第16話 忍び寄る嫉妬の影

 マイカの初仕事の評価は残念ながら不合格だった。よいところは褒めてもらえたが、残念ながら不十分な箇所が多かったのである。自分ではちゃんとできていたつもりなだけに、落胆は大きい。


「ふふふ、メイドのお仕事は簡単なようでとても難しいと分かりましたね。気落ちせずに精進することです。まだ初日なのですから、これから上達していけばよいのですよ」


「は、はい! ありがとうございます、セレーナ先輩!」


「……そちらも早く修正していかないとダメそうですね」


 後輩を褒めて伸ばそうとするセレーナの姿勢はまさに部活における憧れの先輩のようで、マイカは先輩呼びがなかなか治らなかった。セレーナは困ったように微笑むばかりである。





 そしてあっという間に指導から三日が経過した。どういうことかというと……。


「これからお屋敷のお嬢様が帰ってくるんですか?」


 本日はメロディ達の学園生活第二週、六日目の夕方。明日は学園が休みとなるため、メロディとルシアナが屋敷に帰ってくる日であった。


「ええ、ルシアナお嬢様が帰ってくるのよ。指導に夢中で伝え忘れていたわ、ごめんなさい」


「それは構いませんけど。へぇ、ルシアナお嬢様ですか……うん?」


 どこか聞き覚えのある名前だった。しかし、どうにも上手く記憶が繋がらない。


「あと、一緒にお嬢様付きのメイドをしているメロディお姉様も帰ってくるわ」


「メロディお姉様? セレーナさんのお姉さんなんですか?」


「血は繋がっていないけれど、私にとってはお姉様なのよ。今はお嬢様の初めての学園生活をお手伝いするためにお屋敷を離れているけど、当家のメイドの最上位者はメロディお姉様よ」


「セレーナさんじゃないんですか!? そのメロディさんってそんなに凄いメイドなんですか?」


「ふふふ、私なんて足元にも及ばないわ。あなたのことは手紙で伝えてあるから、ルシアナお嬢様へは当然として、メロディお姉様にも教えた通りの礼儀作法でご挨拶をしてくださいね」


(いやいやいや、あれより凄いってどんだけなの!? この世界のメイド、ハードル高すぎ!)


 驚愕と緊張の中、伯爵夫妻含む四名に出迎えられてルシアナ達が伯爵邸に帰還した。

 ルシアナは両親へ帰還の挨拶をすると、今度はマイカの方へ視線を向ける。


「その子が新しいメイド見習いの子?」


「はい、お嬢様。メイド見習いのマイカといいます。マイカさん、お嬢様にご挨拶を」


「は、初めまして。先日より見習いとしてお世話になっております。マイカです。よろしくお願いいたします、ルシアナお嬢様」


 少しぎこちないが、マイカはルシアナにそっとカーテシーをしてみせる。ルシアナはニコリと微笑み返し「こちらこそよろしくね」と優しい口調で答えた。


(うわぁ、綺麗な子。この子もゲームキャラだっけ? ルシアナ・ルトルバーグってどこかで聞いた覚えがあるんだけど、でもこんな感じのキャラクターっていたかなぁ?)


 実際に顔を見ても、やはり上手く記憶と繋がらない。名前は聞いたことがある気がするのに。


(おっと、いけない。セレーナさんからメロディお姉様とやらにも挨拶するようにって言われてるんだった。となると、ルシアナお嬢様の後ろに控えている彼女がそうか……な……え?)


「メロディお姉様、この子がメイド見習いのマイカです。マイカさん、お姉様にもご挨拶を……マイカさん?」


 マイカは口をポカンと開けたまま目の前の少女を見つめていた。


(黒髪、黒眼……そうだ、あの時、私が見たのは……)


 霞掛かっていたおばあちゃんの頃の、この世界にやってくる直前の記憶が蘇る。


 孫娘から見せられたリメイク版『銀の聖女と五つの誓い』のファンブック。そこに掲載されていた当時のイラストレーターの未公開イラスト。



 だが、そこに描かれていたのは彼女が知るヒロインの姿ではなく――。



(なぜか髪も目も黒色で、ドレスじゃなくてメイド服を着ていて……見た事もない金髪の美少女に紅茶を淹れていて……)


 なぜそんなイラストがあったのかは今も分かっていない。ファンブックでは、おそらく初期段階の没案だったのではと記されていたが、それは今のマイカにはどうでもいいことであった。


「初めまして、マイカちゃん。私もこの屋敷のメイドをしているメロディといいます。これから一緒に頑張っていきましょうね!」


 髪の色、目の色が違っても、浮かべる満面の笑みはまさしくマイカが中学生時代にハマっていた乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』のヒロイン、セシリア・レギンバースがハッピーエンドで浮かべた笑顔そのもので――。



(ど、ど、ど、どうしてここにヒロインちゃんがいるのよおおおおおおおおおおおお!?)



