第50話 悪役令嬢は深みにハマる
「そういえば、昨夜のドレスはとても素敵なものだったけれど、どこでお買い求めになったの?」
シナリオでは、ルシアナはドレスを用意できず、舞踏会を欠席していた。だが、彼女は見事なドレスを纏って舞踏会の主役になっていた。これはどういうことだろうか?
「あれはメイドのメロディが、私のために丹精込めて一から作り直してくれたものなんです」
「一から作り直して?」
「元々あった古い二着のドレスを完全にほどき、全てを綺麗に洗うところから始めてくれました。それらを組み合わせて、新しいドレスに編みなおしてくれたんです」
「そ、それは、凄いわね」
その過程で魔法がふんだんに使用されているのだが、話だけ聞くと物凄い作業量と裁縫技術である。まあ、魔法の場合も十分に『凄い』のだが……。
アンネマリーはちらりとメロディを見た。彼女は静かな笑みを浮かべて壁の端に佇んでいる。
「ええ、そうなんです! メロディは凄いんですよ。元々我が家にいたメイドが体を傷めてやめてしまって。メロディが来てくれたおかげで本当に助かってるんです。お茶も美味しいし」
「そうね。確かにこのお茶は美味しいわ。どこの銘柄かしら? 飲んだことのない味だわ」
「えっと、確かベルシュイートだったかと」
アンネマリーは思わず紅茶を吹き出しそうになった。
ベルシュイート。それは、下級貴族でも購入を躊躇う、最低品質最低価格の紅茶の名前である。
「恥ずかしながら、我が家はお金がないのでずっとこのお茶を飲んでいたんです。メロディのおかげで紅茶が美味しい飲み物だって、初めて知りました」
恥ずかしそうに顔を赤らめるルシアナのなんと可愛らしいことか……て、そうじゃない!
「これがベルシュイート……高級品の存在が揺らいでしまうくらい美味しいわ」
紅茶の味は茶葉の産地や葉の品質、製造工程などで大きく変わるはずなのに、どうやったら高級品と同等の芳醇な香りと味を実現させられるというのか……アンネマリーにはさっぱりだった。
「王都の屋敷も、私が来た時はまるで幽霊屋敷みたいな状態だったんですが、メロディが頑張ってくれたおかげで、今ではお客様をご招待しても恥ずかしくないくらいに綺麗になったんです」
ルシアナは嬉しそうに、そして自慢げに笑った。メロディのことを大変気に入っているようだ。
幽霊屋敷とはさすがに大げさだが、そう言いたくなるくらい劇的に屋敷を掃除してくれたのだろう。どうやらメロディという少女は相当優秀なメイドらしい。
話を聞く限り、ルシアナの運命がシナリオと大きくかけ離れた原因は、メロディの存在にあるようだ。前世で読んだ設定資料集では、老齢のメイドが退職し、新しいメイドが入らなかったことが原因で、ルシアナの不幸が始まったと記されていたはず。
そこに、シナリオに反して現れたのがメロディだ。彼女が屋敷を清め、食事を整え、舞踏会のドレスを用意したりと活躍したことで、ルシアナが劣等感に苛まれるという不幸が回避されていた。
まるでゲームのシナリオを知っていて、ルシアナを助けるために現れたような少女、メロディ。
だが、自分の勘を信じるなら彼女はゲームの存在を知らない一般人……でも、先程感じたあの既視感は一体……彼女は何者なの?
