第52話 オールワークスメイド(誇)

「本当にお父様も帰ってよかったの? 今、宰相府って忙しいんでしょう?」


「ふむ、実はこれも仕事のうちなのだよ、ルシアナ。王太子殿下を身を挺して守った『英雄姫』の父親が、娘の帰還に付き添わないとは何事かと宰相閣下に叱られてしまってね」


「……え、英雄姫?」


「あなた、確か舞踏会でのルシアナの通り名は『妖精姫』だったでしょう?」


「ははは、宰相府では美しさと勇敢さを兼ね備えた令嬢『英雄姫』と呼ばれていたぞ」


「まあ、物語の主人公のような素敵な名前ね。よかったわね、ルシアナ」


「きゃあああああ! 英雄姫とか妖精姫とか、何その恥ずかしい呼び名! やめてえええええ!」


「少なくとも『妖精姫』の名前は舞踏会の間中ずっと聞こえていたわよ?」


「宰相府では宰相閣下が率先して『英雄姫』とお褒めくださっていたし、広まるのではないか?」


「あらあら、では王立学園ではどんな風に呼ばれるのかしらね」


「いやあああああああああ! もう学園なんて行きたくないよおおおおおおおお!」


 ルトルバーグ家に向かう馬車の御者台で、後方から聞こえる会話を聞きながら、メロディはクスリと笑った。

 アンネマリーが客間を去るとすぐにマリアンナとヒューズが戻り、ルトルバーグ一家は王城から借り受けた馬車で岐路に着くこととなった。


 当然、使用人であるメロディは御者と一緒に御者台に乗っている。ルシアナは一緒に乗ろうと勧めたが、そこは断固拒否である。それに、やりたいこともあるし――。


「あ、御者さん、あれ何でしょう?」


「あれ? 一体何だい?」


 御者がメロディの指差した方に顔を向けた瞬間、彼女の姿が御者台から消えた――と、思ったらそれは一瞬のことで、メロディは何事もなくあらぬ方向を指差したままだった。


「お嬢さん、あれってどれだい?」


「あー、すみません。鳥を見つけたかと思ったんですけど、気のせいだったみたいです」


 メロディは笑って誤魔化す。御者はしょうがないなと笑って許した。

 馬車の客室では、ルシアナが室内を興味深そうにきょろきょろと見回していた。


「凄いなぁ、うちで借りる安い馬車とは大違いの豪華な馬車だよね。これだけでも殿下を庇った甲斐があるってものね」


 ふかふかのクッションをポンポンと叩くルシアナを前に、ヒューズが苦い顔を浮かべた。


「怪我がなかったからよかったが、この馬車とお前の命じゃ、全然釣り合わないからな」


「そうよ、ルシアナ。どんなに贅沢な褒賞をもらったって、あなたが死んでは何も嬉しくないわ」


 ちょっとばかり冗談のつもりで言っただけなのだが、思いの外真剣な表情で告げる両親に、ルシアナは思わず気圧される。ついでに言うと……真面目に心配されて、ちょっと嬉しい。


「……う、うん」


 ルシアナは顔を赤くして遠慮がちに頷いた。そして生まれた一瞬の沈黙。まるでその瞬間を逃さないとでもいわんばかりに、ぐるるるる~とお腹の音が鳴った。夫妻の視線がルシアナに向く。


「私じゃないよ!? グレイルだよ!」


「クーン」


 お腹の虫が鳴ったのはグレイルだった。ルシアナの隣の席で「空腹でもう動きたくありません」とでも主張するように、ベチャリとうつ伏せに寝転がっていた。


「ふふふ、そういえばもうすぐお昼かしら。グレイルのお腹の音を聞いたら、私までお腹がすいてきちゃったわ。ねぇ、ヒューズ」


「そうだね、マリアンナ。帰ったら食事にしよう」


「でもお父様、メロディも一緒に帰るからすぐには無理よ」


「少しくらい待てるさ」


「それにメロディならそんなに待たなくてもすぐに作ってくれるわよ。できるまで食堂でおしゃべりでもしていればいいわ」


 そうやって笑い合いながら話しているうちに、馬車の振動が止まった。


「皆様、お屋敷に着きました」


 メロディが馬車の扉を開けると、まずはヒューズが降り、ヒューズがマリアンナの手を取った。ルシアナはグレイルをメロディに渡すと、ヒューズのエスコートで馬車を降りた。

 馬車が去り、四人と一匹が屋敷の正面玄関へと向かった。


 先頭にグレイルを抱くメロディが、その隣にルシアナが歩き、夫妻はその後ろで仲良く腕を組んで歩く。ルシアナはそれほど長くない玄関までの道のりから、ルトルバーグ邸を眺めた。


