第15話 メイド見習いマイカ誕生
「確かにここはテオラス王国の王都だけど……て、マイカちゃん! どこ行くの!?」
マイカは走った。孤児院を出て、その外観に目をやる。そしてさらに確信することとなる。
「……間違いない。このシルエット、デザイン。ゲームに登場した背景スチルそのもの」
(それじゃあ、本当にここは、乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』の世界なの!?)
霞掛かっていた色々な記憶がどんどん鮮明になっていき、そして確信に変わる。
(ここは、本当に……乙女ゲームの世界なんだ!)
そしてマイカは気が付く。シスターとの会話。舞踏会における襲撃事件。
つまり――。
(ゲームのシナリオが既に始まっている! 確か今は四月に入ったすぐだから……っ!? 孤児院のサブストーリーもすぐじゃない。そんな、ここが、孤児院が潰れちゃうかもしれないなんて)
乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』では、五月にこの孤児院を舞台としたサブストーリーが展開される。ひょんなことからお忍びデートをすることとなった王太子とヒロイン。だが、王太子の目的はあくまで王都の視察で、ヒロインはそれに従う形で王都散策を行うのだ。
そのデートの最後に訪れるのがこの孤児院である。役人の不正により長期間十分な支援を受け取れなかったために、その孤児院ではこれまでに多くの犠牲者が生まれていた。それを目の当たりにしたヒロインが孤児院を救うべく行動を起こすというストーリーだ。
(そんな! 私を助けてくれた孤児院が大変な目に遭うなんて絶対に嫌! なんとかしなくちゃ!)
この時、驚愕の事実を知ったマイカはかなり動転していた。他にも考えなければならないことはたくさんあったはずなのに。
例えば聞き逃してしまったが、シスターアナベルがアンネマリーを優しい子だと言ったこと。他にも、襲撃事件が発生して学園が休校になったこと。ゲームでは襲撃事件が発生しても学園はそのまま翌日には始まっているのだ。この差は明らかにシナリオに大きな影響を与えている。
そして何より、彼女が今まさに暮らしているこの孤児院が……特に困窮していない点である。
五月のサブストーリーで孤児院が壊滅状態にあるのなら、現時点で孤児院はとっくに経営難に陥っていなければおかしい。しかし、マイカはここに来て以来一度も食事に困ったことはない。
だが、ゲームの世界に転生してしまったという事実は、マイカから冷静な判断力をこれでもかというくらいに奪っていた。マイカは思い浮かんでしまった、起きてもいない危機で頭がいっぱいになってしまったのである。
「急に外に出たりしてどうしたの、マイカちゃん」
マイカを追ってきたシスターアナベルが心配そうに彼女を見つめた。だが、マイカはそれに気が付かず「どうしよう、どうしたら」と呟くばかり。
(鏡で見た私の顔……多分私はゲームのキャラじゃない。名もなき孤児の一人ってこと? もしそうなら、私にできることって……まさか、ヒロインちゃんが助けに来てくれるのを待つだけ?)
「マイカちゃん?」
「そんな、そんなのって……ダメ!」
突然大声を出したマイカに、シスターアナベルはビクリと肩を震わせた。もう、何なのこの子!
(モブキャラだからって何もしないわけにはいかないわ! 何か、何か手を打たなくちゃ!)
そう考えたマイカだったが、この世界に来たばかりの彼女に問題をどうにかする知識も技術も、伝手だってありはしない。ゲームのキャラクターを頼ろうにも彼らと接点ができるのは五月のサブストーリーが始まった時だ。物語の舞台は基本的に王立学園なので仕方のないことだった。
(もう、もう! 子供の頃流行ってた小説とかだと、ゲームの知識を活かして色々上手いことやってたりするのに!)
世の中そんなに甘くはないということだろう。特にここは貴族社会の国だ。平民の、それも孤児にできることなど高が知れていた。でも、諦めるわけにはいかなかった。
「シスターアナベル!」
「えっ!? 今度は何?」
「私、働きます!」
「一体どこからそんな話になったのかしら!?」
都合のよい改善策など思いつかなかったマイカ。とにかく今すぐにできること。彼女が考え付いた答えが『働いて生活費の足しにする』ことであった。平凡ながらも堅実な答えではある。
「確か王都には商業ギルドがありましたよね。私、今から行って働き口を探してきますね!」
「ちょっと待って、マイカちゃん。あなたくらいの年齢じゃ雇ってくれるところなんて――」
「シスター。私、絶対に孤児院を守ってみせますから! 行ってきます!」
「だから待って、マイカちゃん! ちょ、速い! 足速いわ、マイカちゃーん!」
もう全然人の話を聞かない子である、マイカ。普段はそうでもないのだが、この時のマイカは完全にゲームの世界に酔っていたとしか思えない。
そしてそれから少し経って、仕事を見つけられずトボトボとした足取りでマイカは孤児院に戻ってくるのであった。
だがそこで諦めないのがマイカであった。ある程度落ち着いても肝心な部分での勘違いは収まることなく、五月を過ぎ、とうとう六月になってサブストーリーに遭遇していないにもかかわらず、諦めずに商業ギルドを通うことおよそ二ヶ月。
とうとうチャンスが巡ってきた。紹介状不要のメイド募集の場に居合わせたのである。ここぞとばかりに飛び込んた結果、マイカは面接に漕ぎ着けることができた。
(やった! これで少しは孤児院の助けになれる! 待っててね、シスターアナベル!)
