第49話 美少女主従は首を傾げる

 朝食後、ルシアナは医師の診察を受けた。結果は問題なし。全くもって健康体であった。


 となれば、いつまでも王城のお世話になるわけにもいかない。ルシアナ達は帰り支度を始めた。

マリアンナは退城手続きと、ついでにヒューズの様子を見るために臨時メイドの案内で客間を出ていき、部屋にはルシアナとメロディだけが残った。


 元々大した荷物もないので準備自体はすぐに終わる。メロディは破れてしまったルシアナのドレスを検分し、ルシアナは寝息を立てるグレイルを胸に抱いたまま、ベッドの端に腰掛けていた。


「ごめんね、メロディ。ドレスを台無しにしちゃって」


「とんでもございません。お嬢様にお怪我がなくて本当によかったです」


「……直せそう?」


「ここまで破損が酷いと糸から編みなおした方がいいですね。守りの魔法もほとんど壊れちゃってますし。とりあえずこのままだと編みなおしの邪魔なので、魔法は全て解除しておきますね」


「そっかぁ。ホントにごめんね、手間かけちゃって」


 自分でも思い入れのあるドレスだけに反省するルシアナだったが、メロディは首を横に振った。


「謝罪をしなければならないのは私の方です、お嬢様。……私、魔法にはそれなりに自信があったんです。今回だって、ドレスには舞踏会会場が木っ端みじんになる爆発が起きても無傷でいられる守りを掛けたつもりだったのに、実際には剣の一撃で弾け飛んでしまうこの体たらく。お嬢様にお怪我がなかったからよかったものの、一歩間違えば大惨事でした。自分の未熟さが恨めしいです」


 苦々しい表情を浮かべながらもドレスの検分を続けるメロディ。その視界の端で、ルシアナが青褪めながら息を呑んでいたのだが、メロディがそれに気が付くことはなかった。


 ルシアナはメロディの魔法を信頼している。彼女が『舞踏会会場が木っ端みじんになる爆発が起きても無傷でいられる』魔法をドレスに掛けたというのなら、それは事実なのだろう。


 つまり、ルシアナが受けた襲撃犯の剣の威力は――コンコンコン。


「うぴゃっ!?」


 突然客間の扉が叩かれ、ルシアナは変な悲鳴を上げた。どうやらお客様が来たらしい。


◆◆◆


「どちら様でしょうか?」


「私は王城のメイドでございます。ヴィクティリウム侯爵家のご令嬢、アンネマリー様がルシアナ・ルトルバーグ様のお見舞いにまいりました。お取次ぎをお願いいたします」


「……かしこまりました。少々お待ちください」


 王城勤めの中年メイドの後ろで、アンネマリーは入室の許可が出るのを待った。しばらくするとルシアナのメイドが戻り、「どうぞお入りください」という言葉とともに扉が開かれる。

 アンネマリーはホッと安堵の息をついて歩き出した。


 本来、王城の客間であろうと貴族を尋ねる前には先触れを送るのが一般的だ。貴族同士が会う前にはいろいろと準備が必要だったりするので、突然の訪問は正直マネー違反なのである。


 だが、確認してみればルシアナ達は既に退城準備を始め、あとは許可を得るだけとのこと。暢気に先触れを出していられる状況ではなかった。


 アンネマリーは早急に確認しなければならなかった……ルシアナが転生者であるかどうかを。


 昨夜、その可能性に気が付いたところまでは覚えているのだが、いつの間にか眠ってしまっていた。そのうえ、クリストファーと抱き合いながら彼の寝室で目覚めるという、乙女の緊急事態!


