エピローグ エピローグという名のプロローグ

 命芽吹き、暖かな陽だまりと爽やかな風が心地よい季節、春。


 舞踏会襲撃事件から一週間が経過したある日の午後、王太子クリストファーと侯爵令嬢アンネマリーは、王城の庭園にてお茶会という名の作戦会議を行っていた……のだが……。


「「……はぁ」」


 二人は大きくため息をつくばかりで、これといった具体的な方策を決められずにいた。


「まさか、俺達の行動のせいでシナリオが狂っていたとは……」


 もう何度目だろうか。クリストファーが天を仰ぎながらそう言った。


「今更言ってもしょうがないじゃない。実際、バッドエンド対策のためには必要だったわけだし」


「いや、まあ、そうなんだけどさ。何ていうの? こう、空回り感がね?」


「……言いたいことは分かるけどね」


 春うららかな午後にそぐわぬ諦観のため息が庭園に響く。いや、誰にも聞こえないけど。二人から少し離れたところには使用人達が控えているが、アンネマリーの魔法で音漏れを防いでいるので彼らの会話が外に漏れることはなかった。


「でも、そろそろこの無駄な反省会はやめましょう。もっと建設的な話をしなくちゃ」


「建設的って言ってもよ……」


「後悔なんていつまでもやるだけ不毛よ。重要なのは未来よ、未来。確かに私達の行動はゲームのシナリオに予想以上に大きな影響を与えてしまったわ。でも、悪いことばかりじゃなかったはず」


 定期馬車便を筆頭に、彼らがとった行動が原因でゲームのシナリオがしょっぱなから、まさかのヒロイン不在という大変革を齎してしまったことは変えようのない事実であるが、アンネマリーの言うように、全てが悪い結果になったわけではない。


 まず、彼らの目論見通りバッドエンド対策としての国力増強は確かに成功している。商業的に成長したことで帝国以外の周辺国との関係も良好だ。いつか魔王の存在が明らかになった時、援軍の依頼もしやすくなったのではないだろうか。


 何より、非業の死を遂げるはずだったルシアナの運命を変えたのは、根本的には定期馬車便のおかげである。シナリオ通りに事は進まなかったが、彼女がゲーム同様に不幸になればよかったとは到底思えない。


「まあ、そう言われるとそうだよな。ルシアナちゃんが死ぬとかマジ勘弁だもんな」


「そうよ、あんな美少女が死んじゃうなんて世界の損失が大きすぎるわ! 学園が始まったらもっと仲良くなるんだから!」


「そりゃあいい! どうせなら俺の婚約者候補になってもらっても……」


「あら? あなた、幼馴染で親友のマクスウェルとルシアナちゃんを取り合うわけ? ふーん……勝てるの? あんたみたいなメッキ王子が?」


「やべえ! 本物の貴公子相手に勝てる気がしねえ!」


 一週間かけてようやく気持ちが落ち着いてきたようだ。二人は元気を取り戻した。

 さて、少しばかり雑談をした二人だが、今回のお茶会の本題に入った。


「というわけで、今後の対策についてなんだけど……『あれ』どうするの? シナリオからかけ離れすぎてるんだけど」


 アンネマリーの視線が、ここからは見えない遠くへ向けられた――王立学園の方角だ。


「あぁ、あれねぇ。親父に不要だって言ったんだけどさ、全然取り合ってくれないんだよなぁ」


「うーん、理由を理解できないわけじゃないんだけど、完全にシナリオ無視なのよねぇ」


 せっかく気を取り直した二人だったが、今日のお茶会は再び大きなため息で幕を閉じた。


◆◆◆


「え? 王立学園が全寮制になるんですか?」


「ああ、元々自宅通いが基本だったんだが、先日の襲撃事件を機に学園の安全性を考慮して全寮制にすることになったそうだ。今、寮を急ピッチで建設中らしい。学園が再開されるのは二ヶ月後の予定だそうだ。おそらくそろそろ全生徒宅に通知が届く頃だろう」


 王都の大通りを歩いているのはメロディと、彼女が市場で購入した食品などの荷物を抱えているレクトの二人だ。メロディが市場で買い物を終えた時、たまたまレクトと遭遇し、荷物を持ってくれたのである。


 ……ちなみに、たまたまだと思っているのはメロディだけである。


「へぇ、ではそれに向けて準備が必要ですね。教えてくれてありがとうございます」


「いや、どうせすぐに伝わることだから大したことではない」


 軽い世間話をしながら二人は歩く……この一週間、レクトはずっと悩んでいた。

 ルトルバーグ家のメイド、メロディ・ウェーブの正体は、自分が仕える主、クラウド・レギンバース伯爵が探している彼の娘――セレスティだった。


 そして、レクトはメロディに恋をしてしまった。十五歳の少女に恋する二十一歳……おまわりさん、犯人はこいつです! ――という点は置いといて、愛する女性の忘れ形見に会いたいと思っている主と、メイドとしての人生を謳歌している、愛する人との相いれない想いの板挟み。


