第9話 ハジけるメイドジャンキーとセレーナの励まし

「ただいま帰りました、お父様、お母様」


 玄関ホールにて優雅にカーテシーをするルシアナ。その美しい所作に両親は表情を綻ばせる。

 レクトとの面接を終えた後、放課後になるとメロディとルシアナは王都の伯爵邸へ帰還した。


 今日は学園生活六日目。つまり七日目の明日はお休みである。そのため、ルシアナ達は今日のうちに帰宅して、明後日の朝に屋敷から学園へ登校する手筈となっていた。


「学園の方はどうだった? 友人はできたかい? 授業は難しくなかったか? あと……」


「あなた、それは後にしてくださいな。さあ、お腹が空いたでしょう、ルシアナ。一緒に夕食を食べながら学園での話を聞かせてちょうだい。セレーナ、夕食の準備はできているかしら?」


「はい、奥様。滞りなく。お姉様、戻って早々お手数ですが給仕を手伝っていただけますか?」


「ええ、もちろんよ」


 給仕の手伝いを頼むとメロディはパッと華やいだ笑顔を浮かべた。セレーナは内心でホッと安堵の息をつく。帰ってきたメロディが、いつもと比べて少し暗いような気がしたからだ。


(私の気のせいだったのでしょうか。ですが、今のお姉様はいつものお姉様です)


「あ、グレイル、ただいま!」


「キャワンッ!」


 ルシアナが手を広げると、玄関ホールの奥から駆け出してきた子犬のグレイルが、ルシアナへ向かって大きく飛び跳ねた。ルシアナは上手にそれを両手で抱きとめることに成功する。その勢いのままにクルクルと回転する少女と子犬。楽しそうな二つの悲鳴が玄関ホールに木霊した。


「もう、転ぶかと思ったわよ、グレイル!」


「ワンッ!」


 初めて出会った時から何とも人懐っこい子犬である。その鳴き声には嬉しさが多分に含まれていた……これが春の舞踏会に現れた襲撃者の黒幕『魔王』だったなんて誰が信じるだろうか。


 魔王の精神はメロディの魔法によってうっかり浄化され、今は子犬のグレイルの中で静かに眠っている。左耳と足先、そして尻尾に残る黒い毛並みが、ほんの少し残った魔王の残り香だ。


 何か大きなでもない限り、グレイルの中で魔王が目覚めることはないだろう。



 その夜、屋敷に帰ったルシアナは一週間ぶりに家族の団欒を楽しむのであった。






 そして翌朝。時刻は午前五時を回った頃――。


「さーて、始めましょうか!」


「はい、お姉様」


 清掃用の簡素なドレスに身を包んだメロディは、掃除用具一式を手に玄関ホールの真ん中で仁王立ちしていた。隣に立つセレーナも同じ出で立ちをしている。

 これはハウスメイドの仕事着。彼女達はこういった汚れてもよい恰好で、まだ寝静まった早朝のうちから屋敷の掃除を始めるのだ。メイドの裏仕事を主の目に触れさせない配慮である。


「それじゃあ、私が暖炉の周りを掃除するからセレーナは玄関周りをお願いね」


「承知しました。……ですがお姉様は今日、お休みなのでは?」


 セレーナの言う通り、学園から帰還したルシアナと同様に、六日間連続勤務をしていたメロディも本日は休みだったりする。伯爵邸の使用人にセレーナが加わったことでシフト調整が可能になったはずなのだが――。



「今日の私は趣味でメイドをしているからいいのよ♪」



 まるで慈愛に満ちた聖母のような笑顔がそこにあった。



 ……昨日、何かがグラついた音が聞こえた気がしたのではなかったのだろうか。今のメロディからは迷いのまの字も見当たらない。ほうきで掃いてごみ箱にでもポイしてしまったのだろうか?


「……」


 しばし呆気にとられるセレーナ。何という詭弁。何という強引な言い訳。セレーナの脳裏に、メロディから受け継いだ知識のひとつ『仕事中毒(ワーカーホリック)』という言葉が浮かび上がる。



