第2章

プロローグ

「……う、うん、…………ほへ?」


 なぜか冷たい感触がして、彼女は目覚めた。


 確か自分は病院のベッドで眠っていたはずなのにどうして。そう思い目を開けると、予想外の光景に思わず変な声が漏れ出てしまう。


 そこは病室などではなく、どこかの廃墟のような場所だった。石造りの建物が立ち並んでいるがどれもボロボロで、まるでテレビや映画で見たスラム街の舞台セットのようで現実感がない。


「え? あ? ……何? どういうこと? あれ? 声が……」


 そこで彼女はもう一つの異変に気付く。自分の声がまるで子供のように涼やかで若々しいのだ。

 そんなはずはない。何せ自分は既に還暦を迎えたおばあちゃんなのだから。


 彼女の名前は栗田舞花。


 そう、テオラス王国の王太子クリストファーに転生した元日本人の高校生、栗田秀樹の妹である。飛行機事故で兄を失って早数十年。彼女は結婚し、現在は中学生になる孫がいる年齢となっていた。


(確か、病院に検査入院していて……そうだわ、それでさっきまでお見舞いに来てくれた孫娘とあの懐かしいゲームの話をしていたのよ)



 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』



 自分が中学生の頃に流行り、大好きだったゲーム。ただし、このゲーム会社が企画したイベントの事故で兄と、ゲームの同志であり幼馴染のお姉さん、朝倉杏奈を失うという青春時代のつらい記憶の象徴ともいえる存在だ。


 時の流れが悲しみを癒してくれはしたが、還暦を迎えた今になってなぜ今さら話題になったかというと、なんとこのゲームがリメイクされたのだという。


 当時の熱狂的ファンが立ち上がり、今、女子中高生の間で密かなブームになっているのだとか。


(驚いたものだわ。イラストも当時のものによく似ていてびっくりしたもの)


 何でも、当時のイラストレーターの娘さんが担当しており、かなり気合を入れてそっくりに描いているらしい。孫娘が楽しそうにインタビュー記事が載ったファンブックを見せてくれたことが思い出される。


(あと、確か、ヒロインちゃんの秘蔵イラストがあったはずだけど……どんな絵だったかしら?)


 当時のイラストレーターの未公開イラストが見つかり、それがファンブックに掲載されていたのだが、何やら靄が掛かったように上手く思い出せない。


(何だか、黒かったようなイメージがあるんだけど……何が黒かったのかしら?)


 孫娘は何と言っていたか。地面に立ち尽くしたまま考えていた舞花だが、そんな場合でなかったことに今さらながらに気が付く。そして、舞花は驚愕してしまう。


(そ、そうだわ。あの子は大丈夫かしら。まさか私と一緒にここに連れて来られたなんてことはないでしょうね。私の大事な……大事な……大事、な……ど、どうして)


 舞花は、孫娘の名前を思い出せなかった。それどころか顔すらおぼろげで、正確に思い出すことができない。気を付けないと完全に忘れてしまいそうなほどだった。


「……何、これ……? 私は、栗田舞花……この前六十歳になって、それで……それで……うそ」


 舞花は、自分の半生を思い出せなくなっていた。



 はっきりと浮かんでくるのは――。



「……ちゅ、中学生くらいまでの記憶はむしろはっきりと思い出せるのに……何なの、これ?」


 舞花は大人時代の記憶を失った代わりに、なぜか中学生時代の記憶が鮮明になっていた。


「何これ、ホントに意味分かんないよ……ふぇ、お母さん……お兄ちゃん……杏奈お姉ちゃん」


 本人は気付いているのだろうか。舞花の言葉遣いが次第に幼くなっていく。

 舞花の瞳に涙が浮かぶ。それでも必死に堪えようとふいに俯いた舞花は、またしても驚愕してしまった。目にとまったのは自分の足。病室では靴下を履いていたはずだが、なぜか裸足だった。


 いや、むしろ問題はそこではなくて……舞花の足が――。


「……この足、どう見ても……子供の足なんだけど……?」


 ハッとした舞花は両手で全身を触り回った。ペタペタと触り続け、そのたびにギョッと目を見開いてしまう。何せどう考えても今の自分は、紛れもなく……子供だった。



「は? え……?」



 きちんと言葉にできない。その目で両手を見つめる。細くて小さな手。指も腕も大人というにはあまりにも短く、弱々しい。それに着ているものも、まるで浮浪児のような襤褸服だ。


(何これ何これ何なのこれ!? 身体は子供、頭脳は大人って、どこの漫画の主人公だ私は!)


