第18話 嫉妬の魔女事件

「平静と沈黙を保て『静寂サイレンス』」


 ところ変わって上位貴族寮のアンネマリーの寝室。侍女さえ追い出して、一人になった彼女は室内に防音の魔法をかけた。いや、正確にいえば一人ではない。


「……もういいわよ」


 ベッドの影から一人の人物が姿を現した。


「ふぅ、まさかこの隠し通路を使うはめになるとはな」


 天井を見上げながら埃をはたいているのは、王太子クリストファーである。


「……やっぱり俺がここに来るのってまずくねえか?」


「どっちが見つかっても結婚まっしぐらなリスクに変わりないわ。諦めなさい」


「ちぇ~っ」


 全ての学生寮は地下通路を通して繋がっている。


 基本的に侵入防止策が取られてはいるものの、アンネマリーとクリストファーはいざという時に合流できるよう設計段階で二人だけの秘密の通路を確立させていたのであった。

 ちなみに用事が済めば塞げるようになっているので、次代の王族や侯爵令嬢が危険にさらされる可能性は……多分ない。


「んで、わざわざ側仕えも外してこっそり会うくらいだから、ゲームのことなんだろ?」


 寝室に用意されているソファーに座りながら、クリストファーはアンネマリーの方を見た。ベッドに腰かけながら、アンネマリーは深く頷く。


「まあね。とりあえず、乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』における最初のメインイベント『嫉妬の魔女事件』が始まったと考えて間違いないと思うわ」


「それって今朝の事件のことだよな?」


「そうよ。魔王に魅入られたとある生徒『嫉妬の魔女』がヒロインちゃんを犯人に仕立て上げて貶めようと画策するの。事件は全部で三つ。一つ目は今日の『教室ペンキ事件』。二つ目は成績優秀な平民生徒をターゲットにした『机荒らし事件』。そして三つ目がとある女子生徒が何者かに水をかけられる『水浸し事件』」


「……なんか、全体的にしょぼいな。もっとこう、陰湿な感じかと思った」


「実際に被害に遭ったらそうも言ってられないわよ? 今日だってかなり困ったし」


「いや、まあ、確かにそうなんだけどな」


 頭をかきながら困った顔になるクリストファー。漫画などでよく見かけるいじめのテンプレのような内容だが、確かに実際にやられたら迷惑極まりない話だ。いじめダメ、絶対!


「それで今後の対策について話したいんだけど……はぁ」


 アンネマリーは大きく嘆息した。


 ゲーム知識を有する彼女だが、思いっきり初手から躓いている状態だったりする。




 なぜなら――。




「ヒロインちゃん不在なせいで配役が全然分かんねえもんな。ヒロインちゃんがいないんだから事件そのものも起きなきゃ話も早かったんだが」


「ゲームシナリオの強制力が本当にあるのかもしれないわね……だったら何よりヒロインちゃんを連れて来てって話なのよ、まったく!」


「『嫉妬の魔女』すら別人の可能性大だもんなぁ。アンナの知識、全然使えねえの」


「ぐぬぬぬ……」


 ゲームにおける中ボス『嫉妬の魔女』とは、ルシアナ・ルトルバーグのことである。


 だが、今の彼女には『嫉妬の魔女』になるに足る背景がない。


 荒んだ生活からくる劣等感と、傍から見れば恵まれた環境にいるヒロインに対する嫉妬心から彼女は魔王に魅入られるのだが、メロディのおかげで貴族らしい環境と能力を手に入れた今、一体誰に嫉妬すればよいというのか。



 それに何より……。



「そもそも今回のシナリオの代役ヒロインは、ルシアナちゃんでほぼ確定なのよね」


 アンネマリーは再び大きなため息をついた。


「それってやっぱり、あの鉛筆か?」


 クリストファーは少し前の臨時教室でのことを思い出す。荒らされた教室の検分を終えて戻って来た担任教師レギュスが持ち主を尋ねたのだ。


 そしてそれは、ルシアナの物だった。


「本人は数日前に失くしたって言ってたけど……」


「まあ、漫画なんかではよくある話だよな。犯人に仕立て上げるためにターゲットの私物を事件現場に転がしておくなんて話は」


「これ、ゲームでは本来ヒロインちゃんが名乗りを上げるシーンなのよね」


「おっふ。中ボスがヒロインかよ。いや、まあ、舞踏会の時も似たようなもんだったけど、本格的にバグってるなこの世界。本当に何が原因なんだ? ……て、俺達か」


 転生によりゲーム通りの人物でなくなった自分達を思い出し、クリストファーは肩を落とした。




 ちなみに、最大にして根本の原因はゲーム知識皆無などこかのメイドジャンキーである。




「全てが私達のせいとまではいかなくても、一因ではあるでしょうね。でも、その話はともかく今は直近のシナリオの問題よ。事件が発生したってことは、舞踏会事件の時に逃げた魔王はやはり健在だったということ。そして代役ヒロインとなったルシアナちゃんは聖女ではないという問題」


「結局はそこに行き着くんだよな。誰が代役になったところで本当の意味でヒロインちゃんの代わりにはなれない。なぜなら聖女ではないから」


「だからこそ、私達がヒロインちゃんの代わりに少しでも事件を解決していかなくちゃ」


「何よりルシアナちゃんが酷い目に遭うのは見たくないしな。それで、今のところ犯人の目星はついてるのか?」


「……心当たりが全くないわけではないわ」


「へぇ、誰?」


 アンネマリーの脳裏に公爵令嬢オリヴィアの姿が浮かぶ。


 だが、彼女はすぐに首を横に振った。


「いいえ、まだ確証なんて全然ないの。あんたは先入観のない目で犯人を捜してちょうだい」


「ふーん。まあ、そういうことならそうするけどよ……あ、そういえば第三の事件で水を掛けられる令嬢って誰なんだ?」


「あー……うん。……オリヴィア・ランクドール公爵令嬢よ」


 アンネマリーが確証を得られない理由のひとつがこれだった。確かに彼女はルシアナを敵視している。だが、彼女はこの事件における被害者でもあるはずなのだ。


 とはいえ、現在の状況を鑑みれば配役は変わる可能性も十分にある。当初の懸念通り彼女が犯人であるならば、別の誰かが被害者になることだって否定できない。


 結局、事件が起きてみるまで明確なことは何も分からないのだ。






(魔王に魅入られた『嫉妬の魔女』は、誰なの……?)





 嬉し楽しくメイドをやっているヒロインの裏側で、アンネマリーは苦悩するのであった。






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