モブな人達の日常
ポーラさんのアフターファイブ
空が橙色に染まる頃。貴族区画の外縁部に立つ小さな屋敷、レクティアス・フロード騎士爵邸の裏口から一人の少女が姿を現した。
彼女の名前はポーラ・ボークス。レクティアスことレクトの屋敷に務めるオールワークスメイドである。年齢はメロディよりひとつ上の十六歳。
どうやら今日の仕事はもう終わりらしい。私服姿のポーラは扉の前で大きく背伸びをしていた。それに合わせて波打つ焦げ茶色の髪がふわりと揺れる。仕事中はきっちり三つ編みおさげにしている彼女だが、それ以外の時間は髪を下ろしているようだ。メイドの時よりもやや大人びて見える。
何気に、まだメロディも目にしたことのないプライベートなポーラの姿であった。ついでに新事実。なんとポーラは通いのメイドなのであった! ……どうでもいいとか言わないように。
「さてと、今日は予定より早く上がれたとはいえもう夕方。早くヨルクを迎えに行かなくちゃ」
背伸びを終えたポーラは早足で貴族区画を後にした。そうして辿り着いたのは平民区画の中層区に立つとある家。中層区といってもかなり下層区よりで、よく言えば下町、悪く言えば貧民街一歩手前といってもおかしくない住宅街だ。そしてここは今の彼女の居住区でもある。
「すみませーん、カルティアさん。ヨルクを迎えに来ました」
「あら、早かったわね、ポーラ。ヨルク、お姉ちゃんが迎えに来たわよ」
「おかえりなさい、おねえちゃん!」
家の奥から四十代くらいの恰幅のいい女性と、ポーラと同じく焦げ茶色の髪をした小さな男の子がやってきた。ヨルク・ボークス。五歳。ポーラの弟である。ポーラが仕事中は、ご近所で手が空いているカルティアに弟を預かってもらっているのだ。
「いつもありがとうございます、カルティアさん」
「手間賃ももらっているんだからそんなの気にしなくたっていいわよ。それにうちの子達はもう成人して独立しちゃってるから、ヨルクがいると家の中が明るくなって楽しいもの。それにヨルクはお行儀もいいから大した手間も掛からないしね。本当、うちの息子達の幼い頃とは大違い」
豪快にワハハと笑うカルティアに一礼すると、ポーラはヨルクの手を引いて帰路に就く。
「おねえちゃん、おかいものは?」
「今日は母さんが市場に出てるから、買い物は帰りにしてくるはずよ。私達は夕飯の準備ね」
「おさら係はぼくのお仕事!」
「ええ、よろしく頼むわね、ヨルク」
「うん、まかせて!」
満面の笑みを浮かべて意気込む弟の様子に、ポーラはとても癒されるのであった。
もともとボークス家は平民区画の上層区で女性向け雑貨を中心に取り扱う商会を営んでいた。しかし、代替わりをした入り婿――つまりポーラの父親には想像以上に商才がなかった。
母親やポーラが立て直す暇もなく、大きな負債を抱えた商会はあっという間に潰れてしまったのである。何が厄介ってこの父親、帳簿を誤魔化す技術だけは卓越していたのだから手に負えない。見合い結婚だったが、ボークス家はこれにコロッと騙されてしまったわけだ。
そのうえこの父親、まさかの夜逃げを敢行。残っていたわずかな資産すら持ち逃げされて、母親とポーラ、そして当時三歳だった幼いヨルクの三人はほとんど無一文で王都に放り出されてしまったのである。
幸い上層区出身である程度の礼儀作法を学んでいたポーラがレクトの屋敷でメイドとして雇ってもらえたからよかったものの、そうでなかったらどうなっていたことか。
レクトの屋敷ではそんな素振りは一切見せないが、ポーラは割とルシアナに負けず劣らずの不幸な身の上の少女であった。これでゲームの登場キャラクターでないのだから本当に酷い話である。
「ただいま……て、誰もいないんだけど」
「あらポーラ、今日は早かったのね」
「あ、おかあさん、おかえりなさい!」
「ええ、ヨルク。あなたもお帰りなさい」
二人が家に帰ると、まだ市場にいるはず母親が既に帰宅していた。ヨルクはパッと駆け出して嬉しそうに母親に抱き着いた。しかしポーラは、この状況に首を傾げてしまう。
「今日は市場で露天をやってたんじゃなかったの?」
無一文となってしまったボークス一家は、しばらくの間ポーラの給金でどうにか生活していた。母親もヨルクの世話をしながら時間を見つけて日雇い仕事をし、節約に節約を重ねること約二年。最近ようやく中層区の市場で女性向け雑貨の露天を開けるところまで漕ぎ着けたのである。毎日ヨルクをカルティアに預けるわけにもいかないので数日おきの開店となるが、だからこそ、貴重な商売の機会だというのに、なぜ母は自分よりも先に帰宅しているのだろうか。
