アンネマリーのドキドキ休日デート(仮)⑯【完】

「ただいま帰りました」


「お帰りなさい、メロディ!」


「きゃああああ! お嬢様、メイドが急に人に抱き着くなんてはしたないです!」


 アンナと別れ、伯爵邸に帰ったメロディを、ルシアナは抱擁という名の突進で出迎えた。


「ごめんごめん。それでどうだった? お休みは楽しめた?」


「はい。今日はとても楽しい一日でした。ありがとうございます、お嬢様」


「ふふふ、それはよかったわ」


 満足げに微笑むメロディ。その表情に偽りなしと判断したルシアナも嬉しそうに笑った。


「あ、そうだ。今日はお嬢様にお土産があるんですよ」


「お土産? そんなの気にしなくてもいいのに」


「そう仰らず、目を閉じて右手を出してください、お嬢様」


「なーに、サプライズ?」


 言われた通りに目を閉じて右手を差し出すルシアナ。中指に何かをはめられた感触がした。


「もういいですよ」


「わあ、指輪ね!」


「学園や舞踏会でお使いいただくには向かない安物で申し訳ありませんが……」


「それじゃあ普段使いにすればいいわ。ありがとう、メロディ。藍色の石がとても綺麗ね!」


 それは市場の雑貨屋で人形の手前に置かれていた、ヒロインが手にするはずの指輪であった。

 なんとメロディ、故意ではないが、アンナに気付かれることなくルシアナのお土産として指輪を購入していたのである。


「……実はその指輪の石、亡くなった母の瞳にそっくりだったんです」


「え?」


「いつも私を見守ってくれる優しい人でした。病気で自分が死にそうになっているのに、最後まで残される私のことを気遣って、メイドになる夢も応援してくれて……母のあの柔らかな藍色の瞳は、忘れられない私の大切な思い出です」


 母親のことを思い出したのか、メロディは儚げな笑みを浮かべた。


「市場で見た時は少し驚きました。もう会えないはずの母が、私を見つめているような気がして」


「お母様の……だったら、私のお土産じゃなくてメロディ自身が持っていた方がいいんじゃ」


 指輪とメロディを交互に見ながらルシアナがそう告げるが、メロディは首を横に振った。


「いいえ、だからこそお嬢様に差し上げたいと思ったんです。私が母に見守られて安らぎを得たように、お嬢様にも癒しが訪れますようにという、私の願掛けです……といっても、お嬢様には奥様がいらっしゃいますから、必要なかったかもしれませんね」


「……メロディ!」


 眉尻を下げて微笑むメロディを見て、ルシアナはなぜか胸がキュンと高鳴った。そして勢いよく首を左右に振ってみせる。


「いいえ、いいえ! ありがとう、メロディ! 私は今、とても心が癒されたわ! きっと天国にいらっしゃるメロディのお母様が私を、いいえ、私達を見守ってくれているのね!」


「まあ、お嬢様ったら、大げさですね。ふふふ」


 久しぶりに母のことを思い出し、少し感傷的になっていたのかもしれない。こちらを気遣うように大げさに喜びを表してくれるルシアナの気持ちが、メロディはとても嬉しかった。


「そういえばお嬢様、そろそろ夕飯の時間ですけど準備はどうなっていますか?」


「え? あ、う、うん……メロディが下ごしらえを済ませてくれているから、もうちょっとでできると……うん、できる、はずよ?」


 満面の笑みが引きつりだし、そっと視線が逸らされた。それだけで状況が理解できてしまい、メロディは思わず苦笑してしまう。


「お嬢様、夕飯の準備はお手伝いさせてくださいね?」


「うう……うん、ごめんね、手伝ってちょうだい」


 ガックリと項垂れて素直に救援を求めるルシアナ。どうやら、ルシアナに一日メイドはまだ早かったらしい。


「それじゃあ、すぐに着替えてきますね」


「ごめんね。はぁ、せめてもう一人くらいメイドがいてくれたらいいんだけど……」


「そっちはどうにかなるかもしれませんよ?」


「え、ホント? どうするの?」


 ルシアナは驚いて尋ねるが、メロディはアンナに見せたように得意げな笑みを浮かべて「まだ秘密です」と告げるだけだった。


 メロディは自室に戻るとすぐにメイド服に着替えて身支度を整えた。そして籐製のカバンから人形を取り出すとそれをベッド横のチェストに飾り、キッチンへ向かうべく歩き出す。