 しかし――。



「趣味なら仕方ありませんわね」



 元々がメロディの『分身』だったからだろうか。セレーナは笑顔でスルーした。



「ふふふ、ありがと。それじゃあ、久しぶりに魔法も使ってお屋敷中を綺麗にしちゃおうかな♪」



 最近は屋敷でも魔法で清掃などしてこなかったメロディ。この日は鬱憤でも晴らすように自重を捨てた本気のメイドパワーを行使するのだった。











 ……それから数時間後。目を覚ましたルシアナ達から「まぶしい」というありがたい苦情をいただくことになる。






「ふぅ、まさか掃除のし過ぎで怒られるなんて……」


「どちらかというと休日出勤の方がメインだったと思いますよ、お姉様」


「まあ、そっちは最終的に許可してもらえたしいいじゃない」


 昼食の下ごしらえをしながら、先程の叱責を思い出すメロディ。


 まるで自ら輝いているかのような真鍮。ニスでも塗ったかのように滑らかで艶やかな木製家具。暖炉のレンガでさえも陽光が反射するほど磨き上げられ、メロディが気付いた時には、伯爵邸は大変目に優しくない光り輝く邸宅へと変わり果てていた。


 掃除をして綺麗になったはずが、まさかこんな結果になってしまうなんて……過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、まさにこのことである。


 そのため、お屋敷にはウェザリングを施すこととなった。プラモデルにリアリティを与えるためにあえて汚れや傷を付与する加工技法のことである。おかげさまで、今はもう元の屋敷の姿を取り戻している。



「……それで、少しは気が晴れましたか?」


「……気付いてたんだ」


「普段のお姉様でしたら、自重を忘れていても最適な仕上がりにできるはずですもの。それに、帰ってきた時の表情が少し暗かった気がしたので」


「そう……」


 優しく微笑むセレーナ。それはまるで、いつかの母の笑顔のようで思わずドキリとしてしまう。


「セレーナ。『世界一素敵なメイド』って何だと思う?」


「世界一素敵、ですか? 私はお姉様のことだと思っていますよ」


「ありがとう。でも私なんてまだまだだよ。今も『世界一素敵なメイド』が何なのか全然分からなくて悩んでるくらいだし」


(自分に、そしてお母さんに『世界一素敵なメイド』になると誓って、全力で取り組んでいたつもりだったけど……『世界一素敵なメイド』って何なんだろう?)


 たくさんの知識を学び、多くの技術を鍛えて、そうやって頑張っていけばいずれは辿り着けるものなのだと、漠然と考えていた。


 だが、昨日のレクトの言葉を聞いて心が揺れた。それだけではダメな気がするが……。


(よく、分かんないや……。お母さん、世界一素敵なメイドって……何なの?)



 夢を諦めるつもりはないが、少しだけ……決意が揺らぐ。何だかちょっとだけ、怖い。



「お姉様、顔色が悪いですが大丈夫ですか?」


 メロディはハッと我に返った。振り向くと心配そうにこちらを見つめるセレーナの顔が、母セレナにそっくりな顔が目の前にあった。



 そしてメロディは、とあるアイデアを思いつく。



「……ねえ、セレーナ。お願いがあるんだけど」


「はい、何でしょうか」


「私に『世界一素敵なメイドになってちょうだい、メロディ』って、言ってくれない?」



 それは母の最期の手紙にあった言葉。母にそっくりなセレーナから言われれば、勇気を貰えるような気がした。



「……よく分かりませんが、お姉様が望むのでしたら」



 セレーナは小さく深呼吸をした。そしてメロディに言われた通りの言葉を紡ごうとして――。



「……『頑張ってね、メロディ。ずっと、応援しているわ』」


「――え?」


 慈愛に満ちた表情でメロディを応援するセレーナ。だが、それはお願いした言葉ではなかった。


「……あれ? す、すみません、間違えました。えっと……世界一素敵なメイドになってちょうだい、メロディ……で、いいですか? ……お姉様?」


「セレーナ、今、あなた……」


「?」


(セレーナ、どうしてさっき違うセリフを。ううん、そうじゃない。そうじゃなくて、さっきのセレーナはまるで――)


「お姉様、どうかしましたか?」


「……ううん、何でもないわ」


 きっと、気のせい。でも……。


(不思議……何だか頑張れそうな気がしてきた)


「ふふふ。ありがとう、セレーナ。おかげで、ちょっと頑張れそうな気がする」


「そ、そうですか? お役に立てたならよかったです」


 先程の慈愛に満ちた表情とは異なる、優しい微笑み。セレーナの笑顔。


 さっきのセレーナの言葉は何だったのか。その答えは誰も知らない。





 だが、彼女があの言葉を口にする直前、首元の銀細工が仄かな光を灯したことに、メロディは全く気が付いていないのであった……。






※以降、一日一回20:00更新とさせていただきます。

 どうぞラストまでよろしくお願いいたします。




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