小説第2巻発売記念SS マイカ、魔法使いTai!

 それは『嫉妬の魔女事件』が収束して、しばらく経ったある日の休日の出来事だった。


 その日、ルシアナは伯爵邸の自室にて期末試験の勉強をしていた。


「ふぅ、今日はこのくらいにしておこうかな」


 どうやら今日のノルマは達成したらしい。キリのいいところで勉強を終えたルシアナは大きく背伸びをしようとして――。



「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 ルトルバーグ伯爵邸に大きな悲鳴が響き渡った。


「えっ!? 何っ!?」


 慌てて自室を飛び出すと、ルシアナは声の方へ駆け出した。


(さっきの声は確か……調理場の方だわ!)


 今の時間ならおそらく、メロディとマイカが夕食の準備をしているはずだ。

 ちなみに、伯爵夫妻は仕事仲間との食事会で出掛けており、セレーナとリュークも付き添いで屋敷を出払っていた。今、伯爵邸にはルシアナとメロディ、そしてマイカの三人だけである。


(あの声は多分マイカだわ。メロディがいるから我が家は絶対安全だと思っていたけど、あの悲鳴。何か尋常ではない事態が起きたに違いないわ!)


 ルトルバーグ伯爵家の者達は全員、メロディ謹製の守りの魔法が付与された衣服を身に着けているため、故意にしろ事故にしろ怪我をする危険性はほぼない。もちろん、マイカもそれに該当するためあんな悲鳴を上げるような事態に陥るはずはないのだが……。


「うそ、うそよおおおおおお……」


 調理場に近づいたところで、ルシアナは扉の向こうから溢れ出すマイカの悲痛な声を聞いた。

 呻くように重々しい声音は、まるで世界中の絶望を背負いこんでしまったかのよう。


(マイカッ!)


 ルシアナは後の事など考えられずに、勢いよく調理場の扉を開いた。


「二人とも大丈夫!? 一体何があっ……て?」


 緊迫した雰囲気で調理場に足を踏み入れたルシアナは、目を点にした。


「うそ、うそうそうそおおおおおぉぉぉぉ」


「えっと、だから、その……」


 なぜなら、調理台に顔を突っ伏してイヤイヤと頭を振るマイカと、それを宥めようとするも上手くいかずにオロオロと困り果てるメロディという、ルシアナの想像とは全く異なる光景が広がっていたからである。

 他に侵入者がいたり、事故が発生したような形跡はなし。調理場は至って平穏である。


「えーと、メロディ? ……何があったの?」


「あ、お嬢様。大したことではないんですが……」


「大したことですよ、メロディ先輩!」


 涙目のマイカが勢いよく顔を上げて抗議する。メロディは困ったように眉尻を下げた。


「……それで、本当に何があったの?」


 もはや先程までの緊張感などどこ吹く風。ルシアナは呆れたように腕を組んで改めて問い質す。


「はい、実は……」


「私の、私の魔法の才能がゼロだなんて、うそだよおおおおおおおおおおおお!」


「……えっと、ということなんです」


「いや、どういうことよ?」


 








 時間は少し前に遡る――。


「マイカちゃん、竈に火をつけてくれる?」


「了解です」


 夕食の準備をしていた二人。マイカはお湯を沸かすべく竈に火を入れようとしていた。

 この世界の火起こしの方法は、火打石? それとも摩擦法? ……なんてことはなく、普通にマッチが流通している。ルトルバーグ家でも仕入れ可能なお安い品である。


 ありがたや、ありがたや、なのだが……。


「えーと、マッチ、マッチ……あれ?」


 在庫がたくさんあるかといえば、そうでもないらしい。


「メロディ先輩、マッチが切れてるみたいなんですけど」


「え? そうなの? 後で仕入れておかなくちゃ」


「でも、今日はどうします? 今からマッチを買いに行きますか?」


「それだと遅くなるから今日は私がやっておくね。火種よ灯れ『点火アーチェ』」


 メロディの指先に小さな火が生まれた。優雅な手指の動きで火の行き先を指し示し、小さな火が竈の中へと導かれていく。そして積まれた薪の隙間から煙が立ち、やがて竈に火が付いた。


 その光景を目にしたマイカは――。


「はぁ……魔法使いのおばあさんみたい」


「お、おばあさん……私、そんなに老けて見える?」


「あああ、そういう意味じゃないんです! いい意味で、いい意味なんです!」


「そ、そうなの?」


(いい意味でおばあさんってどういうことなんだろう?)