 気が動転し、我に返るまでクリストファーを殴る蹴るに忙しすぎて、訪問のことなど考える余裕は皆無だった……だが、そこはデキる子アンネマリー。顔は殴っていないので安心である。


 早朝の事件はともかく、シナリオが始まったにもかかわらずヒロイン不在な異常事態で、シナリオも予測不能な非情事態というこの状況。


 このままでは今後の魔王対策が立ち行かなくなってしまう……真相解明は急務であった。


 ルシアナのもとへ向かおうとしたアンネマリーだったが、その足が途中でピタリと止まる。アンネマリーの視界の端に一人の少女の姿が映り――何やら奇妙な既視感に襲われたのだ。


 それはルシアナのメイドだった。黒髪の少女は、そっと頭を下げてアンネマリーを迎えている。こちらを見つめる視線に気が付いたのか、メイドの黒い瞳がアンネマリーの視線を捉えた。


 黒髪黒目……この世界では珍しい組み合わせの色彩。見たところ容姿も美しい。ゲームのキャラクターだろうかと考えるが、黒髪黒目の少女などゲームには登場していないはず。


 どこかで見たことがあるような気がするのに、どうにも思い出せない……前世の記憶だろうかと考えるが、目の前の少女と自分の中の記憶がどうにも結び付かなかった。


「……あなた、以前どこかでお会いしたことがあったかしら? お名前は?」


「メロディ・ウェーブと申します。お嬢様にお会いするのは本日が初めてかと存じます」


「……そう」


 メロディ・ウェーブ……やはり、そんな名前のキャラクターには覚えがない。

 結局、不思議な感覚はしたものの、アンネマリーはルシアナのもとへ向かった。


「先触れもなしに突然ごめんなさい。もう帰ってしまうと聞いたものだから、慌ててしまって」


「いいえ、来てくれて嬉しいです」


 頬を赤らめて微笑むルシアナのなんと愛らしいことか。アンネマリーも思わず笑みを浮かべた。

 テーブルに案内され、ルシアナとアンネマリーは席に着く。メロディはお茶の用意を、中年メイドは手土産に持参したケーキの準備をするために、客間に隣接されたキッチンへ向かった。


 ここには今、ルシアナとアンネマリーの二人だけ……このチャンスを逃す手はない。



『ルシアナさん、あなたは私と同じ、元日本人の転生者ではなくて?』



 アンネマリーはルシアナに問い掛けた――日本語で。彼女が元日本人であれば必ず何かしらの反応を見せるはずだと、直球で質問してみたのだが……。


「え? 今なんて仰いました?」


「……あら?」


 ルシアナは首を傾げてキョトンとするだけで、想像していた反応は見せなかった。


『……あなたが元日本人であれば、どうかあなたも日本語で話してくださらないかしら』


「あ、あの、アンネマリー様。それは外国語でしょうか? 不勉強で申し訳ございません、私にはアンネマリー様がなんと仰っているのか分かりません」


(……あ、あらら?)


 どうやらルシアナはアンネマリーの言葉を理解できないせいで困惑していたようだ。


(日本語を理解できない振りをしている? いえ、でも……)


 王太子の婚約者候補という貴族令嬢の最高峰で社交を学んできたアンネマリーの腹黒センサーが告げている――ルシアナの表情に、嘘はない。


「……今のは忘れてちょうだい。では、質問しますが……『銀の聖女と五つの誓い』をご存知?」


 またしても首キョトンである。そしてうーんと悩みだした。全く心当たりがないように見える。


「お茶のご用意ができました」


 そうこうしているうちに、メロディ達が準備を終えて戻ってきた。困っていたルシアナがパッと表情を綻ばせ、メロディに尋ねる。


「メロディ、銀の聖女となんとかって知ってる?」


「銀の聖女となんとか、ですか?」


「……『銀の聖女と五つの誓い』よ」


 メロディは首を傾げてキョトンとした。まるっきり、先程のルシアナと同じ表情である。


「申し訳ございません、お嬢様。私の不勉強でございます。物語のタイトルでしょうか?」


「……いいえ、何でもないのよ。忘れてちょうだい」


 メロディは一礼すると、お茶の準備を整えて中年メイドとともに客間の端に移動した。


 表情だけは余裕の笑みを浮かべて、アンネマリーは内心で大きくため息をつく。腹黒センサーの判断に従うなら、日本語もゲームのことも知らないルシアナは、転生者ではないということだ。


 だが、全ての謎が解けたわけではない。

 お茶会を続けながら、アンネマリーは質問を続けた。

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