2020-2021SSコレクション

12月31日 年越しそばと除夜の鐘

「ああ、もう今日で一年が終わるのね。早いものだわ」


 食堂にやってきたルシアナは、静々と降り続ける雪を窓から眺めながら感慨深そうにポツリと呟いた。既に日は落ち、辺りは真っ暗だが、降りやむことを知らない雪のせいか、窓の向こうは薄っすら白んで見える。


「お嬢様、貴族令嬢がテーブルに肘をついてダラけるなんてはしたないですよ」


「はーい。でも、たまにはいいじゃない。今ここには私とメロディしかいないんだし」


 現在、食堂にはルシアナとメロディしかいない。


「お父様とお母様はまだ帰ってこないのかしら」


「宰相様主催の年越しの夜会ですから、今夜は遅くなると仰っていましたよ」


 今日は大みそかだというのに、ルシアナの両親は屋敷にいないらしい。なんだかちょっぴり寂しいと思ってしまうルシアナである。


「お仕事関係の人達の集まりだったっけ。そうじゃなかったら私も行ってみたかったなぁ」


「マックスさんとおしゃべりできますもんね」


「そ、そんなんじゃないったら! もう!」


 おや? 今語られているメロディ達の物語は一学期までだが、年末までに何かあったのだろうか? メロディにからかわれたルシアナは顔を赤くして恥ずかしそうにプンプン怒った。


「ふふふ、申し訳ありません。でも、このお屋敷にお嬢様と本当に二人きりになるなんて、春の最初の頃以来ですね。私、なんだかちょっと照れくさくって」


 メロディは頬をほんのり桃色に染めてニコリと微笑んだ。初めて出会った日のことでも思い出しているのかもしれない。ルシアナも当時を思い出して、先程とは少し違った感じで顔を赤らめた。


「……ズルいわ、メロディ。そんなこと言われたら言い返せないじゃない」


「ふふふ、すみません」


 現在、ルトルバーグ伯爵邸にはメロディとルシアナしかいない。ルトルバーグ夫妻はもとより、セレーナとマイカ、リュークはもちろんのこと、まさかの魔王グレイルに至るまで、屋敷を出払っているのだ。


「マイカ達は孤児院で楽しくやってるかしら?」


「ええ。きっとそうだと思いますよ」


 本日、マイカ達は彼女がお世話になった孤児院に足を運んでいた。今夜は孤児院に泊まって明日また屋敷に帰ってくる予定となっている。


「きっとグレイルは孤児院の人気者になるでしょうね」


「ええ、とても可愛い子ですから」


 子供達に揉みくちゃにされる子犬の姿を思い浮かべながら二人は微笑み合った。だが、メロディはすぐに小さなため息を漏らしてしまう。


「……セレーナも、少しは気晴らしになればいいんですけど」


「セレーナに何かあったの?」


 首を傾げてハテナマークを頭に浮かべるルシアナ。メロディは困ったような表情でそっと頬に手を添えた。


「そうなんです。最近、年上のワイルドイケメン紳士に付きまとわれているらしくて」


「ええっ!? まさか変質者に言い寄られてるの!? セレーナは大丈夫なの?」


 残念ながらルシアナの辞書に『ストーカー』という言葉は登録されていない模様。


「とりあえず危害を加えられたりはしていないそうなんですが、セレーナが街を歩いていると偶然を装って何度も姿を現すのだとか。買い物をしていると荷物持ちを買って出たり、おつかいの帰りに喫茶店に誘われたり、時にはただ並んで歩くだけなんてこともあるそうで、頻繁に遭遇することを除けば割と親切な人らしいんですが……」


「……なんだろう。どこかのヘタレ騎士を思い出すんだけど」


「ヘタレ騎士? まあ、そんな可哀想なあだ名の騎士様がいらっしゃるんですか」


 メロディは憐憫の表情を浮かべた。当人がここにいなくてよかったと思うのは、ルシアナなりの優しさだろうか。ルシアナも思わず憐憫の表情を浮かべてしまう。


「とりあえず、セレーナに被害はないのね?」


「はい。頻繁に会ってちょっと面倒には感じているそうですが、危険はないみたいです。ただ時々、『過去の記憶って、お互い美化されるものよね』と言いながら疲れた表情を浮かべるので、気晴らしになればと思って今日はマイカちゃんに同行するよう言ったんですよ」


「その人ってもしかして貴族なの?」


「身なりを見る限りそうらしいですよ。私も直接お会いしたことがないので何とも言えませんが」


「そう。それじゃあ無視するのも難しいでしょうね……でも、ワイルドイケメン紳士って、微妙に高評価なのはなんで?」


「見た目だけは大変素敵なんだそうです。綺麗というよりは男らしく、逞しく、頼りになりそうな方らしいですよ」


「……見た目は好みだったのかしら?」


「面倒臭いだけで嫌っているわけではなさそうでしたけど、どうなんでしょう?」


 セレーナに言い寄る謎のワイルドイケメン紳士とは一体、何者なのだろうか!?

