第20話 疑惑の視線

「おはよう、ルーナ!」


「あ、おはよう、ルシアナ」


 教室へ向かう道すがら挨拶を交わすルーナとルシアナ。二人はニコリを微笑み合う。


「教室まで一緒に行きましょう」


「ええ、もちろんよ。といっても、席も隣だからずっと一緒なんだけど」


「あら、楽しくていいじゃない」


「ふふふ、本当ね」


 教室までの短い通路を姦しく歩く二人。朝から大変和やかな雰囲気……であったのだが。


「それでルーナ、魔法の練習はいつにする? まとまった時間となると午後からになるけど」


「そうね。やっぱり午後の選択授業の仮受講をどれかお休みするしかないかし……あら?」


「どうしたの? ……何だか向こうが騒がしいわね」


 もうすぐ教室に到着する頃、一年Aクラスの前に人だかりができていた。

 何やら見覚えある光景にルシアナは身構えてしまう。


 ルシアナは人ごみの中から友人の姿を見つけた。


 癖のないブラウンのロングヘアの少女、同級生のペリアン・ポルドルである。


 長い前髪のせいで瞳を見ることはできないが、教室を見つめる表情はお世辞にもよいとは言えない。


「おはよう、ペリアン。何かあったの?」


「あ、ルシアナ様……それが……」


 ペリアンの視線に促されるように二人は教室を窺った。そして目を見開いて驚く。

 教室内のいくつかの机と椅子が転がされ、中身もまき散らされていたのである。特定の席だけが荒らされ、他の席は普段通り整然と並んでいる。


 だからこそ、対象となった席が余計に際立っていた。

 その中に、ルシアナのよく知る人物もいた。


 ルシアナの後ろの席の少年、ルキフ・ゲルマンである。緑髪の少年は、荒らされた席の前に立ったまま、眉根を寄せながらじっと現場を見つめていた。


「……ルキフ!」


 ルシアナとルーナが駆け寄ると、ルキフはハッとしたように表情を取り繕う。


「おはようございます、ルシアナ様、ルーナ様」


「お、おはよう。でも、これ……ルーナ、元に戻しましょう。手伝って」


「え、ええ、分かったわ」


「いいえ、まだこのままでお願いしますわ」


 ルキフを気遣うルシアナだったが、制止の声を掛けられる。振り返ると真剣な表情のアンネマリーが立っていた。ルキフに気を取られて彼女の存在に気付いていなかったようだ。


「アンネマリー様。でも……」


「わたくしも気持ちは理解しているつもりよ。でも、片付ける前に被害状況を検分する必要がありますの。既に学園側が手配中ですのでゲルマン様には申し訳ないのですけど、しばらくはこのままでお願いしますわ」


 どうやらアンネマリーは現在、生徒会役員としてこの場を任されているらしい。王太子クリストファーは教職員の方へ出向いているようだ。


「お気遣いありがとうございます、アンネマリー様。私は大丈夫ですので」


 ルキフは恭しく一礼した。いつもの優しげな笑顔を浮かべているが、ルシアナは彼の拳がギュッと握られていることに気付いていた。


(教室をメチャクチャにされたばかりだっていうのにまたこんな……一体誰が何の目的で……)


「まあ、これは何の騒ぎですの?」


 困惑するルシアナの背後から冷たい声が響く。オリヴィアが登校してきたのだ。


「ごきげんよう、オリヴィア様」


「ごきげんよう、アンネマリー様。といっても、とてもご機嫌になれるような状況ではございませんわね。何がありましたの」


 アンネマリーが経緯を説明すると、オリヴィアは目を細めて教室内を見回した。そして一瞬だけ、ルシアナと目が合う。流し目のようにサッとだが、ルシアナはとても薄ら寒いものを感じた。


(な、何、今の……)


