第28話 嫉妬の魔女 対 嫉妬の魔女

 ルシアナが寮に留まると決めた夜。隣の部屋のルーナはサーシャに髪を梳かしてもらっていた。


「ありがとう、サーシャ。もういいわ」


「畏まりました。お嬢様、明日のご予定はお決まりですか?」


「……実は、教室に忘れ物をしてしまったの。だから、明日は早めに起きて一度校舎に行くわ」


「それは大変ですね。学園に連絡して私が受け取りにいきましょうか?」


「いいえ、自分で行くから気にしないで。それじゃあ、今日はもう寝るわね」


「……はい、お休みなさい、お嬢様」


 サーシャは一礼して寝室を出た。扉が閉まり、サーシャは小さくため息を吐く。


「どうしたんだ、サーシャ」


 いつもの澄まし顔で首を傾げるブリッシュ。サーシャはさらに大きなため息を吐いた。


「……何でもないわよ」


 とてもそうは見えなかったが、寝室をじっと見つめるサーシャをブリッシュは見守っていた。


(お嬢様、いつもと同じに見えるのに……何でこんなにモヤモヤするんだろう?)







 サーシャが出て行った後、ルーナはベッド下の影に目をやった。大した空間などないはずの影から、小柄な少年が姿を現す。彼は苦しそうに胸を押さえていた。


「ううう、ぐううう……」


 ルーナはそんな少年を、無表情で見つめる。


「……私を支配し、縛っておいて、あなたはそれが苦痛なのね」


 紫色の髪の少年、ビュークから黒い靄が、魔王の魔力が溢れ出す。

 奴隷の身分を強要され、やりたくもない仕事させられ、殴られ蹴られどやされて……もう、誰かに振り回されるのは御免だった。嫌だった。


 本来の魔王ではなく残滓ゆえに、辛うじてその支配に抵抗できたビューク。


 だが、そのために魔王の力はビュークの心身に大きな負担となってしまった。

 完全に取り払うには、残滓といえども魔王の力は大きすぎたのである。


 苦しむビュークに、ルーナは手を翳した。手のひらから黒い靄が、残滓の魔王から借り受けた魔力が溢れ出す。


「内側と外側、両方から抑えれば、もうしばらくは持つでしょう」


「あ、あ、あああああああああああああっ」


 しばし苦しむビューク。そして彼は静かに立ち上がった。瞳から光を失って……。


「明日、私の望みが叶うかもしれません。その時は、よろしくお願いしますね」


 ビュークは何も言わず、部屋の影の中へ静かに消えていった。


「明日よ、ルシアナ……明日、私はあなたを――」


 ルーナの寝室から光が消えた。











 翌朝、ルシアナがルーナを訪ねると、彼女は忘れ物を取りに教室へ向かったという。


「お嬢様、私もご一緒します」


「いいえ、私一人で行くわ」


「お嬢様!」


「大丈夫よ、話をするだけだもの。私はルーナに確かめなくちゃいけないの。そして、もし彼女がそれを認めるというなら、その真意を知らなくちゃいけない。そこにあなたは不要よ、メロディ」


「――っ」


 決意の籠ったルシアナの言葉に、メロディはそれ以上何も言えなかった。


「二人とも、あとはよろしくね」


「は、はい。ルシアナお嬢様」


「……畏まりました、お嬢様」


 戸惑うマイカと気落ちした様子のメロディ。二人に見送られてルシアナは学生寮を出立した。


 本来、今日は休みなのだから学園の校舎も鍵が閉まっているはずだ。しかし、この日は教室へ続く全ての通路が開放され、ルシアナは苦も無く一年Aクラスの教室に入ることができた。


 そしてそこには、彼女がいた。


「……ルーナ」


「おはよう、ルシアナ」


 いつも通りに笑顔を浮かべて挨拶をするルーナ。でも、それは自分の知っているルーナの笑顔ではないような気がした。ルシアナの感情の変化が原因なのだろうか、分からない。


「ねぇ、ルーナ。私あなたに聞きたいことがあるの」


「……ルシアナ。春の舞踏会、社交界デビューで私が何番目に登場したか知ってる?」


「ルーナ、何の話を……」


「正解は、あなたの一つ前よ。ふふふ、知らなかったでしょ?」


「……」


「そりゃあ、私みたいな地味な子なんて何番目でも実際には変わらないんでしょうけど、あなたのインパクトが強すぎて私なんて忘れ去られてしまったのは間違いない事実よね」


 何が楽しいのか、ルーナはクスクスと笑う。


「あの時、あなたのこととっても綺麗だって思ったわ。なんて素敵な子が現れたんだろうって、そう思ったの。私なんて勝ち目がなくて当然。それくらい『妖精姫』は美しかった。……でもね、それでもね、やっぱり捨てられないのよ、この想いも。あなたのことが『妬ましい』って気持ちは」