 だが、扉を開ける直前、メロディは人形の方へと振り返った。


「……お母さん、行ってきます」


 そう言って人形へ微笑む。心なしか人形もメロディに笑い返してくれた気がし――。



「きゃああああああ! グレイル、メインディッシュを食べちゃダメええええええええ!」


「グレイル!?」


 キッチンから悲鳴が響き、メロディは慌てて自室を後にした。


 ……もう余韻とか色々台無しであるが、今夜もルトルバーグ家は平常運転である。










 一方、メロディと別れたアンナはというと……。


「お嬢様、お気は晴れましたか?」


 アンナからアンネマリーへと戻った彼女が自室に戻ると、苛立たしげに待ち構えていた侍女のクラリスにそう尋ねられた。それに対してアンネマリーは――。


「まあ、クラリス。あなた、朝からどこに行っていたの? 一日中探し回ったのよ」


 ――ガッツリしらばっくれた。


 自室のソファーに腰掛けると、アンネマリーは「困ったこと」とでも言いたげにそっと頬に手を添えて頭を傾ける。


 当然、クラリスは反論した。


「何を仰っているんですか! 探し回ったのは私の方です!」


「まあ、何てこと。わたくし達、今の今までずっとすれ違っていたのね。我が家が広いとはいえ、本当に困ったこと」


「なーに言ってやがるんですか、このじゃじゃ馬娘があああああああああ!」


 優雅にため息をつくアンネマリーの姿に、クラリスはブチ切れた。……まあ、うん、当然の反応である。だが、アンネマリーは態度を崩さない。


「……クラリス。淑女がそんな大声を上げるものではないわ。それに、言葉遣いにも気を付けてくださいませ。我が侯爵家に仕える侍女たる者、常に淑やかに美しくあらねばなりませんよ」


 優美な笑顔を浮かべながら、アンネマリーはクラリスを窘めた。


 お・ま・え・が・い・う・な! ――と、声を大にして言いたいクラリス。だが、正論だけに反論もしづらく、仕える者の誇りもあってか、どうにか怒りを抑えきるのだった。


「……お気持ちは、晴れましたか、お嬢様?」


「ふふふ、ちょっとからかい過ぎたわね。ごめんなさい、クラリス。いつもありがとう」


 返ってきた謝罪の言葉に、クラリスはようやく怒りを治めることができた。大きく息を吐くとすっと背筋を正して侍女らしい佇まいに戻る。そしてアンネマリーをじっっと観察し始めた。


 いつも通り、『完璧な淑女』に相応しい華やかな笑顔を見せるアンネマリー。だが、ここ最近、その笑顔に憂いの色が滲んでいたことにクラリスは気付いていたわけだが……。


「……本日は大変楽しく過ごせたようでございますね」


「ええ、充実した一日だったわ。ふふふ」


 アンネマリーは以前の笑顔を取り戻していた。何があったか知らないが、今回の無断外出で悩みやストレスを発散することができたようだ。


(そんな笑顔を向けられたら怒るに怒れないわ……本当に、困った方)


 こんな感想が浮かんでしまうあたり、クラリスも大概アンネマリーのことが大好きである。本人は否定するかもしれないが。


「お嬢様、今回のようなことはしばらくお控えくださいませ。再開される学園の準備などもありますので、これ以上は本当に困ります」


「ええ、分かっているわ。明日は王城でクリストファー様とお会いする予定だったはずだけど、変更はないかしら?」


 アンネマリーの質問にクラリスは「はい」と答えた。明日、クリストファーに会ったら今日のイベントや自分の考察などについて色々相談しなければならない。


(話し合うことがいっぱいね。たとえ世界がシナリオ通りに進まなかったとしても、絶対にバッドエンドになんかさせないんだから。目指すはハッピーエンド。誰とするのでもない、私自身の誓いであり、これは約束……ふふふ、まるでヒロインちゃんの聖女の誓いみたい……約束?)


