第1話 ルトルバーグ家の新たなメイド
春麗らかな……というには少々苦しくなってきた季節。なぜなら明日から六月だから。
「ルシアナ、準備はいい? 忘れ物はないかしら」
「大丈夫よ、お母様。心配性なんだから」
ルトルバーグ伯爵家の王都邸、その玄関ホールにて母マリアンナから受けた質問に、娘のルシアナはお気楽そうに答えを返した――のだが、マリアンナはジト目を向けている。
「そう言って入学式の日に入学許可証をうっかり忘れたこと、私は忘れていないのだけれど?」
ニコリと微笑むマリアンナ。ルシアナの口から「うへっ」という令嬢にあるまじき声が漏れた。
「メ、メロディ、お母様へ告げ口なんてメイドとしてどうかと思うわよ!?」
ルシアナは慌てた様子で隣に佇むメイドの少女、メロディへ抗議の声を上げた。しかし、当のメロディはどこ吹く風、ルシアナに笑顔を向ける。
「申し訳ございません、お嬢様。毎日の活動報告を女主人たる奥様へ提出することは、メイドとして当然の義務でございますから」
「お仕えする家の娘が窮地に立たされてるってのになんで微妙に誇らしげなのよ!?」
ルトルバーグ伯爵家のオールワークスメイド、メロディ・ウェーブ。十五歳。
元日本人の転生者にしてここ――乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』の世界における『ヒロイン』セシリア・レギンバース伯爵令嬢その人である……のだが、幸か不幸か、ゲームのことなどこれっぽっちもご存じなかった彼女は、メイドになるという前世からの夢に邁進し、ワザとやっているのではないかというくらい、シナリオブレイクな日々を送っていた。
ルシアナはメロディの影響をモロに受けた代表例といえよう。本来のゲームでは、貧乏ゆえのヒロインに対する嫉妬心を抑えられずに敵対する中ボスであったのだから。メロディの常軌を逸したメイドスキルと魔法による徹底奉仕のおかげ(?)で嫉妬心とは無縁な生活を送ることとなったルシアナとメロディの関係は大変良好。ゲームシナリオ開始前から中ボス引退状態である。
もしこの世界にゲームの運営的な存在がいるとしたら完全なる配役ミス。極度のメイドジャンキーを筆頭に、ヒロインには不要な属性てんこもりの黒髪美少女であった。
「窮地って、大げさな……」
マリアンナの隣に立つ伯爵家の主、ヒューズが呆れた様子で三人の遣り取りを眺めている。
朝っぱらから玄関ホールに集まって何をしているのかというと、今日から王立学園の学生寮へ入寮することとなったルシアナを見送るためであった。
およそ二ヶ月前、入学式の日の夜に開催された春の舞踏会に謎の襲撃者が現れた。幸い大事には至らなかったものの、危機感を募らせた国王は安全を確保するため一時的に学園を閉鎖し、ようやく明日からの解禁となったのだ。
急遽学園内に新たに学生寮が建設され、これまで主に平民の希望者のみを対象としていた寮制度を全生徒へ強制適用。屋敷から通えるはずのルシアナも学生寮に入ることとなったのである。
全生徒の登下校を学園の敷地内に留めることで不審者の侵入の機会を減らす試みのようだ。
ちなみにこの学生寮、平民は無料だが貴族は有料である。ヒューズが宰相府に任官されたことで多少財政が上向いたとはいえ、『貧乏貴族』と名高いルトルバーグ家には手痛い出費。そうは言っても伯爵家としての体面もあるため寒い懐をさらに寒くさせながらもどうにか滞りなく支払いを済ませていた。
「ルシアナ、学生寮に入ったら思う存分余すところなく使い倒すんだぞ」
(訳:寮の費用分はしっかり元を取ってくるように!)
