第48話 お嬢様との再会(一晩ぶり)
王城に到着すると何やら慌ただしかった。大きなボストンバッグを抱えて、馬車から降りる。
衛兵の命令書があったのですんなり入城できたが、門兵達の態度は荒々しく、彼ら自身も大変困惑している様子だった。
門兵だけでなく、使用人の様子もおかしい。使用人区画とはいえ、人目も憚らずに洗濯物を抱えて全力疾走する洗濯女中。かご一杯に食材を抱えて、やはり全力疾走する台所女中。
まるで開始直前の市場のような慌ただしさだ……およそ王城の使用人とは思えない余裕のなさに、メロディは顔を顰めた。
メイドとはただ仕事をするだけではなく、気品求められるのだ。それが表舞台に立たない裏方のメイドであろうと、王城に努める誇りを忘れてはならない。こんなの、職務怠慢である。
無知とはおそろしいものである……元凶め!
もちろん原因は、彼らがついさっき目を覚ましたばかりだからである。通常、門兵にしろ使用人にしろ、彼らの多くは日の出前から働き始める。だというのに今は朝の六時前。
圧倒的に時間を押していた。まさか寝坊して仕事が遅れているなどと王族に知られるわけにもいかず、誰も彼もがとにかく予定に間に合わせようと必死で働いていたのである。
衛兵に案内されて紹介されたのは、ルシアナの客間付きの臨時メイドであった。
「それではご案内します」
「はい、よろしくお願いします」
衛兵に別れを告げ、臨時メイドの案内でルシアナのもとへ向かう。その間も、慌ただしく動くメイド達と何度もすれ違い、職務怠慢にしてもこの状況はさすがにおかしいのではとメロディは思った。
「あの、みなさんとても急いでいるようですが、何かあったのですか?」
疑問に思って尋ねただけなのだが、臨時メイドはギクリと肩を震わせ曖昧な笑みを浮かべた。
「え、ええ……実は……昨夜の舞踏会に賊の襲撃事件があったそうでして……」
「賊!? まさか、お嬢様がお倒れになったっていうのは、賊に襲われて……」
「ご安心ください。医師によれば気を失われているだけで、大事はないそうですので」
「そうですか。よかった」
安堵の息をつくメロディを背に、臨時メイドも小さく息を吐いた。確かに襲撃事件はあったが、メイド達が形振り構わず方々を駆けずり回っている本当の理由は、当然ながらどこかの誰かさんのせいで寝坊したためである。
斯くいう臨時メイドも、ルシアナの眠る客間で夜番をしていたところに朝までぐっすり。メイドにあるまじき失態を犯していた。ルシアナの本当のメイドを相手に「いやー、なぜかみんな寝坊しちゃって、急いで仕事を片付けている最中なんですよ~」などとは口が裂けても言えなかった。
客間に辿り着くと、臨時メイドが扉をノックする。
「失礼いたします。ルトルバーグ家のメイドが参りました」
「通しなさい」
「失礼いたします」
メロディが客間に入ると、まず目に入ったのはベッドの隣に腰掛けるマリアンナの姿だった。先程の声も彼女のものだ。そして、ベッドにはベッドから体を起こして座るルシアナがいた。
ルシアナは喜びの表情で頬を赤らめる。
「メロディ、来てくれたのね!」
「お嬢様!」
この時ばかりはメロディもメイドの気品のことなど忘れて、ルシアナのもとへ駆け寄った。
「お怪我はないと伺っていますけど、本当に大丈夫ですか?」
「ええ、さっき目が覚めたところだけど全然問題ないわ。なのに聞いてよ、メロディ。大丈夫だって言ってるのに、お母様ったらベッドから出してくれないのよ」
「当たり前でしょう。あなた、一晩ずっと意識がなかったのよ。安静にしていてちょうだい」
「ね、酷いでしょう」
「えっと、残念ながら、今は私も奥様と同意見、です……」
「メロディまで! ……もう平気だって言ってるのに!」
顔を膨らませてプリプリ怒るルシアナを見て、メロディはようやく肩の力を抜くことができた。
ヒューズの姿が見えなかったが、ルシアナの無事が確認できると宰相の手伝いに向かったそうだ。
というわけで、早速メイド業務開始である。
臨時メイドはルシアナ達の朝食の準備に向かい、メロディは二人の衣装直しだ。ルシアナは寝間着姿だし、マリアンナは昨夜のドレス姿のままである。
部屋でおとなしくしていることを条件に、ルシアナはベッドから出ることを許された。