 突然、アンネマリーが勢いよくソファーから立ち上がった。ギョッと目を見開き、ワナワナと震えている姿にクラリスも驚きを隠せない。


「お、お嬢様、どうされたのですか?」


「……んてこと」


「お嬢様?」


「何てことなの!」


「急にどうされたのですか、お嬢様!?」


「クラリス、今すぐ紙とペンを用意してちょうだい! 早く!」


「は、はい!」


 勉強机に向かいながら大声で命じるアンネマリーの様子にただならぬものを感じたクラリスは、戸惑いながらも命令通りに紙とペンを準備した。


「どうぞ、お嬢様」


「ええ、ありがとう」


 席に付き、紙を見つめながら器用にペン回しをしてみせるアンネマリー。少々はしたなく感じるがその瞳は真剣そのもので、クラリスはアンネマリーから目が離せない。


「本当に、全く。わたくしとしたことが、とんだ失態だわ……」


 アンネマリーの口から悔しさを滲んだ声が漏れる。『完璧な淑女』と名高い彼女が、忘れていたことを悔やむほどの重要事項とは一体……クラリスは思わず唾を飲み込んだ。





 そして――。



「このわたくしが、絶対領域メイド服のデザインをすっかり忘れていたなんて!」


「……………………は?」


「そう、ハッピーエンドに絶対領域メイド服は必要不可欠! あれを見て幸せにならない者なんているはずがないもの! レッツデザイン、絶対領域!」


 まるでアンネマリーのテンションを表すかのようにペン回しの速度が上昇し、思考というか妄想が加速していく。


「清楚で可憐なメイドに似合う絶対領域とは如何なるものかしら? ソックスの色は黒? それとも白? ガ、ガーターベルトなんかしてみちゃったりしたらどうかしら! 夢が膨らむわね!」


 妄想の赴くまま、真っ白な紙がちょっとエッチなメイド服のデザイン画で埋め尽くされていく。







 社交界において『傾国の美姫』『完璧な淑女』などと囁かれる美しき侯爵令嬢、アンネマリー・ヴィクティリウム。だが、当の侯爵家では全く別の印象を持たれていた。


「この際、オフショルダーの肩見せメイド服なんてどうかしら。上と下、両サイドからのチラ見せコンボ……いける、これはイケるに違いないわ! クラリス、あなたはどう思って?」


「……この変態娘がああああああああああああああああああ!」


 夜の侯爵邸にとんでもない言葉が響き渡る。広くてよかった侯爵邸。お隣さんには届いていないご様子だ。


「……変態だそうだそ」


「……聞き間違い、ではないのでしょうね」


 侯爵邸の執務室。二人の男はゲッソリとした大きなため息をつくのであった。


「いやあああああ! 何をするの、クラリス!? わたくしの傑作を返してくださいませ!」


「なーにが傑作ですか! こんなものは焼却処分です!」


「やめてえええええええええええええ!」


 今夜も侯爵邸は平常運転である……悲しいことに。





















 時間は少し遡る。それは、メロディ達が去ってから少し経った孤児院でのこと。


「ただいま帰りましたぁ」


「あら、お帰りなさい」


 食堂で夕食の支度をしていたシスターアナベルのもとに、一人の少女がやってきた。淡いピンクの髪を短めのツインテールにした可愛らしい女の子だ。彼女は疲れた様子で席に着くと、テーブルに顎をのせてぐったりと体重を預けた。


「まあ、はしたないですよ。今日も上手くいきませんでしたの?」


 少女は顎をテーブルにのせたまま器用に頷いた。どうやら仕事は見つからなかったらしい。


「今日も商業ギルドには私にできそうな仕事はないそうです」


「でしょうねぇ」


 田舎の農村ならともかく、王都の街中でできる子供の仕事など限られている。特にここ数年は王太子の政策によって人の出入りが激しくなっていることもあり、子供を雇うほど人手不足に陥ったりはしていないというのも、大きな理由だろう。


「ううう、早く働いて孤児院のためにお金を稼がなくちゃいけないのに」


「気持ちは嬉しいけど、あなたはまだ九歳なのだからそんなこと考えなくてもいいのよ? 今はよく食べ、よく寝て、よく遊んで、お勉強もして、スクスク育つことの方が重要だわ。働くのはもう少し後で考えればいいことよ」


「……それじゃあ遅いんだもん」


 少女は不貞腐れるようにそう呟く。なぜ遅いのか、何が遅いのか、少女は理由を話さない。元々スラムで暮らしていた子だ。きっと彼女なりの理由があるのだろうが、何を焦っているのだろうか。シスターアナベルには分からない――が、それはともかく食堂に「ぐ~」という音が響いた。


「あうぅ」


 少女の腹の虫が鳴ったようだ。顔を真っ赤にしてお腹を押さえている。シスターアナベルは苦笑を浮かべながら戸棚から一枚の皿を取り出した。


「今日は午後のおやつに果物が出たのだけど、これ、どうしようかしら?」


「果物!」


 少女は跳ね起き、その視線がシスターアナベルの持つ皿へ向けられる。その喜色に富んだ表情にシスターアナベルはクスリと笑ってしまった。


「もうすぐ夕食だけど、どうしますか? 今食べると夕食が入らないんじゃないかしら?」


「いやですよ、シスター。私の胃袋を舐めないでください。食べられます、全然余裕です!」


 自慢げにお腹を突き出し、小さな手でポンポン叩く少女。またしてもシスターアナベルはクスリと笑ってしまう。なんて愛らしい子なのかしらと。


「はいはい、分かりました。準備してあげますから、手を洗っていらっしゃい。マイカちゃん」


「はーい!」


 少女は井戸へ向かって駆け出した。





第2章プロローグへ続く……。

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