」


「恐れ入ります。ところでお嬢様、せっかくですからお嬢様のドレスも今日から夏仕様に変更しようかと思うのですが、いかがでしょう?」


「本当? だったらお願いしようかな。メロディのドレスを着てると全然暑くないから長袖でも気にならなかったけど、やっぱり夏は半袖の方が爽快感があるわよね!」


 というわけでこの後、ルトルバーグ家の全員の服が一気に夏服へと変わるのであった。


「お嬢様、いかがでしょうか」


「わぁ、素敵! 半袖になっただけじゃなくて、ドレス全体が軽くなった気がするわ」


 普段よく着る青色のドレスを『再縫製』でノースリーブのサマードレス風デザインに仕立て直した。生地全体を薄くしつつ、貴族として飾り立てることを忘れない最低限のラインを意識しながら、ルシアナに似合う素敵なドレスができたのではないだろうか。


「とても楽しいドレスになったわね。ありがとう、メロディ!」


「恐れ入ります」


「そうだ、メロディ。せっかく今日から夏季休暇だし、ついでに髪形も変えてみたいんだけど」


「そうですね……だったら、ポニーテールにしてみましょうか。鏡台の前に座ってください」


「はーい♪」


 椅子に腰掛けるルシアナ。その頭は音楽に乗るようにリズミカルに揺れ動いていた。

 まるでフラワーロッ……今日の彼女は朝からハイテンションだ。


「お嬢様、今日はとても楽しそうですね」


「だって今日から皆で旅行なんですもの。昨夜はなかなか寝付けなくて大変だったんだから!」


 要するに遠足前の子供の心境らしい。無邪気なお嬢様の様子に、ルシアナの髪を整えながらメロディも思わず和んでしまう。


「でも、ご両親も同行できませんし、行先もご実家ですよ?」


「それでもよ。新しく知り合った皆と一緒に旅をするんですもの。きっと楽しいことになるわ」


「ふふふ、そうですね……はい、できました」


「わぁ、可愛い! ありがとう、メロディ!」


 結び目は高めのハイポニーテール。ぴっちりまとめず、もみあげ等の後れ毛を残すことで少女らしく若々しい髪形に仕上げてみた。結び目にはドレスと同じ色のリボンをあしらってある。


「これ、私の誕生日もこの髪型にしてもらえる?」


「八月七日ですね。ええ、畏まりました」


 なんと八月七日はルシアナの誕生日。例年は実家で家族に祝ってもらっていたが、今年はそれができない。しかし、それは以前から分かっていたことなので、既に王都で軽くお祝いを済ませてあったりする。そのため、ルシアナは特に気にしてはいない。

 鏡台の前を片付けながら、メロディはあることを思い出した。


「そういえばお嬢様。誕生日といえば、先日お願いされたプレゼントの件なんですが」


「え? ああ、誕生日プレゼントのこと。もしかして……できたの!?」


「はい。実は昨夜完成しまして」


「わぁ、嬉しいっ! 早速もらってもいい?」


「え、でも、誕生日プレゼントですし八月七日にお渡しした方が……」


「お願い! こっちでのお祝いはもうやったんだからいいでしょ? ね?」


 一生のお願い! と、両手を合わせて懇願するルシアナに、メロディは眉尻を下げて苦笑する。


「……仕方ないですね。畏まりました、出発前にお渡しします」


「やったー! ありがとう!」


 ルシアナがメロディに向かってダッと飛び出した。しかし、メロディはヒラリと躱す。


「メイドに抱き着いてはいけませんよ、お嬢様」


「やるわね、メロディ。それはともかく、メロディには我儘言っちゃったからお返ししないとね」


「お気になさらなくて大丈夫ですよ?」


「ううん、私がそうしたいの。だからメロディの誕生日には素敵なプレゼントを用意するわ!」


 ルシアナは笑顔で言った。だが――。


「だから、メロディの誕生日――」


「ふふふ、ではの誕生日を楽しみにしていますね」


「――っていつ……え?」


 メロディの言葉で、ルシアナの笑顔は凍り付いてしまう。


「……お嬢様?」


「メ、メロディ……あなたの誕生日って……」


「私の誕生日ですか? 六月十五日ですけど」


「……ろくがつじゅうごにち?」


「……ええ、六月十五日」


「「……」」


 二人の間に沈黙が流れる。小首を傾げながら頭にクエスチョンマークを浮かべているのほほんとしたメロディとは対照的に、ルシアナの沈黙はまさに――絶句。


 そして――。


 ――いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!


 伯爵家に少女の絶叫が木霊するのであった。

 ……いつものことである。

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