第6話 学園オリエンテーションと放課後の訪問者

 王立学園では、一年生は午前に共通科目、午後に選択科目を受講することになっている。


 共通科目とは、現代文・数学・地理・歴史・外国語・礼儀作法(基礎)・基礎魔法学の七科目。

 選択科目は多種多様で、貴族男子なら騎士道、貴族女子なら礼儀作法(応用)を受講することが多い。その他にも応用魔法学や基礎的な医学・薬学・建築学などの専門科目も存在し、生徒はこれらの中から最低一科目以上授業を選択する決まりだ。


 学園は一週間のうち六日間授業があり七日目が休みとなるため、六日目の放課後から実家に帰宅し、翌週の一日目の朝に実家から登校するなどという方法を取ってもよい。


 午前中に共通科目を三時限受講し、午後から任意で選択科目一、二時限受ける。本人の選択によっては授業がない日もあるので午後はフリーという人もそれなりにいることだろう。


 貴族子女の場合、王立学園では授業だけに専念すればよいというものではない。せっかく同世代が一堂に会しているのだ。午後の自由時間を利用して同級生や先輩とお茶会などで親睦を深めることも重要な学生活動のひとつといえる。


 逆に平民の場合は手に職を付ける方が重要と考える者が多く、可能な限り選択科目を受講する者も少なくない。平民が高等教育を受けられる数少ない機会なのだ。逃すわけにはいかない。

 もちろん、将来的に貴族と関わる可能性の高い者は社交を優先することもあるので絶対とは言い切れないが。


 午前中はそんな話を聞き、午後からは抜き打ち中間試験の返却と答え合わせが行われた。



「ふむ。総評としては、うちのクラスの成績は三クラスの中ではトップだったな」


 レギュスの言葉に軽く教室が沸いた。やはり一番という言葉は誰でも嬉しいらしい。だが、それを制するようにレギュスの視線が生徒達を射抜く。


「確かに総合点ではうちがトップだった。だが、その原因は一位から四位を我がクラスが独占したことが大きいということを忘れぬように。彼らを抜けばこのクラスの平均点は他のクラスとそこまで大差はない。肝に銘じておくことだな」


 ひと際鋭くなった眼光に、生徒達は一斉に「はい!」と答えた……どこの軍隊だろうか?







 答え合わせが終わり、レギュスが教室を去った頃にはもう日暮れ近い時間となっていた。他の生徒達も教室を出ていき、室内はまばらになっていく。


「それじゃあ、ルシアナ。私達も帰りましょうか」


「ええ、そうね。帰ったら試験の間違えたところを復習しないと。はぁ、憂鬱だわ……」


「ふふふ、三位のあなたより十位の私の方が復習箇所は多いのよ? 私の方が大変だわ」


 アンニュイな表情を浮かべるルシアナの様子にルーナは笑って返す。だが、ルシアナは苦笑を浮かべて誰にも聞こえないような小さな声で呟くのだった。


「ルーナのところにはいないじゃない、鬼家庭教師が……あら?」


 帰り支度を済ませ立ち上がったルシアナは、まだ教室に残っているアンネマリーとクリストファー、そして公爵令嬢オリヴィアの姿を捉えた。三人で集まって話をしている。


「帰る前に殿下達にご挨拶していきましょう、ルシアナ」


「う、うん……」


 学園では身分を重視しない風潮とはいえ、彼ら三人が目上の人間であることに変わりはない。それが相応しくない場合はともかく、人も少なくなり挨拶をしても問題ない状況であるならば、王太子達へ退出の挨拶をすることはおかしなことではなかった。


 ルシアナを敵視しているオリヴィアがそばにいなければ……。


 オリヴィア・ランクドール公爵令嬢。春の舞踏会でルシアナに敵意の視線を向けていた少女で、特に何もされてはいないがルシアナは少しだけ気まずく感じていた。


「王太子殿下、オリヴィア様、アンネマリー様、私達はこれで失礼いたします」


 身分順にルーナが礼儀正しく挨拶を述べる。ルシアナもそれに続いた。


「やあ、わざわざ丁寧にありがとう。もうすぐ日が暮れるから気を付けて帰るんだよ。それはそうと、せっかく同級生になったのだから名前で呼んでくれると嬉しいな」


 眉尻を下げつつも朗らかな笑みを浮かべる王太子クリストファー。中身が適当男子高校生とは思えない優雅な態度だ。


「とても恐れ多いことですわ」


「困ったね。皆そう言って私のことを殿下と呼ぶんだ。少し寂しく感じるよ」


「仕方のないことですわ。皆、殿下への敬意を捨てられないのですもの」


 苦笑いを浮かべるクリストファーへ、オリヴィアが温かい笑顔を向けた。ルシアナの時とは異なり本当に優しそうな表情である。そんな顔をできるんだと、ルシアナはちょっとだけ驚いた。