「つ、使い倒す? う、うん。よく分からないけど分かったわ、お父様」
燃える炎でも宿しているかのようなヒューズの双眸に……ルシアナはちょっと引いていた。
「あなた、はしたないわよ。メロディ、ルシアナのことをよろしくね」
「畏まりました、奥様」
美しい所作でサッとカーテシーを返すメロディ。彼女もまたルシアナのお世話をするために一緒に学生寮へ向かうことが決まっていた。
「お嬢様のお荷物についても事前に確認してありますので、忘れ物はないかと……その後でお嬢様が中身を全部出していらっしゃらない限りは」
「もう、もう! メロディまで! 二ヶ月も前のことをぶり返さないでよ!」
入学式の前日、忘れ物がないかとカバンから中身を出して確認したまではよかったが、そのまま入学許可証を戻し忘れてしまったルシアナ。恥ずかしい失敗に赤面してしまう。だが、外野にとっては微笑ましい思い出である。恥ずかしがるルシアナを愛でる三人であった。
準備が滞りないことにマリアンナは満足そうに頷くが、すぐに頬に手を添えてため息を吐く。
「それにしても、結局、新しい使用人を雇うことができなかったわね」
「一人くらいは見つかるかと思っていたのだがね」
マリアンナに呼応するようにヒューズもはあと一息。伯爵家の王都邸に勤める使用人はメロディ一人。彼女をルシアナに付けると決めてから伯爵家では新たに使用人を募集していたのだが、今日に至るまでそれに応える者は一人も現れなかった。
先々代の失策により生まれたルトルバーグ家の通り名『貧乏貴族』は伊達ではないということだろう。メロディの力によって生活環境は劇的に改善しているものの、実情を知らない者にとってルトルバーグ家は就職先としては完全に『なし』なのであった。
そのため、メロディが屋敷を出る以上、ルトルバーグ家には使用人がいない状態……というわけでもなかったりする。
「お嬢様、馬車の準備が整ったようです」
「分かったわ、メロディ。それじゃあ、行ってきます、お父様、お母様。あと、うちのことをよろしくね、セレーナ」
「承知いたしました、ルシアナお嬢様」
ルシアナ達から少し離れたところに一人の少女が立っていた。メロディよりも少しだけ大人びた雰囲気を持つ彼女の名前は、セレーナ。
メロディと同じデザインのメイド服を着ているが、キャップで髪をまとめているメロディとは異なり、頭部を飾るのはレースのカチューシャ。胸まで長い茶色の髪がふわりと揺れる。首元にはハートを象った銀細工がキラリと輝いており、シックなメイドスタイルのメロディとは対照的にどこか華やかな雰囲気。どことなくもてなしのメイド『パーラーメイド』を想起させる娘であった。
なんだ、メロディ以外にもメイドがいるではないか。さっきの伯爵夫妻の発言は何だったのか。
……その答えは、次のマリアンナのセリフで理解できるだろう。
「本当に美しい所作だこと。彼女が『人形』だなんてとても思えないわ」
「恐れ入ります」
そう告げながら微笑むセレーナの表情はとても自然で、何の事前説明もなく彼女を人形だと信じられる者など、おそらくいないのではないだろうか。
だが、ルトルバーグ一家はこの事実を疑うことはできない。なぜなら、彼らはセレーナが生まれる瞬間を直接目にしているのだから。
そしてもちろん、セレーナの作り手は――。
「それではセレーナ。私がいない間のお屋敷の管理をお願いしますね」
「はい、お姉様。創造主の名に恥じぬ働きをしてみせますわ」
――メロディなのであった。
(ふふふ、我ながらいい手を思いついたものだわ。アンナさんに感謝しなくちゃ)
そう、セレーナは先日の休日デートでアンナから贈られた人形をもとに作られた存在だった。
新たな使用人を募集してもなかなか見つからない現状で、人形を目にしたメロディはこう思ったのである。
――新しい使用人が来ないなら、この子に働いてもらえばいいんじゃない?