 いやぁ、本当に謎である。ミステリアスな新キャラの登場である!


「あ、そろそろお湯が沸く頃ですね。お嬢様、一旦失礼します」


「うん。私もお腹ペコペコだわ。夕食の準備、よろしくね」


 そうして話を打ち切ると、メロディはキッチンへ戻るのであった。

 それから少し経って……。


「というわけで、今日ははりきって作ってみました!」


「……これが今日の夕食?」


 ルシアナはメロディが用意した夕食を、少々困惑した表情で見つめた。


「これって、パスタなのかしら? それにしてはスープに浸ってるし、器も深いわ」


 食べにくそう。料理を見たルシアナが最初に浮かべた感想はそれであった。

 ただ、香りはいい。初めて嗅いだ匂いだが、食欲をそそる不思議な感覚だ。

 だが、パスタがいただけない。いつもなら金色?に輝く麺なのに、今日のそれはなぜか薄汚れた灰色をしている。麺の中に黒い粒のようなものもあり……正直、あまり美味しそうには見えない。


(今年最後の食事がこれだなんて……まさか、いやがらせ? そんな、私、メロディに嫌われるようなことでもしてしまったのかしら)


 ルシアナはメロディを見た。しかし、当のメロディはにこやかに微笑んでいて、とてもいやがらせをしているようには見えない。


「メロディ、これって一体……」


「はい。せっかくの大みそかですから年越しそばを作ってみました」


「年越し、そば……?」


「ガレットにも使われるそば粉で作った麺です。普通のパスタ麺よりも切れやすいので、とある国では『今年一年の災厄を断ち切る』という意味で、毎年大みそかには食べられているそうですよ」


「へぇ、そんなゲン担ぎみたいなことをしている国があるのね。知らなかったわ」


 知らなくて当然である。異世界のお話なので。


「でも、こんなに深い器に入っていてはフォークで麺を巻き取りにくくないかしら。あら? フォークがないわね。代わりにあるのは……二本の棒?」


「そばはお箸で食べるものですから」


「こんな棒を使って食べるの? そんなこと言われても使い方が分からないわ」


「安心してください、お嬢様。そこはメイド魔法を使って。さあ、今ここに開演せよ『人形劇マリオネット』」


 メロディの十本の指先から銀色の糸が現れ、それらがルシアナへと伸びていく。


「きゃっ、え? 何っ!?」


 十本の糸が全身に絡みつき、驚いてしまうルシアナだったが、銀色の糸はその後すぐに消えてしまい、メロディの手にも糸は残っていなかった。


「大丈夫ですよ、お嬢様。さあ、これで箸が使えるはずですから」


「どういうこと……って、あれ?」


 気が付くと、ルシアナは正しい持ち方で箸を手にしていた。今も自分の意志とは関係なく、人差し指と中指を上手に使って箸を開閉させている。



 これぞ恐るべきメロディのメイド魔法『人形劇』である。



 この魔法は術者の意志で他人の行動を操ることができる魔法なのである。ただ操るだけではない。とても自由度が高く、操る箇所はかなり細かく指定できる。今はルシアナの右腕を操って箸を持たせているだけなので、他の部分はルシアナの自由だった。


 だが、やり方次第では眼球運動から表情金、呼吸にいたるまでを制御できる魔法であり、それこそルシアナを完全に操り人形にできてしまうという、悪用しようと思えばどこまでも非情なことができてしまう魔法なのだ。


 もちろんメロディはルシアナに箸の持ち方を習得させるためだけに使っているので安全だが。

 しかし、メロディはもう一点、この魔法で指導しなければならないことがあった。


「ではお嬢様、今から正しいそばの食べ方を魔法で指導していきますね」


「う、うん。分かったわ」


 年越しそばにメイド魔法と、一年の最後までメロディに驚かされっぱなしのルシアナだが、いつものことと諦めて、されるがままに年越しそばを食べることにした。


(お腹空いたし、いい匂いがするし、早く食べたいものね……)


 初めて鼻腔を抜ける美味しそうな匂いに、否が応でも期待してしまうルシアナ。


 だがしかし、そこにはひとつだけ大きな落とし穴があるのであった。


「では、左手は器にそえて、右手で箸を持ち、麺をすくってください」


 魔法によって優雅にそれらの動作を行うルシアナ。難なく箸を使い、麺を持ち上げる。つゆが飛んでドレスを汚すなんていうミスもなく、あとは口に入れるだけ。


 ……そう、口に入れるのだ。


 思いきり、麺をすすって。


 ズルズルズルズルズル!