いぶかし気にこちらを見つめるポーラに苦笑しつつ、母親はちょっとだけ自慢げに説明する。
「今日はいつもより早く売り上げが目標額に達したから早めに切り上げたのよ」
そう言って母親はポーラに帳簿を差し出した。
「……へぇ、目標額の二割増しだなんて凄いじゃない。何がこんなに売れたの?」
「うふふん。今日はお客さんが多かったっていうのもあるけど、一番はあれが売れたことね」
「あれ?」
「ほら、この前あなたにも作るのを手伝ってもらった人形があるでしょ。あれが売れたのよ」
「あの人形売れたの?」
「そうなの。しかも二つも」
ポーラは思わず目を見張った。あの人形とは、母親に頼まれてポーラが作った女の子の人形のことである。人形は小さな女の子にとって必需品といってもいいほどの売れ筋商品だが、何を思ってか母親はその人形の瞳に平民向けの安物とはいえ宝石をあしらっていたので、子供用とはいえない値段設定になっていたはずなのだが、それが売れたらしい。
「ポーラと同じくらいの二人組の女の子がお互いに贈るために買ってくれたのよ」
「私と同年代で贈り合うためにあれを……中層区の市場によくそんな客がいたわね」
「そうねぇ。二人とも割とよさげな身なりだったから上層区の子だったのかも」
「母さん、今の露天は中層区の市場でやってるんだから商品もちゃんと客層に合わせなくちゃダメよ。今日の売り上げは運がよかったと思っていろいろ見直した方がいいんじゃない?」
「そう? まあ、言われてみればそうよね。それじゃあ、夕食の後に相談に乗ってくれる?」
「いいわよ。それなら早く夕食を作っちゃわないとね」
「おさらはぼくのお仕事だよ!」
今まで会話に参加できずにいたヨルクが嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねながら手を上げた。
「よし、ヨルク。今日はスープとサラダを作るから食器を用意してちょうだい。あなたにこの重要任務をこなすことができるかしら?」
「スープとサラダのおさら……うん、まかせて!」
「あらヨルク。スープを掬うためのスプーンと、サラダを食べるためのフォークも忘れないでね」
「ぷひっ!? す、スプーンとフォーク……っ」
食器棚に向かって駆けだそうとしたヨルクだったが、母親から告げられた新たな任務に足が止まった。指を折って一つずつ数えていくのだが、そこにさらなる追い打ちがかけられてしまう。
「食事をしていれば喉が渇くだろうから、水を飲むためのコップも必要ね。それもお願い」
「そういえば、今日は帰りに市場で果物を買ってきたんだったわ。これも今夜いただきましょう。ヨルク、果物をのせるためのカゴも用意してちょうだい」
「ぷぴぃっ!? え、えっと、スープのおさらと、サラダのおさらと……??????」
どうやらヨルクの許容量を超えてしまったらしい。まだ計算を覚えていない彼には、片手で数え切れなくなった時点で限界だったようだ。両手で数えようとするが明らかに混乱していた。
そんなヨルクの姿を見て、ポーラ達はクスクスとおかしそうに笑う。母親や姉に揶揄われるのは末っ子男子の悲しい宿命である。受け入れるしかないのだ。強く生きろ、ヨルク!
「ふふふ。さあ、ヨルク。お母さんも手伝うから一緒にお皿係を頑張りましょうね」
「ぷぴ? ……う、うん! がんばる!」
母親に背を押されて、気を取り直したヨルクは食器棚へ向かった。二人を見送るとポーラは一人キッチンへ向かう。そして母親が買ってきたという果物を確認した。
「ふーん、ピユーネか。香りが爽やかで美味しそう。サラダに混ぜてもよさそうね」
家で果物を食べるのは随分久しぶりなポーラは、嬉しいのか料理をしながらついついハミングを口ずさんでしまう。それを聞いたヨウル達もつられて歌い出した。
不幸な身の上などなんのその。ボークス一家は今日も何だかんだ幸せそうである。
ちなみにこの数年後、結局金に困って王都に舞い戻ってきた父親に、ポーラによる凄惨な『ざまぁ』展開が繰り広げられるとかられないとか……。
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