第3話 うきうきガックリなメロディの学園初日
翌朝。制服に着替えたルシアナは玄関の前に立っていた。
銀糸の刺繍が施された深碧のブレザーに、膝下丈のプリーツスカート。生足厳禁なので黒タイツを履いており、胸元には一年生を表す真っ赤なリボンがあしらわれている。
その姿はまさに……二次元世界にありそうな、おしゃれ学生服であった。
中世ヨーロッパ風異世界であるにもかかわらず、十八世紀頃に生まれたはずのブレザーを当然のように採用しているあたり、さすがは乙女ゲームの世界である。ビバ・デザイン重視!
「メロディ、変なところはないよね?」
「はい、お嬢様。とてもよくお似合いですよ。それより、お忘れ物はございませんか?」
「ええ、今度こそ大丈夫よ。しっかり確認したわ」
革製の学生鞄をポンと叩いて、ルシアナは得意げに答えた。だが、メロディは不安そうだ。
「……鞄の中身、一度全部出したりしてませんよね?」
思い起こされる入学式の日の朝。一度前科が付くと信用を取り戻すのはとても難しいのである。
「も、もう一回だけ確認してみようかな」
……出したらしい。ルシアナが鞄を開けて中身を確認すると――。
「きゃー! 筆箱が入ってなーい!」
まるでどこかのコメディドラマのように朝から慌ただしいルシアナなのであった。
「……さてと、こんなものかな」
部屋の掃除を終えたメロディは、ふぅと一息つきながら額の汗を拭っていた……ただしポーズである。正直、いつもの伯爵邸よりずっと狭いこんな部屋の掃除くらいでメロディが汗などかくはずもない。学生寮では魔法禁止を言い渡されたが、もともと屋敷の掃除にも魔法を使うことなどほとんどなかったため、ちっとも大変ではなかった。
汗を拭う仕草は、メロディが単に形から入る娘だからだ……全く不要なこだわりである。
「掃除の次は、洗濯ね!」
メロディは各学生寮に設置されている共同の洗濯場へ向かった。
メイド業務において、洗濯とは最も厳しい仕事のひとつだ。よく考えるまでもないだろう。洗濯機も乾燥機もない時代の洗濯風景を想像してみればいい。力仕事のオンパレードである。
できることならあまり従事したくない仕事。それがランドリーメイドの洗濯業務であった。
だが、洗濯場へ続く通路に軽快な鼻歌が木霊する。もちろんメロディだ。
一体何が楽しいのやら……。
(ふふふ、ようやくポーラ以外のメイド友達ができるのね!)
王都に来てすぐにルトルバーグ家に仕えることとなったメロディの行動範囲は驚くほど狭い。基本的には屋敷で過ごし、あとは市場で買い物と、ポーラを尋ねてレクトの屋敷に、そしてちょろっと近くの便利な森――という名の前人未踏の魔障の地『ヴァナルガンド大森林』を訪れるくらい。
……行動範囲に一部あってはならない場所があった気もするが、とにかく、王都におけるメロディの人間関係は正直希薄であった。
(昨日のインヴィディア家のご令嬢のメイドとはほとんど会話もできなかったから、今日はメイドの友達百人できるといいな)
小学一年生みたいなことを考えながらうきうきと洗濯場へ向かうメロディ。そして彼女は笑顔で洗濯場に到着し――。
「おはようございます、お邪魔しま……す?」
洗濯場はまさかの無人であった。
「え? あれ? なんで……?」
先程も説明した通り、洗濯とは大変な重労働だ。洗浄・消毒・漂白・染み抜き・乾燥・糊付けなどなど作業量はとても多い。だから当然朝から作業を始めてしかるべきなのに……なぜ無人?
さて、学生寮における洗濯手段は実のところ全部で三種類存在する。
一つ目は今メロディが訪れている学生寮併設の共同洗濯場。全ての寮に設置されており、洗濯道具も無料で借りることができる。ただし洗剤は有料もしくは持ち込み必須である。
二つ目は学園が運営している外注ランドリーサービス、要するにクリーニング屋さんだ。洗濯代を支払うことになるが、専門業者に任せるだけなので余計な面倒から解放されるメリットがある。
そして三つ目が、今メロディが直面している現実の原因……『実家で洗濯する』である。
考えてみてほしい。現在メロディ達が滞在しているのは、伯爵以上の家格が集まる上位貴族寮だ。彼らが所有する衣類の種類は千差万別で、素材によってはとても丁寧で繊細な洗濯技術を求められる。それを、誰が使うか分からない共同の洗濯場で洗うことなどできるだろうか?