 メロディの存在を伯爵に伝えれば伯爵の願いは叶うが、メロディのメイド人生は終わるだろう。

 反対に、メロディのメイド人生を優先させれば、伯爵は実の娘に永遠に会うことができない。

 どちらを取っても、どちらかの希望は潰えることになる。レクトは、答えが出せずにいた。


「……メロディ、ひとつ尋ねたいんだが……」


「はい、何ですか?」


 それでも、何もしないわけにはいかない。レクトは、メロディに質問をした。


「……君はずっとメイドとして生きるつもりなのか? その、例えばなんだが、メイドではなくて貴族の令嬢のような生活をしたいと思ったことはないか? 貴族だとメイドは無理だが、王城で侍女をすることはできるだろうし、誰かに仕える仕事はできると思うんだが……」


 そう、レクトが見つけた小さな可能性。伯爵に事実を伝えてもメロディの望みを潰さずにいられる小さな希望。それが、侍女という仕事だった。


 侍女とは高位の女主人の身の回りのお世話をする、メイドよりも格式の高い側仕えである。

 伯爵令嬢であるメロディがメイドとして働くことは難しいが、例えば王城で侍女として王族に仕えるなどであれば、不可能ではない。


 メロディがそれを望んでくれれば、レクトはどちらも裏切らずに済む……のだが。


「うーん、考えたことないですね。私はメイドの方が性に合ってます」


 あっさりとその希望は断たれてしまった。


「なぜだ? 仕える仕事という意味ではメイドも侍女も同じだろう? それに、貴族令嬢として何不自由のない生活もできるし、そちらの方がいいと思うが……」


「えっと、侍女が嫌ってわけじゃないんですよ。それはそれで興味があります。でも、侍女とメイドの仕事は似ているようで全くの別物なんですよ。そうですね……騎士と兵士くらい違います」


「う……」


 そう言われると、否定できないレクトだった。騎士である彼からすれば、騎士と兵士は仕事の内容もその役割も全く異なる。平民から見れば似たようなものかもしれないが完全に違うのだ。


「それに私、亡くなった母に誓ったんです……メイドになるって。そしてなるからには、世界で一番素敵なメイドになるんです。そのためにはもっともっと頑張らないと!」


 キラキラした宝石のような瞳が、レクトを魅了する……この瞳をずっと見ていたい。

 希望に溢れた、未来を信じる少女の笑顔に、レクトは恋をしてしまったのだ……それを失わせることは、彼にはできなかった。


「……そうか。世界で一番のメイドになれるといいな」


「ええ、なってみせますよ! あれ? でも世界一のメイドってどうやったらなれるんでしょう?」


 本気で悩んだ顔を見せるメロディに、レクトは眉尻を下げて笑ってしまう。


(……恋は落ちた方が負けというのは本当だったんだな。申し訳ございません、閣下。もう少しだけ、お嬢様に時間をください)


 レクトの答えは見つかったようだ。


◆◆◆


「ただいま帰りました」


「あ、おかえりなさい、メロディ! 聞いてよ! 学園が全寮制になるんですって!」


 レクトと別れ、屋敷に帰ってきたメロディの前にルシアナが突進する。


「きゃあああああ! お嬢様、荷物が落ちちゃいます! 離れてください!」


「あ、ごめんごめん。ちょっと興奮しちゃって」


「ふぅ、危うくせっかく買った卵が割れるところでしたよ。ええ、さっきレクトさんに伺ったので知ってます。ドレスやら何やら準備が必要ですね」


「そうね! それでね、メロディ。あなたも一緒に学園に行くことになったのよ!」


「え? 私もですか?」


「そうなの! 使用人を数名同行させていいんですって。うちはあなたしかいないからメロディに一緒に来てほしいのよ」


「それは構いませんが、そうなりますとこのお屋敷はどうなるんでしょう? 分身を置きますか?」


「ほら、私が王太子殿下を庇った時に褒賞が出たでしょう? あれでうちにも余裕が出てきたから少しくらい使用人を雇えるんですって。うちはその人達に任せるみたい。あ、でもすぐには見つからないかもしれないから、しばらくは分身を置いてもらえると助かるって言ってたかな」


「そうですか。かしこまりました。そういうことなら問題ないですね。お供させていただきます」


「うん、二ヶ月後が楽しみね!」


「はい、お嬢様」


 ゲームにおいて、王立学園に寮制度は存在しなかった。二ヶ月後、全てを仕切りなおして新たな学園生活が始まる。それは、どんな未来に繋がっていくのだろうか。



◆◆◆



 王都外縁部の数か所には、残念ながら貧民街が存在する。どんなに経済が発展した世の中になろうとも、必ず貧富の差は生まれ、掃きだめのような場所で生活する人々が生まれてしまうのだ。


 そんな貧民街の中でも特に暗いところに、一人の少年がいた。

 建物と建物の影に潜むように蹲る少年の手には、無残に折れた一本の剣が握られている。


 そこはとても暗い場所だった。しっかり目を凝らさなければ、そこに少年がいることに気が付くこともできないほど、暗い場所だった。


 だからだろうか、誰も気が付かない。折れた剣の断面からかすかに漏れ出す、闇に――。


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』は……まだ始まったばかりである。

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