第27話 きっかけは一冊の本
男性生徒の言葉を皮切りに、再び教室中からルシアナを責める声が響き始める。ルシアナの言い分など周囲の耳に届かず、ただ彼女に水魔法が使えるという事実だけが浸透していった。
まるで集団ヒステリーのようだ。
もはやアンネマリーにもどうやって終息させてよいのか分からない。
そんな中、アンネマリーはこの状況を静かに見守っている生徒――オリヴィア・ランクドール公爵令嬢を注視していた。
最初からルシアナに敵意を持っていた彼女だ、これ幸いとこの場でルシアナを罵るかと思ってみれば、彼女はずっと扇子で口元を隠しながら状況を見守っている。
何かチャンスを待っているのだろうか、ルシアナを決定的に陥れる最悪の策略を。
(やはり、あなたが『嫉妬の魔女』なの、オリヴィア。ゲームではあなたがこの事件の被害者だったというのに。まさか私にこの役が回ってくるなんてね……て、あら? となると……)
――悪役令嬢の役は誰がするのかしら?
その時、オリヴィアがパチンと大きな音を立てて扇子を閉じた。そしてオリヴィアは毅然とした態度でルシアナのもとへと歩みより、その手に持った扇子をルシアナの前へ鋭く突き立てた。
その光景にアンネマリーは『まさか』と思う。いや、でも、そんなはずは……。
「分かりましたわよ、ルトルバーグ様。これまでの事件、狙われたのは学年トップの成績を収めた我らがAクラスそのもの。そして次が成績優秀で裕福な平民の生徒。そして最後は春の舞踏会であなたと注目を分けたヴィクティリウム様」
(……嘘でしょ、ホントに?)
オリヴィアのセリフはアンネマリーも良く知ったものだった。
「あなたは、優秀で将来性のある皆様を妬んでこんな見苦しい犯行を重ねたのですね! なんて見苦しいこと! 即刻自らの罪を認め、わたくし達に謝罪なさいませ!」
(ホントに言っちゃったあああ! なんであんたが、私のセリフを言っちゃうのよおおおおお!)
オリヴィアが今告げた言葉。それは、ゲームにおいて当て馬悪役令嬢アンネマリーがヒロインを糾弾するために告げたセリフだったのだ。大変稚拙なセリフゆえにゲームではクリストファーによって一蹴されてしまうわけだが、教室中が熱狂しているのか彼らはその言葉を受け入れていた。
(まさか、オリヴィアが今回の悪役令嬢枠なの? じゃあ、本当に中ボス『嫉妬の魔女』は誰なのよ!?)
謎は深まるばかり。結局、その後でクリストファーの一喝によってその場は収められたものの、明らかにルシアナ不利の状況で終わってしまったのであった。
その日の午後、ルシアナは選択授業を受けずに学生寮へ帰った。メロディ達も知らせを聞いてレクトの助手業務を急遽休み、二人でルシアナを出迎えた。
「はぁ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」
学生寮に帰ったルシアナは、メロディが淹れたお茶を飲みながら一人愚痴を零す。
幸いといってよいのか、今日は七月第三週六日目。
明日は休みなので、今日の夕方には伯爵邸へ帰る予定だ。家族に会って気持ちを取り戻してもらえればいいと、メロディは考えていた。
だが、メロディは自分の不甲斐なさに憤りを感じざるを得ない。マイカも加えてルシアナをフォローするつもりだったのに、結局のところ自分は何の役にも立っていないのだから。
(こんなんなことで『世界一素敵なメイド』になんてなれるわけないわ……)
答えは出ない。以前、ルシアナから心が温まったと言ってもらえた時は少しだけ目標に近づけたような気がしたのに、今となってはただの勘違いだったのかと思ってしまう。
(私はあの時、どうしてそう思ったのかな?)