もちろん答えは否である。
平民寮や下位貴族寮であれば、金銭的な理由もあって無料の共同洗濯場を利用する者もそれなりの人数がいたことだろう。だが、上位貴族寮の者達は経済的に困窮などしておらず、共同洗濯場を利用する必要がない。洗濯ものが返却されるまでそれなりの時間が掛かるため、たくさんの衣類を持ち込んでおかなければならないだろうが、上位貴族ならばやはり何の問題もないのだ。
必要がない以上、利用する者などいるはずもなく、上位貴族寮の共同洗濯場を利用するのは『貧乏貴族』と名高いルトルバーグ家のメイド、メロディくらいであった。
「……そんなぁ」
無人の洗濯場を目にし、すぐにその結論に至ったメロディは洗濯かごを抱きかかえたまましょんぼり項垂れた。そして大きくため息を吐くと、やるべき仕事をすべく洗濯場に踏み入るのだった。
他に利用者もいなかったため、これっぽっちも滞ることなく作業は終了した。
「ううう、広い洗濯場を独占できる開放感はちょっと楽しいけど、やっぱり寂しいよぉ」
さくっと終わってしまった洗濯物を見つめながら、メロディは残念そうに呟いた。
ちなみに、共同洗濯場でできるのは洗濯および脱水までで、乾燥は各自の部屋で行う。使用人部屋の隣に物干し部屋が別途用意されており、そこで干して乾かすのだ。さすがに誰が来るか分からない場所に洗濯物を干しっぱなしにはしておけないので。
上位貴族寮では用途がないので、部屋によっては使用人のための多目的部屋として利用しているところもあるとか。メロディは物干しスペースとして利用するのでそういうわけにもいかないが。
お昼になった。昼食の時間だ。メロディは楽しそうに鼻歌交じりに通路を歩いている。
「ふふーん、今度こそメイド友達千人できるかな~」
……桁がひとつ増えているが無視である。むしろ千人もいるのだろうか。
メロディは今、使用人食堂へ向かっていた。なんと王立学園、太っ腹にも使用人専用の食堂を作っていたのである。もちろん有料だが。
これは王太子クリストファーの発案によって作られたものらしい。社員食堂のイメージである。
各学生寮は地下通路で繋がっており、有事の際の連絡路として利用できる設計となっている。もちろん防犯対策はきっちり整っているので、この地下通路を利用して男子生徒が女子生徒の部屋へこっそり伺うなんて真似はできない。
使用人食堂はこの地下通路を通った一画に作られており、全ての棟の使用人が一堂に会することのできる場でもあった。
だから、メロディは期待に胸を膨らませていた。今度こそメイド友達ができるはず――と。
そうして辿り着いた使用人食堂は……使用人で埋め尽くされていた。
(やったあああああああああああああ!)
澄ました笑顔の仮面を張り付けながら、予想通りの光景に胸を躍らせるメロディ。食堂にはたくさんのメイドや執事らしい恰好の男女が楽しそうに昼食を取る姿を見ることができた。
大変だろうにきっちり昼食代を用意してくれた伯爵に感謝の念を送りながら、メロディは食堂の奥へと歩を進めた。
さすがに六棟全ての使用人が集まるだけあって、使用人食堂はとても広く――そして高い。
食堂は地下にありながら吹き抜けの二階建てとなっており、一階は大学の食堂のような、二階は給仕付きのレストランのような形態をとっているようだ。
一言で使用人といっても、仕える主次第では使用人自身も貴族である場合が少なくない。特にメロディがいる上位貴族寮の使用人がそれに当てはまるだろう。上位貴族に仕えるにはそれなりの身分と信頼が求められるのだ。
そしてどうやら、暗黙の了解なのか一階を平民の使用人が、二階を貴族の使用人が利用しているらしい。ちらりと二階に目をやると、私服姿の女性の姿も見える。侍女だろうか?
(うーん、できれば二階の人達とも仲良くなりたいけど……)
メイドジャンキーとしては身分に関係なく多くのメイドさんと仲良くなりたいところだが、考えなしに平民の自分が二階に上がれば、どう考えても後で問題になりそうである。
(まあ、初日だし今日のところは一階でいいか。ふふふ、誰かと相席させてもらってメイド談義をするんだ! レッツメイドトーク!)
お昼休みにわざわざ仕事の話をしたいメイドがいるかどうかは疑問だが、メロディは嬉しそうに注文の列に並んだ。そしてトレイを持って食事中のメイドグループへ声を掛ける……のだが。
「あの、よろしければ相席してもよろしいですか」
メロディが笑顔で尋ねると、グループのリーダーらしき女性もニコリと微笑み返した。
しかし――。
「あら。あなた、どちらの家のメイド?」
「はい。ルトルバーグ家です」
「……そう。……申し訳ないのだけど、その席、もうすぐ知り合いが来る予定なのよ」
「そ、そうなんですか……」
「ごめんなさいね」
「い、いいえ。お邪魔しました、失礼します」
残念ながら相席を断られてしまった。内心でしゅんとしつつも、メロディは笑顔でその場を去る。そしてまたひとつ、またひとつとメイドグループに声を掛けたが……。
「……まさか全滅するなんて」
八グループほどお願いしてみたが、なぜか全てから丁重にお断りされてしまった。さすがに今日は諦めたのか、今は一人で席に着いている。
(私、何か不快にさせるような言動があったのかな? でも、挨拶して勤め先を言っただけなんだけど。今日はたまたま巡り合わせが悪かっただけなのかなぁ? あ、このポテサラ美味しい)
もぐもぐと咀嚼しながら案外平気そうなメロディ。天然の鈍感力を有する無敵のメイドジャンキーは、当然のように図太いのであった。今はポテトサラダのレシピに夢中である。
だが、そんな彼女の背後から祝福の鐘のような素晴らしい声が響く。
「あの、ここ、一緒に座ってもよろしいですか?」
それは相席の確認であった。
「どうぞ!」
弾けるような笑顔で振り返り、了承の返事をするメロディ。相手の女性は続けて言った。
「よかった。男性も一緒なのですが大丈夫ですか?」
「ええ、全く問題ありませんのでどうぞ……あれ? あなたは」
同席者が増えるのはよいことだ。一切の躊躇なく受け入れたメロディだったが、目の前の女性の顔に既視感を覚え、小さく首を傾げた。そしてそれは相手の女性も同じだったようで……。
「確か、インヴィディア家の……」
「あなたは、ルトルバーグ家のメイドの……」
メロディに声を掛けたのは、昨日ルシアナの部屋を尋ねたメイドの少女であった。
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