メロディも随分とこの世界の魔法に毒されたものである。どこかの物語に登場する魔法使いのおばあさんみたいなことを自然と考えつくようになっていた。
そうして、それほど苦労することなくパッと生まれたのがセレーナであった。
彼女の人格は『
『分身』からメロディの記憶を消去し、人格形成要素を乱数化することでメロディから独立した人格が形作られた。そのうえ、知識と技術はそのままメロディの能力を継承しているためメイドとしての技量は驚くほど高い。メロディには劣るが、動力として与えられている魔力を使って魔法を行使することも可能という、酷、じゃなく、とんでも仕様である。
こうして、もう新しく使用人を雇う必要なんてないんじゃないかというくらい優秀なメイドが、伯爵家にやってくることとなったのであった。
ちなみに、セレーナの本体は人形そのものではなく、首のチョーカーにある銀細工を依り代としている。セレーナはいわば超高性能アンドロイドであり、さすがのメロディもただの人形にその性能の全てを付与することは大変困難だった。……ドレスに『銀聖結界』もどきは量産できるのに。
いつもお世話になっている近所の森――という名の世界最大の魔障の地『ヴァナルガンド大森林』――の奥地で偶然見つけた古ぼけた銀製の台座が不思議とメロディの魔力ととても相性がよかったため、その一部を拝借してセレーナを動かす膨大な魔力の受け皿として利用したのである。
……それは盗く……いや、何でもない。
あの台座は一体何だったのか? 中央に小さな溝があり、もしかしたら過去には剣の一振りでも差さっていたのかもしれない。きっとメロディも古い遺跡のことが気になるに違いない。
(どうしてセレーナは、お母さんそっくりになっちゃったのかなぁ?)
……全然気にしていなかった。
学園へ向かう馬車の中、メロディは自身が生み出したセレーナのことを考えていた。
セレーナは、メロディの亡き母セレナにそっくりであった。正確に言えばセレナ十七歳バージョンといったところだろうか。命名理由もこれが理由だったりする。
「どうしたの、メロディ。ぼーっとしちゃって」
「あ、いいえ、大丈夫です。何でもありません、お嬢様」
「そう? それならいいけど……あ、それよりこれ見て」
「これ? あ、それ」
ちょっと得意げな表情のルシアナが、胸元から細い鎖を取り出してみせた。鎖には、貴族が使うには少々安っぽい、藍色の石の指輪が通されている。先日、ルシアナに強制休暇を取らされたメロディがお土産としてルシアナに贈った指輪であった。
「えへへ、ペンダントにしてみたの。結構可愛いでしょ?」
屋敷で普段使いする分にはいいが、学園で身に着けるには少々見栄えが足りない指輪なので、ルシアナは制服の下に隠して常に持ち歩くことにしたようだ。
「お嬢様……ありがとうございます」
ちょっとジーンとなるメロディ。そして何かいいことを思いついたように両手を鳴らした。
「そうだ、お嬢様。ずっと身に着けられるのでしたら、その指輪に『
メイド魔法『人工敏感肌』。宝石などに付与することで敵意の視線を知らせてくれる魔法だ。春の舞踏会でもこの魔法のおかげで王太子の襲撃者に気が付くことができた便利な魔法なのだが――。
「いえ、やめておくわ」
ルシアナはその申し出を断った。
「なぜですか?」
「メロディの魔法は物凄く便利で頼りになるけど、私は学園に勉強しに行くんだもの。人間関係の構築もそのひとつ。人を見る目も養っていかなくちゃ」
「お嬢様……とても素晴らしいお考えだと思います」
再びジーンとなるメロディ。
「畏まりました、お嬢様。でも、衣服に掛けた守りの魔法は解きませんからね」
ルシアナはクスリと苦笑を浮かべる。
「ふふふ、そうね。そっちは
「はい、なんですか?」
「学園に行ったら、メロディには極力魔法の使用を控えてもらいたいの」
「魔法の使用を? ……ああ、これも勉強の一環ですね」
「う、うん。そういうこと。いいかな?」
「ええ、大丈夫です。ふふふ、魔法なしのメイド業務だなんて、それはそれで楽しそうですね」
メロディは蕾が綻ぶような笑顔を浮かべた。有り体にいって大変可愛らしかった。まあ、心情的にはベリーイージーだったゲームがハードモードになってワクワクしている感じなのだが。
ウキウキした様子のメロディに苦笑しつつ、ルシアナは内心でホッと息をついていた。
(よかったぁ。どうにか自然に魔法禁止を言い渡すことができたわ。学園でメロディが自重なしに魔法なんて使ったらどうなることやら)
……多分、色々大惨事である。ルシアナは入寮前にひとつ大仕事をやり切ることができた。
(まあ、正直にメロディの魔法がちょっと強力過ぎるって教えてあげちゃえば済む話なんだけど、なんとなーく、言いにくいのよねぇ……なんでだろ?)
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