第17話 違和感の始まり
学園生活が始まって一ヶ月。季節は七月を迎えた。
その頃になると生来の明るい性格も相まって、ルシアナは少しずつクラスに溶け込んでいった。
入学当初は『妖精姫』や『英雄姫』の噂もあって遠巻きにされていたこともあったが、今では彼女を見てひそひそとよく聞こえる噂話をする者はほとんど見当たらない。
相変わらず公爵令嬢オリヴィアとは表面上普通の関係だが、時折彼女から感じる視線には鋭いものがあり、仲良くできればと思うものの今のところ進展はなかった。
反してルーナとの仲はすこぶる良好で、クラスでは一番の仲良しといって差し支えないだろう。
いまだに魔法は使えないのが少しだけ不満ではあるものの、充実した学園生活を送っていた。
そしてメロディの方も午前はメイド業務、午後はレクトの助手業務と忙しい――と、周りからはそう見える――毎日を送っている。騎士道の授業は週二回だけだが、それ以外の日も書類整理やら授業の準備やらを手伝っているので、助手業務も週六日勤務であった。
レクトからすればホクホクものである。もちろん全く関係は進んでいないが……。
「え? 鉛筆を失くされたんですか?」
そんなある日。夕食の給仕中、メロディは今日の学園の出来事をルシアナから聞かされる。
「そうなの。午前中の授業の時は確かにあったはずなんだけど、昼食を終えて午後に使おうと思ったら見つからなくて。ルーナも一緒に探してくれたんだけど結局見つからなかったの」
「確か筆箱には一本しか用意していませんでしたよね。大丈夫でしたか?」
「うん。ルーナが貸してくれたから」
「持つべきものは友人ですね。では、後で替えの鉛筆を用意しておきます」
「お願い。あーあ、勿体ないことしちゃったなぁ。ごめんなさい、お父様」
この世界では授業の書き取りに鉛筆を使用しており、特別に高価というわけではないのだが決して安いわけでもない。まだ十分使える物だっただけにルシアナはとても残念がった。
地球の西欧諸国だと学校の授業に鉛筆を使わないところも結構あるのだが、このあたりはやはり日本製の乙女ゲーム世界ということなのだろう。まあ、そんな事情をルシアナが知るはずもなく、メロディはもう異世界だからで勝手に納得してしまっているので誰も気にしていないのだが。
話題としてはその程度である。ルシアナがうっかり物を失くしてしまうなど、ある意味想定内の出来事だ。メロディとルシアナは互いに苦笑を浮かべるのであった。
そしてその翌日。授業を終えて帰ってきたルシアナの洗濯物を仕分けしていたメロディは、とあることに気が付く。
「あれ? ハンカチがない?」
普段なら制服のスカートに入っているはずのハンカチが見当たらなかった。どこかに紛れ込んだのかと探してみるが、やはり見つからない。
「え? ハンカチ? スカートに入ってなかった?」
「それが見当たらなくて。何か覚えていませんか?」
「おかしいなぁ。鞄にでも入れたっけ?」
ルシアナは鞄の中を検めたがやはりそこにハンカチはなく、結局見つけることはできなかった。
「ううう、まさか一週間で二回も失くし物をするなんて。うっかりにも程があるでしょ私」
「確か、今日は午後からダンスの選択授業を受けましたよね? その時でしょうか?」
「うーん、どうだろう。ダンス用のドレスに着替えたけど、ハンカチは制服に入れたままだったと思うんだけどなぁ。ホント、どこ行っちゃったのよ、私のハンカチ。あれ、気に入ってたのに」
「お屋敷にまだ同じ布があったはずですから、またお作りしますね」
「ごめんね、メロディ」
「ふふふ、今度から気を付けてくだされば大丈夫ですよ」
その日からルシアナは所持品の確認をより一層注意するようになる。そのおかげか、それ以降は失くし物をしたという話は出なくなった。
めでたしめでたし……となればよかったのだが、事件は起きた。