 気のせいだったのだろうか。オリヴィアは何事もなかったようにアンネマリーと話を続けた。


「それでは、今日も別室を教室として授業を行うということでよろしいのかしら」


「ええ、そうなると思いますわ」


「本当に困ったこと。一体誰が何のためにこんなはた迷惑なことをなさるのかしら」


「残念ながら、今のところ犯人に関する情報は分かっていませんわ」


「……本当にそうかしら?」


 オリヴィアが意味深な雰囲気で目を細めた。アンネマリーは眉根を寄せる。


「どういう意味かしら?」


「前回は教室全体が対象でしたけど、今回は特定の生徒の席が荒らされたのですもの。何か犯人に繋がる共通点なり何なり分かるのではなくて?」


 オリヴィアに釣られるようにルシアナ達は教室を見やった。だが、ルシアナにはその共通点とやらを見出すことができない。


「――あ」


「ルーナ? 何か分かったの?」


「え、あ、うん。でも、大したことじゃ……」


「間違っていても構いませんわ。教えてくださいませ」


 戸惑うルーナだったがオリヴィアに促され、彼女は恐る恐る思いついた答えを口にした。


「机を荒らされたのは全員、平民だなって……その、成績優秀な」


「成績優秀な平民? 言われてみれば……」


 被害にあった生徒は五名。確かに彼らは前回の中間試験で、一年生百名中三十位以内に入った成績優秀者だ。その中でもルキフは学年順位八位で、実はルーナよりも成績がよい……だが。


「でも、それだったらペリアンも対象に入ってないとおかしいんじゃない?」


 ルーナの回答にルシアナが反論の声を上げる。引っ込み思案なペリアンだが、平民の中ではルキフに次ぐ成績を収めている。だが、彼女の机は被害に遭っていない。


「それはその、多分……」


 ルーナは遠慮がちにルキフや他の被害にあった生徒達へ視線を泳がせる。何かとても言いにくそうな雰囲気に首を傾げるルシアナだったが、いち早くルキフがその意味を悟った。


「つまり、被害者の共通点は『平民』で『成績優秀』……かつ『裕福』な家の者ですか」


「た、確かにうちは裕福ではないですね……」


 ペリアンが恥ずかしそうに呟く。どうやらルーナはそれが言いにくかったらしい。


「もしそれが理由となると、犯人の犯行動機は――妬みかしら?」


 オリヴィアは胸元から扇子を取り出してそっと口元を隠した。そして再び教室内をグルリと見渡し、やはり一瞬だけ鋭い視線がルシアナとかち合う。ルシアナは背筋をゾッとさせた。


「あの、でも、必ずしもそういうわけじゃ……」


「ですが、そういう可能性も否定できませんでしょう?」


 自分の発言が原因で犯人のプロファイリングが始まってしまったことに、ルーナは気後れしているようだ。何とか反論しようとするが、公爵令嬢らしい威厳ある雰囲気がその言葉を遮る。


「身分の低い平民であるにもかかわらず、成績が良くて経済力もある生徒。平民にとっても貴族にとっても、それぞれの立場から妬み嫉みの対象になることは間違いありませんわ。もちろん、それがこんな目に遭ってよい理由にはなりませんけれど。……でも、犯人が特に気に入らないのは経済力の方なのかしら? 成績優秀な平民でありながら対象外になっている子もいるようですし」


「ひゃっ!」


 オリヴィアの流し目にペリアンが小さな悲鳴を上げる。そしてこちらへ視線を戻す際、再びルシアナに鋭い視線が飛んだ。


 ここまで来て、ルシアナもようやくひとつの認識を得た。


(オリヴィア様。もしかして、私を疑ってるの……?)


 もちろんルシアナ自身は犯人ではないが、オリヴィアの態度はそうとしか考えられなかった。


 そしてそんなオリヴィアの様子を、アンネマリーは静かに観察していた。


(ルシアナちゃんが犯人と誤認するように誘導している? でも、ゲームでのルシアナちゃんは性格的にそういうことはしなかったし……今の段階では誰が『嫉妬の魔女』なのか判断できない。とにかく、今はこの場を収めないと……あら?)


 前に出ようとしたアンネマリーは何か柔らかい物を踏んだ。



 足をどけてそれを摘まみ上げると、それは一枚のハンカチで――。



「あれ? それ、私のハンカチ?」


「え? ルシアナさんの?」


「はい。数日前に失くして探していたんです。でも、どうしてこんなところに……」


「……同じようなセリフを数日前にも聞いた覚えがありますわね」


「え?」


 オリヴィアの言葉を皮切りに、教室の内外からルシアナへ視線が向けられた……疑惑の視線が。




(やっちゃった! ゲームでヒロインちゃんが疑われる布石を私が演じることになるなんて!)






 この時、その場にいた多くの者がルトルバーグ家の通り名『貧乏貴族』を思い出していた。


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