第5話 試験結果とアンネマリーの考察

「わぁ。ルシアナ、あなた学年三位ですって。凄いわ」


「ルーナこそ十位じゃない。十分凄いわよ」


 初顔合わせの時とは打って変わって砕けた口調で話し合うルシアナとルーナ。たった一日で随分と打ち解けたようだ。


 学園生活二日目の朝。ルシアナ達が登校すると教室の正面に昨日の抜き打ち試験の結果が張り出されていた。全三クラス、合計約百名の順位がはっきりと記されている。


 朝から夕方まで実施された全ての試験の採点と集計を翌朝までに仕上げてくるとは、なかなかハードスケジュールを熟す教師陣である……ややブラック臭が漂うが、生徒達はそんな苦労に気が付くことはない。


「まぁ、ルシアナさんは三位? 素晴らしい成績ね」


「あ、おはようございます、アンネマリー様」


 試験結果を眺めていると、後ろからアンネマリーがやってきた。どうやら彼女も同じクラスらしい。二人はそっと膝を曲げて簡略的なカーテシーをする。アンネマリーは朗らかな笑みを浮かべた。


「ええ、おはよう、二人とも。ルーナさんも十位? 二人ともきちんと予習をしてきたのね」


「いえ、そんな。アンネマリー様や王太子殿下には敵いませんわ」


 アンネマリーに褒められ、ルーナは顔を赤らめながらもう一度順位表に目をやった。そこにはさんさんと一位にクリストファー、二位にアンネマリーの名が記されている。


「ふふふ、必死にがり勉した甲斐があったというものね」


 冗談めかしたアンネマリーの言葉に二人は思わず笑ってしまった。幼い頃から優秀さを見せつけ社交界では十五歳にして『完璧な淑女』とまで呼ばれる彼女のことだ。きっと自分達ほど必死にならなくともこの程度の結果を出すことができるだろう――と、ルシアナ達を含め周囲から割と本気でそう思われているアンネマリーだが……。


(いやホント、マジ頑張ったから。私、マジ頑張ったから!)


 アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢。その中身は、現代日本を生きていた乙女ゲージャンキーな女子高生・朝倉杏奈である。そして当時の学校の成績は……聞かないであげてくださいな。


 この試験結果は、アンネマリーが必死に勉強したからこそ得られたものだった。


(何せゲームのアンネマリーの成績はこんな上位じゃなかったものね。私、マジ頑張った)


 心の中で何度も自分を称賛するアンネマリー。だが、その瞳は憎々しげに一位に向けられる。


(そしてやっぱり一位はこいつか……。あのバカに負けてるなんて悔し過ぎる。でもこれがゲームの強制力、もしくはキャラスペックの差ってやつなのかしらね?)


 王太子クリストファー・フォン・テオラス。その正体は、現代日本を適当に生きてきた極々普通の男子高校生・栗田秀樹である。その成績は、杏奈以上にアンタッチャブルなので要注意!


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』においても中間試験の一位は王太子クリストファーであった。要するにクリストファーという人間は元々のスペックが高いのだ。中身が秀樹であろうと、中身杏奈のアンネマリーが必死に勉強しても越えられない程度には明確な差があった。


「堂々の一位とはさすがでございますわ、殿下」


「ははは、必死にがり勉した甲斐があったというものだよ」


「まあ、殿下ったら。ほほほ」


 背後からクリストファーを称賛する声が聞こえる。どうやら彼もルシアナ達と同じクラスのようだ。表情こそ保っているが額に怒りマークでも浮かびそうな気持ちになるアンネマリー。


(むっきー! あんた、夜なべしてた私と違って夜はぐっすり寝てたこと知ってるんだからね!)


「どうかされましたか、アンネマリー様?」


「……いいえ、何でもないわ」


 不思議そうに首を傾げるルシアナにアンネマリーはニコリと微笑む。こういう時に本音を言えないことが少し寂しくあるものの、微妙な表情の変化に気付いてもらえて嬉しくも感じる。


 おかげで平静を取り戻すことができた。そしてもう一度順位表を見る。


(一位がクリストファー、二位が私、そして三位がルシアナちゃん。これって、そういうことなのかしら? ヒロイン不在の今、学園の『代役ヒロイン』は……ルシアナちゃん?)


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』において、ヒロインの中間試験順位は三位に固定されていた。四月、五月にどんな学園生活を送っていても三位になるという固定シナリオだ。


 実際、メロディが試験を受けていたら三位どころか一位になっていてもおかしくない。前世では人類史に名を残せるレベルの天才だった彼女のスペックは王太子よりもずっと上なので。


 四月にゲームシナリオが始まって以来、学園が始まるまでの間にもいくつかのシナリオが動いていた。本編というよりはサブシナリオ的なものだが、それを通してアンネマリーは『代役ヒロイン』という概念に思い至った。


 ヒロイン不在でもシナリオは始まる。そして、その時最も相応しい人間がヒロインとして行動するのだ。もちろん本人が自覚を持ってヒロインを演じているわけではないが、なぜか結果的にシナリオに沿った行動を取り、ゲームシナリオが完成してしまうのである。


