閑話 頑張れクラウドさん!

 現在、クラウド・レギンバース伯爵は大変忙しい。


 通常業務に加え、先日の襲撃事件への対応も加わり多忙な日々を送っていた。


(襲撃犯が逃走したせいで事件の背景は全く不明。くそ、やはり王太子殿下の指示を無視してでも牢獄に閉じ込めておけばよかったか。というか、離れに捕らえていたとはいえ、どうやって抜け出したというのだ。衛兵を配置していたはずだというのに、尋ねてみれば全員いつの間にか眠っていただと? どうやったらそんなことになるんだ)


 ……誰か『あんたの娘のせいだ!』と言ってやってください。


 自宅の執務室でたくさんの書類と格闘しながら、疲れのせいもあってため息が漏れてしまう。

 眉間を押さえ、天を仰ぐ。


(まったく。今回はなかなか面白い舞踏会になったと思ったのに、あの襲撃事件のせいでせっかくのいい思い出が台無しだ)


 本当に、近年にない特別な舞踏会であった。


 王太子のパートナー、アンネマリー・ビクティリウム侯爵令嬢が舞踏会の主役となるかと思ってみれば、蓋を開ければ全くノーマークのルトルバーグ伯爵家のルシアナ嬢が妖精姫との二大巨頭となり、例の襲撃事件で王太子を、身を挺して庇ったことで英雄姫などという通り名までできてしまって、誰がどう見ても今年の王立学園新入生の主役は彼女である。


(それにしても宰相閣下が『英雄姫』などという呼び名を作ってまでルシアナ嬢をわざわざ褒めたたえるとは……まさか、外堀を埋めるための準備だとでも?)


 ルトルバーグ家は先々代の犯した失態のせいで『貧乏貴族』などという情けない通り名が貴族社会に広がっていた。金も土地もなければ人脈もない。伯爵位ではあるが、それほど歴史ある家柄というわけでもないこともあり、侯爵家の嫁として迎えるにはメリットが薄いように感じる。


 どういう点が気に入ったのかは不明だが、『貧乏貴族』から『英雄姫』に通り名を塗り替えることで婚姻を結んだ時に生じる反対を抑えようとしているのだろうか。


 ……いや、さすがにそれは考え過ぎか――と、クラウドは首を横に振った。


 気を取り直して机に向かった時、ふと記憶の端で金の髪が揺れた。


(……そういえば、あの舞踏会にはもう一人主役になりそうな娘がいたのだった)


 襲撃事件でルシアナの印象が色濃くなったこともあり、貴族の間で彼女のことが噂になることはなかった。


 ――セシリア嬢。金の髪と赤い瞳の、天使のごとく美しい少女。レクトのパートナー。


 クラウドの口から思わず感嘆の息が零れる。


(……今思い出してみても不思議だ。どうして私は彼女を見て……セレナを思い出したんだろう)


 愛するセレナ。愛しいセレナ。もうこの世にいないなんて、今でも信じられない……。


 あの柔らかく滑らかな肌触りのブラウンの髪に、吸い寄せられるように美しい瑠璃色の瞳。


 やはり解せない。金の髪、赤い瞳のセシリア嬢を、どうして――だが、どことなく、セレナを思わせる何かを感じたような気がした。ただの思い過ごしかもしれないが……。


「もう一度……会ってみたいものだ……」


 日の光の差す窓から空を見上げ、クラウドはポツリと呟く。


 そして思うのだ。セレナの忘れ形見、自分と同じ銀の髪の娘と会える日が来ることを……。


「失礼します」


 扉がノックされ、入ってきたのはレクトだった。


「閣下、宰相府より新しい書類が届きました。こちらもお願いします」


「ああ、わかった。そこに置いておいてくれ」


 部下に物憂げな姿は見せられない。クラウドは改めて仕事に戻るのだった。


 彼が娘に会える日は、一体いつ来るのだろうか?


 まあ、それは……目の前のお宅の部下にでも聞いてほしいものである。


 頑張れ、クラウド!

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