「そういえば、皆様はまだお帰りにならないのですか? 学生寮は近いとはいえ、そろそろ本当に日が暮れてしまいそうですが」


 ルーナは不思議そうに首を傾げた。その疑問にはアンネマリーが答えてくれる。


「もうすぐここへわたくし達の友人が訪ねてくる予定なの。わたくしと殿下で待っていたら、その間だけでもとオリヴィア様が残って一緒にお話ししてくださっているのよ」


「気を遣わせてしまってすまないね、オリヴィア嬢」


「とんでもございませんわ、殿下。わたくし、殿下とお話できてとても楽しんでおりますもの」


 柔らかい笑みを浮かべるオリヴィアの頬がほのかに赤い。ルシアナはピンときた。オリヴィアは少なからず王太子クリストファーに好意を抱いている、と。


(でも、王太子殿下の婚約者候補筆頭って……)


 ルシアナはアンネマリーに目をやった。彼女は歓談する二人の様子を笑顔で見守るだけで、これといった反応は見せていない。むしろ嫉妬心すらないのではと思うほどである……だって嫉妬なんてしていないのだから。オリヴィアがいい子だったらむしろ正式な婚約者になってくれないものだろうかとか、アンネマリーが考えているとは思いつくはずもなかった。


 その時、教室の扉が開いた。現れたのはルシアナも知る人物だった。


「マクスウェル様?」


「やあ、久しぶりだね、ルシアナ嬢。春の舞踏会以来かな。元気にしていたかい?」


 ハニーブロンドの長い髪を後ろでまとめた美しい少年の名は、マクスウェル・リクレントス。現宰相を務めるリクレントス侯爵の嫡男である。春の舞踏会ではルシアナのエスコート役を務めていた人物だ。ルシアナ達より一歳年上の十六歳で、学年は二年生。


「まったく。王太子たる私より先にルシアナ嬢へ挨拶とは。隅に置けないな、マックス」


「そんなんじゃないさ。たまたま最初に目に入ったのが彼女だったというだけだよ」


「まあ。わたくし達は目に入りませんでしたか、リクレントス様」


 揶揄い合う男子二人の会話に、若干不満げな様子のオリヴィアが割って入る。マクスウェルは気付かれぬように一瞬目を細めると、普段通りの笑顔を浮かべて恭しく一礼した。


「失礼しました、オリヴィア嬢、それにアンネマリー嬢。ご機嫌麗しゅう……それと」


 マクスウェルの視線がルーナに向いた。彼女とは初対面なので名前が分からないらしい。


「マクスウェル様、彼女は私の友人でルーナ・インヴィディアといいます」


「あ、あの、インヴィディア伯爵家の娘で、ルーナと申します。以後お見知りおきくださいませ」


 少々挙動不審になりながら、ルーナはマクスウェルにカーテシーをした。顔を真っ赤にしてとても恥ずかしそうだ。王太子には普通だったのに、マクスウェルには緊張しているらしい。


(やっぱり男は顔なのか。くそ、イケメン許すまじ!)


 いつものことなのか慣れた様子で挨拶を返すマクスウェルを見て、クリストファーは内心で悪態をついた。自分だってイケメンに転生しているのにそれでもイケメンへの僻みは消えないらしい。


(心が狭い男ねぇ……)


 クリストファーの考えなど手に取るように分かってしまうアンネマリーもまた、笑顔の裏側で毒づいていた。まあ、いつものことである。


「それで、今日マクスウェル様は何の用事でいらしたのですか?」


「……関係もないのに出しゃばったことを聞くものではありませんわ、ルトルバーグ様」


「っ、失礼しました」


 何気ない世間話のつもりで尋ねたルシアナだったが、スッと目を細めたオリヴィアに窘められてしまう。確かにその通りだと反省するルシアナ。マクスウェルは苦笑いだ。


「大丈夫ですよ、オリヴィア嬢。ルシアナ嬢、私はこの二人に生徒会について説明しにきたんだ」


 生徒による自治活動組織『王立学園生徒会』。日本の乙女ゲームの世界だからか、はたまた学園という組織ならば自然と生まれるものだからか、貴族制国家であるテオラス王国の学園にもしっかりと生徒会が存在していた。