答えの出ない中、アンネマリーはもうひとつの大きなイレギュラーを思い出した。
「ルシアナさん、あなたは襲撃犯の剣を受けたにもかかわらず無傷だったわね。いえ、それどころか剣を受け、その衝撃で吹き飛ばされたはずなのに擦り傷ひとつなかった。その原因に心当たりはないかしら?」
「そ、それは……」
この時、ルシアナは初めて狼狽した。今までとは違う、隠し事の匂いがした。
「……何か知っているのね。よかったら話してくださらない? 私、とても興味があるわ」
笑顔の裏側で、アンネマリーの瞳がキラリと光る。ルシアナはしばらく迷い続けた後、意を決したような顔でアンネマリーを見た。
「アンネマリー様……どうかこのことは私とアンネマリー様だけの秘密にしてください」
その真剣な表情に、アンネマリーも思わず気圧される。そして、ゆっくりと頷いた。
「……実は、昨夜私が着ていたドレスには、メロディが守りの魔法を掛けてくれていたんです」
「守りの魔法……?」
「はい。舞踏会会場が木っ端みじんになる爆発を受けても無傷でいられる、守りの魔法です。彼女がドレスに魔法を掛けてくれたから、私は死なずに済んだんです」
……冗談でも言っているのかしら? アンネマリーが最初に思ったのはそんな言葉だった。
乙女ゲームであるにもかかわらず『銀の聖女と五つの誓い』にはロールプレイングゲームのような戦闘パートがあり、そこにはいわゆる防御魔法と呼ばれるダメージ軽減の魔法が存在した。
特に最終決戦でヒロインが手に入れる最大魔法『銀聖結界』の防御力は凄まじく、パラメーター無視の絶対防御であるこの魔法なら、ルシアナが言うような『守りの魔法』を実現できるだろう。
しかしそれ以外の、一般的な防御魔法にはそんな驚異的な防御力はない。それはゲームが現実になったこの世界でも同様で、魔法に長けたアンネマリー達でさえ、はっきり無理だと言える。
……言えるのだが、少なくともルシアナはそれを全く疑っていないらしい……本気で、あのドレスにはそのような魔法が掛かっていたのだと信じているようだ。
いや、嘘とも言い切れない。実際にルシアナは魔王の剣を受けながら、無傷で生還している。
「ルシアナさん、よかったらそのドレスを見せてくださらないかしら?」
「ええ、もちろんです」
ルシアナはメロディを呼び出し、ドレスを持ってこさせた。ハンガーに掛けられたドレスがアンネマリーの前に掲げられる。彼女はしばらくドレスを見つめると、ゆっくりと瞳に魔力を籠めた。
「……魔力の流れを見通せ『
視覚の焦点を魔力に集中させることで魔法の痕跡や構成を正確に把握することができる、アンネマリーのオリジナル魔法だ。高い集中力とかなりの魔力を要するので、実践向きではない。
物質に魔法を付与すると、血液のルミノール反応のように魔力の痕跡が残りやすい。意図的に隠そうとしても完全に消し去ることは難しく、強力な魔法ほど魔力を使うので発見が容易なのだ。
……だからこそ、全く魔法の気配が認められないルシアナのドレスに、聖女の『銀聖結界』のような大それた防御魔法が付与されていたなどと、アンネマリーには信じることができなかった。
一応とばかりに、アンネマリーの視線がメロディに向けられる。『凝視解析』では、メロディから魔力の発露は確認できなかった。魔法使いは常に少なからず魔力の気配を漂わせているものだが、それを確認することのできないメロディはつまり……魔法使いではないということだ。
……説明しよう。普段のメロディは必要のない魔力を自分の中に完全に閉じ込めてしまっており、それはたとえ魔王であっても簡単には察知できないのである。
ついでに、先程のメロディのセリフを思い出してみよう。
『ここまで破損が酷いと糸から編みなおした方がいいですね。守りの魔法もほとんど壊れちゃってますし。とりあえずこのままだと編みなおしの邪魔なので、魔法は全て解除しておきますね』
メロディの魔法制御能力を駆使すれば、解除と同時にドレスから一切の魔力を消し去ることも難しいことではない。余計な魔力は編みなおしの魔法の邪魔になるので、既に対処済みであった。
アンネマリーがあと十分、いや、あと五分早く訪問していればと思わずにはいられない……。
『凝視解析』を解除したアンネマリーは、魔力を消費した疲れもあって大きく息を吐いた。
「見せてくれてありがとう」
「恐れ入ります」
メロディがドレスを片付け始めると、ルシアナがオドオドした様子で話し掛けた。
「あ、あのね、メロディ。私、アンネマリー様にメロディの魔法のことを話しちゃったの」
「魔法? ……まさか、ドレスの魔法のことですか!?」
ドレスを畳んでいたメロディが顔を真っ赤にして俯く。とても恥ずかしそうだ。
「まあ、どうしたの?」
「いえ、あのような何の役にも立たない魔法のことをアンネマリー様に知られてしまうなんて、その……まだまだ未熟な身としては、大変お恥ずかしい限りでございます」
――アンネマリーはピンときた。役に立たない魔法。それはつまり……『おまじない』だ。
おそらくメロディはドレスに『守りの魔法』という名のおまじないを掛けたのだろう。純真なルシアナはそれを本物だと信じ、そのうえメロディが随分とオーバーに伝えたものだから、とんでもない魔法がドレスに掛けられていると思い込んでしまい、戸惑っていたのだ。
何ということだろう……分かってみれば何とも肩透かしな話である。
ルシアナが無傷だった理由は今も不明のままだが、少なくともメロディは関係ないらしい。
では一体なぜ? 完全に振り出しに戻った気分になり、アンネマリーは内心でため息をついた。
とはいえ、項垂れたところで何も変わりはしない。仕切り直しが必要だと、アンネマリーが気を引き締めなおした時、彼女は大切なことを忘れていたことを思い出した。
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