マイカはセレーナを連れてルンルン気分で孤児院へ向かうのだった。
孤児院からはあっけないほど簡単に許可をもらえた。
「前から働きたいと言っていましたからね。でも、無理だと思ったらいつでも帰ってらっしゃい」
「任せて、シスター! お給金が入ったらちゃんと仕送りするからね!」
「そんなことを気にする必要はないのよ?」
シスターアナベルは苦笑を浮かべるが、意気込むマイカはその表情に全く気付かなかった。
そして伯爵邸では、女主人たるマリアンナがこれまたあっさりと許可を出した。
「よろしいのですか、奥様?」
セレーナが尋ねると、マリアンナは頬に手を添えて困ったように微笑む。
「だって、今彼女を落としても次の人が来るとは思えないんですもの」
こう言われては言い返せないセレーナである。何せ、自分もそう考えていたのだから。
そして案の定、ヒューズも簡単に許可を出した。理由はやはりマリアンナと同じである。
こうして、マイカはルトルバーグ伯爵家のメイド見習いとなったのであった。
「ありがとうございます。私、頑張ります!」
伯爵夫妻はやる気一杯のマイカの様子を微笑ましそうに見つめていた。……そしてその夜、ルシアナにもこんな妹がいたらいいなとか思って夫妻は(以下省略)。
というわけでその翌日。メロディ達の学園生活でいうところの第二週四日目の早朝。
午前五時。孤児院の朝も早かったため、マイカは特に苦も無く目を覚ますことができた。セレーナの隣に与えられた使用人部屋で身支度を済ませると、通路で待っていたセレーナに挨拶をする。
「おはようございます、セレーナ先ぱ……じゃなくて、セレーナさん」
「おはようございます、マイカさん。言葉遣いの教育も追い追いやっていきましょうね」
精神年齢が中学生にまで戻ってしまった元おばあちゃんな少女、マイカ。どうにも学生気質が抜けず、セレーナのことを先輩と呼んでしまう。しかし、メイド同士で呼び合う呼称としては不適切なので、セレーナから改めるよう注意を受けていた。
「それはそうと、あの子の様子はどうでしたか?」
「ああ、あの子ならぐーてんだらりとしながら変な寝言を言ってますよ。……変な犬ですね」
変な犬。伯爵家にいる犬といえば、もちろんグレイルのことである。不思議なことに、昨日からグレイルはセレーナから距離を取るようになってしまったのだ。おかげで一緒の部屋で寝ることすら拒む始末。困ったセレーナは、仕方なくマイカに面倒をみるようお願いしたのであった。
急にどうしたというのだろうか。本当に謎である。……謎ったら謎なのである。
「びっくりしました。いきなり『ぐはははは、皆、滅んでしまえい!』って不吉な寝言を言うんですもん。セレーナせ……さんからあらかじめ教えてもらわなかったら、あまりの不気味さに悲鳴を上げてるところです。見た目は可愛いのに困ったものですね」
「ふふふ、そこが可愛らしいのだけどね」
マイカは日本にいた頃、時折テレビで見た人間っぽい鳴き声をする動物特集を思い出していた。あそこまではっきり人間の言葉に聞こえるのには驚いたが、異世界補正だろうか? と、マイカは勝手に納得してしまう。……人間の思い込みって、本当に恐ろしい。
さて、朝の雑談が終われば早速メイド業務の指導に入る。といっても、学校のように授業をするわけではないので、実践しながらの実地指導となるが。
まずはメイドの基本業務である掃除から。これができなければメイドとしては話にならない。掃除ができない人間は細かいところに目が行き届かない。つまり気配りができない。ということは、ハウスメイドはもちろんのこと、接客が仕事のパーラーメイドだって任せられないのである。
セレーナからは初日ということで速度よりも精度を優先して掃除をするよう命じられた。暖炉周りの掃除である。それだけでマイカは早朝の時間を使い切ってしまった。
その間にセレーナが他の仕事を済ませていたので、通常業務が滞ることはない。その実力差に、暖炉掃除の採点を受けながらマイカは驚くしかなかった。
(すっごい。これが異世界メイドの実力なの? それとも地球に昔のメイドさんはこんなお屋敷の掃除を一人で切り盛りしてたの? おそるべし、メイド!)
当時のメイドが聞いたら『一緒にするな!』と罵倒が飛び交うこと請け合いである。魔法を使わない範囲内なら、セレーナはメロディ級。マイカは見習えない手本を目の当たりにしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます