第47話 夢と目覚めと指パッチン

 緑豊かな森の中――メロディは、ここが夢の中なのだと理解した。

 生い茂る木々が風に揺れ、頭上から暖かそうな木漏れ日が差している。


 だが、メロディの五感は風の感触も日の光の温かさも一切を感じていなかった。まるで意識だけになって森を彷徨っているかのようで……だから、ここは夢の中だと判断した。


 ――ここはどこだろう? 周囲を見回しながら、メロディは考える。


 夢とは、自分が過去に見聞きした経験、記憶を整理する行為だと言われている。

 ということは、この森は最近メロディが食料調達に利用しているあの森なのだろうか。


 実際の森よりも緑が鮮やかで、光が眩しい……なんか美化されてない?

 まるでお伽話や神話に登場する聖なる森みたいと考えながら歩いていると、開けた場所に辿り着く。


 そこには一人の少女がいた。美しい銀髪の少女が、木を背にして優雅に腰を下ろしている。

 大柄な銀の毛並みの狼が、少女の膝に頭を載せて寝息を立てていた。


 よく見ればこの狼、耳や尻尾、足先の毛並みは黒く、完全な銀色ではない。

 狼の傍らに狼がもう一匹……いや、よく似ているがあれは、犬?

 こちらは完全に全身銀色で、子犬は狼に寄り添うように満足げな寝顔で眠りこけていた。

 子犬は狼を大変慕っているようだ。


 ……というかあれ、さっき寝かしつけた子犬では? などと訝しんでいると少女と目が合った。


『ありがとう』


 声は聞こえなかった。

 だが、柔らかな笑みを浮かべる少女の唇は、確かにそう告げていた。


 少女の唇が再び動く。


『魔王と戦うことを誓った私にはできなかった、聖女の本当の役目をあなたは果たしてくれました。魔王に癒しの眠りを与えてくれて、本当にありがとう』


 メロディは首を傾げる。魔王とか聖女とか、一体何の話だろう……?


『魔王――魔障の王は闇の盃。世界の循環から外れてしまった哀れな闇の魔力の受け皿。魔王がいなければ世界に魔障が拡散し、それはやがて世界の均衡を崩すことになる。聖女――聖なる光を宿す乙女の役目とは、魔王の集めた闇の魔力を癒し、清め、世界に還すことだったのに……』


 魔王を失い、やがて世界に魔物や魔障の地が現れるようになって、私はようやく本当の意味に気が付きました。長い、長い時の流れの中で、私達に力を与えた『何か』も、魔王自身すら、互いの本当の役目を忘れてしまったのでしょうね――と、少女は悲しそうに微笑む。


『……あなたが私の残した手記を手に入れなくて本当によかった。あれを参考に魔王と戦うことを選んでいたらきっと、あなたは私と同じ過ちを犯すところでした』


 ――手記? この人の? それに過ちって……なんのこと?

 メロディには心当たりがない。


 魔王を癒すには嘘偽りのない慈しみの心が必要だが、もし手記を読んでいれば少なからず敵対心が生まれていたでしょう、と少女は語る。


『癒しを得られず、盃を溢れさせるほどに闇の魔力に満ちていた魔王は、確かに世界に害をなす存在と成り果てていました。……あなたほどの力があればきっと、魔王を滅ぼすことも可能だったでしょう。そして世界に一時の平穏が訪れる。しかしそれは、永久に盃が失われることを意味し、いずれ世界は魔障に埋め尽くされることになっていたでしょう……』


 まるで知らないゲームや小説の解説でも聞かされているかのようだ、とメロディは思った。


 惜しい、もう一歩!


 見たこともない女性からよく分からないことでお礼を言われるって、私、一体どんな記憶を整理してこんな夢を見ているんだろうとメロディはちょっと本気で悩むが、突然少女の体が淡い光を放ちながら透け始めたのを見て、それどころではなくなった。


 驚くメロディとは対称的に、少女は微笑を浮かべたままだ。

 狼の頭を膝から降ろすと、少女は狼の黒い耳先をそっと撫でた。

 すると耳先で小さな光が弾け、黒かった毛が銀色に変貌した。


 だが、その代償とでもいうように少女の指先がさらに透き通っていく……あれは一体……?


『あなたのびっくりするくらい強大な魔力に当てられて、封印の力に籠められていた『私』という想いが、こうして顕現できました。おかげで私にも、少しだけ聖女の役目を果たすことができます……壊れかけの、残り少ない力を使い切っても全ての闇を洗い流すことはできませんでしたが』


 あとはあなたに、真の聖女にお願いしますね、セレスティ――と、少女は微笑んだ。


 ここは自分の記憶を整理するための夢の中。目の前の少女がメロディの本当の名前を知っていてもおかしくはないのだが、突然言い当てられて動揺してしまう。


 その場に立ち尽くしたまま慌てふためくメロディの様子がおかしかったのか、少女はしばしきょとんとした顔でこちらを見つめると、口元を隠してクスリと笑った。


『セレスティは可愛いのね……もしこの世界が誰かの作り上げた物語なのだとしたら、きっとあなたのような子が主人公ヒロインに選ばれるのでしょう。……改めてお礼を言います、聖女セレスティ。世界の魔力の循環を司る魔王の対よ。自らの意思で、聖女の真の使命に辿り着いたあなたを私は誇りに思います。いずれ魔王の魂が癒され復活した時、世界は再び魔物のいない平穏な世界を取り戻すことでしょう。どうか、これからも誇りをもって聖女の役目を全うしてください』