(~~~~~~~~~~~っ!?)


 口をすぼめて麺をすするルシアナ。その行動を取りながら、ルシアナはギョッと眼を見開く。


(は、は、はしたないいいいいいいいいっ!?)


 基本的に、パスタはフォークで巻き取ってそれをパクリといただくものだ。それをすすって食べるなどすればとんだマナー違反、恥ずかしい人扱いされてしまう。


 そして、実のところ日本以外で麺をすすって食べる習慣のある国は、ほとんどない。パスタだけでなく、ベトナムの麺料理フォーなども麺はすすらない。入りきらない分は噛み切って食べる。

 西洋文化を踏襲したようなこの異世界において、麺をすする行為は常識はずれな行動だった。


 ……日本で作られたゲーム世界なのに、とっても不思議♪






「お嬢様、お味はいかがですか? 今回は初めてですから、味付けは薄めの関西風にしてみたんですけど」


「……う、うん。味は美味しかったわ、味は……」


 そう、味そのものはびっくりするくらい美味しかった。


 日本以外の国ではマナー違反・下品とされる『すする』という行為には麺料理をより美味しく感じられるという良い一面もある。汁が麺によく絡み、すする際に空気を一緒に口に含むことで鼻から香りが抜けて、より一層美味しさを感じられるのだとか。


 だから、そばの味にはルシアナも大満足なのだが……。


(麺をすする感覚にはちょっとついていけないかも)


 どうやらルシアナは麺をすすって食べることが苦手らしい。純粋なこの世界の人間や地球の日本人以外の者達であればきっと共感してくれたことだろう。


 だが――。


「気に入っていただけてよかったです。さあ、もっと召し上がれ」


「え、あ、ちょっと待っ――ズルズルズル!」


(いーやあああああああああああ!?)


 元日本人の転生者、メロディがルシアナの様子に気が付くことはなかった。


 残念ながらルシアナの辞書に『ヌードルハラスメント』という言葉は登録されていなかった。


 そして、夕食は終わった。






「いかがでしたか、お嬢様」


「……ええ、味は美味しかったわ、味は……」


 それはよかったです、とメロディは満足げに微笑んだ。


 ルシアナは疲れたように笑い返した。


(悪気がないって結構質が悪いのね……)


 悪気のない迷惑行為。それは不必要な諍いを起こす原因のひとつ。


 一年の最後の日にそれを知ったルシアナは、新しい大人への階段を一歩登ったのである。


 とても良いことのように言っておかないとやってられないのである。


 それから少し経って、遠くからゴーンゴーンという音が聞こえ始めた。


「鐘の音?」


 メロディが不思議そうに首を傾げる。


「王都では毎年年が明ける直前になると年明けまで教会の鐘を鳴らす風習があるんですって。確かルーナがそんなことを言ってたわ」


「そうなんですか。……除夜の鐘みたい」


 ちょっぴりセンチメンタルな雰囲気になるメロディ。年越しそばも作っていたし、年末ということもあって日本のそれを思い出してしまうのかもしれない。郷愁というやつである。

 しばらく無言で鐘の音に耳を澄ませていた二人。そして、メロディはルシアナの方を向いた。


「もうすぐ新しい一年が始まりますね、お嬢様。来年もよろしくお願いします」


 少し恥ずかしそうに頬を染めながら、メロディはニコリと笑みを浮かべてそう言った。


「メロディ……うん、そうだね! 来年も楽しい一年にしましょうね!」


 さっきまでの不快感など忘れたかのように、ルシアナは満面の笑みを浮かべてサムズアップをするのであった。


「はい、お嬢様!」


 メロディもさらに笑顔を深めてルシアナに答える。







そして――。






「実は、来年はこのお屋敷の改修工事をしようと思っているんです! 地下五階、地上三十階建ての高層ビル化を考えていて、お嬢様方のためにいろんな施設を用意しようと――」


「メロディ!?」


 年末年始って気分が高揚するよね、ハッチャケちゃうよね、と言わんばかりにメロディが現実味のない、そしてやろうと思えば実現できてしまうとんだ問題発言を始めたのである。


「建材の方も問題ありません。木材はいつもの森からいくらか拝借して、金属にしても地中にあるものを魔法でかき集めれば十分足りますし、要員も分身がいれば事足ります。あとは――」


「だ、誰かー! って、私しかいないんだったわ! と、とまってメロディ!」






 そして、鐘は鳴り続け、年が明けるのであった。





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