 心が中学生に戻ってしまった舞花は、当時大人気だったとある漫画のことを思い出しながら、内心でツッコミを入れていた。まさか、何者かに毒薬を飲まされて――て、そんなわけあるか!


(第一これ、単純に若返ったってだけじゃないでしょ! だって私の髪……何故にピンク!?)


 先程からちらちらと視界に入る自分の髪。胸より長かったはずの自慢の黒髪はなぜか肩にかかる程度にまで短くなっており、なおかつ髪色は桃色であった。


(髪がピンクって、だからどこの世界の主人公よ!? 私は魔法少女戦隊のリーダーか!)


 中学生当時、子供達に大人気だった日曜朝の魔法少女アニメを思い出す舞花。日本人設定なのになぜか色とりどりの髪色をした少女達が活躍する、一部の成人男性にも愛されていたあのアニメ。



 ……ツッコまずにはいられないのだろう。舞花は完全に現実逃避をしていた。


 そして、とうとう我慢の限界に達してしまう。


「ふえ、え。ぇ、ぇ……ふえーん! 何なの、何なのよおおおおおお」


 舞花は路地のど真ん中で大粒の涙を流しながら泣き出した。彼女に倣うように、空からポツポツと雨が降り出す。それを気にも留めず、舞花はずっと泣き続けた。


 やがて泣き疲れて少しだけ落ち着きを取り戻すと、舞花は地面に出来た水たまりに気付いた。そこには、桃色の髪をした女の子の顔が映し出されていた。可愛いかどうかまでは揺らぐ水面のせいで判断できないが、中学生というにはなお若い。おそらく十歳くらいではないだろうか。


 やはり意味が分からない。完全に別人である。これは、自分の知っている栗田舞花ではない。



 舞花の瞳に再び涙が溜まり、もう一度大泣きをしようとして――舞花は腕を引かれた。



「きゃっ! だ、誰っ!?」


「……こっちだ」


 舞花の目の前には、ぼさぼさに切られた紫色の髪の少年が立っていた。舞花同様にボロボロの服を纏い、片手で舞花の腕を掴み、反対の手には刃の折れた剣を携えている。

 舞花は怖くなった。折れているとはいえ、武器を手にする少年の姿に。また、如何にもスラム街の不良少年のような佇まいに、現代日本を生きてきた舞花が恐れないはずもなかった。


「て、手を放し……」


「……早く、ここから出た方がいい」


「え?」


 少年に強く手を引かれ、どうしようもなくて舞花は歩き出す。


「あ、あの、どこへ行くの?」


「……ここは危ないから」


 こことはこの廃墟の街のことだろう。つまり、最初に舞花が考えた通りここはスラム街のような場所のようだ。どうやらこの少年は舞花をここから連れ出してくれようとしているらしい。


(どうして助けてくれるんだろう……?)


「……着いた」


「え? あ――」


 いつの間にか、舞花はスラム街を抜け出していた。少年に促されて前へ出る。先程までの暗い街並みとは打って変わって、夕日に映える中世ヨーロッパ風の街並みが広がっていた。通りには和気藹々とした人々が歩いており、さっきまでの言い知れぬ不安は感じられない。


 全てが解決したわけではないが、それでも舞花の口から安堵の息が零れる。


 いつの間にか、雨は止んでいた。


「あの、ありがとうございました。おかげで……あれ?」


 舞花が振り返ると既に少年の姿は消えていた。まるで最初からいなかったかのように。


「え? まさか、もう向こうに帰っちゃったの?」


 再び一人になってしまい、舞花は思わず手近な壁に手をついて項垂れてしまった。だが、逆にそれが功を奏したようで、彼女に救いの手が差し伸べられる。


「あらあら、どこか具合でも悪いのかしら? わたくしにお手伝いできることはありますか?」


 舞花の体勢を体調不良だと思ったのか、女性が声を掛けてくれたのだ。服装から察するにシスターのようだが、何だか少しアニメチックなデザインの修道服である。しかし……。


(あれ? この人、どこかで……)


 マイカは不思議な既視感に囚われた。この女性に見覚えがある……ような気がする。


(こんな亜麻色の髪の美人、一度見たら忘れるはずないのに)


 結局、この女性はやはりシスターだったようで、行く当てのない舞花は彼女が運営する孤児院に引き取られることとなった。


「あ、あの、私はマイカといいます。よろしくお願いします」


「ええ、よろしくね。わたくしの名前はアナベル。シスターアナベルと呼んでくださいね」








 舞花がこの世界の真実に気が付くのは、それから数日後のことだった。




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