アンネマリーのドキドキ休日デート(仮)⑧

 王都パルテシアは王城を中心に王族区画、貴族区画、平民区画が円状に広がっていく三層構造の城塞都市だ。そして原則的に、王城近くに居を構える家ほど身分や経済力が高い。これは平民区画にも適用される。


 平民区画と貴族区画の間には明確な線引きとして巨大な壁が聳え立っており、基本的に出入りするには許可証が必要だ。例えばメロディの場合、初めて貴族区画に入った時は商業ギルドが発行した一時許可証を使用した。メイドとして正式採用されてからは伯爵家の許可証で二つの区画を出入りしている。


 そして壁こそないが、平民区画は社会的地位の差などから居住区をさらに三つに区分できる。

 貴族区画に隣接する、裕福な商人などが暮らす上層区。最も範囲の広い、いわゆる一般庶民が暮らす中層区。そして貧困層が暮らし、王都外壁部に点在している下層区の三種類だ。


 ゲームにおいて、王太子クリストファーは元々お忍びで視察をするために王都の平民区画に足を運んでいた。自分自身の目で王都の実情を把握したいと考えたからだ。

 カップルの振りをしながらデートをするのも捜索の目を掻い潜る手段に過ぎず、ヒロインをエスコートしつつもデートの体を取りながら上層・中層・下層の順で王都を見て回るのだ。


 最初はカップルの振りをするためも含めてアイスクリームカフェを訪れた。貴族区画の店との違いも確認したかったし、何気ない彼らの生活を見るのにもちょうどいいと思ったからだ。

 そして次は中層区へ向かう。平民の中で最も多い、下流から中流階級の人達の暮らしぶりを調査するのだ。それに最も適した場所といえば――。


「メロディ、この辺りには来たことある?」


「いいえ、初めて来ました。こんなところにもあったんですね、市場」


 アンナに案内されて、メロディは中層区にいくつかある市場のひとつを訪れていた。やはり生活実態を確かめるなら、市場を調べるのが一番であろう……といっても、今回はあくまでゲームに沿った行動をとっているだけで、そんな必要はないのだが。


「でも意外ね。メロディなら王都中の市場くらい網羅してるかと思ったわ」


 メロディのメイドへの情熱はカフェで十二分に思い知らされた。そんな彼女なら、買い出し先の市場については調査済みかと思ったのだが、そうでもないらしい。不思議そうにこちらを見やるアンナを前に、メロディは眉尻を下げてクスリと微笑む。


「いえ、中層区は基本的に買い出し先の選択肢に入れていなかったんですよ」


「あ、そっか。そうよね」


 今のアンナの発想は元日本人の感覚から来るもので、あまり一般的とはいえないものだった。普通の貴族はメイドが買い出しに向かうのではなく、商人に注文して屋敷まで運ばせるのである。ルトルバーグ家は王都にきたばかりでどこの商人ともまだ契約関係にないため、メロディが買い出しに出掛けているに過ぎない。

 そして貴族は体裁を重んじるため、中層区の一般庶民が手にするような品質の商品を購入するなど本来ならありえないことだ。


 ルトルバーグ伯爵家は『貧乏貴族』と称されるほどに貧しいが、それでもやはり貴族だ。メロディもそこは十分に配慮しており、基本的に平民区画の買い出しは上層区でのみ行うようにしていた。まあ、それが原因で予算が足りず、ヴァナルガンド大森林へ向かうこととなったわけだが。


「あと単純にちょっと遠いですね」


「あー、ルトルバーグ伯爵家の使用人はメロディ一人なんだっけ。それは無理ね」


 実際には分身メロディにでも行かせれば全く問題ないのだが、確かにここから貴族区画まではそれなりに距離がある。他にも仕事がある中でここへ買い出しに行くのは非効率だろう。


「他の使用人が入る予定はないの?」


「旦那様が募集をかけてくださっているんですが、これがなかなか難しいみたいで」


 『貧乏貴族』の噂はやはり根深い。アンナはそう思わざるを得なかった。そして名案が浮かぶ。


「ねえ、もしよかったら、私がアンネマリーお嬢様にお願いして誰か斡旋してもらいましょうか」


 ヴィクティリウム侯爵家ならいくらでも伝手がある。アンネマリーはルシアナとは友人関係を築いているし、今をときめく英雄姫・妖精姫に借りを作れるなら父もおそらく反対すまい。

 ……そう思ったのだが、またまた眉尻を下げて微笑むメロディから丁重にお断りされた。


「ありがとうございます、アンナさん。ですが、今回は遠慮させてください」


「あら、どうして?」


「えーと、まあ、その……」


 少々ばつが悪そうに言いよどむメロディ。どうしたのだろうと首を傾げていると、小さく息を吐いたメロディが、理由を教えてくれた。


「ご配慮いただけるのはとても有り難いのですが、金銭的な理由でお受けできないと思うんです」


「金銭的な理由……あ」


 侯爵家から出せる人材ということは、それなりの身分と技術が保証された者であることを意味している。何が言いたいかというと、要するに――お給料が高いのだ。


「残念ながら、侯爵家から紹介状を書いていただけるほどの方に見合った給金を伯爵家ではご用意できないかと。本当に、来ていただけるなら大変嬉しいのですが……」


「それは、うん、そうね。ちょっと厳しいわね」


 王太子を救うために身を挺したルシアナに報奨金が与えられたりもしたが、まだまだルトルバーグ伯爵家の懐は寒いままなのである。使用人の募集に誰も引っかからないのは、これも原因のひとつだろう。


「ごめんね、メロディ。私、考えが足りなかったわ。役に立てると思ったんだけど」


 しょんぼりへにょんと項垂れるアンナ。元日本人の転生者にして王国指折りの大貴族の娘でありながら、メイドの友人一人の助けにもなれないなんて……割とショックである。


 そんなアンナの様子に、メロディは柔和な瞳を向けて優しく微笑んだ。


「まあ、アンナさん。私は別に忖度してもらいたくてあなたとデートしているわけではないんですよ。そんなことよりも、こうやってアンナさんが私に気を配ってくれたことの方がずっと嬉しいです。ありがとうございます」


「メロディ……」


 貴族社会ではなかなかお目にかかれない、嘘偽りなき純粋な笑顔を向けられて、アンナの胸がキュンキュンときめいてしまう。


(なんて可愛い笑顔なの。この優しさ、代役をするだけあってまるでヒロインちゃんみたい!)


 ヒロインである。


「さあ、アンナさん。市場を見て回りましょう」


「え、ええ!」


 アンナの手を取り、二人は市場の中へと入っていった。

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