「はい! 本当に、いい意味で!」


 この時マイカの脳裏に浮かんでいたのは、彼女が日本人の頃、世界的に大人気だったアニメ映画に登場する数々の魔法使い達の姿であった。


 義母・義姉に虐げられる少女に手を差し伸べる魔法使いのおばあさんに、魔女の呪いによって深い眠りにつくお姫様を助けるために行動する妖精、魔法使いのランプの精などなど……。


 マイカにはメロディが彼らに重なって見えたのだ。何が言いたいかと言うと、先程のメロディは大変アニメ映えする姿だったのである。……あらかじめポーズを決めていたわけでもなく、素でやってしまうところが何とも空恐ろしい少女である。メロディ、恐ろしい子!


(いいなぁ、私もあんな風に魔法が使えたら――って、できるじゃん! ここ異世界だった!)


 四月に異世界転生をして既に三ヶ月以上。慣れない生活やゲームシナリオなどの問題もあって、魔法を目にしていても自分がそれを行使することには全く意識が向かずにいたマイカは、ようやくその事実に気が付いた。


「メロディ先輩!」


「な、何、マイカちゃん?」


 詰め寄るようにズズイッと近づくマイカに、メロディはちょっと引き気味だ。


「私も魔法が使えるようになりたいです!」


「マイカちゃんが魔法を?」


「はい。そうすれば今日みたいなことがあっても私自身で対応できますし」


「まあ、普段は私もマッチを使って火起こしをしているけど、確かに一理あるわね」


「え? メロディ先輩もマッチを使っているんですか?」


「ええ。普段から魔法に頼りきりじゃ、せっかく身に着けたメイド技能が錆びついちゃうもの。本当に必要な時だけ魔法の助けがあれば十分なのよ」


 メロディの説明に、マイカは感心したように首を縦に振った。言われてみれば、メロディが仕事中に魔法をドカンと行使したのはマイカとの初仕事の日くらいであった。他は時々サッと使うくらいで、普段は持ち前のメイドスキルでドカンとやっているだけである……ドカンと。


 マイカの口元がちょっとだけ引き攣ったが、すぐに内心で気持ちを切り替える。


「というわけで、私も魔法を使えるようになりたいんです!」


「うーん、そうね……」


 マイカを見つめながら、しばらく考え込むメロディだったが、チラリと竈の様子を見ると、軽く頷いて了承してくれた。


「分かったわ。どのみち竈のお湯が沸くまで次の作業もできないし、今のうちにマイカちゃんの魔力量を測定しておきましょうか」


「やったー! ありがとうございます、メロディ先輩!」


 そして二人は向かい合うように椅子に腰かけ、互いの手を取った。メロディはルシアナにしたのと同じ方法でマイカの体内の魔力を探っていく。


(こんなに間近で生ヒロインちゃんを誰はばからず凝視できる日が来るなんて、アンナお姉ちゃんが知ったらきっとメチャクチャ羨ましがられるだろうなぁ)


 瞳を閉じて魔力感知に集中しているメロディを見つめながら、マイカはニコニコ笑顔で結果が出るのを待っていた。もうすぐ自分も魔法が使えるのだと思うと、どうしても浮足立ってしまう。

 ちなみに、そのアンナお姉ちゃんはメロディと休日デートをしてプレゼントの贈り合いっこなんてことをしているのだが、マイカが知ったらきっと羨ましがることだろう……余談である。