 その絶叫を心の中だけに留められた彼女を褒めてやるべきだろう。


 だが、転生による興奮を醒まさせ、冷静さを取り戻すには十分なインパクトであった。……同じくらい動転する要因であることも否めないが。


 そしてこの後、マイカはメロディについて一日研修を受けることになるのだが……もうあえて描写する必要もないほどに、メロディの天然な異常性を理解させられてしまうのであった。


(ああ、うん。間違いなくこの子がヒロインだ……シナリオ序盤だっていうのに聖女の魔力を完全に使いこなしてるよ。……メイドパワーに極振りしちゃってるけどね、ははは)


 とうとう現れた正真正銘の後輩に興奮したメロディ。


 いいところを見せようと、自重を忘れて行使されるメイド魔法の数々を目の当たりにしたマイカの口から、乾いた笑い声が響いた。


(……ヒロインちゃんがこんなところにいて、ゲームシナリオ、大丈夫かな?)


 マイカの疑問に答えられる者は、この世界に一人もいなかった。





 そして、マイカの不安を知ってか知らずか、物語は動き出す……。





 休日を終えると、メロディ達は再び学園へ。


 メロディと別れたルシアナはその足で校舎に入り、教室へ向かう。

 その途中、中庭にある通路沿いのベンチに見覚えのある二人の姿が目に入った。


「おはようございます、王太子殿下、マクスウェル様」


「やあ。おはよう、ルシアナ嬢」


 二人は立ち上がりルシアナのもとへやってきた。その手には何やら書類の束がある。


「こんな朝早くからお仕事ですか?」


「生徒会のことで少しね。教室へ向かう前に軽い打ち合わせをしていたのさ」


「まあ、それは失礼しました。お忙しいのにお邪魔をしてしまって」


「気にする必要はないよ。そろそろ私達も教室へ行かなければならない時間だからね」


 挨拶をして迷惑だったろうかと不安げになるルシアナへ、マクスウェルがニコリと微笑む。


「軽い打ち合わせとはいえこんな場所でしなければならないなんて、本当にお忙しいのですね」


「そうだね。おかげで同じクラスだというのに君と話す機会もあまりとれなくてとても残念だよ」


「まあ、殿下ったら。ふふふ」


 眉尻を下げながら肩を竦めるクリストファーの姿に、ルシアナは思わず笑ってしまう。釣られるようにマクスウェルもクスクスと笑った。


 笑顔を浮かべて笑い合う三人の美男美女。傍から見れば何と微笑ましい光景であろうか。事情を知らない者が見れば、とても仲睦まじく見えることだろう。

 実際、仲は悪くないのだが、実態をいえばまだまだ彼らは知人・友人の域を出ていない。三人の硬い口調を聞けばそれは明らかだろう。


 ……だが、そんな見る者が見れば理解できる事実など、通路の影から彼らを見つめている彼女には関係なかった。


「……」


 彼女の視線は、二人の美少年へ笑顔を浮かべるルシアナへと向けられて――。


「……」


 少女はその想いを一切言葉にはしなかった。だが、右手の拳がギュッと強く握りしめられる。

 それだけで、彼女が何かを堪えていることが理解できた。


 そうして見つめていると、しばらくしてルシアナ達が教室へ向けて歩き出した。それを見送り、彼らの姿が見えなくなると、少女は小さく嘆息する。



 そして自分も歩き出そうとして――。



『ああ、なんと美しい「嫉妬」の心』


「え――」


 背後から声がした。反射的に振り返ろうとした瞬間、背中に衝撃が走る。そして、黒い靄のような剣身が彼女の胸を貫いているという驚愕の光景を目にした。


「え? あ? …………え?」


 痛みはない。だが、瞳に映る姿は明確に自身の死を予感させるものだった。そして何か黒いモノが、彼女の中へ浸透していく不思議な感覚に襲われる。


(ああ、誰か……誰か……)


 助けて――と思うが、もちろん助けなどこない。そして、心が闇に囚われていく。



 何という理不尽。なんて可哀想な私。でも、あの子なら、誰かが助けてくれるに違いない……。



『ふふふ。お門違いと分かっていても止められないいびつな心よ! ははははは』


 背後から嘲笑するような声が響き、心が定まらぬ中、少女はぎこちない動きで視線を動かした。

 そしてわずかに目を瞠らせる。


「あ……あな……」


『それでこそ、私の手駒に相応しい!』


 ぼさぼさに切られた紫色の髪に、およそ学園に入るには相応しくない襤褸を纏った小柄な体躯。二ヶ月の時が過ぎてもその印象的な出で立ちはそう簡単には忘れられない。

 春の舞踏会を襲撃した少年、ビューク・キッシェルは、まるで作り物のような歪な笑顔を浮かべながら、少女を見つめていた。


 そして彼女の頬を一筋の雫がキラリと流れる。まるでそれが、彼女の心の最後の輝きのように。


 だが、ビュークの頬にも涙が流れていたことには、ビューク自身も気が付いてはいなかった。




 こうして人知れず、乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』の中ボス『嫉妬の魔女』が生まれた。








 その日の深夜。


 誰もが寝静まった頃、王立学園の空に雨が降った。


 時間にしてほんの数分。


 おそらくそれに気が付いた者はいなかったことだろう。


 ぐっすり眠っていたメロディも気付いていない。





 邪な魔力を宿した黒い雨が降ったことに気が付いたのは――その身に同質の魔力を宿した、白銀の子犬だけだった。





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