項垂れるルシアナを見守りながら、メロディはそんなことを考えていた。
「メロディ先輩、帰宅用の荷物の準備が整いました」
「ありがとう、マイカ。このお茶を飲み終わったら出発しようかな」
それから数分後。ルシアナはティーカップを置いた。
「私が片付けてきますね」
「ありがとう、マイカ」
ルシアナに礼を言われたマイカはニコリと微笑みながらティーセットを運んで行った。マイカの食器洗いが終われば、あとは屋敷に帰るだけである。
(少しでも気がまぎれてくれればいいんだけど……)
「……清き水よ今ここに『水気生成』」
ルシアナの指先に小さな水球が生まれた。ティーカップに入るくらいの小さなものだ。
「これが私の限界だって言ってるのに、どうして誰も信じてくれないのかな。ルーナだってあんなに必死に弁護してくれたのに」
「私は初日以来お会いしていませんが、ルーナ様はお優しい方なんですね」
「そうなの。あの後も図書館へ本の返却に行かなければよかったなんて謝られて、私の方が恐縮しちゃったくらいだわ。本当にお人好しなんだから」
「図書の返却ですか?」
「うん。確か『子供のための初めての魔法基礎』って本よ。お昼休みの途中、ルーナはその本を返却するために図書館に行ったの。それで私が一人になる時間があったから、その時に事件を起こしたんだろうって言われたのよね。って、どうしたの、メロディ。そんな驚いた顔しちゃって」
メロディは目を見開いてルシアナを見つめていた。少しだけ口籠りながらメロディが尋ねる。
「お嬢様、今なんて……」
「え? だから、ルーナが図書館に本を返却している間に私が……」
「いえ、そうではなくて。本のタイトルです」
「本のタイトル? 『子供のための初めての魔法基礎』だけど? メロディも知ってるでしょ?」
メロディはハッとした様子で自分の部屋へ駆け戻り、そして一冊の本を持ってきた。
「あら、それ、今言ってた本じゃない?」
メロディが手にしているのは『子供のための初めての魔法基礎』で間違いなかった。
だが、メロディの返答はルシアナに大きな衝撃を齎すこととなる。
「図書館から借りたものです。……ちなみにこれは、図書館に一冊しかないそうです」
「??? どういうこと? ルーナが返却した後に借りたの?」
メロディは首を横に振った。
「これはレクトさんが私にと、五日前に図書館から借りてきてくれた本です」
ルシアナはメロディの言っている意味がよく分からなかった。
だって、それは……。
「で、でも、ルーナはその本を返すために図書館に行ったのよ。……どういうこと?」
「お嬢様、ルーナ様がこの本をお持ちのところは見ましたか?」
「……いいえ」
首を左右に振るルシアナから表情が抜け落ちていく。思考が上手くまとまらない。
「……ルーナ様はルシアナお嬢様の無実を訴えたのですよね」
「そ、そうよ! うん、そう!」
「でも、結果だけ見ればお嬢様のアリバイはルーナ様の行動によって失われています」
「……」
「アンネマリー様は水の魔法を使えなければ犯行は難しいと仰った。そうですよね?」
「う、うん」
「そしてルーナ様はお嬢様には無理だと主張した。周囲に水魔法が使えることを伝えたうえで」
「……」
ドクンドクンと胸の拍動が頭の中で大きく響く。自分が酷く動揺していることが分かる。
(……ルーナ?)
メロディはとても悲しそうか表情を浮かべていた。名推理を披露しようとか、そういう気持ちでこんな話をしているわけではないのだろう。気付いてしまったひとつの事実が、あまりに受け入れ難くて、でも、それ以外の答えが見つからなくて。
自分の中に、冷静で理性的なもう一人の自分の声が聞こえる気がした。
『最初の事件。私が犯人だと思われるきっかけになった失くした鉛筆。あれは、なぜなくなったのかしらね? もしかして、現場に残すためにルーナが盗んだのかも』
(それはさすがにこじつけよ!)
『第二の事件。犯人に対する共通点、最初にそれを口にしたのは誰だったかしら? あそこからよね、一気に私が疑われ始めたのは。そして第三の事件にしてもそう、疑われるきっかけを作ったのはいつも――』
「やめてっ!」
「お嬢様……」
耳を塞ぐようにして蹲るルシアナ。でも、本当は分かっている。一度生まれた疑念は、自ら確かめない限り永遠に解消することはできないのだ。
「遅くなってすみません。食器の片付けが終わりました。いつでも出発でき……ますけど」
蹲るルシアナをマイカは訝しげに見つめる。何があったのか、メロディに視線を送るが、つらそうな表情で顔を逸らされてしまった。
それからルシアナはゆっくりと立ち上がった。大きく息を吐き、天上を見上げる。
そして――。
「……今日は、帰らないわ」
「え? 帰らないんですか?」
「うん。確かめなくちゃいけないから」
「お嬢様……」
「マイカ、屋敷に帰らない旨の知らせを送ってきてくれる? メロディ、今夜は軽めの夕食でお願い。食べ終わったら今日はすぐに寝ることにするわ」
「は、はい、畏まりました」
「畏まりました、ルシアナお嬢様」
まだ状況が呑み込めずに不思議そうにするマイカ。対するメロディは恭しく一礼する。
気付いたことを伝えなければよかっただろうか。でもきっと、いつかは知ることになる。
決意を胸に秘めて歩くルシアナの後ろ姿を、メロディは黙って見送ることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます