第21話 私はお嬢様を信じています!

 『机荒らし事件』が起きた日。やはり午後の選択授業は休講となった。それに伴いレクトの助手業務も休みとなり、知らせを聞いたメロディは帰宅するルシアナを出迎えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「う、うん、ただいま、メロディ。……えっと、うちのクラスのことって聞いてる、よね?」


「はい。またお嬢様のクラスの教室が荒らされたとか」


「……うん、そうなの」


 俯くルシアナ。メロディは少し様子がおかしいと感じた。連続して事件が起きて気落ちしているのだろうか? 鞄を預かるとルシアナは寝室へ向けてそそくさと歩き出した。


「そういえばお嬢様、午前で授業が終わりとはいえ今日はお帰りが早かったですね。ご昼食は食べてこられなかったんですか?」


 ルシアナは小さく身震いした。そして振り返らずに答える。


「……うん、今日はちょっと食欲がなくて」


「大丈夫ですか? 何か軽い物でもお作りしましょうか?」


「そ、そうね。そうしてもらえる?」


 帰ってきたルシアナは一度もメロディと目を合わせることなく寝室に行ってしまった。


(お嬢様、どうしたんだろう……)


 そして用意した夕食は結局、一度も手を付けずに翌朝を迎えることとなった。


 朝食も申し訳程度に口をつけただけで、ルシアナは口数少なくそそくさと登校してしまう。


「お嬢様、本当に大丈夫ですか? 朝から顔色もあまりよくありませんし、今日は休まれ――」


「行ってきます!」


「お嬢様!? ……行っちゃった。本当にどうしたのかしら……?」


 間違いなく昨日の事件が原因だろう。しかし、ルシアナが話してくれないのでメロディには状況が全く把握できない。こういう時にメイド同士の交流が希薄な自分を恨めしく思う。


(私では役に立てないことなのかな……お仕えするお嬢様に頼ってもらえないなんて、やっぱり私なんて『世界一素敵なメイド』にはまだまだ程遠い存在なんだわ)


 既に誰もいなくなった通路を見つめながら、メロディは小さく嘆息するのだった。









 その日の午後。レクトの執務室でメロディはお茶の準備をしながら思わずため息を零してしまう。

 まさに心ここにあらず。身体が覚えているのでお茶の出来栄えは『大変よくできました』であるが、恋する相手がアンニュイな表情を浮かべていてはレクトの心も休まらないというもの。


 執務中だったレクトは、心配そうにメロディに声をかけた。


「大丈夫か、メロディ」


「え? あ、はい。ちゃんと美味しく淹れましたから大丈夫ですよ」


 笑顔を作り、ティーポットをサッと掲げてみせるメロディ。言葉の意図を正しく読み取れていない様子に、レクトはさらに心配になってしまう。


 ……言葉の意図を勘違いするのはいつものことではあるのだが。


「やはり昨日の件が気になるんだろう? ルトルバーグ嬢もなかなか大変という話だし」


「お嬢様が大変ってどういうことですか!」


 メロディはクワッと目を見開いた。叩きつけるようにティーポットをテーブルに置くと、レクトの目の前に駆け寄る。勢い余ってお互いの鼻先が触れそうなほど距離が縮まった。


「ち、近い! 近いぞメロディ!?」


「そんなことより説明してください!」


 ルシアナのことで頭がいっぱいなのか、近すぎる距離感に赤面するレクトに気付かないまま、メロディは彼を問い詰めた。椅子に深く寄りかかって距離を取ろうとしても、メロディは執務机に手をのせてずずいと顔を寄せるものだから二人の距離は縮まるばかり。

 とうとう椅子のしなりも限界に達し、レクトは観念したように声を荒げて答えた。


「い、一年Aクラスで起きた二つの事件の犯人なんじゃないかって学園で噂になっているんだ!」


「はああああああああっ!? なんでそんな話になってるんですか!?」


「どうも生徒の、特に一年生の間ではかなり広まっているらしい。臨時講師の俺のところにまで伝わっているくらいだからな、教職員の中でも知れ渡っているみたいだぞ」


「……昨日の今日でそれって、さすがにおかしくありませんか?」


「正直、噂の出処は俺もよく分からない。ただ、学園上層部はあくまで噂として慎重論を唱えているみたいだが、一般職員の多くはかなりの人数が事実のように語っていたぞ。ちょっとなくらいだったな。学園長に窘められてはいたが」


 生徒だけでなく教職員にまで疑う者がいるという事実に、メロディは眩暈を起こしそうになる。


(お嬢様の顔色が悪かった理由はこれだったのね。今日の時点でこれなら、昨日だって既に似たような状況に陥っていてもおかしくないわ。こんな苦しい時に、頼ってもらえないなんて……)


「……お嬢様が犯人なわけありません」


「彼女とそれ程親しいわけではないが、まあ、こんな陰湿な真似ができる娘ではないだろうな」


 レクトが同意してくれて少しだけホッとしてしまうメロディ。信じてくれる人が一人でもいてくれるとこんなにも心強いものなのか、とメロディは思った。


「ありがとうございます、レクトさん」


「ま、まあ、君が仕える主なんだ。疑ったりしないさ」


 感謝の笑顔が何と眩しいことか。レクトはポッと頬を紅潮させながら恥ずかしそうに目を逸らした……どっちが恋する乙女か分かったものではない光景である。











 助手業務を終えたメロディは学生寮へ戻ると急いで荷造りを開始した。今日は七月第二週の六日目。つまり、王都の屋敷へ帰る日である。


(ある意味ちょうどいいわ。今日は早急にお屋敷に戻って、ご家族と過ごしていただこう。優しいご両親と一日を過ごせばきっと少しは心が晴れるはずだもの)


 自分がそうだったから……メロディは母セレナとの思い出を噛み締めながら荷造りを続けた。


 やがて夕刻となり、ルシアナが帰ってきた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「うん、ただいま」


 挨拶を交わし、メロディがルシアナの顔を覗くと内心で「おや?」と思う。


(今朝よりちょっとだけ顔色がいいような……?)


