エピローグ
「……夢を見た、ですか?」
夏の昼下がり。王城のテラスにクリストファー、アンネマリー、そしてマクスウェルの三人が集まってお茶会を開いていた。
その目的は先日の教室での戦闘について。自分だけが知らない現状を問い詰めているのだ。
とはいえ、クリストファーもアンネマリーも自分が元日本人の転生者だと素直に教えようとはまだ思えなかった。信じてもらえるかどうか不安だったとも言い換えられる。
そのため、二人は幼い頃から不思議な夢を見るようになったという前提で魔王や聖女の存在を説明することにした。
だが、そこは昔ながらの幼馴染。この二人が取り繕うことに長けていることなどよく分かっているマクスウェルは、彼らが全てを正直に話していないことに気付いていた。
(……ですが、今回はこのくらいにしておきますか)
「それで、君達は夢で今回の件も把握していたということかい? 犯人が彼女であることも?」
「いいえ、わたくし達には事件が起きることは分かっても、具体的なところは分かりませんの。実際に起きてみると、人物の役割が異なっていたり、夢とは差異のある出来事が起きたりして、むしろ混乱することも多いのですわ」
「おそらく、未来は確定していないということなんだと思う。誰かの想定外の行動が小さな波紋を生み、気が付けば夢とは違った未来が描かれる」
「そして君達は変化した未来を夢に見ることはできないと」
二人はコクリと頷いた。
「なかなか難しい問題だね。君達のいう魔王や聖女の存在も、ちょっとした弾みで消えていてもおかしくないということだから」
「正直、そうなってくれた方がわたくし達としても助かるのですけどね」
アンネマリーは力なく笑った。
「でも、いるんだよなぁ。少なくとも魔王は」
「それが舞踏会の襲撃者で、ルーナ嬢を殺そうとした彼というわけか」
「正確にはあの方も操られているのですわ。聖女さえいれば救う方法もありますのに」
アンネマリーは嘆息した。それも仕方がない。二人の夢での最大の齟齬。それが聖女の不在なのだから。根本的に魔王への対抗手段がない状態なのだ。ため息も出るというもの。
「それはそうと、君達はあれも夢に見て知っていたのだよね?」
「「あれ?」」
マクスウェルの質問に、二人は首を傾げた。
「学園のことだよ。正確にはルーナ嬢や他の生徒達のことかな」
「ああ、確かに夢で知っていました。といっても結果だけで、過程はさっぱりなのですけど」
「本当にどうしてああなるんだろうな。ルーナも他の生徒達も事件のことなんてきれいさっぱり忘れてしまうなんて」
クリストファーは腕を組んで悩ましげに唸り声を上げた。
そう、嫉妬の魔女事件終息後、休みが明けると学園は事件などなかったかのように普段の雰囲気を取り戻していた。生徒達はルシアナへの不信などなかったようにいつも通りで、例の事件の存在すら覚えていなかったのである。
嫉妬の魔女にされたルーナ自身も事件のことは覚えておらず、ルシアナとケンカをして仲直りしたという事実だけが記憶に残っているだけだった。
「覚えている者とそうでない者の違いは何なんだろうね」
「魔力の強さと言いたいところですが、それに該当する学園上層部でさえ覚えていないのですから本当に何がどうなってそうなったのやら、さっぱりですわ」
そう言いながら、アンネマリーはゲーム特有の強制力のような何かが働いたのではと思っている。代役ヒロインや悪役が勝手に配置されるくらいだから、こんなことも起きるだろうと思っていたら案の定というわけだ。ご都合主義万歳である。
「ルシアナ嬢の方はどうだったんだい?」
「そっちもダメっぽい。後日話を聞いたら「ハリセンではたいたら正気に戻った」って言うんだ。何かの力が働いて別の記憶が補完されているらしい。現場に居合わせた張本人だったんだがなぁ」
「あの時、彼女はハリセンなんて持っていませんでしたものね」
ハリセンて……。
アンネマリーは嘆息し、マクスウェルは呆れた表情になる。
「これは問題解決には相当苦労しそうだね」
「まあ、それとは別に書類を処分するのにも苦労したけどな」
クリストファーは遠い目をした。誰もが忘れ去ったとしても起きてしまった事件そのものが本当の意味でなくなったわけではない。クリストファー達は完全に事件を闇に葬ろうと、秘密裏に学園側の検分記録などをこっそり処分したのだ。
「これで今回の件は一応解決したってことでいいのかい?」
「とりあえずは。ですが、聖女が見つからない限りずっとこんな調子なのでしょうね」
「ハッピーエンドはまだまだ遠そうだね」
晴れ渡る空を見上げるアンネマリーに、マクスウェルは苦笑を浮かべるのだった。
同じ頃、メロディは学園にあるレクトの執務室にいた。今日は七月の最終日。今日で一学期が終わり、明日から学園は夏季休暇に入る。つまり、レクトの臨時講師は、ひいてはメロディの臨時助手業務は今日で終わりというわけだ。
二人は一緒に執務室の後片付けを行っていた。
「新しい正式な騎士道の講師が決まってよかったですね」
「ああ、そうだな……」
「? あまり嬉しくなさそうに見えますけど……?」
「そんなことはないさ、ないんだが……」
頬を赤らめて視線を逸らすレクトに、メロディは首を傾げた。
恋する女性と二人きりになれる機会が失われるのだ。未練があって当然といえよう。
「どうかしました?」
「……いや、片付けを手伝ってもらえて助かるなと思っただけだ」
ヘタレである。ここにヘタレ二十一歳がいますよ、奥様。
「このくらいの片付けなんてメイドにかかればちょちょいのちょいですよ♪」
「メイドにかかれば、そうだな。さすがは『世界一素敵なメイド』を目指しているだけはある」
「そう思いますか? ありがとうございます」
どこか得意げなメロディの様子に、レクトは「お?」と思う。
「なんだ? 『世界一素敵なメイド』とやらに一歩近づけたのか?」
「ふふふ、それは秘密です♪」
口元に人差し指を立ててウインクをするメロディのなんと愛らしいことか、などと考えていそうな顔でレクトはしばし無言を貫くのだった。
レクトの片付けが終わり、メロディはルシアナの部屋へ戻った。
「遅くなって申し訳ございません、お嬢様」
「お帰りなさい、メロディ」
学生寮の部屋では全ての荷物がまとめられ、屋敷へ持ち帰る準備が進められていた。明日からは夏季休暇。しばらくここに戻ることはないので全ての荷物を今、馬車に載せている最中だった。
見ればもう残っているのは自分達で運ぶ分だけのようだ。
「全部任せてしまってごめんなさいね、マイカちゃん」
「いいえ、これもお仕事ですから。それに、力仕事をしてくれる人もいますしね」
マイカはニコリと微笑む。すると、部屋をノックする音が。ルシアナが入室を許可すると執事服に身を包んだ背の高い青年が姿を現した。
「……荷物、全部載せ終わりました」
「そう。ありがとう、リューク」
「男手がいて助かっちゃった。ありがとう、リューク」
「私がいない間に済ませてくれたのね。ありがとう、リューク」
「……ああ」
リュークと呼ばれた青年こと、ビューク・キッシェルは恥ずかしそうにコクリと頷いた。
ビューク・キッシェル改め、今の彼はリュークと呼ばれている。命名者はマイカだ。
魔王に魅入られ操り人形にされていた彼は、メロディの力によって魔王の支配から解放されたところまではよかったのだが、魔王に操られていたせいなのか、それとも急激な肉体変化のせいなのか、目覚めた彼は記憶を失っていた。
自分の名前さえおぼろげで、これまでの人生の記憶のほとんどが残っていなかった。
彼には春の舞踏会の襲撃事件と今回の件で容疑がかかっているはずだ。見つかれば捕らえられる可能性が高い。といっても、既に見た目が全く違うので見つけられるとも思えないが。
魔王に操られ、記憶まで失った彼がそんな目に遭うことをマイカは許容できなかった。何よりスラム街から自分を助けてくれた彼を見捨てるなんてできなかったのである。
彼を助けたいと訴えるマイカに、だったらとメロディが『うちの使用人になればいいのよ』と発案した結果が今というわけである。
ルトルバーグ家は男性使用人も求めていたのでちょうどいいとメロディは提案したが、レクトは猛反対。
恋する女性の前で事故とはいえ全裸を晒した男なんて置いておけるか!
……なんて、似たような前科を持つ身としては言えるはずもなく、反対は空しくも却下されるのだった。
そして名前不詳、住所不定の訳ありイケメンをあっさり受け入れてしまうあたり、ルトルバーグ家は器が大きいんだか危機感が薄いんだか。
ここは寛容で偉大な御主人ということにしておこう。
というわけで、リュークはルトルバーグ家の執事見習いとなった。
これに喜んだのはヒューズである。ようやく我が家に同性が増えたと喜んで、執事の何たるかをご高説していたりする。
最初の数日はあまりにベッタリだったので妻マリアンナが違う意味で心配になったのは、また別の話である。普通、色男が来たら心配すべきなのは夫の方だと思うのだが……。
記憶を失う前、ビュークは誰かに仕えることを強く拒んでいた。だが、今はその記憶がないせいか、執事見習いをすることに拒否感はないらしい。ただ、誰かから礼を告げられると頬を赤くして少し嬉しそうに照れる姿はとても微笑ましかった。
「メロディ先輩。私、リュークと一緒に馬車の確認に行ってきますね」
「お願いね。こっちの荷物は私に任せてくれればいいわ。リュークも馬車で待ってて」
コクリと頷くと、リュークはマイカとともに部屋を出て行った。
「ふふふ、リュークの言葉遣いは要教育かしら、メロディ?」
「そうですね。お屋敷に戻ったらメイド流執事レッスンをしてあげなくちゃいけませんね」
「……藪蛇だったわね。ごめんなさい、リューク」
自分が受けた淑女教育を思い出し、ルシアナはリュークに謝るのだった。
「さてと、荷物の忘れ物は本当にありませんか?」
部屋の中を見回すが、特に何も忘れてはいなさそうである。
「あるとしたらこれかしら?」
ルシアナはテーブルの上に置かれていた一枚の書類をメロディに差し出した。
「学園の成績表ですね」
ルシアナの成績が記されている。中間試験三位。そして期末試験も三位である。
ちなみに期末試験の結果は一位から四位までは変わらず、なんとルーナは七位を取った。記憶に残ってはいないが、例の事件で何か吹っ切れたものがあったのかもしれない。
ルシアナは最後に会ったルーナが『次の試験では勝ってみせるからね!』と宣戦布告した姿を思い出し、クスリと笑った。
「お嬢様、何かいいことでもありました?」
「ううん、何でもないの。あ、そういえばありがとね、メロディ」
「何がですか?」
「ずっと言いそびれていたけど、この前のルーナとのことよ。あなたの魔法のおかげで助かったし、何よりアンネマリー様達を呼んでくれたのもメロディなんでしょ? おかげでルーナを失わずに済んだもの。本当にありがとう、メロディ」
ルシアナは笑みを浮かべて礼を言った。だが、メロディは少しだけ後ろめたい気分だ。
「でも私、待っていてというご命令に従いませんでしたのに」
「ふふふ、結果良ければすべてよしなのよ。気にしない、気にしない」
「……お嬢様」
ニコリと微笑むルシアナを見て、メロディは自分の選択が間違っていなかったのだと実感した。
「こちらこそありがとうございます、お嬢様。おかげで私、ちょっとだけ『世界一素敵なメイド』に近づけた気がします」
「そう? それはよかったわね!」
メロディとルシアナはお互いに微笑み合った。
(やっぱりこれ、これなんだ。この笑顔を守れるメイドこそ『世界一素敵なメイド』なんだわ)
技術と知識。もちろんあるに越したことはないが、きっとそれだけでは主の笑顔は守れない。
そのためには何が必要なのか、それが今後、メロディが『世界一素敵なメイド』になるために探していかなければならない目標になる……のかもしれない。
「ふふふ」
「どうしたの、メロディ?」
「いいえ、お嬢様が笑ってくれて嬉しいなと思って」
当たり前のようにそんなことを言われては、さすがのルシアナだって照れてしまう。
そして照れたら照れ隠しをするものと相場が決まっているのである。
「そ、そう。でも、こーんなことをさせてくれたらもっと笑顔になっちゃうわよ~」
「きゃあああ! 淑女がメイドに抱き着いちゃ、って、何度も同じことを言わせないでください!」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから! そしたら私も笑顔になるから! 大丈夫よ、ほんの少しの間天井のシミでも数えているうちに終わるからー!」
「いやー! お嬢様、笑顔が嫌らしいです! というか、本当にどこでそんな恥ずかしいセリフを覚えてくるんですかああああああああ!?」
ところ変わってルトルバーグ伯爵邸。
「さてと、これでおしまいですね」
魔法の人形メイド、セレーナは本日最後の洗濯物を吊るし終えると軽く額の汗を拭った。
夏の爽やかな日差しが洗濯物を包み込み、白いシーツがより一層美しくさえ見える。
セレーナはその光景を見つめ、優しく微笑んだ。
「これから夏真っ盛りね。ふふふ、楽しい夏休みになるといいわね……メロディ」
セレーナの首の銀細工が仄かな淡い銀の光を灯し、やがて消えた。
「さあ、お洗濯も終わったし次の仕事を始めましょうか。お姉様が帰る前に済ませないと」
ルトルバーグ伯爵邸に、涼やかなハミングが響く。
夏の始まりを予感させる、美しい音色だったと、誰かが語ったとか語らなかったとか。
【第二章~おわり~】
【あとがき】
第二章を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
いやー、お待たせしまくった割にあっさり終わってしまいましたね、第二章。
少しでも楽しんでいただけていればよいのですが。
第三章にご期待ください!
いつになるかって? ……善処します!
第二章は小説第2巻として来年発売予定なのですが、カクヨムさんで宣伝するのはさすがにはばかられるので、お手数ですが詳細は各自ご確認ください。
同時連載中の小説家になろうの方では、あとがきでもちっと詳細を書いています。
なるべく早く第三章を始められるように頑張りたいと思います。
今後ともメイドジャンキーヒロインによる勘違いお仕事ファンタジーをよろしくお願いいたします。
あてきち
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