それは七月第二週一日目のこと。休み明けに伯爵邸から登校し、学園の入り口でルシアナと別れたメロディは普段通り午前のメイド業務に勤しんでいた。
ハミングを口ずさみながら洗濯をするメロディ。
そこに慌ただしい足音が響く。
「メロディ。ちょっと聞いた!?」
「そんなに急いでどうしたんですか、サーシャさん?」
洗濯場にやってきたのはサーシャであった。
全速力で走って来たのか、息を荒げながらメロディのもとへ駆け寄ると、思いもよらない知らせを齎した。
「お嬢様の、一年Aクラスの教室がメチャクチャに荒らされていたんですって!」
「えっ!?」
サーシャからの突然の話にメロディは大きく目を見開いた。
それから程なくして学生寮に知らせが届く。本日の授業は午前中のみとなり、午後の選択授業は休みとなるらしい。当然レクトの騎士道の授業も休講で、メロディは学生寮に控えることに。
ルシアナも食堂で昼食を済ませるとすぐに学生寮に帰ってきた。
「それでは、教室のいたるところに塗料が塗られていたんですか? 壁、床、天井に黒板まで」
「塗られてたっていうか、あれはぶちまけられてたって感じね。バケツからこうドバっと」
帰るなり勉強部屋で授業の課題をこなしながら、ルシアナは事件の説明をしてくれる。メロディはお茶の準備をしながらそれを聞いていた。
「酷いですね。一体だれがそんな真似を……」
「机や椅子にも塗料はかかっていたけど中身が無事だったことだけは不幸中の幸いね」
手に持っていた鉛筆をクルリと回しながらルシアナはため息をついた。当然、被害は被害なので喜べる話ではないようだ。そしてその話を聞いたメロディも首を傾げてしまう。
「机の中身は無事だったんですか? 無造作に塗料をまき散らしたのに?」
(まさか、意図的にそんな真似を? でも、どうして……?)
考えてみたが、これといって妥当な理由が思い浮かばずメロディはさらに深く首を傾げた。
「それでお嬢様、明日以降の学園の予定はどうなるのでしょうか?」
「塗料を落とすのに数日かかるらしいけど、別室を臨時教室にして明日からは通常通りの授業体制に戻るそうよ」
「畏まりました。でも、王太子殿下もいらっしゃるのによく休校になりませんでしたね。」
「学園側は考えたらしいけど、王太子殿下ご自身が『既に授業が遅れている状況でこれ以上遅らせるのはよくない』と仰ったのよ」
ルシアナの説明にメロディは小さく目を見張った。
「狙われたのはご自分が通われる教室なのに、そんなことを?」
「勇敢な方なのよ。毅然として格好よかったわ。現場に居合わせたアンネマリー様も生徒会役員として冷静に対応してくださったから混乱も最小限に収まったし。教室の前でポカンとしていた私とは大違いだわ。見習わないとね」
反省の言葉を口にしつつも、どこか自慢げな様子のルシアナ。頼りになる友人を誇りに思っているのだろうか。得意げな顔でルシアナはクルリとペンを回した。
「お嬢様、勉強中にペン回しははしたないですよ。どこで覚えたんですか、まったく……て、あれ? お嬢様、その鉛筆……」
「あ、分かった? うん、そうなの。これ、この前失くした鉛筆よ」
「見つかったんですか? 一体どこで」
「荒らされた教室を先生が検分していたら教卓のそばに落ちていたんですって」
「転がっていったんでしょうか? でも確か、教室は毎日放課後に清掃が入りますよね?」
「きっと見落としがあったのよ。ともかく、見つかってよかったわ」
「……そういうものでしょうか?」
(うーん、王太子殿下も入る教室の掃除に見落としなんてあるのかなぁ……?)
見つかった鉛筆で勉強するルシアナを見守りながら、メロディは何か腑に落ちないものを感じてしまう。何事もなく事件が解決してくれればいいな、と考えるメロディなのであった。
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