 五月の半ば頃、メロディというゲームでは名前も登場しないモブキャラがサブシナリオのヒロインを演じたことで、アンネマリーはその発想に至ったのだ……とんだ勘違いなのだが、残念ながらこれを訂正できる人間はどこにもいない。


(もしルシアナちゃんが『代役ヒロイン』をすることになるなら、これからの学園生活は彼女を中心にシナリオが進んでいくことになる。でも、ルシアナちゃんって……最初の中ボスなのよね)


 『嫉妬の魔女』ルシアナ・ルトルバーグ。ゲームでは、ヒロインへの劣等感と嫉妬心からラスボスの『魔王』に魅入られ、第一の刺客として登場する中ボスである。


 ……どこかのメイドジャンキーの活躍によってその雰囲気は皆無であるが。


 ついでに言えば、そのラスボスさんはメイドジャンキーの無意識の魔法によって既に綺麗に浄化され、ルトルバーグ邸にて惰眠をむさぼっていたりする。もはやただの飼い犬である。ワンッ!


 そんな悲しい現実を知らないアンネマリーは、これからのシナリオ展開について真剣に頭を悩ませる。ヒロインどころか中ボスすら不在の状態で、物語はどう進んでいくのだろうか。


 その時、アンネマリーは背後から視線を感じた。領地で朗らかに過ごしていたルシアナと違い、王都でクリストファーの婚約者候補筆頭として暮らしていた彼女の貴族センサーは鋭い。



 相手に気取られぬように背後を見やると――。



(……そう。あなたがそんな目を向けるのね)


 ――オリヴィア・ランクドール公爵令嬢。


「やはり殿下は素晴らしい方ですわ。わたくしも頑張ったつもりなのですが、とても敵いません」


「何を言う。君こそ四位じゃないか。十分に誇っていい順位だと思うよ」


「いいえ、公爵家の者としてまだまだ精進が足りなかったとしか申せません。ヴィクティリウム侯爵令嬢やルトルバーグ伯爵令嬢を見習わなくてはいけませんわ」


「そうかい? 君は向上心に溢れているんだね。素晴らしいことだ」


 金髪の少女オリヴィアは、クリストファーに笑顔を向けながら時折こちらへ視線を向けてくる。その表情は笑顔だが、その瞳に温かさはない。その冷たい眼差しは自分に……いや、どちらかというとルシアナに注がれていた。


 ルシアナはルーナと楽しそうに話すだけで、背後の視線に気付いていない。


(春の舞踏会の時もそうだったけど、オリヴィアがルシアナちゃんを敵視している? まさか、あなたが『代役ヒロイン』ならぬ『代役中ボス』だとでもいうの?)


 ゲーム本来の彼女の試験順位は二位。アンネマリーとルシアナが好成績を収めたことでオリヴィアの順位が繰り下げられる結果となっていた。


 ゲームでは一位クリストファー、二位オリヴィア、三位ヒロインとなり、それよりもずっと下の順位にアンネマリーがいた。そしてヒロインの順位を褒めるクリストファーを見て腹を立てたアンネマリーが不正だのカンニングだのと大げさに文句をまくし立てるシーンに入るのだ。


 その際オリヴィアは二位の余裕を持ってアンネマリーを窘めてくれる、脇役ながらヒロインの味方的ポジションになるはずなのだが……今の彼女からはそんな雰囲気は微塵も感じられない。


(これって、半分は私のせいよね……)


 『完璧な淑女』という今のアンネマリー像は、ゲームにおける当て馬的おバカライバルキャラという本来のアンネマリーからはかけ離れたものになっていた。

 オリヴィアのお株をアンネマリーが幾分か奪い取ってしまっている部分も確かにあるのだ。


 だが、オリヴィアの意識は主にルシアナに向けられている。幼い頃から注目を集めていたアンネマリーよりも、昔から『貧乏貴族』と揶揄されてきたルシアナに負ける方が気に障るのだろう。


(オリヴィア視点でいえば、ぽっと出の没落貴族に注目を奪われてさいあくー! て、感じなのかしら? まぁ、分からないでもないといえばそうなんだけど……でもねぇ)


 嫉妬される側からすれば理不尽な話である。アンネマリーの件にしても、ゲームを知る身からすれば多少申し訳ないと思わないでもないが、客観的に見ればアンネマリーに落ち度はない。不正を働いたわけでもなく、単純に彼女の努力の結果なのだから。


(うーん、ゲームと違うとはいえ状況も異なっている以上、現時点では何とも言えないわよね。とりあえず彼女の動向には注意するとしかいえないか……)


「おはよう、諸君。すぐに席に着くように」


 担任教師レギュス・バウエンベールが入室した。


 ソフトモヒカンの灰色の髪と厳つい風貌。スーツの上にローブを羽織っていても分かる鍛え上げられた大柄な体躯。端的にとても強そうな三十代くらいの男性である。


 昨日は唐突に表れた軍人のような担任教師に生徒達は震え上がったものだ。そして、相変わらず鋭い眼光が教室中に向けられる。生徒達は慌てて自分の席へと戻った。




「試験結果は確認したか。採点した解答用紙は後ほど返却するとして……それでは、これより学園オリエンテーションを開始する。心して聞くように」




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