「お嬢様、お屋敷に帰る準備は整っております。いつでも出立できますが」


「そうなの。でも、一杯だけお茶を飲んでからにしてもいいかしら」


「ええ、もちろんです」


 つらいこともあったので早く両親に会いたいかと思ったが、やはり昨日よりも少しだけ落ち着いているようだ。学園は大丈夫だったのだろうか。疑問に思いつつもメロディは紅茶を淹れた。


「ありがとう、メロディ。……はぁ、美味しい。やっぱりメロディの紅茶は最高ね」


「ありがとうございます。ところでお嬢様、今日は昼食をお食べになれましたか? もしまだでしたら何か軽食などご用意しますが……」


 そんな心配そうな視線を送るメロディに、ルシアナはクスリと苦笑を浮かべた。


「……メロディ、もしかして私の噂、聞いちゃった?」


「え、あ、その……はい」


 ルシアナに問われ、メロディは何だか後ろめたい気持ちになってしまう。そんなメロディの様子にルシアナはさらに眉根を下げてクスリと笑った。


「ごめんね、昨日は何も言わないで」


「いえ、そんなこと……」


「心配させたくなかったんだけど、改めて思い返してみるとあの態度の方がよっぽど心配させちゃったわよね。気丈に振る舞ったつもりだったんだけど……私って自分で思っていた以上に打たれ弱かったみたい」


「お嬢様……」


 実際、ゲームにおけるルシアナの心も決して強くはなかった。

 そうでなければ魔王に魅入られるという事態には陥らなかったことだろう。

 時折ルシアナが見せる根性のようなものは、メロディの環境改善によって生まれた心の余裕あってこそのものなのかもしれない。


「でも今は、今朝と比べると少し顔色がよくなっているように見えますよ」


「……うん。実は、昨日からクラスの皆には少し、ううん、かなり疑われてるみたいなの。不運が重なっちゃったのよね。まさか事件発生時の二回ともで私の失くし物が見つかるなんて。状況的に私が怪しいって雰囲気ができちゃったのよ。まあ、直接問い詰められたわけじゃないけど、こう、皆の視線がね」


「だったらどうして……」


「それでも、私を信じてくれる人がいるって分かったから。昨日は私も動揺して逃げるように帰っちゃったけど、今日、何人かのクラスメイトが私のことを信じてるって言ってくれたのよ」


 ルーナにペリアン、それに事件の被害者であるルキフもそう言ってくれたのだとか。


「普段からお嬢様と仲良くしてくださっている方々ですね。皆、お嬢様のことをよく理解してくれているんですね」


「うん。……不思議ね。今もたくさんのクラスメイトに疑われている状況なのに、ほんの数人、私を信じてくれる人がいるって分かっただけで、それだけでとても心が温まったの」


 ルシアナはニコリと微笑んだ。まだ少し憂いの色が見えるが、それでも嬉しそうに見える。


「お嬢様、私だって他の皆様に負けないくらいお嬢様のことを信じていますからね! お嬢様にお仕えするメイドとして、その点は絶対に誰にも負けませんよ!」


 意気込むようなメロディの言葉にルシアナは瞳をパチクリとさせて驚いた。


 そして思わず吹き出して笑ってしまう。


「ふふ、ふふふふ……ありがとう、メロディ。また、心が温かくなったわ」


「ええ、何度だって言いますよ。私はお嬢様を信じています。いくらでも温まってください!」


 少し演技が入っているのか、ややオーバーリアクション気味のメロディ。左手を高く掲げ、右手で胸元を抑える姿はどこかの舞台女優のよう……は、言い過ぎかもしれないが、ルシアナを楽しませようという意思が感じられた。



 そして、ルシアナの瞳がキラリと煌めく。



「……そう。それじゃあ、メロディに温めてもらっちゃおうかな!」


 ルシアナはティーカップとテーブルを置くと……メロディに向かって野獣のように飛び出した。


「きゃあああああああああああああああ!」


「ぐふふふ、よいではないかよいではないか。さあ、その柔肌で私を温めてちょうだい!」


「そういう意味で言ったんじゃありませんよおおおおおおおっ!?」


 まさかあの気落ちしていた状態からこんな事態になるなど全く想定していなかったメロディは、ルシアナに押し倒されてしばらく起き上がることができないのであった。








 そして――。




「ああ、気持ちすっきり! ルシアナ・ルトルバーグ完全復活だわ! 余は大変満足である!」


「……だから、そんなセリフどこで覚えて来るんですか、お嬢様」


(なんだかとっても穢された気分……)


 もちろんギューギュー抱き着かれてゴロゴロ転がされていただけなのでメロディの身は何ともないのだが、完全に顔色を取り戻してなぜかお肌プルプルツヤツヤになっているルシアナを目にすると、そう思わずにはいられない。


 だが……。




「ふふふ、ありがとう、メロディ。やっぱりあなたは私の最高のメイドね!」



 そう言われては、何も言い返せないメロディであった。



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