(……初めて来た時は一人で、そのうえ幽霊屋敷だったのよね。でも今はこんな綺麗な屋敷になって、お父様とお母様、メロディとグレイルもいて、賑やかになったなぁ)


 たった一人で王都に来ることになり、そして屋敷でも一人になってしまったルシアナは、強がっていたが心が折れそうになっていた。ちらりと隣に目をやると、ルシアナの歩く速度に合わせて隣を歩く、メロディの美しい横顔が見えた。


 彼女が屋敷のメイドになってから、ルシアナの周りはどんどん変わっていった。屋敷や生活環境が改善されただけではない。彼女が頑張ってくれたおかげで、大切な友人達との仲に変な溝を作らずに済んだし、舞踏会に参加できたのもやっぱりメロディのおかげだ。

 おかげで何だか凄い人達とも知り合いになれ、これからの学園生活はどうなるのだろうかと、ルシアナは心のうちで期待に胸を膨らませていた。


「メロディ、ありがとね!」


「急にどうされたのですか、お嬢様?」


 不思議そうに首を傾げるメロディは、自分が物凄い力を持ったメイドだということをまだ自覚していない。いつかは教えてあげようと思うのだが、あの顔を見ていると、ずっと知らないままの方が幸せなんじゃないかと思えて、ルシアナは「何でもない!」とニコリと微笑んだ。


「ふふふ、変なお嬢様ですね」


「へ、変じゃないもん! さあ、早くうちに入りましょう……といっても、今は誰もいないけど」


 大豪邸とは言わないが、もとは伯爵家の王都邸であり、それなりの大きさである。だというのにこの屋敷の住人はルトルバーグ一家三名と、メイドと飼い犬が一匹だけ。

 今はその全員で屋敷に向かっているのだから、出迎える者などいるはずもなかった。


 そして、メロディはクスリと笑った。


「お嬢様、屋敷の主がお戻りになるのに出迎えをしないメイドなんて、メイドではないのですよ?」


「どういう意味?」


「おや、なんだかいい匂いがするね」


「本当だわ。とても美味しそうな香りね。でもこれ、うちからしていないかしら?」


 正面玄関に到着すると、ルトルバーグ一家の食欲を刺激するような料理の香りが漂い始めた。それは間違いなく、屋敷の中から漂っているようで……。

 グレイルを地面に下ろしたメロディが、ドアノッカーをコンコンコンと叩く。


「メロディ? ――え?」


 メロディはルトルバーグ一家に向けてニコリと微笑むと……煙のように姿を消した。


 同時に、誰もいないはずの正面玄関の扉が、ゆっくりと開く。その先には――。


「おかえりなさいませ、旦那様、奥様、お嬢様」


 先程まで一緒にいたはずの黒髪のメイド――メロディが深々と一礼をし、主一家を出迎えた。

 ルーチンワークが染みついているメロディが、お昼の時間を忘れるわけがなかった。御者に隠れて魔法で屋敷に転移し、御者台には分身を残すと本体メロディは昼食の準備に取り掛かったのだ。


 ルトルバーグ夫妻は口をポカンと開けて呆然としてしまった。メロディの分身魔法は知っているが、瞬間移動までは知らない彼らは、今何が起きたのかよく分からなかった。


 もちろんそれはルシアナも同様で、実際、何が起きたのかは理解できていなかったのだが――。


「もう、メロディ! そういうことは隠さず教えてよね!」


 そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、ルシアナはメロディに突進した。


「きゃああああああ! メイドに抱きついちゃダメです! お嬢様!」


「いいのよ! ルトルバーグ家令嬢として命令します。素直に私に抱かれなさい、メロディ!」


「どこでそんな言葉遣いを覚えてきたんですか!? 放してください、お嬢様!」


「あら、私に抱き着かれるのもメロディの仕事のうちよ。だってあなたは、ルトルバーグ家の全ての仕事を担うオールワークスメイドなんだから!」


「そんな仕事はメイドの職務に入りませんよ!?」


 そう叫びながら結局、ルシアナが満足するまで大人しく待つメロディなのだった。


 メロディの明るく楽しいメイド人生は、まだまだ始まったばかりである。それを証明するように、ルトルバーグ邸からは朗らかな笑い声が響いていた。


 ついでに、乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』も始まったばかりである――ゲーム初日で既に魔王不在が決定してしまったわけだが、今後どうなるかは神のみぞ知る……えっと、知ってるよね、神様?


「うまうま、うまうま」


 メロディ達が玄関でぎゃあぎゃあと騒いでいた頃、お腹を空かせたグレイルは「そんなことどうでもいい」といわんばかりに食堂の料理を美味しそうに盗み食いしていた。

 当然、後でお仕置きされたわけだが……なんというかそれは、とても平和な光景であった。

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