「お召し物は用意してきましたのでお召し替えをしましょう。ちゃんと準備してきましたので」
そう言いながら、メロディは自慢げにボストンバッグを掲げた。確かに大きな鞄だが、とても女性のドレス二着が入る大きさには見えない。
……ああ、あれも魔法の鞄なんだぁ、と二人はちょっと諦め気味に納得したのだが、それが唐突にもごもごと動きく様子を見て、ルシアナもマリアンナもギョッと目を見開く。
「メ、メロディ、その鞄、何なの!?」
「え? ……きゃっ! 何ですか、これ!?」
メロディ自身も覚えがなかったようで、突然蠢きだした鞄に驚き、慌てて鞄を開けると、中から小さな影がベッドに向かって飛び出してきた。
「ワン、ワン!」
それは、昨夜メロディが拾った子犬であった。子犬は楽しそうに愛らしい鳴き声を上げている。
「あなた、いつの間についてきてたの!?」
「まあ、可愛らしい子犬ね」
「メロディ、この子犬のこと知ってるの?」
「昨夜お腹を空かせてうちにやってきたんです。あんまり痩せ細っていたのでご飯をあげて、そのまま屋敷で一晩休ませていたんですけど……」
「へえ……可愛いね」
「クウン、クウン♪」
「まあ、人懐こいこと」
ルシアナが手を差し出すと、子犬は親しげに彼女の指に擦り寄ってきた。危なげない様子にマリアンナも思わず相好を崩す。
予想外の事態で慌てたメロディだったが、これはチャンスであった。
「お嬢様、奥様、よかったらこの子、お屋敷で飼ってはどうでしょうか」
「素敵! いいわね、それ」
「まあ、この子をうちで? 食費は大丈夫かしら? 犬は大きくなると結構食べるでしょう?」
「食費については大丈夫だと思います。私がいつも狩ってくるお肉で足りると思いますし……」
「そうよ、お母様。これからお父様も宰相府で働くから犬を飼うくらいなら大丈夫でしょう?」
「そうねぇ……まあ、あなたが学園、ヒューズが王城に出仕している間は私とメロディしか屋敷にはいないものねぇ。その間、この子と戯れるのもいいかもしれないわ。後でヒューズにお願いしてみましょうか」
「やったー!」
「キャワン♪」
ルシアナは子犬を抱き上げながら満面の笑みで喜んだ。状況を理解しているのかいないのか、子犬も嬉しそうな鳴き声を上げる。メロディも微笑みながらこっそり右手の拳をきゅっと握った。
「それではお嬢様、早速この子の名前を決めましょう」
「名前ね、そうね……何がいいかしら?」
子犬を見つめながら悩むこと数秒。ルシアナはメロディを見た。
「ねえ、メロディ。この子を最初に拾ったのはあなただもの。メロディが決めてくれない?」
「私ですか?」
「うん。メロディに決めてほしいって、この子もきっと思ってるわ」
「えーと、そうですね……」
まさかそんな役目を振られるとは思ってもみなかったメロディは、必死に考えを巡らせた。
……銀色の毛並みだからシルバー? いやいや、安直すぎる……ここは格好いい感じでアーサーとか……似合わない……うーん、うーん――などと思案していると、メロディの脳裏に不思議な情景が浮かんできた。
神聖な森の中。銀の髪の美しい少女が、子犬とよく似た毛並みの狼を膝枕している光景。
静かな寝息を立てる狼の頭を撫でながら、少女の柔らかな唇が愛しげに動いた。
「――グレイル」
「グレイル? それがこの子の名前?」
メロディの呟きは聞こえていたらしい。マリアンナが不思議そうな顔で聞き返す。
「え? あ、はい」
メロディは思わずそれを肯定してしまった。
「へぇ、いいんじゃない? 決まりね。君の名前は今日からグレイよ。よろしくね、グレイル」
「ワン!」
というわけで、子犬の名前はグレイルに決まった。不思議と、メロディもそれでいいと思った。
家長がいない場で、ルトルバーグ家に新たな家族グレイルが加わった。マリアンナはヒューズにお伺いを立てると言ったが、家のことは原則妻が決めると相場が決まっているので、既に決まったようなものらしい。
可愛い子犬を迎えられて、三人の乙女はほんわかした気分になった。
……ボロボロに破れてしまったルシアナのドレスを見てメロディが悲鳴を上げたのは、この直後だったという。
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