アンネマリーのドキドキ休日デート(仮)③
「まあ、俺だって別にあんたを責めたいわけじゃない。要するにこの一張羅がどうにかなればいいのさ。例えば……俺んちに来て、あんたがこれを洗ってくれるとかな」
「その服を洗えば、許してもらえるんですか?」
案の定、男達と少女はゲームのシナリオ通りのやり取りを交わす。そして、それに倣うようにアンナの投げたカップが、男の顔面に吸い寄せられるように空中を駆け抜けた。
「お任せください。今すぐ綺麗にしますね。洗浄の水よ今こ――」
「それじゃあ、行こうかぶへあっ!?」
何やら少女がゲームにはないセリフを言った気もするが、それには誰も気が付かなかった。なぜなら、少女と向かい合っていた男の顔面を何かが強打したからだ。綺麗に眉間へクリーンヒットしたせいか、男は両手で顔を押さえながら悶絶する。そして、服はジュースでベチャベチャだ。
アンナは走った。男達は目の前の光景を呆然と眺めている。それはやはり少女も同じで――。
「何呆けてるの! さっさと立ち去るわよ!」
「え?」
咄嗟だったためか、アンナはゲームでのクリストファーのセリフとよく似た言葉を発しながら、少女の手を掴んで走り出した。背後から「え? え?」という緊張感のない声が聞こえ、人ごみを駆ける中思わず呟いてしまう。
「あんな見え透いた誘いに乗りそうになるとか、危機感なさすぎでしょ」
「見え透いた誘い? ……危機感?」
そして、またしても緊張感のない言葉が耳に届く。どうやらこの少女はヒロインちゃんのように今の言葉で状況を察することはできないようだ。だからこそアンナは少し冷静さを取り戻した。
あまりにもシナリオ通りに進んだ展開に正直驚かされたが、現実にはゲームとは違った反応を見せる少女に、やはり彼女はヒロインちゃんではないのだと実感する。
「あの女はどこいったあああああああ!」
そして背後から響く怒声。アンナは一旦思考を打ち切り、少女とともに大通りから姿を消した。
「ハァ、ハァ……ここまで来ればもう大丈夫かしら?」
人ごみに紛れ、大通りのかなり先まで進んだ二人は、人目のない路地裏に身を隠すとようやく足を止めた。月並みな言葉だからか、やはりゲームと同じセリフを口にしてしまう。
「あ、あの、あなたは……」
汗を拭うアンナの後ろから、戸惑いを含んだ可愛らしい声が聞こえた。そしてそのゲーム通りのセリフに、思わず苦笑いが浮かんでしまう。
ヒロインでもないのにゲームに忠実なこの展開……不思議な強制力でも働いているのだろうかとアンナは自嘲気味に考えた。
(……そんな力がないことは、クリストファーがヒロインちゃんと出会わなかった時点で分かっていることなのにね)
強制力があるというのなら、何よりも最優先は主人公であろう。それが舞台に登場していないことこそが、この世界には運命の強制力などという大それた力が存在しない証明ではなかろうか。
そんなことを考えていたせいだろうか、アンナはついついゲームのセリフを言ってしまう。
「……護衛もつけず、そんな恰好で街を出歩かせるなんて、伯爵は何を考えているのかしら?」
「――っ!」
アンナの背後で少女が息をのんだ。そして、緊張感を孕んだ声が問い掛ける。
「あなたは、誰なんですか……?」
そこまで来て、アンナはハッとした。あの場から逃げ切ろうと前を向いて走り続けたために、自身はいまだに少女の顔を見ていない、と。
だからアンナはバッと振り返ったのだが、その瞳はゲームのヒロイン張りに驚愕の色に染まるのだった。
(な、なんでこの子が……)
アンナの目の前にいたのは、ルシアナに仕えるメイド、メロディだった。
時間はメロディがアンナに出会うより少し前まで遡る――。
「あの、お嬢様。本当によろしいのでしょうか?」
「いいのよ。今日一日は私に任せて! メロディはお休みよ!」
王都の貴族区画にあるルトルバーグ伯爵邸。その裏口で言葉を交わすのはメロディとルシアナだが、二人の恰好はいつもと違っていた。
珍しくも私服姿のメロディに対し、なぜかルシアナはメイド服に身を包んでいる。
「ですが、メイドは私しかいませんのに」
「メロディしかいないせいでまともな休みがないんじゃないの。強制的にでも取らせないと、メロディったらずっと働きっぱなしなんだから。今日は私が一日メイドをするから安心してね」
「まぁ。『一日メイド』……なんて素敵な響き。お嬢様、やっぱりその役目は私が――」
「メロディは毎日メイドをやっているでしょう!?」
うっとりした表情を浮かべるメロディに、ルシアナは鋭いツッコミを入れる。……主従関係とは何だろうかと考えさせられる遣り取りが繰り広げられていた。
「求人は出してるけどいまだに問い合わせひとつないのよね、悲しいことに」
「こんなに素敵な職場ですのに不思議ですね」
「そんなことが言えるのはメロディだけだよ……」
ルシアナは苦笑気味にため息をついた。残念ながら、長年培ってきた『貧乏貴族』の通り名は伊達ではないらしい。紹介状付きの求人は今のところ全滅のようだ。
「来月くらいに学園が再開されるでしょ? 入寮の準備を考えると、メロディにお休みをあげられるのは今日くらいしかないのよ。だからお願い。私のためだと思って今日はお休みして。ね?」
「はうんっ!」
涙目になって、両手を組んで上目遣いにそんなことを言うルシアナの姿に、メロディの胸が思わず高鳴った。……メイドに萌えたのか、それともルシアナに萌えたのかは不明だ。
「……わ、分かりました。お嬢様のお願いですもの、今日だけはお休みさせていただきます」
「よかった。家のことは任せて。これでも領地では自分のことくらい自分でやっていたんだから、一日くらいならどうにかなるわ」
「よろしくお願いいたします。それでは、行ってまいります」
「お休みを楽しんできてね!」
ルシアナに見送られ、メロディは屋敷を後にした……のだが、ここで問題が生じる。
「……急に休みだなんて言われても、何をしたらいいのかしら?」
ワーカホリック的なダメ発言を呟きながら、メロディは平民区画の方へと足を動かした。
そして、あてもなくブラブラと大通りをさまよっているうちに、男達に絡まれることとなったのである。相手からぶつかってきたような気もするが、服が汚れたと責められメロディは動揺した。
そのうえ親に弁償してもらおうとまで言われて、思わず口籠ってしまう。何せ自分は天涯孤独の身。弁償してくれる親などいないのだから……父親の記憶はどこへ行ってしまったのだろうか?
洗濯をすれば許してもらえると聞いて、そうしようと思ったら男に何かがぶつかって汁まみれになり、メロディは誰かに手を引かれてその場から連れ出されてしまった。混乱の極みである。
見え透いた誘いとか危機感とか言われても、何のことだかさっぱり分からない。女性に手を引かれて、薄暗い裏路地に連れ込まれたメロディはここにきてようやく身を強張らせたのだ。
そして誰何の声を上げると、護衛がどうの、伯爵は何を考えてと呟く少女の声。思わず息をのんでしまう。まさか、彼女は自分の素性を知ったうえでこんな誰もいないところに連れ込んだのだろうか? そんな緊張の中、こちらへ振り返った女性は、なぜか自分を見て驚いたのであった。
「というのが、私から見た先程の出来事なんですけど……」
「……マジかぁ」
アンナは頭を抱えた。
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