(ルシアナちゃんみたいに水を出すだけでも楽しいけど、どうせならメロディ先輩みたいにドカンと魔法が使えるのも気持ちよさそう……うん、あそこまでじゃなくてもいいよ、うん、うん)


 思い出されるのは、大人バージョンに成長してしまったビュークことリュークのことだ。ゲームと同じように体内の魔王の魔力を浄化しただけなのに、なぜゲームとは異なる結果になってしまったのか、今でも全く理解できない。


(ゲームではヤンデレ合法ショタキャラとして人気だったのに、今となっては寡黙系イケメンキャラになっちゃって……どっちの方が人気でるかな?)


 マイカの思考もちょっと理解不能な方向へ脱線している。軌道修正をしよう。


(まあ、結果的にいい方向で収まったからいいんだけど……あそこまでの力はさすがに困るけど、ゲームっぽく『ファイヤボール』とかできたらカッコイイよね)


 期待に胸が膨らむマイカ。何せ自分は異世界転生者。


 ひょっとして、ひょっとすると……?


(神様には会ってないけど、もしかしたら物語みたいなチート能力とか与えられている可能性も無きにしも非ずかもしれないような気がしないでもないような! そんでもって、モブでしかない私がこれを機にうっかりヒロイン街道まっしぐらに進んじゃったりしてしてして!)


 還暦おばあちゃん、はしゃぐの図……今の精神年齢は中学生相当なのでご了承ください。精神年齢が元に戻った時に黒歴史として深々と刻まれるかもしれませんが、その辺はもう自己責任ということで。


 などと内心で大忙しのマイカであったが、唐突にメロディがカッと目を見開いた。


「そんな、これって……」


 思わずといった感じで声を漏らすメロディ。

 その様子にマイカはドキリと緊張してしまう。


(……何、この驚きよう。え? まさか? 本当に?)




 ――私、チート無双しちゃうの?




 マイカから手を放すと、メロディは小さく息を吐いた。そしてマイカと視線が合う。


「マイカちゃん、驚かないでよく聞いて」


「は、はい……」


(こ、この真剣な雰囲気。まさか、本当に私、メロディ先輩級の大魔法使いになる素質が――)


「マイカちゃんの魔力は……ゼロよ」


「……? ……ゼロ?」


 マイカは思った――ゼロって何だっけ? と。


 ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼ……ロ……。



「え? ゼロ? ゼロって、え? 魔力が……」


「そうなの。残念だけど、マイカちゃんは魔力ゼロ……魔法の才能は、ないわ」


「…………」


「マ、マイカちゃん……?」


 口をポカンと開けて、目を点にしたままマイカは固まってしまった。



 そして――。



「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



冒頭の悲鳴に戻るというわけである。










「……しょうも、いえ、それはとても残念だったわね、マイカ」


「ううう、おじょうさまぁぁぁぁぁ……」


 余程ショックだったのか今も泣きじゃくるマイカを、ルシアナはそっと抱き寄せた。マイカに胸を貸し、よしよしと優しく頭を撫でてやる。妹を慰める素敵なお姉さんのようである。


 ……決して、思わず『しょうもない』と言おうとしたことへの罪悪感からではない。


 自分だって魔法が使えなくて悩んだ時期があったのに、それを棚上げしてそんなセリフを吐こうものならどこからどんな叱責が飛ぶか分かったものではないとか、そんなつもりではないはず。


「だ、大丈夫よ、マイカちゃん。魔法が使えなくたってメイドの仕事は十分やれるわ。魔法の代わりに私がきっちりメイド技術を教えてあげるから元気出して!」


「メロディ先輩ぃ……それ、全然慰めになってないですぅ」


「メロディ、さすがにそれは……」


「ええっ!? どうしてですか!?」




 夕食の時間が少し遅れることとなるが、今日も今日とてルトルバーグ家は平和である。




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