 少女はまさに聖女といわんばかりの笑みを浮かべ、やがて光の泡となって姿を消した。


 残ったのは、木漏れ日の下で静かに寝息を立て続ける白銀の狼と子犬だけで……少女が消えてしまったことに気づいた様子はなく、メロディはそれがどこか寂しく感じた……。


 ――のだが、それはそれ、これはこれ。彼女には声を大にして言いたいことがあった。



「……ヒロイン? 聖女? 何ですか、それ? 私はどちらでもありません! 私はルトルバーグ家にお仕えするメイド。オールワークスメイドのメロディです!」


◆◆◆


 気が付くとそこは使用人食堂だった。

 メロディは椅子から立ち上がり、大きく胸を張っていた。


「――あれ?」


 メイドであることは大変誇りに思っているが、どうして今それを声高らかに宣言しているのだろうと、メロディは首を傾げる。

 周囲を見回すが、当然ながら言葉を交わす相手は誰もいない。


 いつの間にか眠り、夢でも見ていたのだろうか……でも、どんな夢を見ていたのかこれっぽっちも思い出せない。私、何してたんだっけ……?


「ワン、ワン!」


「あ、君も起きたんだ」


 テーブルのバスケットから子犬を抱き上げる。ご飯をお腹いっぱい食べて眠っていた子犬が目を覚ましていた。随分と元気そうに尻尾を振ってメロディを見つめている。


「調子はよさそうね、よかった。毛並みも綺麗になって――あれ? 君、全身銀色なのかと思ってたけど、片耳と尻尾、それに足先の毛は黒いんだね」


 お風呂に入れた時は全身銀色だと思っていたが見間違えたのだろうか。まあ、昨夜の使用人食堂は月明かりだけで、照明は付けていなかったので見逃したのかもしれない……昨夜?


 ここでようやく、メロディは部屋の中が明るいことに気が付いた。そして、そっと窓の方へ振り返ると――使用人食堂の窓から暖かな日の光が降り注がれていた……つまり、朝。


「お、お、お出迎ええええええええ!」


「キャワンッ!?」


 深夜に帰ってくるはずのルシアナ達を放置して、朝まで眠ってしまった。何たる失態!


 思わず子犬を放り出し、メロディは二階へ急いだ。

 だがそこにルシアナ達の姿はなかった。

 それどころか、屋敷中どこを探しても誰も見つからない。


「どうして……まさか、まだ帰ってきていないの?」


 昨夜の舞踏会は真夜中の十二時頃に終わり、遅くとも深夜二時くらいにはルトルバーグ一家は屋敷に帰ってくる予定だったはず。

 だというのに、時計の針は既に朝五時過ぎ。さすがにおかしい。


嫌な予感がして、メロディの額から冷たい汗がツーっと垂れる。


「と、とりあえず、馬車が戻ってきていないか確認しなくちゃ」


 メロディは走った。馬車が帰ってくるなら正面玄関からだ。


 焦るメロディが玄関の扉を開けると――ゴン! と、鈍い音がした。


「今、何か扉にぶつかったような……誰!?」


 なんと、見覚えのない男が扉の外で蹲っていた。どうやら玄関の前に寝転がっていて、開いた扉に頭をぶつけたようだ。当たり所が悪かったのか、男は両腕で頭を抱えている。


「あ、あの、どちら様でございましょうか?」


「おぉう……こ、ここはルトルバーグ伯爵家のお屋敷で、お間違いないで、しょうか……?」


「はい、そうですが……」


 男は蹲りながら胸元から身分証を提示した。どうやら王城の衛兵らしい。

 そして、男から聞かされた内容にメロディは驚愕の声を上げた。


「お嬢様が舞踏会でお倒れになったですって!? 一体いつのことですか!?」


「昨夜の舞踏会の閉会の頃でして……それで、お世話をするためにメイドを呼んでほしいとルトルバーグ伯爵様から要請がありまして……」


「そんな大切なこと、どうして昨夜のうちに知らせてくださらないんですか!」


「いや、それが……気が付いたら、眠ってしまったみたいで……」


「言い訳するにしたってもう少し言いようがあるでしょう!? 職務怠慢ですよ! もう!」


 慌てて準備をしたメロディは衛兵の馬車に乗って王城へと向かうのだが、その前に――。


「どうして御者さんまで眠ってるんですか! ていうか馬まで!? 起きてください!」


 御者も馬も、それはもう幸せそうな寝顔で熟睡していた……いい夢、見てるんだろうね。

 こっちは一秒でも早くお嬢様のもとへ向かいたいのに! ――と、メロディは右手を掲げた。


「我が指よ、覚醒の音を鳴らせ『目覚めの指アローザルティート』!」


 指パッチンを発動キーとして、目覚めに最適な軽い振動を対象に与える、目覚まし魔法である。

 メロディが指を鳴らすと、衛兵がいくら体を揺さぶっても起きなかった御者と馬が、パチクリと目を覚ました。

 それと同時に、さっきまで思いの外静かだった貴族街がにわかに騒がしくなる。


「ほら、起きたんならすぐに出発してください。目指すは王城ですよ!」


「え? ……あ、はい!」


 意外なほどに寝起きのよかった御者は、即座に王城へと手綱を引いた。


 不安と焦燥からメロディは一切の加減をせずに指を鳴らし、その魔法は王都全域に及んでいた。


 昨夜、王都の住人全員が一斉に眠り、翌朝、王都の住人全員が一斉に目覚めるという怪事件が発生したのだが、それをメロディが知ることはついぞなかったそうな……切実にツッコミが欲しい。


 メロディはルシアナの元へと急いだ。

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