第25話 マイカとビューク

 第四攻略対象者ビューク・キッシェル。


 ゲームのシナリオ通りの不幸に遭い、ヴァナルガンド大森林で封印の解けかけていた魔王に魅入られ、操り人形となってしまった哀れな少年――に、見えるが実際には十八歳の青年である。


 魔王の意思のもと舞踏会を襲撃した彼は、ルシアナのドレスに掛けられていたメロディの無敵の防御魔法が原因で、襲撃に失敗してしまった。その際、封じられていた魔王の力のほとんどは剣から解き放たれ、またしてもメロディのおかげ(?)で子犬に封じられることとなった。


 そうであれば、本来なら自由の身になってもおかしくなかったはずのビューク。


 しかし、運命は彼を逃しはしなかった。剣に残されていたわずかな魔王の残滓が、衰えてもなおビュークの意識を支配していたのである。

 だが、やはりそれは魔王の残り香。本来のゲームのようにビュークを完全に従えることはできなかった。彼の自我が戻り始めるのは、ゲームではシナリオ後半の話。


 しかし、春の舞踏会から幾日か経ったある日、唐突に彼の意識は覚醒する。


 少女の鳴き声が聞こえた。


 閉ざされていた視界が開き、やはり、泣いている少女がいる。


 しばらく呆然とそれを眺めていたビュークだったが、気が付けば彼は動いていた。


 少女の手を引き、スラム街の外に連れていく。


 思い起こされるのは、帝国の人狩りによって安住の地も家族も何もかもを失った時のこと。


 あの時もこうやって訳も分からず泣いている子供がいたのだ。


 そしてその子は……。


 こんなところにいてはいけない。連れ出さなければ。


 そんな思いが心の内を満たし、気が付けばビュークはスラム街の端まで来ていた。少女は泣き止み、少しだけ心が落ち着いた。すると、再びビュークの心の隙をついて闇が広まった。ああ、また、凪いだ心を暗闇が埋めてしまうのだろう。


 そうして再び、ビュークはスラム街の闇へ消えてしまう。


 それからしばらくたったある日、ビュークに宿った黒い力が大きく騒めいた。それは憎らしい銀の魔力、聖女の力。剣に残った魔王の意識――といっても、もはや聖女を憎む想いだけが残ったもの――が、復讐のために動き出す。


 ビュークを操り、王立学園へ侵入を果たした魔王の欠片は、駒を求めた。残滓となった魔王の力にも先日の舞踏会の記憶は残っており、正面から戦っても勝ち目がないことは本能的に理解していた。だから、聖女を貶めるための手駒が欲しい。


 ……この時、剣に宿った魔王の力が思い浮かべる聖女とは、ルシアナのことだった。その身に纏ったドレスに宿る圧倒的な銀の魔力。それこそが聖女の証。


 だからこそ、魔王の残滓は求める。聖女に負の感情を向ける哀れな供物を。


 そして、見つけた。


 己の内側に秘めた負の感情を魔王の力が増幅し、支配する。


 残り香のような力であっても心の弱い人間を操るのに大した苦労はなかった。

 そうして魔王の残滓は新しい人形を手に入れたのだ。


 それに伴い、新たな人形に命じてビュークの身なりを整えさせた。襤褸を纏った格好では学園で浮いてしまうため、こちらの行動を偽装できるようにビューク自身が発案したのである。



 そう、ビュークが発案したのだ。これは本来のゲームではありえなかったこと。



 魔王本来の力であれば、ビュークの意識は完全に支配下におけたことだろう。だが、現在剣に残されている魔王の力はほんのひと欠片。ゲームとの差異の結果、ビュークは少しずつ自我を取り戻しつつある。それは、今こうして目の前で倒れている少女に手を差し伸べていることからも明らかだった。


「あ、ありがとう」


 突然戻ってきて自分を起こしてくれた少年に、マイカは戸惑いながらもお礼を告げる。しばらく無言のまま立ち尽くしていた少年だが、膝の辺りが汚れたスカートを目にしてポツリと呟いた。

「……怪我は」


「え? ああ、大丈夫だよ。転んだけど怪我はしなかったから。心配してくれてありがとう」


「……そうか」


 少年はプイッとマイカから視線を逸らした。表情には出していないが照れているのだろうか。


「えーと、二ヶ月くらい前にスラム街で私を助けてくれた人だよね?」


「……」


「……違った?」


 マイカが首をキョトンと傾げながら尋ねると、ビュークは何度か視線を彷徨わせ、ゆっくりと頷いた。見間違いじゃなかっただと、マイカはホッと安堵の息を零して笑顔を浮かべた。


「その節は大変ありがとうございました。おかげで私、路頭に迷わずに今も元気で生きてます!」


「――っ!?」


 マイカは深々と一礼し、感謝の言葉をビュークに伝えた。それを見たビュークは目を見開いてビクリと肩を震わせる。……誰かにお礼を言われたのは、本当に久しぶりのことだったのだ。


 頭を上げると驚いた表情で硬直するビュークの姿が目に入り、マイカもびっくりしてしまう。


「ど、どうしたの!?」


「……何でもない」


 またすぐに無表情に戻ったビューク。こんなこと意味がない。無駄だ。早く去らねば。

 ……そう思うのに、なぜかビュークの足は動かない。なぜ……?


「そうだ。よかったらお礼がしたいんだけど、一緒にご飯でもどう? 私、奢っちゃいますよ!」


「……いらない」


「えー、そんなこと言わずに、一緒にご飯食べましょうよ。思いの外長い時間追い掛けちゃったから、早くしないと食堂が閉まっちゃいますよ」


「だから、いらないと……」


「マイカちゃーん!」


「え? あ、メロディ先輩だ。先輩、こっちでーす!」


 食事を終えたメロディがマイカを探してここまでやってきた。


「早くしないと食堂が閉まっちゃうよ。あら、その子がさっき言ってた知り合いの子?」


「はい。私がスラム街で迷っていたところを助けてくれたんです」


「まあ、そうだったの。こんにちは、ルトルバーグ家のメイドのメロディです。私の後輩を助けてくれてありがとうございます」


 メロディが笑顔でお礼を告げると、ビュークは再び驚いた表情とともに硬直してしまう。


「また固まっちゃった。どうしたの?」


「……なんでもない」


「そうだ、お礼もかねて一緒に昼食はどうかしら? 後輩の恩人だもの、私が奢るわ」


 マイカと全く同じような提案をするメロディ。先輩と後輩は似るのだろうか。


「メロディ先輩、彼、食事はいらないんですって」


「そうなの? うーん、それじゃあ、また何か別のお礼を考えましょう。あなたの名前を教えてもらえますか? あと、どこの家に仕えているんですか?」


 メロディが質問して、マイカはようやくまだ彼の名前を聞いていないことに気が付いた。


 だが、その質問はビュークの機嫌を深く損ねるものだった。


「……俺は誰にも仕えたりしない」


「え? でも……」


 眉根を寄せてそう告げる少年を前に、メロディは困惑してしまう。その恰好はどう見ても使用人のそれであるはずなのに、誰にも仕えないとはどういう意味だろうか。


「誰かに命令されたり、強制されるなんて、真っ平御免だ! 絶対にお断……り……ぐっ!」




 先程まで抑揚のなかった口調だったのに、唐突に怒気を孕んだ声を上げたビューク。だが、全てを言い切る前に、彼は胸を押さえて突然苦しみ始めた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る