「……ルーナ」


「抜き打ち中間試験。私、あなたに勝てなかったわ。あんなに勉強したのにね」


 ルーナは微笑みながら教室をゆっくりと歩き出した。


「マクスウェル様って本当に素敵な方ね。でも、生徒会役員に誘われたのはルシアナ、あなた」


「でも、あなたのこと私は推薦して……」


「それであなたの代わりに私が立つの? ふふふ、私、とっても惨めね」


「そんな! そんなことないわよ!」


「私とあなたって、同じ伯爵家だけどあなたは狭いながらも領地持ち貴族で、我が家は法服貴族。たとえ『貧乏貴族』だなんだと揶揄されたって、どうしたって家格は領地持ちの方が上。……本当になんて妬ましいこと。ふふふ、あはははは」


「ルーナ! どうしちゃったのよ。だって、私達、出会った時から仲良くやってきたじゃない」


 その時、ルーナの表情がすっと消えた。


「ルーナ?」


「ええ、そうね。私もあなたのこととても好きだったわ。ええ、そう。……でもね、それと同じくらいあなたのことが妬ましくて、あなたのことがとっても、とっても……大嫌いだったのよ!」


「――っ!?」


 突如、ルーナの全身から黒い大きな力が迸った。


「これは……魔力!? でも、こんな!」


 可視化できるほどの強大な魔力がルーナの全身から溢れ出していた。それと同時に風が巻き起こり、机や椅子が弾き飛ばされていく。ルシアナは必死にそれを回避していった。


「あは、あはは、きゃははははははは! 凄い、凄いわ! これが私の手に入れた力。あなたを妬んで羨んで、憎んで嫌ってそうして手に入れた力! ……あなたを排除するための力よ!」


 教室の床や壁、天井に至るまで全てがグニャリと歪みだした。そして壁や天井が取り払われ、教室の床が無限に広がる不思議な空間が生み出される。


「ふふふ、これでもう逃げ出すこともできない。さあ、くらいなさい、ルシアナ!」


 ルーナは右手の先に黒い力を凝縮させ始めた。時を追うごとに黒球から紫電が走り、解き放たれた時、どれほどの威力になるのか想像もつかない。


「ルーナ、やめて、こんなこと!」


「ああ、嬉しいわ、ルシアナ。もう、さようならなのね。私があなたを……殺すのよ!」


 そしてルーナは満面の笑みを浮かべながら……一筋の涙を流した。


「……ルーナ!」


 ルーナの右手から高速の黒球が放たれ、着弾と同時に黒い閃光が解き放たれた。






 作り出した空間さえ揺らぐほどの威力。これではルシアナなど一溜りもないだろう。






「……本当にさようなら、ルシアナ。これで私の望みは…………え?」






「……え?」







 先程攻撃をしたところに、ルシアナが立っていた。


 二人してポカンとしてしまう。


 間違いなく葬ったと思ったのにと、目の前の光景が理解できないルーナ。


 攻撃を受けてもうダメだと思っていたところ、五体満足で何事もなく立っている自分を理解できないルシアナ。


 だが、先に自分を取り戻したのはルシアナであった。ルシアナは身に着けている制服を見て、触れて、スカートをたなびかせて、納得したように頷いた。


「……ああ、うん。要するに、さっきの攻撃は『舞踏会会場が木っ端みじんになる』ほどの攻撃ではなかったってことね。いや、それでも無傷だって話だからそれ以上の可能性もあるけど」


「な、何を言っているの、ルシアナ……」


 いまだに無傷なのが信じられないルーナに、ルシアナは不敵な笑みを浮かべた。


「つまりね、一人で行くなんてカッコつけて来たものの、私、全然一人じゃなかったってことよ」


「だから、何の話よ!」


 想定外の事態にルーナは激昂する。ルシアナは眉根を寄せて胸元で拳を強く握った。


「ルーナの気持ち、よく分かったわ。でもね、だからって私にだって言い分はあるし、あなたの気持ちをそのまま受け入れられるだけの度量は、まだ私にはないのよ」


 ルシアナは一歩前に出た。思わずルーナが後退る。


「いいわ、ルーナ。あなたのその喧嘩。この私、ルシアナ・ルトルバーグが買ってあげる!」


 ルシアナは力強く拳を前に突き出した。


「覚悟してよね!」


 今ここに新旧『嫉妬の魔女』の戦いが幕を開けた。






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