閑話 ルトルバーグ家の(元)メイドさん

 むかーし、むかし……じゃなかった。今です、今。


 あるところに仲睦まじい二人の老夫婦がおったそうな。おじいさんは家でのんびり、おばあさんはおじいさんを置いてお出かけの準備です。


 ……違います。出かけようとしたおばあさんを、おじいさんは心配そうに見送ります。


「それじゃあ、言ってきますよ、おじいさん」


「本当に大丈夫なのかい? 儂も一緒に行こうか?」


「いやですよ、おじいさん。普通に歩く分にはもう大丈夫ですよ。では行ってきますね」


 心配そうなおじいさんを残して、おばあさんは貴族街へ向けて歩き出した。


 そう、この女性こそ、前ルトルバーグ王都邸メイドのおばあさんである。


 ルシアナの世話の途中で腰を痛めてしまった彼女は、唐突にメイドの職を辞することとなった。最近になってようやく腰の痛みが和らいできたので、突然の退職のお詫びと正式な退職の手続きをしようと、ルトルバーグ王都邸へ向かったのである。


 仕方がなかったとはいえ、屋敷の当主が王都に来ているというのに、このまま何の挨拶もなしになし崩し的に退職するのはあまりにも気が引けたのだ。


 実は、彼女が退職してからしばらく経って、ルトルバーグ伯爵家から詫び状が届けられているのだ。平民でも知っているくらいに貧乏だというのに、高額ではないが見舞金まで添えられて。


 貴族相手にそこまでしてもらっておいて、何の返事もなしにいられるほどおばあさんは肝が据わっていないし、図々しくもなかった。


「ふぅ、ふぅ……痛いってほどでもないけれど、やはり復帰は無理そうねぇ」


 杖をつきながらゆっくりと歩くおばあさん。ようやく一人で歩けるようにはなってきたが、とても誰かのお世話をできそうにはない。


「もう私が退職して一ヶ月以上……新しいメイドは入っているかしら」


 ポツリと呟くその声は、不安でいっぱいだ。


 王都では『貧乏貴族』ルトルバーグの名は結構有名なのだ。なにせ、一目見ただけで分かるあのボロ屋敷。とても貴族とは思えぬ有様は、平民にさえ知られている。


 王都は王国の中心地。つまり日本でいうところの東京。そして貴族街はいわば高級住宅街。当然そこには意識の高い方々もたくさんいるわけで……ルトルバーグ家は伯爵位にありながら格下扱いできる絶好の蔑み対象であった。都会って怖い。知らぬは王都にいなかった本人達くらいである。


 だからこそ、おばあさんはおじいさんに心配されようが長年ルトルバーグ邸をたった一人で管理し続けていた。自分が辞めてしまっては、次のメイドなど見つかるとは思えなかったから……。


「えっと、おかしいわね? ……確か、このあたりのはずなのに……」


 おばあさんは貴族街の裏路地で不思議そうに周囲を見回した。お屋敷の裏口を訪ねようと思ったのだが、なぜかいつもの見慣れた古めかしい扉が見つからないのだ。


 もう何十年と務めて、道を間違えるはずもないのに、そこだと思ったはずの場所には、大変真新しい扉があるだけで……おばあさんの不安が増した。まさか腰を痛めただけだと思っていたのに、ボケが始まったのかしら、と。


「あれ? お客様ですか? どちら様でしょう?」


 おばあさんが困っていると、小ぶりのバスケットを持つ一人のメイドと出会った。

 黒い髪の美しい少女だ。メイドに相応しい物静かで品のある雰囲気を醸し出している。これでも勤務期間が長いだけあって、近所のメイドとは知り合いが多いのだが、彼女のようなメイドは見たことがない。やはり、ボケてしまって道に迷ったのだろうか……?


「まあ。助かりました。ちょっとお尋ねしますが、ルトルバーグ伯爵家のお屋敷はどちらでしょうか? お恥ずかしながら道に迷ってしまったようでして……」


「ルトルバーグ家にですか? 失礼ですがどのようなご用件で?」


「実は私、少し前までルトルバーグ家のメイドとして仕えていたのです。ですが急に腰を痛めて退職してしまったので、一度ご挨拶をしなければと思い、お伺いしようかと」


「まあ! では、あなたは私の先輩なんですね!? 私、今ルトルバーグ家のメイドをしております、メロディと申します」


「まあ! では、あなたは私の後輩なのですか!?」


 お互いがびっくり。メロディは先達に出会えたことを喜び、おばあさんは新しいメイドが入っていたことを喜んだ。


「ぜひぜひ、私が来る前のお仕事についていろいろお話を聞かせてください!」


「ええ、もちろんです。それで、お屋敷に行きたいのですが、ご案内してくださいます?」


 おばあさんが尋ねると、メロディはきょとんとした顔で首を傾げた。


「えっと、もう着いていらっしゃいますよ?」


「――え?」


 メロディの視線につられておばあさんもそちらを向いた。そこには、先程間違えたと思った真新しい扉があった。


「……え? あの、ここがルトルバーグ家のお屋敷ですか?」


「え? はい、そうですが……まあ、そんなことよりもお入りください」


「まあ! 本当にこちらがあのルトルバーグ王都邸で間違いないのですか?!」


 扉も壁も、何もかもが建て替えたかのように美しい。だが、言われてみれば……よく見れば、以前の屋敷が新築だとこんな感じなのではと、思える雰囲気のお屋敷だった。


 このあと、自慢げなルシアナに屋敷を案内されながら、おばあさんは「まあ!」とか「あらあら!?」などのセリフを連発することになるのだが、そのへんはまあ、割愛ということで。



 その日の夕方、お屋敷を後にしたおばあさんは大変満足げな顔で帰路についた。


(私の手でお手伝いできないことは少し寂しいけれど、お嬢様が幸せそうで本当によかった)


 最後に見たルシアナの顔は、やせ我慢の作り笑顔だった。心配かけまいと、たった一人のメイドを見送るその姿のなんと痛々しいことか。


 だが、もうそんな心配をする必要がないことが分かり、おばあさんは嬉しくてしょうがなかった……嬉しすぎて杖をつかずに歩いていることにも気が付かずに。


 実は初めての先輩メイドに興奮したメロディの魔力があふれ出しておばあさんの腰をすっかり治してしまったのだが、彼女はおじいさんに指摘されるまでそのことに気が付かなかった。


「おじいさん、聞いてくださいな。今日ね――」


 夕食の時間になって、おばあさんは今日の出来事を語り始める。

 おじいさんはその様子を柔和な笑みを浮かべて見つめていた。それは久しぶりに見た、一切の憂いのない、愛する妻の幸せそうな笑顔だった。



 ……まあ、話している内容は、ちょっと大げさすぎるものではあったが。



「それでね、そのメイドの子が『タイラントマーダーベア』をバスケットの中からにゅーっと」



 おじいさんが真実を知る機会は、多分来ないと思われる……知らない方がいいこともあるよね♪

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