 マクスウェルは王太子クリストファーとアンネマリーを生徒会に入れるために来たらしい。

 王立学園の生徒会役員は、日本の学校のように選挙で選ばれるわけではない。基本的に教師や現生徒会役員による推薦によって決められる。


 ここは身分制度のあるテオラス王国ならではだろう。身分ある者が責任ある立場に立つことが当然の世界であり、まさか王太子がいるにもかかわらず生徒会役員に選ばれませんでしたというわけにもいかないのだから。


「では、王太子殿下が生徒会長になるのですか?」


「さすがに一年生の時点ではないかな。今回は二名の副生徒会長の一人をしてもらうことになるだろうね。ちなみにもう一人の副生徒会長は私だよ。生徒会長は三年生の中から選ばれる予定さ」


 ルシアナとルーナは納得した。さすがに王太子とはいえ入学したばかりでは学園での勝手などわかるはずもない。おそらくこの一年で生徒会を学び、早ければ来年から生徒会長に就任するのだろうと、二人は考えた。


 ルシアナが感心した様子で頷いていると、マクスウェルは閃いたとばかりに表情を綻ばせる。


「そうだ。実は生徒会役員の席がまだひとつ空いているんだ。よかったら役員にならないかい? ルシアナ嬢」


「……え?」


「「「「えっ!?」」」」


 言葉の意味が理解できず、聞き返すように声を漏らしたのはルシアナ。他の四人は驚きを含んだ声を零した。特にアンネマリーの驚きは大きい。ゲームではそんなシーンはなかったからだ。ヒロインが生徒会役員になるシナリオなど存在しない。


(何この急展開!? ある意味ヒロインらしいけど、やっぱり色々ゲームとは違ってるわ!)


「どうだろう? 聞くところによると昨日の抜き打ち試験の結果は三位だったとか。優秀じゃないか。生徒会では優れた人材を求めている。君が参加してくれると嬉しいんだけどね」


 マクスウェルは楽しそうに微笑む。しばらく放心していたルシアナだったが、首を左右に振って我に返ると、マクスウェルの提案に返事をした。


「えーと、大変光栄ではあるのですが、お断りさせていただきます」


「理由を聞いても?」


「申し訳ありません。単にそんな大役を務める自信がないだけですわ。あ、代わりにルーナはどうですか? 試験の順位だって十位だもの、十分優秀だわ。ねえ、どうかしら、ルーナ?」


「えっ!? わ、わ、私っ!?」


 突然話を振られたルーナは、ルシアナとマクスウェルを何度も見比べると、勢いよく首を左右に振った。


「むむむむむ無理無理無理! わ、私には無理だよ!」


「そんなことないと思うけどなぁ」


 自分のことを棚上げして語るルシアナ。マクスウェルは今日何度目の苦笑だろうか。


「まぁ、強制されるようなものではないからね。残念だけど無理には誘わないさ」


「……わたくしにはお聞きにならないのですね、マクスウェル様」


 そんな彼らの遣り取りを見つめるオリヴィアは、とても不機嫌そうに目を細めていた。


 オリヴィアの言葉にハッとなるルシアナとルーナ。言われてみれば、マクスウェルはオリヴィアを生徒会には誘っていない。家格や成績のことを慮るなら誘って当然の相手だというのに。


「理由はあなたもご存じでしょう。既にランクドール公爵家からはあなたの兄君が役員となっている。生徒会内の公平性を保つために、同じ家からは一人までしか役員を入れられない規則だ」


「分かっておりますけど、そんな理由でわたくしが選ばれないなんてとても不愉快ですわ」



 ――あの子は当たり前のように誘われたのに。



 オリヴィアが怨嗟の籠った視線をルシアナへ向けた。表情からは読み取れず、ルシアナ自身も気付いていない。





 ただ、アンネマリーだけはルシアナへ嫉妬の炎を燃やすオリヴィアをじっと見つめていた。





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